まとも な 人間。 まともな人間になりたい

男の子の半数はまともな大人に育たない

まとも な 人間

するかしないかではなくて、できるかできないか。 30過ぎても結婚できていないとわかれば、その人自身に何か問題があるのではと疑われるワケワカンナイ世の中。 CA(キャビンアテンダント)の先輩の職場には女性しかいないから、30過ぎれば嘘でも婚約指輪を嵌めるそうだ。 結婚できていないとバレてしまうと、どんなにチーフとして活躍できていても、文句なしに仕事ができても、女としてヤバいやつと見られてしまうそう。 誓いを立てていなくとも、指には偽物のリングがないと自分を守れないのだ。 そのリングで一体何が守れるのだろう。 錆びついて指から離れなくなった時、指ごともぎって薬指がなかったことにするのかな。 最近やたらと視界に入ってくる「結婚」ってやつ。 わたしには縁のない話だと思っていたけれど、そろそろ意識せざるを得なくなってきた24歳。 夏が終わろうとしている9月の始まり、密やかに、でも確実に近づいてくる秋がわたしは嫌い。 秋が好きだとわざわざ報告してくれる女の子がやたら多いのだけど、季節の変わり目には絶対に体調を崩すから、どんどん寒くなる秋だけはどうしても攻略できない。 刹那の如く走っていったもう戻らない今年の夏に、わたしは4人から結婚の報告を受けた。 そのすべてに対して、わたしは確かに「おめでとう」と言った。 おめでとう、よかったね。 幸せにね。 その言葉に嬉しそうに笑う相手からは、当たり前みたいに「ありがとう」と返ってきた。 結婚の報告に対して、「おめでとう」以外に投げかけられる言葉って、あるんだろうか。 そもそも、結婚っておめでたいことなんだろうか。 いつから結婚がこんなに素敵なこととしてお祝いされるようになったんだろう。 結婚の、なにがおめでたいのか。 わたしは、誰のなにを祝っているんだっけ。 * その昔、当たり前のように誰かをいじめていたあいつも結婚した。 カースト上位のグループに胡座をかき、やんちゃという言葉で片付けられモラトリアムを生きていたあの子も、いつのまにか結婚してママになった。 婚姻届に指を並べた写真と共にありきたりな言葉でされるあの報告を見て、祝福の言葉が出るまでに数秒の虚無が生まれる自分に怖くなる。 女泣かせで有名だったアイツも、女に泣かされていたアイツも結婚した。 手当たり次第に女を求めては捨ててを繰り返していたモンスターみたいなアイツでさえ。 となりに婚約者がいると言うだけで、それまでの行いがなかったかのようにまともな男にみられてるの、なんなんだろう。 結婚していれば。 結婚さえしていれば。 どんな人間でもひとまずはまともな人間に見えるのは、この世の七不思議の1つだとわたしは思っている。 人間みんなトチ狂ってるのに、結婚さえしてれば、そのほかの小さな問題に蓋がされて、なんだか許されてしまうのだ。 人としてどうかと思う振る舞いを簡単にする人でも、既婚の二文字で自然と無罪になる。 老若男女問わず既婚者であるというだけで、認められる社会が確かにあるのだ。 周りが結婚していく中、心の中でずっと感じていたモヤモヤの正体は、これだ。 「既婚=社会的地位の確立」という、エポックメイキングな考えと事実。 そして、ちょっと難ありなその人が結婚していることを知った時、大してその人に興味がない第三者の誰かは、その人がいないところで「旦那さん(もしくは奥さん)苦労してるんだろうね」「あの人絶対不倫してるよね」と、それなりにひどい陰口を言うのだということも、わたしはもう知ってしまったのだ。 そんな悪口を言う人こそ結婚をしていない人の方が多いということ、既婚であるかどうかで人を判断している人こそ結婚にこじれた偏見があるのだと言うこと、観察すればするほど面白いくらいにわかる。 みんな結婚に、こんなにがんじがらめになっているのだ。 * 「周りがどんどん結婚していくんです」と言うと、「第一次結婚ラッシュの時期だね。 20代後半でもう一度ラッシュが来るよ」と、おおよそ同じ解答が返ってくる。 祝う側の場数を踏んだ「結婚式の先輩」は、結婚に対するホンマでっかな知識をこれでもかと教えてくれる。 あいつ、結婚する前は遊んでたのにな、今じゃ良いパパだよ。 結婚式って意外と出会いがあるよね、チャンスだよ。 歳をとるにつれて周りの結婚式が増えるから、ある程度のお金は貯めておくといいよ。 他人の結婚に対する知識が豊富になっていく一方で、自分がこれから歩んでいくべき道に関する情報は、いつだって欠如している。 勝者に与えられる王冠を貪り合うように、結婚レースに強制参加させられていた。 興味がないと言えば女としてどうなのと言われて、結婚に貪欲な女友達は一部の層に嫌われてる。 したいと言っても、したくないと言っても、間違っていると主張される。 じゃあどうしたらいいんだろう。 とにかく目の前の仕事に夢中になって、20代前半をやりたいことへの土台作りへと捧げていたわたしだが、最近はどうしても息苦しくて息苦しくて、上手に空気が吸えない。 仕事に夢中になったところで、今の社会では女としての価値はあがらない。 着実にキャリアアップをして、同世代と比べてお金がもらえるようになった今でも、心のどこかで見えない何かから逃げている。 どんどん大人になって、時間や余裕がみつけられるようになって、一個ずつできることが増えていく一方で。 真っ白なウエディングドレスを纏い、左指に光るそのホンモノの煌めきと、新しい家庭を築いていくことを誓う彼らに、わたしは味気ない「おめでとう」という言葉しか贈ることができない。 映える結婚式の写真が流れてくるタイムラインで、コメント欄に無機質なメッセージをうつために、慣れた手つきで親指を動かすだけだ。 独身だと、いつまでも社会に認められない気がするのはなんでなんだろう。 仕事を頑張る女よりも、若くして結婚する女の方が、価値があるようにみられていると思ってしまうのは、なぜなのか。 時代は変わりつつあるのに、それまでを生きてきた人の意識は、どうしてなかなか変わらないのだろう。 その時が来たのなら、その人を選べる時がやって来るのなら、自然と結婚をするのだと思っている。 思っていた。 まずは1人でたくましく生きていこう。 自分の力で生きていけるようになってから、その先を考えよう。 そんな悠長なことを考えていたら、たくましくなりすぎてしまった。 可愛げがなくなってきた。 可愛さなんてものの定義なんて、これまでもこれからもわたしは永遠にわからないけれど、ひとつだけ確かにわかる可愛げとは、わたしにとって「素直さ」だ。 同世代の男性よりも稼げるようになってしまって、1人の時間を楽しめるようになって、不自由がなくなってしまった。 ないものねだりの性格は、欲しいものを手にするために確実にわたしを上へと押し上げてくれる。 ずっと夢に見ていた物書きとしての仕事もやっと見えてきたところで、コンプレックスだった自分の容姿も、もはやどうでもよくなった。 自分の好きな人を大事にできればそれでいい。 片手で数えるほどしか大切なものが作れない。 両手で抱きしめたい存在は、ほんの少ししかいないけれど、それでいい。 それがいい。 そのはずなのに。 一つだけ、パズルのピースが埋まらないのは、なぜなんだろう。 何かが足りないのは、どうしてなのか。 そのピースはどんな色で、どんな厚さで、はめた時にどんな景色が見えるのだろうか。 その答えは、私が一番わかっているのに。 不足したカケラを探そうとする気も、もうなくなってしまったのだ。 * 何を手にしたら、まっとうなんだろうか。 何をしなければ、無駄じゃないのか。 誰のために、いつどこで、何をすれば正解なんだろう。 選んだり選ばれたり、ときには賭けたり遊んでみたり。 トランプのように恋の駆け引きを楽しむ余裕もないまま時間だけがすぎていく。 気がつけばわたしは、選ぶ側でもなくなって、ハートでもスペードでもなんでもなく形がない、そして手元に来たら誰かが勝手に引いてくれるのをまつ、いつか去るべき存在のジョーカーになってしまったのかもしれない。 結婚してれば社会に認められるのならば。 結婚をせずに生きていく人は、正しくないのだろうか。 結婚をするかしないかの選択をするその過程にも、他人が想像し得ないありとあらゆる事情があるというのに、婚約者の有無で評価が変わってしまうのは、どうしてなのか。 流れなんてものはたった一つの衝撃で起こりうるもので、波立たせる何かがあったから、今の今までその風潮が消えないのだ。 そうしていざ結婚したとき、結婚してない人を下にみて、今度は子供がいない自分に引け目を感じて、またいざ子供ができたら子供を持っていない人を下に見て。 わたしの知らない時代を生きてきた誰かは、そんな風に人生のライフステージに移るごとに、得たもの得てないもので評価を決めてきたのだろう。 想像の世界で、わたしはそんなことを考える。 同性婚が認められづらいのも、結婚が男と女のものであると、誰かが勝手に決めたものだからだ。 最初にそんなバカなことを言った人は、一体どんな気持ちだったんだろう。 一言目には、気をつけなければならない。 そこに至るまでの決意を理解しようともせず、 人の結婚に興味を持つなんて、 お門違いなのだ。 * この世の中に、結婚という制度がなかったとしたら。 婚約に法律がなかったら。 人々は、誰とどのように未来を歩むのだろう。 指輪をしなくなる時代がきたとき、何で人を判断するんだろう。 まだ少し結婚が人ごとのわたしには、まだその答えはわからないけれど。 少なくとも、ひとつだけ言えるのは、自分以外は全員他人だから、家族になっても相手が他人であることを、きちんと認めていきたいということ。 そして、結婚という文字にとらわれず、結婚ありきの相手ではなくて、相手のそれまでの背景を想像することを忘れてはならないということ。 相手が男であるとか、女であるとか、性別のフィルターで見るよりもまず。 人間である目の前の相手に敬意を払うことを忘れたくない。 これからも、そんな人間関係を築きたい。 そうした人生で、もしも一緒にいたいと思える人ができたら、その時自分の結婚について考えてみようと思う。 それまでは。 誰がわたしのことを独身女のやばそうなやつ、と呼んだとしても。 わたしがわたしであることを、わたしがわかっていれば大丈夫だと、胸を張って言えるように生きていたいのです。 女であるよりもまず、人間でいたい。 人間がいい。

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まともな人間になる方法(長文)

まとも な 人間

するかしないかではなくて、できるかできないか。 30過ぎても結婚できていないとわかれば、その人自身に何か問題があるのではと疑われるワケワカンナイ世の中。 CA(キャビンアテンダント)の先輩の職場には女性しかいないから、30過ぎれば嘘でも婚約指輪を嵌めるそうだ。 結婚できていないとバレてしまうと、どんなにチーフとして活躍できていても、文句なしに仕事ができても、女としてヤバいやつと見られてしまうそう。 誓いを立てていなくとも、指には偽物のリングがないと自分を守れないのだ。 そのリングで一体何が守れるのだろう。 錆びついて指から離れなくなった時、指ごともぎって薬指がなかったことにするのかな。 最近やたらと視界に入ってくる「結婚」ってやつ。 わたしには縁のない話だと思っていたけれど、そろそろ意識せざるを得なくなってきた24歳。 夏が終わろうとしている9月の始まり、密やかに、でも確実に近づいてくる秋がわたしは嫌い。 秋が好きだとわざわざ報告してくれる女の子がやたら多いのだけど、季節の変わり目には絶対に体調を崩すから、どんどん寒くなる秋だけはどうしても攻略できない。 刹那の如く走っていったもう戻らない今年の夏に、わたしは4人から結婚の報告を受けた。 そのすべてに対して、わたしは確かに「おめでとう」と言った。 おめでとう、よかったね。 幸せにね。 その言葉に嬉しそうに笑う相手からは、当たり前みたいに「ありがとう」と返ってきた。 結婚の報告に対して、「おめでとう」以外に投げかけられる言葉って、あるんだろうか。 そもそも、結婚っておめでたいことなんだろうか。 いつから結婚がこんなに素敵なこととしてお祝いされるようになったんだろう。 結婚の、なにがおめでたいのか。 わたしは、誰のなにを祝っているんだっけ。 * その昔、当たり前のように誰かをいじめていたあいつも結婚した。 カースト上位のグループに胡座をかき、やんちゃという言葉で片付けられモラトリアムを生きていたあの子も、いつのまにか結婚してママになった。 婚姻届に指を並べた写真と共にありきたりな言葉でされるあの報告を見て、祝福の言葉が出るまでに数秒の虚無が生まれる自分に怖くなる。 女泣かせで有名だったアイツも、女に泣かされていたアイツも結婚した。 手当たり次第に女を求めては捨ててを繰り返していたモンスターみたいなアイツでさえ。 となりに婚約者がいると言うだけで、それまでの行いがなかったかのようにまともな男にみられてるの、なんなんだろう。 結婚していれば。 結婚さえしていれば。 どんな人間でもひとまずはまともな人間に見えるのは、この世の七不思議の1つだとわたしは思っている。 人間みんなトチ狂ってるのに、結婚さえしてれば、そのほかの小さな問題に蓋がされて、なんだか許されてしまうのだ。 人としてどうかと思う振る舞いを簡単にする人でも、既婚の二文字で自然と無罪になる。 老若男女問わず既婚者であるというだけで、認められる社会が確かにあるのだ。 周りが結婚していく中、心の中でずっと感じていたモヤモヤの正体は、これだ。 「既婚=社会的地位の確立」という、エポックメイキングな考えと事実。 そして、ちょっと難ありなその人が結婚していることを知った時、大してその人に興味がない第三者の誰かは、その人がいないところで「旦那さん(もしくは奥さん)苦労してるんだろうね」「あの人絶対不倫してるよね」と、それなりにひどい陰口を言うのだということも、わたしはもう知ってしまったのだ。 そんな悪口を言う人こそ結婚をしていない人の方が多いということ、既婚であるかどうかで人を判断している人こそ結婚にこじれた偏見があるのだと言うこと、観察すればするほど面白いくらいにわかる。 みんな結婚に、こんなにがんじがらめになっているのだ。 * 「周りがどんどん結婚していくんです」と言うと、「第一次結婚ラッシュの時期だね。 20代後半でもう一度ラッシュが来るよ」と、おおよそ同じ解答が返ってくる。 祝う側の場数を踏んだ「結婚式の先輩」は、結婚に対するホンマでっかな知識をこれでもかと教えてくれる。 あいつ、結婚する前は遊んでたのにな、今じゃ良いパパだよ。 結婚式って意外と出会いがあるよね、チャンスだよ。 歳をとるにつれて周りの結婚式が増えるから、ある程度のお金は貯めておくといいよ。 他人の結婚に対する知識が豊富になっていく一方で、自分がこれから歩んでいくべき道に関する情報は、いつだって欠如している。 勝者に与えられる王冠を貪り合うように、結婚レースに強制参加させられていた。 興味がないと言えば女としてどうなのと言われて、結婚に貪欲な女友達は一部の層に嫌われてる。 したいと言っても、したくないと言っても、間違っていると主張される。 じゃあどうしたらいいんだろう。 とにかく目の前の仕事に夢中になって、20代前半をやりたいことへの土台作りへと捧げていたわたしだが、最近はどうしても息苦しくて息苦しくて、上手に空気が吸えない。 仕事に夢中になったところで、今の社会では女としての価値はあがらない。 着実にキャリアアップをして、同世代と比べてお金がもらえるようになった今でも、心のどこかで見えない何かから逃げている。 どんどん大人になって、時間や余裕がみつけられるようになって、一個ずつできることが増えていく一方で。 真っ白なウエディングドレスを纏い、左指に光るそのホンモノの煌めきと、新しい家庭を築いていくことを誓う彼らに、わたしは味気ない「おめでとう」という言葉しか贈ることができない。 映える結婚式の写真が流れてくるタイムラインで、コメント欄に無機質なメッセージをうつために、慣れた手つきで親指を動かすだけだ。 独身だと、いつまでも社会に認められない気がするのはなんでなんだろう。 仕事を頑張る女よりも、若くして結婚する女の方が、価値があるようにみられていると思ってしまうのは、なぜなのか。 時代は変わりつつあるのに、それまでを生きてきた人の意識は、どうしてなかなか変わらないのだろう。 その時が来たのなら、その人を選べる時がやって来るのなら、自然と結婚をするのだと思っている。 思っていた。 まずは1人でたくましく生きていこう。 自分の力で生きていけるようになってから、その先を考えよう。 そんな悠長なことを考えていたら、たくましくなりすぎてしまった。 可愛げがなくなってきた。 可愛さなんてものの定義なんて、これまでもこれからもわたしは永遠にわからないけれど、ひとつだけ確かにわかる可愛げとは、わたしにとって「素直さ」だ。 同世代の男性よりも稼げるようになってしまって、1人の時間を楽しめるようになって、不自由がなくなってしまった。 ないものねだりの性格は、欲しいものを手にするために確実にわたしを上へと押し上げてくれる。 ずっと夢に見ていた物書きとしての仕事もやっと見えてきたところで、コンプレックスだった自分の容姿も、もはやどうでもよくなった。 自分の好きな人を大事にできればそれでいい。 片手で数えるほどしか大切なものが作れない。 両手で抱きしめたい存在は、ほんの少ししかいないけれど、それでいい。 それがいい。 そのはずなのに。 一つだけ、パズルのピースが埋まらないのは、なぜなんだろう。 何かが足りないのは、どうしてなのか。 そのピースはどんな色で、どんな厚さで、はめた時にどんな景色が見えるのだろうか。 その答えは、私が一番わかっているのに。 不足したカケラを探そうとする気も、もうなくなってしまったのだ。 * 何を手にしたら、まっとうなんだろうか。 何をしなければ、無駄じゃないのか。 誰のために、いつどこで、何をすれば正解なんだろう。 選んだり選ばれたり、ときには賭けたり遊んでみたり。 トランプのように恋の駆け引きを楽しむ余裕もないまま時間だけがすぎていく。 気がつけばわたしは、選ぶ側でもなくなって、ハートでもスペードでもなんでもなく形がない、そして手元に来たら誰かが勝手に引いてくれるのをまつ、いつか去るべき存在のジョーカーになってしまったのかもしれない。 結婚してれば社会に認められるのならば。 結婚をせずに生きていく人は、正しくないのだろうか。 結婚をするかしないかの選択をするその過程にも、他人が想像し得ないありとあらゆる事情があるというのに、婚約者の有無で評価が変わってしまうのは、どうしてなのか。 流れなんてものはたった一つの衝撃で起こりうるもので、波立たせる何かがあったから、今の今までその風潮が消えないのだ。 そうしていざ結婚したとき、結婚してない人を下にみて、今度は子供がいない自分に引け目を感じて、またいざ子供ができたら子供を持っていない人を下に見て。 わたしの知らない時代を生きてきた誰かは、そんな風に人生のライフステージに移るごとに、得たもの得てないもので評価を決めてきたのだろう。 想像の世界で、わたしはそんなことを考える。 同性婚が認められづらいのも、結婚が男と女のものであると、誰かが勝手に決めたものだからだ。 最初にそんなバカなことを言った人は、一体どんな気持ちだったんだろう。 一言目には、気をつけなければならない。 そこに至るまでの決意を理解しようともせず、 人の結婚に興味を持つなんて、 お門違いなのだ。 * この世の中に、結婚という制度がなかったとしたら。 婚約に法律がなかったら。 人々は、誰とどのように未来を歩むのだろう。 指輪をしなくなる時代がきたとき、何で人を判断するんだろう。 まだ少し結婚が人ごとのわたしには、まだその答えはわからないけれど。 少なくとも、ひとつだけ言えるのは、自分以外は全員他人だから、家族になっても相手が他人であることを、きちんと認めていきたいということ。 そして、結婚という文字にとらわれず、結婚ありきの相手ではなくて、相手のそれまでの背景を想像することを忘れてはならないということ。 相手が男であるとか、女であるとか、性別のフィルターで見るよりもまず。 人間である目の前の相手に敬意を払うことを忘れたくない。 これからも、そんな人間関係を築きたい。 そうした人生で、もしも一緒にいたいと思える人ができたら、その時自分の結婚について考えてみようと思う。 それまでは。 誰がわたしのことを独身女のやばそうなやつ、と呼んだとしても。 わたしがわたしであることを、わたしがわかっていれば大丈夫だと、胸を張って言えるように生きていたいのです。 女であるよりもまず、人間でいたい。 人間がいい。

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林家の中で唯一まともな人間!?林家たま平登場

まとも な 人間

午後3時10分頃~の「 サンデー芸人ランキング」は、 済美高校野球部出身のコンビ・ ティモンディが担当! 筋力テスト全国トップクラスだった前田(写真左)と、いまだに150kmを投げる剛腕の高岸(写真右)のコンビ。 阪神の秋山選手、日ハムの西川選手らと高校時代に対戦したエピソードを披露。 あまり口数の少なかった高岸くん。 自分はあまり喋らず皆を応援するタイプだそうです。 「サンデー競馬小僧」でも、馬を一生懸命応援していました。 午後4時~は『 ここは赤坂応接間』。 お客様は、落語家の 林家たま平さん。 正蔵師匠のご子息。 太田さん曰く、林家の中で唯一まともな人間だそうです。 たま平さんとのトークは、タイムフリーでお聴きください。

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