船戸雄大 心理。 目黒虐待、父の実刑確定 検察と弁護側控訴せず

「目黒女児虐待死事件」法廷で明かされなかった“幻のカルテ”とDVの闇

船戸雄大 心理

こんなにもやりきれない光景はないと思った。 ほんの2メートル離れて、男は顔を覆い、女はむせび泣いている。 男は被告で、女は証人だ。 かつて夫婦だったこの2人の間には、いまは互いを見ることがないように厳重に遮蔽の衝立が置かれている。 そして何十人もの傍聴人の目が2人を凝視する。 声を発することは許されない傍聴席だが、そこには、2人の子供だった幼い女の子の無残な死への、どうしようもない怒り、悲しみ、そして戸惑いが渦巻いているように感じられた。 「なぜ死なせた」 「なぜ救わなかった」 「なぜ、そんなひどいことができるんだ」 なぜ。 なぜ-------わたしも傍聴席にいた。 逮捕時と激変した法廷の雄大被告 養子の船戸結愛ちゃんへの傷害、保護責任者遺棄致死などの罪で起訴された継父の船戸雄大被告の裁判が10月1日から始まっていた。 扉が開き雄大被告がだぶだぶのスーツ姿に腰縄をつけて入廷して来る。 その青白さと痩せ方にわたしは唖然としてしまった。 多くの人が覚えているであろう、あの逮捕時の眼鏡をかけていた様子、または現場検証のときの頭を剃った様子をわたしもまた思いながらいたが、実際の雄大被告はそれはそれは細く小さく、白いというよりは青白く、生気も感じられなかったので、まるで半分くらいになってしまったかのように思えた。 口をきゅっと結んだところにだけ意思が見えるような気もしたが、雄大被告は足早に被告人席へ進み、座ったあとは首を折ってひたすら下を向き続けていた。 こんな、弱々しい、自信なさげな男が5歳の幼女を殴りつけていたのか・・・なんとも言えない情けない思いでわたしは雄大被告を見続けた。 衝立を挟んで対峙した元夫婦 10月7日、4月に離婚が成立した元妻の優里被告が検察側の証人として出廷することになっていた。 午後、優里被告の証言する時間が近づくと裁判長が衝立を運ぶように指示した。 大人の男性よりも背丈のある衝立が雄大被告の前に設置されてゆく。 ガムテープでじゃばらの折り目の隙間を塞ぐ。 幅は4~5メートルほどもあるだろうか。 証言台からは被告の様子が完全に見えなくなっている。 雄大被告は生気のない顔を一層深く垂れていた。 準備が整い裁判長が促すと扉が開けられた。 しかし、誰も入ってこない。 しばらくすると扉のむこうの廊下から「・・・い!・・・こわ・・・い」という、か細い声が聞こえてきた まるで泣くような、すがるような細い叫びだった。 それは徐々に大きくなりはっきりと誰の耳にも「怖い・・・!」と言っているのがわかった。 やがて女性刑務官に抱えられるように優里被告が足を引きずりながら入廷してきた。 傍聴席の目がいっせいに優里被告に集中する。 彼女は両目をハンカチで覆い、体を小さく丸めながら倒れこむように証言台にたどり着いた。 すすり泣きが荒い息遣いになり「怖い、怖い、怖い」と震えている。 優里被告は雄大被告から心理的DV(ドメスティックバイオレンス)を受けていた。 自身の裁判の一審では精神的影響は認められるものの強く支配されていたとまではいえないとされた。 優里被告は控訴中だ。 あっ、と息を飲む。 優里被告が床に膝から崩れ落ちたのだ。 刑務官らが支えて座らせるが何度も腰を浮かせてこの場から去ろうとする様子を見せている。 この取り乱し方ではもしかしたらこの日は証言はできないかもしれない・・・。 そう思うほどだったが、裁判長から大丈夫?と聞かれ優里被告はようやく決意した様子で大きく〔大丈夫です〕と頷いた。 衝立に完全に背をむけ、裁判長らに真横を向く座り方でようやく尋問が始まった。 両手は耳をふさぐようにしている。 衝立のむこうの雄大被告は、顔をハンカチで覆い顔を膝にくっつけるように更に小さくなっていた。 虐待で亡くなる子供を一人でも減らすにはどうしたらいいのだろうと、結愛ちゃんの悲しいニュースを報じて以来その一心で取材を続けている。 この記事を読んでくださる多くの皆さんも事件に対する強い怒りと、どうにかしなければという思いを抱いているのではないだろうか。 なぜ救えなかったのか。 雄大と優里の両被告が結愛ちゃんを死に至らしめたには違いないが、この社会の大人の責任として皆さんと共有して考えていけたらと思いながら原稿を書いている。 二人が憧れた「笑顔の絶えない家族」 優里被告(左)と雄大被告(右) 優里被告の裁判も傍聴した。 そして、一連の裁判を通じて2人には奇妙な共通点がいくつかあることに気づいた。 「明るくて何でも言える家族です・・・」 裁判で雄大被告は理想の家族像をこう語った。 優里被告も自身の裁判で理想の家族を「笑顔の絶えないにぎやかな家庭」と答えている。 2人とも「明るく笑顔の絶えない家庭」を作りたかったというのだ。 しかし実際は雄大被告の機嫌を損ねないように顔色をうかがいながら生活する家族が出来上がっていた。 証人として、法廷で優里被告は背後の衝立を気にしながらではあるが次第に落ち着きを取り戻してきていた。 だが質問が優里被告が雄大被告に隠れて結愛ちゃんにチョコレートやチーズなどを与えていた話に及んだときだった。 検察官に「それらをあげていることを雄大被告には伝えていましたか」と聞かれた優里被告の様子が急変した。 「・・・内緒にしていました」と答えた後、突然、 「ごめんなさいっ!・・・・」と叫んだのだ 聞いていたわたしも驚いた。 わたしは顔をあげて優里被告を見た。 両手で顔と耳のあたりを覆いながらがたがた震えている。 優里被告の過呼吸のような息遣いだけが響いていた。 誰に謝ったのか。 質問者にではないだろう。 さらにこの日、なぜ雄大被告の言いなりになっていたのかと聞かれた優里被告は10秒ほどの沈黙の後、語気強めにこう絞り出した。 「わたしが、バカだからです!」 まただ。 優里被告からこの言葉を聞くのは何度目だろうか。 そのとき雄大被告は顔をくしゃくしゃにしながら衝立の向こうで泣いていた。 「優里さんを威圧するようになっていきました」 優里被告が泣いても感情が収まらなければ怒鳴り続けた。 「優里さんは(自分に対して)気を遣ったり遠慮したり言いたいことが言えないようになったように感じました」 雄大被告は、後日こう供述した。 2人に共通する「自己肯定感の低さ」 虐待され亡くなった船戸結愛ちゃん 優里被告の裁判で、優里被告と結愛ちゃんの主治医だった木下医師は優里被告のことを「自己評価がすごく低い」と証言し、診察時「わたしはあほだから。 夫は年上で社交的で尊敬できる」と言っていたことを明かした。 一方の雄大被告は妻と娘に対しては威圧を増大させていったのだから尊大な性格なのかとも思ったのだが、実はこの2人のもうひとつの共通点として「自己肯定感の低さ」があったというのだ。 雄大被告と何度も接見し裁判で証言した心理学が専門の西澤教授は雄大被告について「自尊感情がなく、自己肯定感が低い」と思ったという。 優里被告の見ていた「尊敬できる夫」も実は同じように自分に自信がなかったのだ。 雄大被告は他者からどうみられているかを常に気にし、評価されないことに不満を募らせていった。 その暗い感情のうねりが濁流となって何の罪もない弱い結愛ちゃんに向かったのだ。 「理想の家族」へのこだわり 裁判を聞き進めるうちに、なんとも言えない居心地悪さを感じた。 それが何なのか初めはわからなかったが、2人ともまるで夢を見ているかのような発言が散見されることだと気づいた。 結愛ちゃんを暴行し、閉じ込め、栄養失調状態に追いやりながら、2人とも最後の最後まで「理想の家族」にこだわり続けていたのだった。 優里被告は児相との関係を疎ましく思うようになるが、その理由を「家族がぐちゃぐちゃになるからです」と言った。 「一時保護から結愛が帰ってくると、雄大は優しくなるけど少したつとまた結愛に厳しくなってぐちゃぐちゃになります。 」 「(児相の介入がなければ)家族4人で楽しく暮らせると思いました。 」 もう壊れていた家族だったはずではないか。 結愛ちゃんの傷が日増しに増えていっていたのではないのか。 何度も離婚を考えたのではなかったか。 亡くなった結愛ちゃん そして雄大被告が、結愛ちゃんが重篤な状態になっても病院に連れていかなかった理由を聞かれた答えもまた、理解に苦しむ。 「事件が発覚して、わたしが結愛を虐待した事実に基づき逮捕されて、家族がバラバラになってしまうこと(を恐れての)保身です」 家族はすでにバラバラではなかったのか。 あざだらけの、瘦せ衰えた結愛ちゃんを目の前にしても雄大被告の目にはそう映らなかったのか。 一体この2人には何が見えていたのだろうか。 雄大被告と優里被告がともに築こうとした「明るい家庭」。 そして最後までこだわりつづけた「家族」というかたち。 しかし実際は力で組み伏せた家族の皮を被った地獄だった。 「結愛のことも、息子のことも、わたしひとりだけじゃ2人を守れないけど、今はもう助けてくれる人がいるので・・・」 優里被告が絞り出すように叫んだ。 「もう、結愛と息子には近づかないでほしいです!」 決別の涙が、結愛ちゃんのいない今となっては一層悲しかった。 この言葉を結愛ちゃんが生きている間に言うことができていれば・・・そう思わずにはいられない。 多くの専門家が指摘する。 結愛ちゃんは救える命だった。 弁護側は懲役9年が相当としている。 判決公判は今日午後3時から行われる。 雄大被告、そして優里被告が、自らがやったことへの責任を取るのは当然のことだと思う。 と同時に、これを雄大被告、優里被告、児相などだけの問題として終わらせてはいけないと思う。 わたしも、正直に言うと、結愛ちゃんの絶望と恐怖を思えばこの2人への怒りを禁じえないし、よくもあんなむごいことがと、腹から湧き出る憤りを感じる。 ただ、この2人に怒りをぶつけるだけでは変わらない、とも思う。 この事件から学べることはなんだろうか。 雄大被告と優里被告は関係機関や近所の目から逃れ、知らない町でまた「家族」のかたちを維持しようとしたが、それはもう「家族」と呼べないものなんだと気づくことは、もはや本人たちの力では無理だった。 DVを受けている母親は自分で考え行動をとることが難しいとされる。 逃げられないなら、雄大被告に沿うことしか優里被告には考えられなかったのではないか。 早い段階で機関が介入し、優里被告と結愛ちゃんを雄大被告から切り離すことができていれば事態は変わっていたのではと思う。 児童虐待が社会問題となってからは法改正もあり、識者や関係機関も何とかしようと動いている。 しかし、虐待死はなくならない。 平成29年度、わかっているだけで1週間に1人のこどもが虐待によって命を奪われた(厚労省)。 これは心中を除く数字で、かなり控えめな数字だと指摘する専門家も多い。 【取材:社会部+フジテレビアナウンサー 島田彩夏】 【関連記事: 】 【特集:】.

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DVと虐待は一体となって起こる~目黒女児虐待死判決で見える、今後の課題

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精神的な支配下に置かれ、正常な判断がつかなくなっていく様子を、弁護側が克明に示した。 「なぜ、自分の子を救えなかったか。 この事件を知った誰もが思う疑問でしょう」 優里被告の弁護人が語り始めた。 「そこには雄大さんの心理的支配がありました。 優里さんは、雄大さんの結愛さんに対する仕打ちに反発することもありました」 だが、時を経るにつれ、優里被告は雄大被告がやることに抵抗できなくなっていったという。 「執拗な心理的DVを受け、次第に反発できなくなりました。 まるで洗脳されているような状態です。 刑を決めるには、心理的DVの過酷さを理解する必要がある」 弁護人は、検察と同じく時系列で、優里被告の目線から次のように説明した。 優里被告と雄大被告は、職場の同僚として知り合った。 8歳年上で、広い世界を知っている人。 何でも教えてくれる憧れの人だった。 「この人と理想の家族を築きたい」と優里被告は思うようになった。 結愛ちゃんの弟を妊娠したあたりから、雄大被告が優里被告を説教するようになった。 「お前は子育てができない」「結愛のしつけができていない」と子育てを否定された。 失敗したことを何度謝っても、執拗に追及された。 当初は反発し、ケンカすることもあった。 「どうしたら彼が納得してくれるのか」と悩み、自分の太ももに青あざができるほど自分で叩いたこともあった。 雄大被告は「説教するのは、お前と暮らすためなんだ」と延々と説教を繰り返した。 それは陰湿で執拗で、連日2~3時間続いた。 次第に、優里被告は「彼は自分のためを思って、言ってくれているんだ」と考えるようになった。 優里被告は携帯電話のメモに「原因はこれ。 同じミスをしないようにします」と保存し、説教が終わったら「怒ってくれてありがとう」と感謝の言葉を伝えるようになった。 優里被告は雄大被告に迎合していき「彼が正しい」と考えていった。 しかし、この説教は次第に優里被告ではなく、結愛ちゃんへ向かうようになっていった。 特に厳しくなったのは、弟が生まれた2016年9月ころからだった。 雄大被告は「愛想が無い」「挨拶ができない」と怒るようになった。 優里被告が止めに入ると「止める意味が分からない」と言われエスカレートしていった。 この時、優里被告は離婚も考えた。 一方で「結愛に厳しくするのはお前のためなんだ」と諭された。 何度も刷り込むように言い聞かせられ、「私の育て方が悪かったんだ。 結愛のために説教してくれた」と思い込むようになっていった。 弟が生まれて2カ月たった2016年11月ごろ、衝撃的な出来事があった。 雄大被告が激高し、優里被告の目の前で結愛さんの腹を蹴った。 優里被告は突然の出来事に身体が硬直し、泣きだした。 「やめて」と言ったが「お前がかばっている意味が分からない」と優里被告を怒った。 その後も、雄大被告が結愛ちゃんの頭を叩くなどの暴力がしばしば見られた。 嘘の口裏合わせ、メモを覚えこまされ児相との板挟みに 子どもへの暴力を目撃することも、心理的DVの一つだという。 腹を蹴る暴行を目撃したことについて「見ること自体が恐ろしいが、止めに入った自分も怒られ、優里さんは雄大さんへ恐怖を感じ、心理的支配がさらに強固になっていった」と弁護人は語った。 当時のDVの様子を聞きながら、優里被告は少し落ち着いていた呼吸が再び荒れ始め、顔はさらに青白く血の気が引いていた。 2016年12月、児童相談所へ結愛ちゃんが一時保護される。 優里被告は「よかった」と思いつつ「自分も保護されたかった」と感じていた。 児相でも、優里被告の保護について検討された。 だが優里被告が保護されることはなかった。 2017年3月、結愛ちゃんは再度保護される。 この際、雄大被告は結愛ちゃんへの暴行を否定していた。 雄大被告は「結愛は児相に可哀そうな子だと思われたいから嘘を吐いている」「自分を逮捕させようと嘘を吐いている」と優里被告に言い聞かせた。 弁護人は、雄大被告が児相へ敵対心を持っていたと指摘し、優里被告に対する口裏合わせの強要についてさらに言及した。 「結愛への暴力はない」「結愛が嘘を吐いている」と言うように、雄大被告は優里被告にメモを渡した。 優里被告はそのメモを徹底的に覚えこまされ、雄大被告の言い分をそのまま児相に伝えるようになった。 児相に言われたことを雄大被告に伝え、それに対する回答を雄大被告からさらに教え込まれるというループに陥っていた。 児相に雄大被告の言い分を伝えると、児相からは雄大被告を説得するよう求められる。 板挟みの繰り返しに精神をすり減らし「児相はこの苦しみを理解してくれない」と考えるようになった。 結愛ちゃんの一時保護が解除されても、雄大被告と結愛ちゃんの関係性は最悪のままだった。 医療機関に通い始めたことが、優里被告にとっての転機に。 しかし転居で環境は悪化 ストレスで過食嘔吐を繰り返すようになっていた優里被告。 雄大被告は 「女性の食事は少なくていい」「太った女は醜い」と優里被告に対してののしり続けた。 そのため、雄大被告の前で優里被告は食事ができなくなった。 隠れて過食しては下剤を飲んで吐く、ということを繰り返した。 2017年8月に医療機関に通い始めた、担当医には、自身の過食嘔吐や雄大被告との関係など苦しみを告白できた。 担当医は優里被告のSOSを受け、雄大被告から精神的に支配されていたことに気が付いた。 そして担当医は児相にその旨を伝えていた。 だが、優里被告が保護されるには至らなかった。 2017年12月には、傷害容疑で書類送検されていた雄大被告が不起訴になる。 このは、「結愛に暴行はしていない」という雄大被告の主張を正当化する言質を与えた。 2018年1月、児相による「児童福祉司指導措置」が解除され、医療機関にも通えず、優里被告はサポートがないまま東京へ向かった。 雄大被告は上京する直前の11~12月は、機嫌が良く暴行をふるうこともなく、説教が少なかったと優里被告は感じていた。 12月に雄大被告が先に東京に行ってから、1月下旬に優里被告と子どもたちが上京するまで、優里被告はのびのびと過ごしていた。 「東京には友人もたくさんいる。 仕事もほぼ決まっている」と語る雄大被告に対し、機嫌よく過ごしてくれるのではないかと期待していた。 しかし現実は、そううまくは回らなかった。 歯車が狂い始め、虐待がエスカレートしていった。 雄大被告は無職のままだった。 ずっと家にいて、不機嫌な様子を見せていた。 雄大被告と会わずに香川県で過ごしていた間、結愛ちゃんの体重が増えたことにも「だからお前はダメなんだ」と激しく怒った。 そして「一からやり直す」と結愛ちゃんの食事制限が始まった。 2月2日、トイレで結愛ちゃんと雄大被告が話していた。 すると、パンパンと叩いた音がしたが、「止めに入れば、またさらにひどくなる」と思い、じっとしていた。 翌朝、結愛ちゃんの目の周りが黒くあざになっていて顔を叩いたことが分かった。 そのあざに対し雄大被告は「ボクサーみたいだな」と笑っていたという。 「バカにされている」と思った優里被告は「叩くのは止めて」と泣いて懇願した。 雄大被告は「もう叩かない」と言ったが、優里被告はもう我慢できず「離婚してほしい」と伝えた。 「結愛は私が見る。 息子は置いていくから」とも話した。 すると雄大被告は息子に向かって「お前捨てられるんだな」と言い放った。 離婚を否定し「子どもを捨てるひどい母親だ」と責め立てるようになった。 優里被告は絶望し、その後、結愛ちゃんを雄大被告が取り上げた。 日中は優里被告が弟と共に出かけるよう命じられ、結愛ちゃんの食事はすべて雄大被告がみることになった。 結愛ちゃんを部屋に閉じ込め「朝早く起きる」「九九や時計を勉強する」と日課を強制した。 止めるとまた機嫌を損ねるので、仕打ちがエスカレートしないよう、優里被告はじっと黙っていた。 隠れて結愛ちゃんへお菓子を与えたり、少しでも雄大被告の機嫌が良くなり状況が改善するようにと、結愛ちゃんが書く文章を一緒に考えたりした。 2月9日に品川児相が家庭訪問に来たものの、雄大被告の機嫌が悪くなることを恐れ、拒否。 助けを求めることが出来なかった。 結愛ちゃんが「小学校に上がるまでの辛抱だ」と考え、周囲の目が向けられる小学校に行くまでを耐え抜こうとした。 2月下旬、急激に衰弱していく結愛ちゃんの様子。 亡くなる直前まで「添い寝をしていた」 弁護側の冒頭陳述も佳境に入り、結愛ちゃんが亡くなる最後の10日間の様子が語られた。 顔のあざにより、すぐにでも通院が必要だったにもかかわらず、夫婦は医療機関への受診を拒んでいた。 2月20日、結愛ちゃんが進学するはずだった小学校の入学説明会が開かれた。 だが、顔にあざがあり、結愛ちゃんを出席させなかった。 この日を境に、雄大被告の結愛ちゃんへの虐待がエスカレートしていったのかもしれない、と弁護人は振り返る。 この時期には雄大被告の暴力を見ておらず、優里被告は雄大被告を制止できないほど心理的に支配されていたという。 「決して雄大さんに同調していたわけではない。 制止できないほど心理的に追い込まれていた」と説明する。 2月25日ごろ、雄大被告から結愛ちゃんが「食べたくないと言っている」と聞かされた優里被告。 ところが、雄大被告はやせ細った結愛ちゃんを目にしているにも関わらず「ダイエットになって良いんじゃないか」と笑いながら言うところを目にする。 優里被告はその常軌を逸した一言に絶望し、無力感にさいなまれたという。 2月27日、結愛ちゃんが食べ物を吐いてしまったと雄大被告から優里被告へ伝えられる。 優里被告は「病院に連れて行かなくて大丈夫か」と心配したが、雄大被告が「大丈夫だ。 あざが引いたら連れていく」と診察を拒否。 これ以上強く雄大被告へ話ができず、かといって勝手に病院に連れていくこともできないままでいた。 3月1日、結愛ちゃんが亡くなる前日、優里被告は久しぶりに結愛ちゃんをお風呂に入れた。 結愛ちゃんの身体はあばら骨が浮き上がり、びっくりするほど痩せていた。 優里被告は「見てはいけないものを見た」と怖くなり、タオルを結愛ちゃんの身体にすぐに巻いたという。 3月2日、弱っていく結愛ちゃんの横で、優里被告は添い寝をした。 思い出話を語りながら、励ましたが、衰弱した結愛ちゃんは心肺停止し、搬送先の病院で亡くなった。 弁護人は冒頭陳述「結愛さんが雄大被告から虐待を受け、亡くなったことは事実。 その行為を制止できなかった。 その責任は取らなければならない。 だがなぜ自分の子を救えなかったのか。 皆さんに判断していただきたいのはその要因」と語り、心理的支配下に置かれていたことへの考慮を求めた。 「結愛さんの死は、重く受け止めなければなりません。 ただ、その過程で優里さんがDVを受けていた。 それを忘れてはなりません。 このことを念頭に、これからの審理をしていただきたいと思います」 () 5歳児を追い込んだ虐待の背景は。 公判で語られた事件の内容を詳報します 2018年、被告人らの逮捕時に自宅アパートからは結愛ちゃんが書いたとみられるノートが見つかった。 「もうおねがい ゆるして ゆるしてください」 5歳の少女の切実なSOSが届かなかった結愛ちゃん虐待死事件。 行政が虐待事案を見直すきっかけにもなり、体罰禁止や、転居をともなう児童相談所の連携強化などの法改正が進められた。 この事件の背景にある妻と夫のいびつな力関係、SOSを受けとりながらも結愛ちゃんの虐待死を止められなかった周囲の状況を、公判の詳報を通して伝えます。 この記事にはDV(ドメスティックバイオレンス)についての記載があります。 子どもの虐待事件には、配偶者へのDVが潜んでいるケースが多数報告されています。 DVは殴る蹴るの暴力のことだけではなく、生活費を与えない経済的DVや、相手を支配しようとする精神的DVなど様々です。 もしこうした苦しみや違和感を覚えている場合は、すぐに医療機関や相談機関へアクセスしてください。 DVや虐待の。

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船戸雄大 心理

結愛ちゃん虐待死事件が起こった当時、船戸雄大は無職でした。 それに対し当時、船戸優里はキャバクラで働いていたとの噂があります。 また、船戸優里はシングルマザーだったため生活保護にも頼っていました。 就職先を見つけていなかったことから、船戸優里を働かせながら船戸雄大は無職のまま住み着こうと考えていた可能性もあります。 船戸雄大はもともと冷凍食品会社で働いていました。 そこでは主任にまで上り詰めるほど優秀だったといいます。 しかし、結愛ちゃんが虐待されていると児童相談所の目に付けられてしまった為、職を見つける前に目黒区に引っ越して船戸雄大は無職になってしまいました。 そのため結婚相手に船戸優里を選んだのは、お金目当てだったという可能性もあります。 上記で記載したように暴行を加えられていたことが原因で死亡したわけではありません。 普段から食事を十分に与えられていなかったため、衰弱していたようです。 食事を与えなかった理由は、モデル体型にしたかったと話していたと言います。 しかし5歳児の女の子に食事制限は不要で、事件当時の結愛ちゃんの体重は12キロほどしかありませんでした。 過酷な食事制限は徐々に拍車がかかっていき、1日1食しか与えられないこともありました。 結愛ちゃんが死亡する数日前には、ご飯を食べることすらできないと本人の口から話していました。 結愛ちゃんは衰弱しきっていて、もうすでに食事を飲み込むことができなかったのです。 その際結愛ちゃんは、妻の船戸優里に声を振り絞って助けを求めていました。

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