ウラジオストク。 ウラジオストクの街並み、人種、治安、物価など詳しく紹介!アライバルビザについても

ウラジオストクの物価【2019年版】|思い立ったが吉日ブログ

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ロシア土産と言ったら外せない「マトリョーシカ」 ロシア土産の定番「マトリョーシカ」。 ウラジオストクのお土産屋さんにも、カラフルなマトリョーシカがずらりと並んでいます。 安いものは800円から、高いものは1万円以上するものも。 値段は全体の 大きさ、中に入っている 子の数、 絵の精密さで決まります。 少しずつ色合いや顔が異なるので、お気に入りの子を見つけてみてください。 おうちに飾ると一気にロシア旅行の思い出が蘇りますよ。 ウラジオストクのお土産やさんにはどこでも置いていますが、種類は「ブラッドギフト」が一番多かったです。 値段:800円 購入場所:ブラッドギフト 憧れのふわふわロシア帽「ウシャンカ」 ふわふわな触り心地のロシア帽「ウシャンカ」も本場ロシアでぜひ手に入れたいもの。 写真のものは2400円ほどで買えて、作りもしっかりしていました。 ウサギの毛を使用したものなどは1万円を超えるものもありますが、手頃な値段のものも多いので予算に合わせて選んでみてください。 ロシア帽をかぶって写真を撮れば、旅の思い出にもなりますよ。 ウラジオストクではどの雑貨店でも置いてありますが、暖かい季節は数が少なくなるので、大きめのお土産屋さんに行くといいと思います。 値段:2400円 購入場所:MADAM XL 気軽に伝統の味を食べられる「クノールのボルシチ」 クノールからロシアの伝統料理「ボルシチ味」が限定で販売されています。 このボルシチ味はぜひ手に入れたいことろ! 実際におうちで飲んでみましたが、ボルシチの味を気軽に楽しめて、旅行気分が蘇りました。 1袋50円とかなりコスパがいいので、 配り用のお土産にもぴったり。 また他にもスープの味は充実していて、キノコとチーズ、ソラマメ味などもありました。 キノコとチーズのスープはかなり絶品です! 値段:1袋50円 購入場所:チコミニマルケト スメノフスカヤ通り店 ウラジオストクでは「チコミニマルケト スメノフスカヤ通り店」でしか、ボルシチ味が販売されていませんでした。 ロシアを代表するチョコレート「アリョンカ」 赤ちゃんのパッケージが印象的な「アリョンカ」は、ロシアを代表するチョコレート。 ロシアで一番有名なチョコです! ウラジオストクでもスーパーに行くとアリョンカのチョコレートがずらりと並んでいます。 サイズは普通の板チョコサイズから、小さめのものまでさまざま。 ちょっとレトロなパッケージがロシアっぽく、お土産にも渡しやすいです。 味は普通のミルクチョコレートから、マロン風味などちょっと変わった味もあります。 ポップコーンが弾けたパッケージは、パチパチと弾ける不思議な食感でお気に入りです! 値段:大きめのチョコレートが95ルーブル(160円) 購入場所:ウラジオストクのスーパーではどこでも買えます カラフルな色使いがかわいいストール「プラトーク」 はっきりとしたカラフルな色使いがかわいい、ロシア伝統のスカーフ「プラトーク」。 こんなスカーフを巻いて写真を撮ったらおしゃれそう! ウラジオストクでもたまに、プラトークをかぶった女性を見かけました。 街中のお土産屋さんでは、 ポリエステル製のものが1000〜2000円で売られています。 ただ本来のプラトークは シルク製のもので、4000円以上はするようです。 シルク製のものを探している場合は、グム百貨店に行ってみてください。 値段:ポリエステル製のものは1000〜2000円。 シルク製は4000円から 購入場所:シルク製のものはグム百貨店へ。 ロシアで大人気のコスメ「アガフィアおばあちゃんのレシピシリーズ」 ロシアで人気のコスメ「アガフィアおばあちゃんのレシピシリーズ」。 最近では韓国の女の子たちからも絶大な人気で、ウラジオストクでは品切れ続出のようです。 一番人気のハンドクリームが欲しい人は、「ブラッドギフト」に行ってみてください。 他にもシャンプーやトリートメント、フェイスクリームなどがあります。 それらはスーパーでも買えますよ。 使い心地はしっとりめ、甘い香りがふわっと漂ってかなりよかったです。 女友達へのお土産におすすめですよ。 値段:ハンドクリームが260円 購入場所:ハンドクリームが欲しい人はブラッドギフトへ。 その他の商品はスーパーで取り扱いあり。 小さく揺れる姿がかわいい「マトリョーシカのキーホルダー」 ちょっととぼけた顔ですが、それも愛らしいマトリョーシカのキーホルダー。 1つ100円とかなりお手頃な値段なので、ばらまき用のお土産にもぴったり。 ロシア感たっぷりで、手軽に渡せるのが嬉しいお土産です。 値段:100円 購入場所:ブラッドギフト 300円で買えちゃう!実用的でかわいい「マトリョーシカのスプーン」 ウラジオストクにはマトリョーシカのグッズがたくさん。 中でも実用的でかわいいのが「マトリョーシカのスプーン」。 1つ300円と手頃な値段で買えて、かわいいマトリョーシカが付いています。 丈夫なのでわたしも家で使っていますよ。 実用的でかわいいので、女友達にあげると喜ばれるお土産だと思います。 値段:300円 購入場所:ブラッドギフト 昆布味のチョコレート!? 「プリモルスキー・コンディテル」 ウラジオストクに本社があるチョコレート会社「プリモルスキー・コンディテル」。 ウラジオストクの沿海地方の特徴を生かして、 塩味や 昆布味などの独特なチョコレートを作っている会社です。 昆布味を実際に食べてみたのですが、磯臭さはなく不思議と普通のチョコレートとしておいしかったです! ウラジオストクならではのお土産を買いたい人におすすめで、話題性も抜群だと思います。 値段:大95ルーブル(160円) 、小50ルーブル(85円) 購入場所:スーパー 実は紅茶大国!? ロシアの紅茶「グリーンフィールド 」 実はロシアは 紅茶の消費量が世界第4位の国。 紅茶がとっても愛されている国なんです。 ウラジオストクのスーパーでも、紅茶売り場はとっても広かったです。 中でもロシアで一番有名な「グリーンフィールド 」は豊富な品揃え。 人気の「ゴールデンセイロン」をはじめ、ハーブティーやフルーツティーなど、さまざまな種類がありました。 コクがあって豊かな味わいで、日本に帰ってきてからも美味しく飲めましたよ。 値段:109ルーブル(185円) 購入場所:スーパー カニ味やロブスター味も!ウラジオストクならではの海鮮系の「レイズ」 ポテトチップ「レイズ」も、カニ味やロブスター味など ウラジオストク限定の味が販売されていました。 港町のウラジオストクらしさ満点で、海鮮系の味が多くなっているようです。 実際に食べてみた感じだと海鮮系の風味が強いので、カニなどが好きな人にはおすすめできるかなと思いました。 ウラジオストクのスーパーにもハチミツがたくさん並んでいました。 またシベリア地方の針葉樹林で、美味しいハチミツをとれる場所があるようです。 ウラジオストク滞在中に時間のある人は、ハチミツ専門店「プリモールスキー・ミョード」にぜひ行ってみてください。 スーパーにもさまざまな種類のハチミツがあり、アカシヤなど 花ごとのハチミツがありましたよ。 値段:クマの容器に入ったハチミツは200ルーブル(340円) 購入場所:スーパー かわいいパッケージのチョコがずらり!「計り売りのチョコレート」 ばらまき用におすすめの、計り売りのチョコレート。 100グラム30ルーブル(50円)で買えるので、かなりお買い得! 自分で好きなチョコやクッキーを、袋に入れて買うことができます。 有名なチョコ「アリョンカ」も食べやすい一口サイズに。 どのパッケージにもキリル文字が入っているので、ロシア感たっぷりなお土産。 職場などのばらまき用のお土産におすすめです。 値段:100グラム30ルーブル(50円) 購入場所:ギペルマルケト サムベリ店 キリル文字の表紙がかわいい「ノート」 1つ100円で買えるノートも、配り用のロシア土産にぴったり。 表紙にロシア国旗やキリル文字が描かれているため、ロシアらしさも満点。 ロシアっぽいデザインのかわいいノートもありました。 お手頃な値段で実用的なノートは、ばらまき用のお土産におすすめです。 噴水通りにあってアクセスが抜群にいいです。 またマトリョーシカなども販売されている、 何でも揃うスーパー。 噴水通りを観光するときに立ち寄ってみてください。 チコミニマルケト 噴水通り店の基本情報 営業時間:8:00〜24:00 定休日:基本的になし 住所:Ulitsa Admirala Fokina, 3, Vladivostok, Primorskiy kray, ロシア 690091 アクセス:中央広場から徒歩8分 クノールのボルシチ味はここだけ!「チコミニマルケト スメノフスカヤ通り店」 クノールのボルシチ味を買いたい人は、「チコミニマルケト スメノフスカヤ通り店」に行ってください。 ウラジオストクでは、この店舗しかボルシチ味の在庫がありませんでした。 まずは「チコミニマルケト スメノフスカヤ通り店」をのぞいてみてください。 ウラジオストクの中心地で、アクセスしやすいスーパーです。 街中のスーパーより安い!「ギペルマルケト サムベリ店」 ウラジオストク街中のスーパーよりも3割ほど安い「ギペルマルケト サムベリ店」。 少しでも安くお土産を買いたい、という人におすすめです。 ウラジオストクの中心からバスに乗っていく必要がありますが、 往復100円もしないので簡単にバス代もペイできます。 とにかく何でも揃っている大きなスーパーなので、時間がある人は行ってみてください。 ギペルマルケト サムベリ店の基本情報 営業時間:8:00〜23:00 定休日:基本的にはなし 住所:Ulitsa Krygina, 23, Vladivostok, Primorskiy kray, ロシア 690065 アクセス: 種類が豊富!どんな雑貨も揃う「ブラッドギフト」 ウラジオストクの有名お土産店「ブラッドギフト」。 種類が豊富でさまざまなお土産、雑貨を取り扱っています。 他のお土産店に比べると値段はちょっと高め。 だけど他の店舗にないものもブラッドギフトにはあることが多いので、探しているものが見つからない場合はブラッドギフトに行ってみてください。 古い建物をリノベーションして、おしゃれな雑貨屋さんやカフェが続々オープンしています。 中でも「ビューロナホーダグ」は、キリル文字を使ったちょっと珍しい雑貨を売っているお店。 変わったロシア雑貨が欲しい人は行ってみてください。 実はロシアのお土産は通販でも購入できます。 下記のものをで買えますよ。 現地の滞在中は観光や自分のショッピングに夢中になれます。 ・マトリョーシカ ・マトリョーシカの缶入り紅茶 ・ロシアのアソートチョコレート ・ロシアウオッカ お土産を通販で買うメリット わたしも実際にお土産を通販で買ってみて、下記のようなメリットを感じました。 ・現地でお土産を買う心配をしなくていい ・割と安くお土産を手に入れられる(マトリョーシカ入りの紅茶が1200円ほど) ・味が美味しい ・豊富な種類の中から選べる ・現地で重い荷物を持つ必要がない ・日本語の表記がなく、日本で買ったと分からない ・配達日時の時間指定ができる 現地で買うよりは若干割高ですが、現地でお土産を探し回る時間や交通費を考えればお得と感じました。 配り用のお土産は通販でスマートに用意して、現地では観光や自分用のショッピングを楽しみましょ!配り用のお土産選びでヘトヘトになる必要なんかありません。 お土産はJTBのサイトで買えるので、ここで配り用のお土産は用意してしまいましょう。

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【ウラジオストク】ならではな博物館・美術館5選。潜水艦や要塞、看板猫も!

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ルースキー島(中央の赤い部分)の対岸、ピンクの部分がウラジオストク。 : 歴史 建設 旧名 海参崴 行政 市 ウラジオストク ()(2019年 - ) 地理 市域 331. この名称は「東方を支配する町」を意味するが、その通りウラジオストクはロシアの極東政策の拠点となる軍事・商業都市であった。 これは、ロシアの古い都市(公・大公の名に由来)に範を取った名称であるためであり、ほかにも同時期に作られた(を支配する町)などがある。 また、しばしば「を支配せよ(Rule the East)」、「東方の支配者(Lord of the East)」、「東方の覇者(Conqueror of the East)」とも解釈される。 では文献によりさまざまな表記が見られるが、代表的なものとしては「ウラジヴォストーク」「ウラジオストック」「ヴラヂヴォストーク(ソビエト科学アカデミーによる公式な日本語表記)」などが挙げられる。 上述の通り、本来のロシア語での造語としてはウラジ・オストク(ヴラディ・ヴォストーク)が正しいのであるが、かつての日本ではウラジオ・ストクと解され、以降 浦塩斯徳(または浦潮斯徳)と当て字された。 地理 [ ] ウラジオストク市は南部のの南にあり、平地が少なく坂の多い港町である。 に突き出した(長さ30キロ、幅12キロ、に由来する)南端部の43度7分、131度51分に位置し、ロシア海軍のの基地が置かれる軍港都市。 人口は60万5,049人()。 ウラジオストクの衛星画像 丘陵上の市街に囲まれるようにしてが半島に切れ込んでおり、天然の良港になっている。 街の中心部は金角湾の奥にある。 南にはをはさんで軍用地や保養所などのあるが浮かぶ。 気候 [ ] (冷帯夏雨気候)である。 1月の平均気温:-12. 年間降水量:823. 9ミリ(以上の4項目は1971年 - 2000年平均)。 冬は北風が強く、をが通ると風、時には雪も強まり、天気が荒れる。 緯度では札幌と同緯度に位置するが、沿岸都市でもあるにもかかわらず1月の平均気温は-12. 4度よりも低い(平均最低気温は陸別町が-20. 2度と5度ほど低い)。 その一方で、夏季は好天の日には暑くなることがあるがハバロフスクなどの内陸の地域市に比べると日較差はさほど大きくなく過ごしやすい。 夏や秋には台風が上陸することもある。 0 41 9. 9 49. 8 15. 2 59. 4 22. 7 72. 9 29. 5 85. 1 31. 8 89. 2 33. 6 92. 5 33. 0 91. 4 30. 0 86 23. 4 74. 1 17. 5 63. 5 9. 4 48. 9 33. 6 92. 0 17. 1 24. 6 2. 2 36 9. 9 49. 8 14. 8 58. 6 17. 8 64 21. 2 70. 2 23. 3 73. 9 19. 8 67. 6 13. 0 55. 4 3. 1 37. 2 22. 6 9. 0 48. 3 9. 5 16. 8 28. 8 5. 1 41. 2 9. 8 49. 6 13. 6 56. 5 17. 6 63. 7 19. 8 67. 6 16. 0 60. 8 8. 9 30. 0 15. 8 4. 9 40. 3 4. 6 11. 8 23. 4 2. 0 35. 6 6. 7 44. 1 11. 2 52. 2 15. 8 60. 4 17. 7 63. 9 13. 2 55. 8 6. 0 42. 8 25. 9 10. 6 2. 1 35. 1 17. 8 30. 6 3. 7 38. 7 8. 8 47. 8 10. 1 50. 2 2. 7 14. 5 mm inch 14 0. 55 15 0. 59 27 1. 06 48 1. 89 81 3. 19 110 4. 33 153 6. 02 151 5. 94 116 4. 57 57 2. 24 28 1. 1 18 0. 71 818 32. 2 cm inch 11. 5 4. 53 12. 1 4. 76 9. 8 3. 86 5. 7 2. 24 0. 0 0 0. 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 4. 5 1. 77 15. 8 6. 22 59. 4 23. 38 平均降水日数 2. 7 3. 0 3. 9 6. 8 7. 9 10. 8 11. 3 10. 2 7. 3 5. 5 4. 2 2. 6 76. 6 平均月間 176. 7 184. 8 217. 0 192. 0 198. 4 129. 0 120. 9 148. 8 198. 0 204. 6 168. 0 155. 0 2,093. 2 出典 1: 出典 2: 民族構成 [ ] ウラジオストクを含むやは、末からのが多く、とも呼ばれていた。 現在はとが大多数を占めるものの、やなどもいる。 その他、近年の建設ラッシュに合わせ、北朝鮮や中央アジア各地からの労働者が建設業などに携わっている。 前後には日本人が6,000人ほど在住し日本人街が形成されていたが、2011年現在、外務省へ届け出ている在留邦人は104人 にすぎない。 宗教施設 [ ] が多いが、そのほとんどは時代にの宗教否定により破壊され、後に再建されたものである。 その他のキリスト教としては、、がある。 ほかの宗教施設としてはの、の、の施設がある。 標準時 [ ] シベリア出兵を伝える日本の画報(救露討独遠征軍画報) 石器時代 [ ] 古来より系民族が住んでいたと考えられている。 2万年前に日本から運ばれた隠岐産のなどが発掘されている。 [ ] 末から初頭は、渤海国の領域であった。 には、渤海国時代の遺跡から発掘された文化財が展示されている。 [ ] を中心に支配した(キタイ人)や(ヤリュート氏)の征服王朝の領域であった。 遼王朝は916年から1125年まで続いた。 [ ] 初頭から初頭は、中国の北半を支配したの金王朝の支配領域であった。 [ ] 元の時代、現在のウラジオストクにあたる地域は 永明城(永遠の光の都市(city of eternal light)の意)と呼ばれていた。 [ ] 明の時代、が奴児干都指揮使司を設立、東北地方を支配する機関として「奴児干都司」が設置された重要な要衝地となっている。 [ ] 清の時代、(がいまんしゅう、英: Outer Manchuria)と呼ばれていた地域の中で、現在のウラジオストクにあたる地域は 海參崴(のの意)と呼ばれていた。 外満州は、のとのによって、清からロシア帝国に割譲された。 時代 [ ] ロシア帝国はにによってを清から獲得しを設置して、その南部にウラジオストクの街を建設した。 ロシア人のほか、、も都市の建設に携わった。 の朝鮮紀行によれば、に測量を開始、1863年にやマツの大木を切り払い仮設小屋を建て始めた際には野生のによる被害が出た。 にから海軍施設を移設すると人口は増加し、には、やなどの民間人を含め2万5,000人規模の都市となった。 以降、沿岸との間にが定期航路を開設し、から農業開拓移住者を運んだ。 末、を通じてのへの玄関口として、また北に位置するロシアが悲願とする として極東における重要な港町に位置づけられた。 1878年にから海軍が移駐、、の分遣隊が置かれた。 これは、のちに強化されてとなった。 ウラジオストクにはやが建造されたが、これができるまでロシア極東にはまともな艦船の整備施設がなく、日本の施設に依存していた。 時には、ウラジオストク巡洋艦隊はに活躍し、ののち艦隊の残存艦はウラジオストク巡洋艦隊に合流した。 日露戦争後はその構成艦船の主要なものがほとんどへ帰還し、太平洋艦隊はに縮小された。 9月、ウラジオストクからを経由しのを通ってとをつなぐが開通。 、とウラジオストク航路に接続するが(1914年からは) - 金ヶ崎駅(のちにに改称)で運行を開始()。 、を経由する現在のルートのシベリア鉄道が開通。 日本占領~極東共和国時代 [ ] の勃発により、の連合国(・・・・・・)が干渉戦争としてへ出兵することが決まり、まず(大正7年)夏に3万7,000人の大日本帝国陸海軍が上陸。 その後、その他連合国の少数の干渉軍が上陸した()。 しかし1918年11月に起こったによっては停戦したため、これによってシベリア出兵の目的を喪失したほかの連合国軍は、1920年に相次いで撤兵したが、その後も日本軍だけは事後処理を名目に駐留を続行した。 日本出兵部隊の本部は現在の「沿海地方内務局ビル」内にあった。 日本は当初のウラジオストクより先に進軍しないという規約を無視し、が組織した赤軍や労働者、農民によるとの戦闘を繰り返しながら、、やを鉄道沿いに東部まで侵攻し、最終的にバイカル湖西部のにまで占領地を拡大。 ウラジオストクからイルクーツク以東を1918年から1922年にわたって占領した。 ウラジオストクにはからの間、の支配下にあり、各地からが押し寄せたため、市の人口は9万7,000人から41万人までに増加した。 、最後の日本軍部隊が撤収し、ウラジオストクはの支配下に入った。 市の人口は、10万8,000人にまで減少した。 ソ連時代 [ ] 、それまであった小規模な艦隊を拡張する形で、ウラジオストクを本部とするが創設された。 時代のには、沿海州を改組した沿海地方の州都となるとともに、軍港として重視されるようになった。 その後、((日)・(ソ))の時代を過ぎてに入った後には、国際都市から一変することとなる。 からソ連が崩壊するまで、ごく一部を除いて外国人の居住と、ソ連国民を含む市外居住者の立ち入りが禁止されたとされた。 その間、ウラジオストクの代わりにが日本を含む外国との貿易港として、そしての始発駅として機能した。 そのため日本国総領事館もナホトカに移転していた。 ロシア連邦時代 [ ] 後の、ウラジオストクが閉鎖都市の指定から解除され、には日本国総領事館がナホトカからウラジオストクへ移転した。 民間旅客航空会社のが誕生し、日本の、、、、との間に定期便が就航していたが、サハリン航空と合併してとなった。 2017年10月現在、ウラジオストクから日本への直行便は週10便ある。 オーロラの成田-ウラジオストク便が週3便、S7航空の成田便が週4便、新千歳空港便が週3便 である。 9月にはでが開催され、首脳会議の会場となった。 APEC終了後にがその会場の建物に移転した。 ロシア政府はAPEC開催に備える形で、の建設やの改修を行うなど、ウラジオストクに対して総額約6,000億ルーブル(1兆6,500億円)の莫大な投資を実施した。 ルースキー島は、地化を目的として、大規模な開発が進められており、リゾートホテルや水族館ができている。 2017年8月より無料の電子での訪問が可能となり、が3月29日よりから毎日1往復を就航するなど、日本人観光客が増加傾向にある。 産業 [ ] おもな産業はと、関連産業である。 ソ連崩壊後は日本などからの輸入が盛んとなり、極東における一大市場となっている。 経済的にはインフラ整備の遅れが問題になっていたが、2012年のAPEC開催が決まったことで大規模な公共事業が実施され、急速に整備が進んだ。 現在はを積極的に誘致している。 12月にが地区初の自動車工場として操業を開始したほか、やなど外資系メーカーの進出も進んでいる。 また、と日系企業による生産プラントの建設が計画されている。 への外国投資を促すのが主目的の国際会議「」が、2015年から毎年9月にウラジオストクで開かれている。 交通 [ ] 道路 [ ] 金角湾横断橋 市外との主要道路は、北方面への(ウラジオストク - ハバロフスク、別名:幹線道路)が本市をとしており、この道路は(などを経てとへ)の最東端になっている。 また東方面にへの道路、南方面へへの道路(さらにの国境を経てへ)もある。 鉄道 [ ] 美しい駅舎を構えるはの東方の駅である。 長距離列車としては、行き、行き、行きがある。 近距離列車としては、行きがある。 シベリア鉄道はウラジオストク市内では区間ローカル列車()を運行しており市内交通の一翼を担っているが、本数は多くない。 2012年7月下旬、ウラジオストク駅とを54分で結ぶが運行を開始。 空港からウラジオストク駅へは、2019年時点で5本、ウラジオストク駅から空港までは5本ずつしかなく、運行本数が少ないため注意が必要。 航空 [ ] が、市の中心部から北に50キロほどの市 にあり、ロシア国内主要都市と日本(、、)、韓国(ソウル、釜山、)、中国(北京、天津、哈爾濱、上海、香港など)、北朝鮮(平壌)、台湾(台北)、タイ(バンコク)に就航している。 韓国へはLCCも就航している。 その後は2012年の開催を契機に、成田空港との間にの直行便が就航した。 2018年5月25日より再開した新潟へは夏期のみの期間就航となっている。 2018年12月からによりにも就航を開始した。 2019年夏からは、季節限定便としてS7航空が関西空港へ週2便運航している。 は2020年2月26日から、当初は週3往復、夏ダイヤが始まる3月29日からは週7往復のデイリー運航に増便する見通しで機材はボーイング737-800型機(2クラス144席:ビジネス12席、エコノミー132席)を使う。 は2020年3月16日より成田から週に2往復運航することが決定した。 機材はエアバスA320neo(2クラス146席:ビジネス8席、エコノミー138席)を投入するとしている。 船舶 [ ] で有名なは国際貿易港でもあり、各地への航路が開かれている。 現在は(韓国資本)が、との間に経由でを月に2回 - 5回運航している。 かっては日本への定期旅客船として、がのとの間に就航していたが、2009年12月で運行を休止した。 金角湾には観光用の遊覧船がある。 市内公共交通 [ ] 第10要塞に残されている• - ウラジオストク随一の繁華街。 (噴水通り)• - やの公演が行われている。 - 、記念艦クラスヌイ・ヴィンペル、日露戦争英雄記念碑などが展示されている。 との銅像• - ロシア極東最大のショッピングモール(地元ロシアをはじめ、・・・・・・などののチェーン店がテナントとして入居している)。 - 近郊のにあるを中心とした娯楽施設群。 - 、、水族館など。 教育 [ ] 大学 [ ] ウラジオストクにある大学 は、• (Far Eastren State Technical University)• (ロシア語:、英語:Far Eastern State Technical Fisheries University)• (Far Eastern State Academy of Arts)• (Pacific State University of Economics) など。 文化 [ ]• 1月1日、ウラジオストクにが開場した。 ので活躍する歌手、のが公演している。 サンクトペテルブルクにあるの分館をウラジオストクに作る計画も検討されている。 ロシアを代表する、がデビューした街としても知られる。 市内にはバンドのも存在する。 監督の『』(1975年公開)や、チョナン・カン()主演の映画『』(2004年公開)、主演の映画『』(2014年公開)の撮影が行われた地である。 日本人カメラマンが活動の拠点にしている。 ウラジオストクが舞台となった作品 [ ] 小説• 『死後の恋』『支那米の袋』著• 『ミリオンカの女』『仕切られた女 ウラジオストク花暦』著• 『右ハンドル』ワシーリイ・アフチェンコ著、河尾基訳 映画• 『デルス・ウザーラ』(1975年公開、監督。 モスクワ国際映画祭で大賞、米国アカデミー賞で外国語映画賞)• 『ホテルビーナス』(2004年公開、主演。 モスクワ国際映画祭のパースペクティブ部門で最優秀賞)• 主演)• 『Seventh Code』(2014年公開、監督、主演。 ローマ国際映画祭で最優秀監督賞)• 『コップ・ベイビー』(2017年公開のロシア映画。 が主役の声を担当する日本語吹替版はムービープラスにて配信中) テレビドラマ• 浅見光彦シリーズ50「貴賓室の怪人」(主演)• 十津川警部シリーズ18「シベリア鉄道殺人事件」(主演) バラエティ番組• 「ウラジオストクのウラジオストク中学の体育館裏で裏番長に裏拳で殴られてくる」• スペシャル~ロシア・ウラジオストク 漫画• 『ゴールデンカムイ』原作• 『乾と巽 -ザバイカル戦記』原作 テレビアニメ• 「DARKER THAN BLACK --」 ゲームソフト• 「」(シベリア鉄道沿線が舞台。 ウラジオストクは拡張ロードマップにて対応) ミュージックビデオ• 「世界の人へ」• 「瞳のイルミネーション」「Heart On Fire」• 「Walkin'On Air」• 「Teenager Forever」(出演部分のみ)• 「コ・ロシア」• 「未来はみないで」• 「everyday」(日本テレビ系『バズリズム02』オープニングテーマ) 写真集、カレンダーなど• 「Wonderland EP」(ジャケット写真)• ()「中山莉子の写真集。 「Russian Blue」• 「2020 カレンダー」• 「カレンダー2020. 3」 日本との関係 [ ] この節のが望まれています。 ロシア帝国時代 [ ] ウラジオストクと日本の関係はウラジオストク創設の以降に始まる。 ロシア帝国政府からに対し極東ロシアへの移民募集の依頼あり。 江戸幕府はロシア領事から要望されていたシベリア開発の移民募集につき、それまでの不許可の方針を検討対象に変更。 ウラジオストク - 間に電信線が開通。 日本国政府貿易事務所が開設(1907年に領事館、1909年に総領事館に昇格)。 後にの元となったが、ウラジオストクに支店を開設。 は初めての海外布教所としてを開設。 1890年代の始めに、 - 航路に加え、からの定期航路が運航開始。 シベリア鉄道敷設工事が開始。 日本からの建設関係労働者の出稼ぎ移民が増加し、鉄道建設等の集団による契約移民も数回にわたり渡航した。 増大した在留邦人のために「浦潮斯徳同盟会」(会長・川辺虎)が結成される(1895年に「浦潮斯徳同胞会」、1906年に「浦潮斯徳居留民団」に改称)。 浦潮本願寺の1室にが開設。 のちにの元となったがウラジオストクに支店を開設。 とウラジオストク港との間に定期船の運航開始。 その年に傾倒していたは、ウラジオストクに3週間滞在したあとにでからへ向かった。 当時日本から方面へ行く最短ルートとして外交官や留学生などの多くがシベリア鉄道を利用した。 12月時点でのウラジオストク在住日本人の数は2,996人を達成していた。 その多くは、特にの出身者が多かった。 当時、街の中心部(ペキンスカヤ通り、コソイ通り、スイフンスカヤ通り、フォンタンナヤ通り)にができて商業活動が活発に行われ機能していた。 2月8日 が勃発。 ほとんどの日本人は避難のため帰国した。 3月6日海軍中将が率いる日本海軍のは、装甲巡洋艦「」「」「」「」「」、防護巡洋艦「」「」が方面からウラジオストク港に接近して薄氷の外から造船場、砲台、市街地に向けて約50分間砲撃し、しばらくその海域に留まった。 さらに支援の防護巡洋艦5隻と10隻のも集結した。 9月4日 日露戦争終結によりが締結され、その後日本人がウラジオストクへ戻った。 ウラジオストクに日本のが開設。 のが支店としてを開設(のちにの浦塩支店が吸収)。 店舗としては第一ギルドに所属していた「」「会社」「株式会社」「」といった商社、また長崎、愛知、茨城、新潟、滋賀の各県出身の持ち主が第2級商店を経営していた。 ウラジオストク航路に接続する国際列車が(1914年からは)と金ヶ崎駅(1919年に敦賀港駅と改称)との間にが運航を開始。 この年の5月、は、に滞在している夫のに会いにいくためにウラジオストク駅からシベリア鉄道に乗車した。 東洋学院の敷地内には与謝野晶子の詩文が書かれた石碑があり、「巴里の君へ逢ひに行く」と刻まれている。 日本人学校がフォンタンナヤ通りの建物に移転。 当時で一世を風靡した女優のと、演出家がウラジオストクを訪れ、ロシアの劇団との合同講演をで行い大好評を博した。 日本占領~極東共和国時代 [ ]• ロシア革命後にによる体制が成立したものの、ウラジオストクなどのロシア極東には、すぐには統治が及ばなかった。 12月、日本語による新聞が創刊。 日本を中心とした列強国によるにより日本からの軍艦がウラジオストク港へ到着し、伸べ7万3,000人の日本軍が上陸。 その駐留する日本軍人に対し、ウラジオストク在住の日本人が商売を行った。 またロシア革命により多くのがウラジオストク港から船で日本へ亡命した。 1918年からにかけて、日本がウラジオストクからに近い以東のを占領。 日本出兵部隊の本部が現在の「沿海地方内務局ビル」内に駐屯していた。 またその年にはの浦塩支店が開設。 、などの商社、精米業の、雑貨商のなどが営業していた。 ごろ(大正9 - 10年ごろ)には6,000人近くの日本人が暮らし、日本人による商店や企業が多数進出していたが、3月から5月にかけての河口にあるニコラエフスク(現在の)でによる大規模な住民虐殺事件()が発生。 のは6月23日の閣議で、この年の10月末日までの沿海州からの撤兵方針を決定し、翌日、日本政府声明として発表。 撤兵は予定通り進められ10月25日に赤軍がウラジオストクに入った。 ソ連時代 [ ]• 横浜正金銀行の浦塩支店が閉鎖し撤退。 7月末 の初の海外公演がウラジオストクで1週間行われ、その後モスクワに向けて出発した。 9月18日 が勃発。 またソ連政府の政策により制度の廃止、市民個人の自由の制限などで日ソ関係が悪化。 日本人の帰国が多くなり日本人学校が閉鎖となる。 ソ連政府の命令により、領事官員を除くウラジオストク在住の日本人全員が帰国することとなった。 4月13日に浦潮本願寺は閉鎖となり、仏像・仏具とともに尼港事件やシベリア出兵時に死亡した兵士および日本人移民の遺骨94柱が、船舶「シベリア丸」で日本へ帰国した。 終了後に捕虜となった日本人の兵士によって1940年代後半にナベレジナヤ通りのロタンダやディナモ競技場が建設された。 しかしその後の東西冷戦期のウラジオストクは、前述のように高度な軍事機密に関わる軍港として閉鎖都市となり、日露(日ソ)間の航路もに移動され、ほかのすべての外国人と同様、日本人にとって、ウラジオストクを訪れることができない状態がソ連崩壊後まで続いた。 1909年~1922年、1925年~1946年、および1993年以降、が設置されている(不在期間の後者は、東西冷戦期である)。 ロシア連邦時代 [ ] 現在のウラジオストク市内では、日本から輸入したのが数多く走っており、その比率はおよそ9割以上である。 また一時期には、およそ10万人が車輸入販売、修理、洗車などの中古車関連ビジネスに従事していた。 2009年1月よりロシア政府が自国自動車産業の保護を目的とし輸入車の関税を大幅に引き上げたため、地元では大きな影響が出ている。 日本との地理的な近さ(東京からはソウルよりも近い)などから日本語教育が非常に盛んであり、市内の各大学や高校などでは日本語教育が行われている。 また、同時にロシア語を学ぶ日本人留学生も少なくない。 2017年8月8日よりウラジオストク域内では電子ビザでの滞在が可能となり、渡航日の4日前にネット上で申請することで無料でビザ取得が可能となった。 進出している主な日系企業・団体 [ ]• ウラジオストク• ウラジオストク支局• ウラジオストク支局• ウラジオストク支局 姉妹都市 [ ]• () 脚注 [ ] []• 日ロ沿岸市長会. 2011年4月8日閲覧。 日本で知られているものとしては、宇宙船の「」と同じ語である。 は著書『新版 日露国境交渉史』p. 75で「は、1860年のによって清国から割譲された海参威をウラジヴォストークと名づけた。 「東方(ヴォストーク)」を「支配せよ(ウラジ)」の意味である。 」と説明している。 原文は英語• "明代に入り3代皇帝、永楽帝の永楽7年 1409 、東北地方を支配する機関として「奴児干都司」が設置された重要な要衝地となっている。 ", アムール下流域奴児干都司としと永寧寺碑と先住民族たち• "1409年 永楽7 ,黒竜江 アムール川 下流の特林に置かれた明の軍政機関。 正式には奴児干都指揮使司という。 ", 世界大百科事典内の奴児干都指揮使司の言及• イザベラ・バード『朝鮮紀行』講談社学術文庫p282• 著『ウラジオストク物語』、、111ページ。 川上俊彦著『』大倉保五郎、1892年6月、43〜44頁、「」。 少なくとも1892年の時点では不凍港ではなかった。 述『 』(金谷昭、1892年)において、海軍水路部長の肝付は、(表示された右ページ1〜2行目)と記している。 また、会員・松浦充美著『東露要港浦塩斯徳』(東京堂、、および所蔵)39ページ、第五「冬時浦港氷塊破砕の模様」によると、により「軍艦シラチー号を回航し来り同年冬季時結氷の初めより破砕に従事したるを始とし」たが、厳冬期には能力が不足し、軍艦・商船のための航路確保が困難であった。 からの冬に状況が変わった(東京朝日新聞1898年1月18日3面「浦塩斯徳の繁忙」)。 アガーポフ「研究ノート:露日戦争におけるウラジオ巡洋艦戦隊の作戦」堤明夫訳、軍事史学会編『日露戦争(二)---戦いの諸相と遺産』軍事史学41-1・2合併号、2005年6月、、99ページに、艦隊用の基地としてのウラジオストクの「最も不便な点は冬季における90〜120日間の港の凍結であったが、この問題は砕氷艦「ナデージヌイ(Nadezhny)」が配備されたことによって解決され、年間を通しての航行が可能となった」(出典は、Russkoe sudohodstvo, 1904. 3 263 , pp. 227-28)と記されている。 2012年5月17日• 栗田シメイ 2018年10月31日. 2018年11月26日閲覧。 (英語)• ロシア語通訳協会• 信濃毎日新聞2010年5月7日より。 参考文献 [ ]• 2005. 新版 日露国境交渉史 北方領土返還への道 (角川選書). 角川学芸出版. 外部リンク [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するメディアがあります。 (日本語)• (日本語)• (日本語)• (日本語)• (ロシア語).

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冬のウラジオストク観光が半端なく寒くておもしろい!【気温マイナス16℃の世界!?】

ウラジオストク

ウラジオストクの街を見下ろす「要塞博物館」 かつてウラジオストクの街にはいくつか 要塞があったものの、廃墟になる例が多かったようです。 でも、ひとつだけ今も博物館として公開している要塞があります。 かつて要塞だった建物を囲むように、ずらりと並ぶ戦車。 現代的なビルとの組み合わせ… ロマノフ王朝時代から旧ソ連時代まで使われていたものだそうです。 魚雷にミサイル、砲台なんかも。 柵も警備員さんもいないから、じかに触ってみたり足をかけてみたりして。 戦車に触れるなんてなかなかない体験でしたよ。 展示室内から望遠鏡で覗き込んでみるY氏 要塞内は展示室として公開。 まだ要塞として機能していた時代の記念写真、軍服等が展示してありました。 ウラジオストクの海沿いにありながら、入り口は階段のさきに。 なかなか見晴らしのよい立地です。 見晴らしがよければ敵の襲来もいち早く分かるし、ここを要塞にするのも分かる気がする。 配管むき出しで、天井も低いしせまいし、なんだか秘密基地に迷い込んだような感覚になりました。 まあるい通路を何度もくぐります。 潜水艦の設備を公開するとともに、まだウラジオストクに軍用港があった時代の写真やお偉いさんの肖像 ロマノフ王朝ミハイル公も 、栄える港の様子の写真も展示してありました。 潜水艦の出口付近には、マニア垂涎の海軍グッズやマグネット、ポストカード等も売ってましたよ。 見た目も博物館ぽくなくて独特。 後でつけた扉が博物館の入り口です。 ウラジオストクの海を眺めるだけじゃなくて、潜水艦の中を歩いてみるのもアリだとおもう。 紀元前、石器時代からロマノフ王朝まで、沿海地方で発掘された考古学展示が充実しています。 日本語のカタコトな説明書きもありましたが、なかなか難しかった でも興味深い。 石の棺に興味津々なY氏 ロシアにはあるけれど、韓国や中国と近いからか… なんだかシンパシーを感じた展示も。 この地方はいろんな民族がいたそうで。 特別展も充実していました。 たしか戦時中に夫とアメリカから移ってきた研究者の手記を当時の写真とともに展示していたり、ロシア革命でウラジオストクを追われた人が、また戻ってこれたときのために隠し持っていた財産・写真の展示、戦時中のウラジオストクを記録した写真家の展示… そっちのほうが印象に残ってるかも。 でもでも、展示物よりも印象に残っているのがこの子。 スタッフさんが飼っている猫さんです。 クローク受付や展示室の前をうろうろしてました。 極めつけはイスのうえでひなたぼっこ…! 毛並みもつやつや、なでなでせずにはいられません。 博物館の看板猫さんですね。 この子に会いに行くだけでも価値があるかも。 会えたらラッキー!? アルセーニエフ記念国立沿海地方博物館 住所:Svetlanskaya St, 20, Vladivostok 開館時間:10:00~19:00 お休み:なし 入館料:400ルーブル 約800円 アクセス:ウラジオストク駅から徒歩5分 シャガールやカンディンスキーもある「沿海地方州立美術館」 「 沿海地方州立美術館」はあまり大きい美術館じゃないけど、内装がかわいかった。 階段にマリア・テレジアの等身大?パネルが置いてあったけど 笑 常設展の作品は、18~19世紀のものが中心です。 ロシア出身の画家・シャガールやカンディンスキーの作品も! 日本語のパンフレットはなかったけど こういうときスタッフさんが持って来てくれるのはいつも韓国語… 英語のキャプションだけでもじゅうぶん楽しめました。 ちなみに、私が行ったときは17世紀オランダ絵画の特別展 植物画、風景画が中心 がやっていました。 そのほか、街のマリインスキー劇場所属のバレリーナさんが美術館で踊った写真の展示も。 美しい作品とのマリアージュ、なんだか新鮮な雰囲気でした。 ロシア王朝関連の肖像画が並ぶ部屋のY氏 特別展も常設展も、じっくり時間をかけて1時間半くらいで観終わりました。 寒い時期は11:00~開館なので気を付けて! 私たちは15分くらい前についたのでイスで待たせてもらった 沿海地方州立美術館 住所:Ulitsa Aleutskaya, 12, Vladivostok 開館時間:10:00~18:00 冬季は11:00~ お休み:月曜日 入館料:350ルーブル 約700円 アクセス:ウラジオストク駅から徒歩3分 レトロなロシア車がそろう!「クラシックカー博物館」 戦前のレトロな高級車、 カラフルだけど旧共産圏の雰囲気ただよう自動車のほか、 軍用車やレース用バイク等、約50台の自動車を展示する 「クラシックカー博物館」。 哀愁漂うデザインや… やはり私は旧ソ連時代の原色と直線的なデザインが好みです。 ポスター展示や、自動車にあわせた当時のファッションの再現もなにげ面白かった。 レトロなバイクに見入るY氏 平日ってのもあってか、私たち以外誰もお客さんがいなかった。 ゆったり過ごせました。 貸切 車好き、デザイン好きは行く価値あるかも。 車種・年代・スペックくらいしか英語の説明はなかったけど、見てるだけでなんだか楽しくなっちゃうよね。 なんか軍用基地といわんばかりの味気ないというかシュッとした建物 この博物館、実はウラジオストク郊外にあります。 中心部からはタクシーで30分くらいです。 タクシーで行けば楽だけど、バスで途中まで行って、路面電車で向かうのも楽しいよ。 旧ソ連時代に造られた路面電車で、のんびりと。 路面電車の路線沿いには大きな市場も点在しているので、一緒にめぐると面白いと思います。 要塞も潜水艦も探検家の家も、博物館用に改装されていたものの。 それはそれで面白いし、歴史を肌で感じるにはよかったです。 規模がそれほど大きくなくても、内容が濃いというか。 ウラジオストクって街の規模のわりには博物館や美術館が多いので、興味のあるものがひとつは見つかるのでは、と。 日本と比べれば入館料も安いと思うし、気軽に見学してみては。 ランキング参加中!!!.

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