家 入り お。 家制度

家系総本山吉村家〜弟子入り募集

家 入り お

沿革 [ ] ウィキソースに の原文があります。 戸主の制度は、最も古くはに始まる。 の代における政治体制整備のため、古代から存在した家内の統率者たる家長に戸主の地位を与え、対外的な権利義務の主体としたのが始まりである。 (明治2年)、と同日に出された『公卿諸侯の称を廃し華族と改む』(明治2年布達)、及び翌年の『宮並に華族家人の職員を定む』(明治3年太政官布告)により、従来のの・の称を廃し、これらの家は華族となり 家制度を維持することが定められた。 公家137家・諸侯270家 ・後に公家となった家5家 ・維新後に諸侯となった家15家 の合計427家 は新しい身分層である「華族」に組み入れられた。 には『』(明治17年無号)、に『華族世襲財産法』(明治19年第34号)が設置された。 の民法典制定前の「家」は、あたかも莫大な権利義務を有するのようなものであった。 戸主個人は権利義務の主体ではなく、家の代表者として強大な権利を行使するかわりに、家産・家業・祭祀を維持する重い責務を負う存在にすぎなかった。 ところが明治維新によって職業選択の自由が確保されると、このような生活モデルは崩壊する。 諸外国の例を見ても、家父長制が徐々に崩壊してへ至ることが歴史の必然と思われたが、かといって未だ慣習として家制度が根付いている以上、法律をもって強引に家制度を無くすことも憚られた。 そこで、近い将来の改正を前提とし、とを整え、戸主権の主体を家ではなく戸主個人としたうえで家産を否定し、戸主の権限を従前よりも大幅に縮小する過渡的な暫定規定を置くこととしたのである。 には、華族に対するの優遇を認めた『 相続税法』(明治38年1月1日法律第10号)が設置された。 こうした優遇規定は次第に拡大され、の相続税法改正時には、一般の遺産相続は、の場合に比べ、2. 5倍以上もの相続税が課される事例が生じた。 「家」の概念 [ ] 「家」は、「戸主」と「家族」から構成される。 戸主は家の統率者であり、家族は家を構成する者のうち戸主でない者をいう。 一つの家は一つのに登録される。 つまり、同じ家に属するか否かの証明は、その家の戸籍に記載されている者であるか否かにより行われた。 このことから、改正前民法の条文の「父ノ家ニ入ル」「家ヲ去リタル」という(当時の)表現は、戸籍の面からは、それぞれ「 父の家の戸籍に入籍する」「 家の戸籍から除籍された」ことを意味する。 なお、戸籍を管理するための法律として、民法に代わり(22年)に施行されたでは、三代以上の親族が同一戸籍に記載されない制度になっている(三代戸籍の禁止)が、家制度においては家の構成員は二代に限られなかったので、戸籍上も制約はなかった。 戸主 [ ] 戸主は、家の統率者としての身分を持つ者であり、戸籍上は筆頭に記載された。 このため、戸籍の特定は戸主の氏名とで行われることになる。 戸主権・戸主の義務 [ ] 戸主は、家の統率者として家族に対する義務を負う(ただし、配偶者、直系卑属、直系尊属による扶養義務のほうが優先)ほか、主に以下のような権能(戸主権)を有していた。 家族の・に対する同意権(改正前民法750条)• ただし、離籍の制裁を覚悟するなら、 戸主の同意の無い婚姻・縁組を強行することは可能(改正前民法776条但書・849条2項)• 家族の入籍又は去家に対する同意権(ただし、法律上当然に入籍・除籍が生じる場合を除く)(改正前民法735条・737条・738条)• 家族の居所指定権(改正前民法749条)• 家籍から排除する権利• 家族の入籍を拒否する権利• 戸主の同意を得ずに婚姻・養子縁組した者の復籍拒絶(改正前民法741条2・735条)• 家族の私生児・庶子の入籍の拒否(改正前民法735条)• 親族入籍の拒否(改正前民法737条)• 引取入籍の拒否(改正前民法738条)• 家族を家から排除する(離籍)権利(ただし未成年者と推定家督相続人は離籍できない)• 居所の指定に従わない家族の離籍(改正前民法749条)• 戸主の同意を得ずに婚姻・養子縁組した者の離籍(改正前民法750条) 女戸主 [ ] 戸主は男性であることが原則であるが、女性であっても家督相続や庶子・私生児などによる一家創立など、もあり得た。 しかし男戸主に比べ、いくつかの差異があった。 隠居するには、年齢その他の要件を満たしている必要があるが、女戸主の場合は年齢要件を満たす必要がない(改正前民法755条)• (男性の)戸主が婚姻して他家に入るには、女戸主の家に婚姻で入る場合と婿養子縁組(婚姻と妻の親との養子縁組を同時に行うこと)に限られたが、女戸主が婚姻するためであれば裁判所の許可を得て隠居・廃家ができた(改正前民法754条)• 婚姻により夫が女戸主の家に入る(入夫婚姻)際、当事者の反対意思表示が無い限り入夫が戸主となった(改正前民法736条)。 ただし(3年)以降の戸籍法では、入夫婚姻の届書に入夫が戸主となる旨を記載しなければ、女戸主が継続する扱いであった。 戸主の地位の承継(家督相続) [ ] 戸主の地位は、戸主の財産権とともに家督相続という制度により承継される。 の一形態であるが、前戸主から新戸主へ全ての財産権利が譲り渡される単独相続である点が現在の民法と大きく異なる。 但し遺言等による意思表示がある場合において相続分の指定があり遺言が有効であると認められれば、法律上「当然」にそれは有効であった。 家督相続は次の場合に行われる。 戸主が死亡したとき• 戸主がしたとき• 戸主自身が婚姻し別戸籍に去ったとき• 女戸主が入夫婚姻を行い夫に戸主を譲るとき• 入夫婚姻により戸主となった夫が離婚により戸籍を出るとき• 戸主が日本国籍を失ったとき 家督相続人(新戸主)となる者は、旧戸主と同じ家に属する者(家族)の中から、第一順位として直系卑属のうち親等・男女・嫡出子庶子・長幼の順で決められた上位の者(ただし、親等が同じ場合女子といえども嫡出子及び庶子が優先された。 )、被相続人(旧戸主)により指定された者、旧戸主の父母や親族会により選定された者などの順位で決めることになっていた。 なお、代襲相続の規定もあり、例えば第一推定家督相続人である長男に孫が生存したまま長男が戸主の死亡前に亡くなっていた場合には、長男の孫のなかから男女・嫡出子庶子・長幼の順で家督相続がなされた。 特に事情が無い場合、一般的には長男が家督相続人として戸主の地位を承継した。 家の設立・消滅 [ ] 新たに家が設立される形態として「 分家」、「 廃絶家再興」、「 一家創立」が、家が消滅する形態として「 廃家」、「 絶家」がある。 分家 [ ] 分家とは、ある家に属する家族が、その意思に基づき、その家から分離して新たに家を設立することをいう。 このとき、元々属していた家を「本家」と呼んだ。 本家の統率の観点から、分家するためには戸主の同意が必要とされた。 分家する際には分家者の妻および直系卑属およびその妻が分家と共に新たな家に入ることができる。 ただし夫婦同籍の原則があるため、分家者の妻と、直系卑属が新たな家に入るときの妻は必ず共に移動することになる。 なお、旧民法等の法律上の用語では無いが、地域によって本家のことを母屋・分家のことを新宅など独自の呼称する場合がある。 一家創立 [ ] 一家創立とは、家督相続や分家とは異なり、新たに戸主になる者の意思とは無関係に、法律の規定により当然に家が設立される場合をいう。 一家創立は次の場合に生じる。 子供の父母が共に分からないとき(改正前民法733条3)• 非嫡出子が、戸主の同意が得られずに、父母の家に入ることができなかったとき(改正前民法735条2)• 婚姻・養子縁組をした者が離婚・養子離縁をした際に、復籍するはずの家が廃家や絶家により無くなっていたとき(改正前民法740条)• 戸主の同意を得ずに婚姻・養子縁組をした者が離婚・養子離縁した際に、復籍すべき家の戸主に復籍拒絶をされたとき(改正前民法741条・742条・750条)• 家族が離籍されたとき(改正前民法742条・749条・750条)• 家族が残っている状態で絶家し、入るべき家が無くなったとき(改正前民法764条)• 日本国籍を持たない者が、新たに国籍を取得したとき(旧国籍法5条5・24条・26条)• 無戸籍の父母の間の子が日本で生まれたとき(旧国籍法4条)• 戸主でないものが爵位を授けられたとき(明治38年 戸主ニ非ザル者爵位ヲ授ケラレタル場合ニ関スル法律)• がしたとき(明治43年皇室令2号) 廃家 [ ] 廃家とは、戸主が、婚姻や養子縁組などの理由により他の家に入るために、元の家を消滅させることをいう(改正前民法762条)。 ただし、一家創立によって戸主になった者は自由に廃家できたが、家督相続により戸主になった者が廃家する場合はの許可を必要とした。 絶家 [ ] 絶家とは、戸主が死亡したことなどにより家督相続が開始されたにもかかわらず、家督相続人となる者がいないために、家が消滅することをいう(改正前民法764条)。 廃家が戸主の意志を元に行うのに対し、絶家は不可抗力により生じる。 廃絶家再興 [ ] 廃絶家再興とは、廃家・絶家した家を、縁故者が戸主となり再興すること。 廃絶家再興の主な要件は次の通りである。 家族は戸主の同意を得て廃絶した本家、分家、同家その他親族の家を再興することができる(改正前民法743条)• 法定推定家督相続人や戸主の妻、女戸主の入夫は廃絶家がその本家である場合に限って再興することができる(改正前民法744条)• 新たに家を立てた者に関しては自由に廃家して、本家、分家、同家その他親族の家を再興することができる(改正前民法762条)• 家督相続によって戸主となった者は、廃絶家がその本家である場合に限って、裁判所の許可を得て現在の家を廃家した上で本家を再興することができる(改正前民法762条)• 離婚または離縁によって実家に復籍すべき者が実家の廃絶によって復籍することができない場合には再興することができる(改正前民法740条)• 廃絶家の再興は市町村長に届け出ることを要する(旧戸籍法164条) 再興した者はその家の戸主となり廃絶家の氏を称するが、廃絶家前の債権・債務など各種の権利・義務を引き継ぐ訳ではないため、単に家の名を残し、本家と分家といった家系を残す程度の効果しか無く相続としての意味合いが強かった。 廃止された理由等 [ ] 前述のように、戸主権の効力は必ずしも絶対的ではない。 しかし、条文上行使の方法に制限が無かったため、離籍による扶養義務免除など不正の利益を得るためや、家族員に対する嫌がらせ目的による行使が相次いだため、早くから判例は権利濫用法理を発達させ、恣意的な離籍を無効にする努力を講じており、戸主権を必要とする社会的実態の欠如が古くから指摘され続けてきた。 このように、家制度には戸主の権限により家族の権利が犠牲にされる危険性があったため 、早くもには法律上の家族制度を緩和すべきであるとの改正論が支配的となり 、によって改正作業が中断したものの、戦後には家制度が等に反するとして、(昭和22年法律第74号、昭和22年4月19日施行)により、の施行(1947年)を以って廃止された。 もっとも、らの強い主張もあり、「家族の扶養義務」などの形でその一部は存置されることとなったが(民法877条)、これは戦後の改正民法が当時の社会事実としての家制度や、道徳上の家庭生活を否定し積極的に破壊する趣旨に出たものではなく、法律上の家制度を廃止することで道徳・人情・経済に委ねた趣旨を表すものであり、民法改正と同時に施行された(2013年廃止)の第1条が「家庭の平和と健全な親族共同生活の維持を図ることを目的とする」としていたのと同趣旨であるとも説明されている。 現民法との関係 [ ] 現民法では法律上の家制度は廃止されている。 しかしながら現民法では、夫婦は同氏であることが規定され選択的は導入されていない。 これについては、らによる、家制度の名残である、選択的夫婦別姓制度を速やかに導入するべきである、とする意見がある。 同様に、現在の戸籍制度も家制度の名残であり、改革が必要、といった議論もある。 出典 [ ] []• 「我国の家政と民法(三)」『日本之法律』4巻8号、博文館、1892年、村上一博「『日本之法律』にみる法典論争関係記事(四)」『法律論叢』81巻6号、明治大学法律研究所、2009年、332頁• このうちは廃藩後に華族となることを辞退した。 (家)・(家)・家(岩倉具視の三男)・(家)・(若王子住職家)• 徳川のうち2家(・)、の家5家(・()、・()、())、の家臣扱いだった主、1万石以上の所領を持つ6家(、、、、、)、1万石以上の所領を持つだった。 ただし大沢家は所領の水増し申告が露見し1万石以下であることが確認されたことから、後に華族の身分を剥奪されに編入された。 徳川御三卿のは当主不在であり、翌年華族に列せられた。 岩田新『親族相続法綱要』(同文館、1926年)59-61頁、宇野文重『法政研究』「」(九州大学、2007年)• 大蔵省印刷局。 国立国会図書館。 梅謙次郎『民法要義 巻之四親族法』(和佛法律学校、1902年)50、111頁• 旧民法が効力を持っていた期(及び2017年6月現在でも各家庭・地域によっては)「家系の祭祀」を継ぐことが名誉ある責務と考えていたため、この規定が定められていた。 杉之原舜一『親族法の研究』日本評論社、1940年、3-8頁• 牧野英一『刑法に於ける重点の変遷 再版』(有斐閣、1935年)119頁• (・補訂)『民法案内1私法の道しるべ』(勁草書房、2005年)103-104頁• 山本起世子「民法改正にみる家族制度の変化 : 1920年代~40年代」『園田学園女子大学論文集』第47号、園田学園女子大学、2013年1月、 119-132頁、。 『百萬人の法律学』(思索社、1950年)112頁• 、iRonna、2015年12月16日。

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ゴキブリが「出る家」と「出ない家」は何が違う?出る理由を解説

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庭の日当たりがよく、玄関が明るい「南入り」 南入り、北入りは規模の大きな住宅地で生じるものだ。 その理由を説明しよう。 まず、南向きの住宅を横に並べて建設したとする。 敷地の南側が道路となり、日当たりのよい家が並ぶ。 このような住宅構成で、北側も道路にすることは少ない。 効率よく住宅を建設するために、北側は道路にしないで、住宅を並べる。 つまり、横並びの住宅を二列くっつけてつくるわけだ。 このような構成をとると、敷地の南側が道路になっている並びと、敷地の北側が道路になっている並びが生じる。 これが、南入り・北入りとよばれるもの。 つまり、南側が道路で南から入る住宅と北側が道路で北から入ってゆく住宅の2パターンができるわけだ。 以上が、南入りと北入りができる理由である。 では、どちらがいいのか。 道路が南側にある南入りは、日当たりがよい。 玄関が南に面して、家全体の見た目が明るくなるのも好まれる。 迷信に近いものなのだが、人によっては決定的要因になる。 それが、南入りの住宅の大きな長所である。 一方で、南入りのために生じる欠点もある。 それは、道路を通る人や訪ねてくる来客からLDと庭の様子が見えやすいという問題である。 道路から客が玄関に向かうときのことを想像してみよう。 玄関が南を向いているため、南向きのLDと並んで配置される。 玄関のすぐ横はリビングという家も少なくない。 ということは玄関に向かう客は、横目でリビングの様子やリビング前の庭の様子も見えてしまうのだ。 門扉のところから玄関とリビングの窓・庭が見えてしまうケースもある。 そのため、居留守を使いにくいなどの短所が生じるし、リビングの窓は常にカーテンを閉めるなどの対応策が必要になる。 このように、リビングや庭のプライバシーを保ちにくいのが、南入りの短所となる。 プライバシーを保ちやすい「北入り」 南入りと北入り 一方、北入りの長所は、リビングと庭のプライバシーを守りやすいこと。 道路からリビングの窓や庭が見えないからだ。 もちろん、"お向かいさん"からはリビングと庭の様子が見えてしまう。 しかし、ご近所さんは裏の家をジロジロ見たりしない。 だから安心して過ごせることになる。 一方で、北入りの短所は、玄関が北に位置するため、ムードが暗くなりがち。 玄関に日が当たらず、陰気な印象になることもある。 だからといってその家に不幸が訪れるわけではないのだが、ムードの暗さを気にする人もいるというわけだ。 庭にお向かいさん宅の日陰ができやすいのも短所の一つだ。 以上の短所があるため、南入りの住宅より価格設定が割安になるケースもある。 割安ならば、それは立派な長所となる。 南入りがいいか、北入りがいいかを決めるときは、以上の点を考慮しなければならない。 次は、についてお話ししよう。

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沿革 [ ] ウィキソースに の原文があります。 戸主の制度は、最も古くはに始まる。 の代における政治体制整備のため、古代から存在した家内の統率者たる家長に戸主の地位を与え、対外的な権利義務の主体としたのが始まりである。 (明治2年)、と同日に出された『公卿諸侯の称を廃し華族と改む』(明治2年布達)、及び翌年の『宮並に華族家人の職員を定む』(明治3年太政官布告)により、従来のの・の称を廃し、これらの家は華族となり 家制度を維持することが定められた。 公家137家・諸侯270家 ・後に公家となった家5家 ・維新後に諸侯となった家15家 の合計427家 は新しい身分層である「華族」に組み入れられた。 には『』(明治17年無号)、に『華族世襲財産法』(明治19年第34号)が設置された。 の民法典制定前の「家」は、あたかも莫大な権利義務を有するのようなものであった。 戸主個人は権利義務の主体ではなく、家の代表者として強大な権利を行使するかわりに、家産・家業・祭祀を維持する重い責務を負う存在にすぎなかった。 ところが明治維新によって職業選択の自由が確保されると、このような生活モデルは崩壊する。 諸外国の例を見ても、家父長制が徐々に崩壊してへ至ることが歴史の必然と思われたが、かといって未だ慣習として家制度が根付いている以上、法律をもって強引に家制度を無くすことも憚られた。 そこで、近い将来の改正を前提とし、とを整え、戸主権の主体を家ではなく戸主個人としたうえで家産を否定し、戸主の権限を従前よりも大幅に縮小する過渡的な暫定規定を置くこととしたのである。 には、華族に対するの優遇を認めた『 相続税法』(明治38年1月1日法律第10号)が設置された。 こうした優遇規定は次第に拡大され、の相続税法改正時には、一般の遺産相続は、の場合に比べ、2. 5倍以上もの相続税が課される事例が生じた。 「家」の概念 [ ] 「家」は、「戸主」と「家族」から構成される。 戸主は家の統率者であり、家族は家を構成する者のうち戸主でない者をいう。 一つの家は一つのに登録される。 つまり、同じ家に属するか否かの証明は、その家の戸籍に記載されている者であるか否かにより行われた。 このことから、改正前民法の条文の「父ノ家ニ入ル」「家ヲ去リタル」という(当時の)表現は、戸籍の面からは、それぞれ「 父の家の戸籍に入籍する」「 家の戸籍から除籍された」ことを意味する。 なお、戸籍を管理するための法律として、民法に代わり(22年)に施行されたでは、三代以上の親族が同一戸籍に記載されない制度になっている(三代戸籍の禁止)が、家制度においては家の構成員は二代に限られなかったので、戸籍上も制約はなかった。 戸主 [ ] 戸主は、家の統率者としての身分を持つ者であり、戸籍上は筆頭に記載された。 このため、戸籍の特定は戸主の氏名とで行われることになる。 戸主権・戸主の義務 [ ] 戸主は、家の統率者として家族に対する義務を負う(ただし、配偶者、直系卑属、直系尊属による扶養義務のほうが優先)ほか、主に以下のような権能(戸主権)を有していた。 家族の・に対する同意権(改正前民法750条)• ただし、離籍の制裁を覚悟するなら、 戸主の同意の無い婚姻・縁組を強行することは可能(改正前民法776条但書・849条2項)• 家族の入籍又は去家に対する同意権(ただし、法律上当然に入籍・除籍が生じる場合を除く)(改正前民法735条・737条・738条)• 家族の居所指定権(改正前民法749条)• 家籍から排除する権利• 家族の入籍を拒否する権利• 戸主の同意を得ずに婚姻・養子縁組した者の復籍拒絶(改正前民法741条2・735条)• 家族の私生児・庶子の入籍の拒否(改正前民法735条)• 親族入籍の拒否(改正前民法737条)• 引取入籍の拒否(改正前民法738条)• 家族を家から排除する(離籍)権利(ただし未成年者と推定家督相続人は離籍できない)• 居所の指定に従わない家族の離籍(改正前民法749条)• 戸主の同意を得ずに婚姻・養子縁組した者の離籍(改正前民法750条) 女戸主 [ ] 戸主は男性であることが原則であるが、女性であっても家督相続や庶子・私生児などによる一家創立など、もあり得た。 しかし男戸主に比べ、いくつかの差異があった。 隠居するには、年齢その他の要件を満たしている必要があるが、女戸主の場合は年齢要件を満たす必要がない(改正前民法755条)• (男性の)戸主が婚姻して他家に入るには、女戸主の家に婚姻で入る場合と婿養子縁組(婚姻と妻の親との養子縁組を同時に行うこと)に限られたが、女戸主が婚姻するためであれば裁判所の許可を得て隠居・廃家ができた(改正前民法754条)• 婚姻により夫が女戸主の家に入る(入夫婚姻)際、当事者の反対意思表示が無い限り入夫が戸主となった(改正前民法736条)。 ただし(3年)以降の戸籍法では、入夫婚姻の届書に入夫が戸主となる旨を記載しなければ、女戸主が継続する扱いであった。 戸主の地位の承継(家督相続) [ ] 戸主の地位は、戸主の財産権とともに家督相続という制度により承継される。 の一形態であるが、前戸主から新戸主へ全ての財産権利が譲り渡される単独相続である点が現在の民法と大きく異なる。 但し遺言等による意思表示がある場合において相続分の指定があり遺言が有効であると認められれば、法律上「当然」にそれは有効であった。 家督相続は次の場合に行われる。 戸主が死亡したとき• 戸主がしたとき• 戸主自身が婚姻し別戸籍に去ったとき• 女戸主が入夫婚姻を行い夫に戸主を譲るとき• 入夫婚姻により戸主となった夫が離婚により戸籍を出るとき• 戸主が日本国籍を失ったとき 家督相続人(新戸主)となる者は、旧戸主と同じ家に属する者(家族)の中から、第一順位として直系卑属のうち親等・男女・嫡出子庶子・長幼の順で決められた上位の者(ただし、親等が同じ場合女子といえども嫡出子及び庶子が優先された。 )、被相続人(旧戸主)により指定された者、旧戸主の父母や親族会により選定された者などの順位で決めることになっていた。 なお、代襲相続の規定もあり、例えば第一推定家督相続人である長男に孫が生存したまま長男が戸主の死亡前に亡くなっていた場合には、長男の孫のなかから男女・嫡出子庶子・長幼の順で家督相続がなされた。 特に事情が無い場合、一般的には長男が家督相続人として戸主の地位を承継した。 家の設立・消滅 [ ] 新たに家が設立される形態として「 分家」、「 廃絶家再興」、「 一家創立」が、家が消滅する形態として「 廃家」、「 絶家」がある。 分家 [ ] 分家とは、ある家に属する家族が、その意思に基づき、その家から分離して新たに家を設立することをいう。 このとき、元々属していた家を「本家」と呼んだ。 本家の統率の観点から、分家するためには戸主の同意が必要とされた。 分家する際には分家者の妻および直系卑属およびその妻が分家と共に新たな家に入ることができる。 ただし夫婦同籍の原則があるため、分家者の妻と、直系卑属が新たな家に入るときの妻は必ず共に移動することになる。 なお、旧民法等の法律上の用語では無いが、地域によって本家のことを母屋・分家のことを新宅など独自の呼称する場合がある。 一家創立 [ ] 一家創立とは、家督相続や分家とは異なり、新たに戸主になる者の意思とは無関係に、法律の規定により当然に家が設立される場合をいう。 一家創立は次の場合に生じる。 子供の父母が共に分からないとき(改正前民法733条3)• 非嫡出子が、戸主の同意が得られずに、父母の家に入ることができなかったとき(改正前民法735条2)• 婚姻・養子縁組をした者が離婚・養子離縁をした際に、復籍するはずの家が廃家や絶家により無くなっていたとき(改正前民法740条)• 戸主の同意を得ずに婚姻・養子縁組をした者が離婚・養子離縁した際に、復籍すべき家の戸主に復籍拒絶をされたとき(改正前民法741条・742条・750条)• 家族が離籍されたとき(改正前民法742条・749条・750条)• 家族が残っている状態で絶家し、入るべき家が無くなったとき(改正前民法764条)• 日本国籍を持たない者が、新たに国籍を取得したとき(旧国籍法5条5・24条・26条)• 無戸籍の父母の間の子が日本で生まれたとき(旧国籍法4条)• 戸主でないものが爵位を授けられたとき(明治38年 戸主ニ非ザル者爵位ヲ授ケラレタル場合ニ関スル法律)• がしたとき(明治43年皇室令2号) 廃家 [ ] 廃家とは、戸主が、婚姻や養子縁組などの理由により他の家に入るために、元の家を消滅させることをいう(改正前民法762条)。 ただし、一家創立によって戸主になった者は自由に廃家できたが、家督相続により戸主になった者が廃家する場合はの許可を必要とした。 絶家 [ ] 絶家とは、戸主が死亡したことなどにより家督相続が開始されたにもかかわらず、家督相続人となる者がいないために、家が消滅することをいう(改正前民法764条)。 廃家が戸主の意志を元に行うのに対し、絶家は不可抗力により生じる。 廃絶家再興 [ ] 廃絶家再興とは、廃家・絶家した家を、縁故者が戸主となり再興すること。 廃絶家再興の主な要件は次の通りである。 家族は戸主の同意を得て廃絶した本家、分家、同家その他親族の家を再興することができる(改正前民法743条)• 法定推定家督相続人や戸主の妻、女戸主の入夫は廃絶家がその本家である場合に限って再興することができる(改正前民法744条)• 新たに家を立てた者に関しては自由に廃家して、本家、分家、同家その他親族の家を再興することができる(改正前民法762条)• 家督相続によって戸主となった者は、廃絶家がその本家である場合に限って、裁判所の許可を得て現在の家を廃家した上で本家を再興することができる(改正前民法762条)• 離婚または離縁によって実家に復籍すべき者が実家の廃絶によって復籍することができない場合には再興することができる(改正前民法740条)• 廃絶家の再興は市町村長に届け出ることを要する(旧戸籍法164条) 再興した者はその家の戸主となり廃絶家の氏を称するが、廃絶家前の債権・債務など各種の権利・義務を引き継ぐ訳ではないため、単に家の名を残し、本家と分家といった家系を残す程度の効果しか無く相続としての意味合いが強かった。 廃止された理由等 [ ] 前述のように、戸主権の効力は必ずしも絶対的ではない。 しかし、条文上行使の方法に制限が無かったため、離籍による扶養義務免除など不正の利益を得るためや、家族員に対する嫌がらせ目的による行使が相次いだため、早くから判例は権利濫用法理を発達させ、恣意的な離籍を無効にする努力を講じており、戸主権を必要とする社会的実態の欠如が古くから指摘され続けてきた。 このように、家制度には戸主の権限により家族の権利が犠牲にされる危険性があったため 、早くもには法律上の家族制度を緩和すべきであるとの改正論が支配的となり 、によって改正作業が中断したものの、戦後には家制度が等に反するとして、(昭和22年法律第74号、昭和22年4月19日施行)により、の施行(1947年)を以って廃止された。 もっとも、らの強い主張もあり、「家族の扶養義務」などの形でその一部は存置されることとなったが(民法877条)、これは戦後の改正民法が当時の社会事実としての家制度や、道徳上の家庭生活を否定し積極的に破壊する趣旨に出たものではなく、法律上の家制度を廃止することで道徳・人情・経済に委ねた趣旨を表すものであり、民法改正と同時に施行された(2013年廃止)の第1条が「家庭の平和と健全な親族共同生活の維持を図ることを目的とする」としていたのと同趣旨であるとも説明されている。 現民法との関係 [ ] 現民法では法律上の家制度は廃止されている。 しかしながら現民法では、夫婦は同氏であることが規定され選択的は導入されていない。 これについては、らによる、家制度の名残である、選択的夫婦別姓制度を速やかに導入するべきである、とする意見がある。 同様に、現在の戸籍制度も家制度の名残であり、改革が必要、といった議論もある。 出典 [ ] []• 「我国の家政と民法(三)」『日本之法律』4巻8号、博文館、1892年、村上一博「『日本之法律』にみる法典論争関係記事(四)」『法律論叢』81巻6号、明治大学法律研究所、2009年、332頁• このうちは廃藩後に華族となることを辞退した。 (家)・(家)・家(岩倉具視の三男)・(家)・(若王子住職家)• 徳川のうち2家(・)、の家5家(・()、・()、())、の家臣扱いだった主、1万石以上の所領を持つ6家(、、、、、)、1万石以上の所領を持つだった。 ただし大沢家は所領の水増し申告が露見し1万石以下であることが確認されたことから、後に華族の身分を剥奪されに編入された。 徳川御三卿のは当主不在であり、翌年華族に列せられた。 岩田新『親族相続法綱要』(同文館、1926年)59-61頁、宇野文重『法政研究』「」(九州大学、2007年)• 大蔵省印刷局。 国立国会図書館。 梅謙次郎『民法要義 巻之四親族法』(和佛法律学校、1902年)50、111頁• 旧民法が効力を持っていた期(及び2017年6月現在でも各家庭・地域によっては)「家系の祭祀」を継ぐことが名誉ある責務と考えていたため、この規定が定められていた。 杉之原舜一『親族法の研究』日本評論社、1940年、3-8頁• 牧野英一『刑法に於ける重点の変遷 再版』(有斐閣、1935年)119頁• (・補訂)『民法案内1私法の道しるべ』(勁草書房、2005年)103-104頁• 山本起世子「民法改正にみる家族制度の変化 : 1920年代~40年代」『園田学園女子大学論文集』第47号、園田学園女子大学、2013年1月、 119-132頁、。 『百萬人の法律学』(思索社、1950年)112頁• 、iRonna、2015年12月16日。

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