絆2かいしがめん。 静岡大学 棚田研究会 快挙です! | 棚田ブログ・静岡県菊川市上倉沢

川釣り

絆2かいしがめん

岩波文庫に収めた北越雪譜は 不図 ( はからず )も読書子の称賛を得て、昨年三月には第二刷を発行し、 茲 ( ここ )にまた第三刷を発行するに至つたのは校訂子の欣喜に堪へないところである。 第二刷のときも、註解に若干の増補を為したが、今回は本書の完璧を期する為めに、書中の挿画全部を天保の初版によつてやり直した、雪譜初版刊行の年月に就ては、判然としない点がある、岩波文庫版の解説には、初篇の一を天保六年としたのは、京山の序文の年号をとつたのであり、初篇の三の発行の年月を天保七年としたのは奥附によつたものである、勿論初篇の一が天保六年に出版されたと云ふ確証はないが、とも角も天保六年か七年の頃に世に出たものと思ふ、これは 偏 ( ひとへ )に識者の高教を待つ。 此挙梓行の為にせざれば図に洪繊重復あり、今梓に臨て其図の過半を省き、目を新にするものを存して巻中に夾刺するは単冊に尽し難を以て也。 余嘗て原図を閲するに、雪中の諸状混錯を走墨に失して通暁し難きもの靴中の瘡痒これを何如せん、唯翁が草図に傚ひて真に描せる而已。 或原図の梓に入るものは則これを加ふ、或は説有て図無きもの其説に拠て其図を作りしもあり。 盖余未だ越地を踏ず、越雪の真景に於て茫然たり、故に雪図に於て違漏あるも知るべからず、其誤を編者に駆ること勿れ。 露 ( つゆ )は 地気 ( ちき )の 粒珠 ( りふしゆ )する 所 ( ところ )、 霜 ( しも )は地気の 凝結 ( ぎようけつ )する所、 冷気 ( れいき )の 強弱 ( つよきよわき )によりて 其形 ( そのかたち )を 異 ( こと )にするのみ。 水は地の 全体 ( ぜんたい )なれば 元 ( もと )の地に 皈 ( かへる )なり。 地中 ( ちちゆう ) 深 ( ふか )ければかならず 温気 ( あたゝかなるき )あり、 地 ( ち ) 温 ( あたゝか )なるを 得 ( え )て 気 ( き )を 吐 ( はき )、天に 向 ( むかひ )て 上騰 ( のぼる )事人の 気息 ( いき )のごとく、 昼夜 ( ちうや ) 片時 ( かたとき )も 絶 ( たゆ )る事なし。 天も又気を 吐 ( はき )て地に 下 ( くだ )す、 是 ( これ )天地の 呼吸 ( こきふ )なり。 人の 呼 ( でるいき )と 吸 ( ひくいき )とのごとし。 天地 呼吸 ( こきふ )して 万物 ( ばんぶつ )を 生育 ( そだつる )也。 天に九ツの 段 ( だん )あり、これを 九天 ( きうてん )といふ。 九段 ( くだん )の内 最 ( もつとも )地に 近 ( ちか )き所を 太陰天 ( たいいんてん )といふ。 (地を 去 ( さ )る事高さ四十八万二千五百里といふ)太陰天と地との 間 ( あひだ )に三ツの 際 ( へだて )あり、天に 近 ( ちかき )を 熱際 ( ねつさい )といひ、中を 冷際 ( れいさい )といひ、地に 近 ( ちかき )を 温際 ( をんさい )といふ。 地気は 冷際 ( れいさい )を 限 ( かぎ )りとして 熱際 ( ねつさい )に 至 ( いた )らず、 冷温 ( れいをん )の二 段 ( だん )は地を 去 ( さ )る事甚だ 遠 ( とほ )からず。 富士山は 温際 ( をんさい )を 越 ( こえ )て 冷際 ( れいさい )にちかきゆゑ、 絶頂 ( ぜつてう )は 温気 ( あたゝかなるき ) 通 ( つう )ぜざるゆゑ 艸木 ( くさき )を 生 ( しやう )ぜず。 夏も 寒 ( さむ )く 雷鳴 ( かみなり ) 暴雨 ( ゆふだち )を 温際 ( をんさい )の下に見る。 (雷と夕立はをんさいのからくり也)雲は 地中 ( ちちゆう )の 温気 ( をんき )より 生 ( しやう )ずる物ゆゑに其 起 ( おこ )る 形 ( かたち )は 湯気 ( ゆげ )のごとし、水を 沸 ( わかし )て 湯気 ( ゆげ )の 起 ( たつ )と同じ事也。 雲 ( くも ) 温 ( あたゝか )なる気を以て天に 升 ( のぼ )り、かの 冷際 ( れいさい )にいたれば 温 ( あたゝか )なる 気 ( き ) 消 ( きえ )て雨となる、 湯気 ( ゆげ )の 冷 ( ひえ )て 露 ( つゆ )となるが 如 ( ごと )し。 (冷際にいたらざれば雲散じて雨をなさず)さて 雨露 ( あめつゆ )の 粒珠 ( つぶだつ )は天地の気中に 在 ( あ )るを以て也。 艸木の 実 ( み )の 円 ( まろき )をうしなはざるも気中に 生 ( しやう )ずるゆゑ也。 雲 冷際 ( れいさい )にいたりて雨とならんとする時、 天寒 ( てんかん )甚しき時は 雨 ( あめ ) 氷 ( こほり )の 粒 ( つぶ )となりて 降 ( ふ )り 下 ( くだ )る。 天寒の 強 ( つよき )と 弱 ( よわき )とによりて 粒珠 ( つぶ )の大小を 為 ( な )す、 是 ( これ )を 霰 ( あられ )とし 霙 ( みぞれ )とす。 ( 雹 ( ひよう )は夏ありその 弁 ( べん )こゝにりやくす)地の 寒 ( かん ) 強 ( つよ )き時は 地気 ( ちき ) 形 ( かたち )をなさずして天に 升 ( のぼ )る 微温湯気 ( ぬるきゆげ )のごとし。 天の 曇 ( くもる )は是也。 地気 上騰 ( のぼる )こと多ければ 天 ( てん ) 灰色 ( ねずみいろ )をなして雪ならんとす。 曇 ( くもり )たる 雲 ( くも ) 冷際 ( れいさい )に 到 ( いた )り 先 ( まづ )雨となる。 此時冷際の寒気雨を 氷 ( こほら )すべき 力 ( ちから )たらざるゆゑ 花粉 ( くわふん )を 為 ( な )して 下 ( くだ )す、 是 ( これ ) 雪 ( ゆき )也。 地寒 ( ちかん )のよわきとつよきとによりて 氷 ( こほり )の 厚 ( あつき )と 薄 ( うすき )との 如 ( ごと )し。 天に 温冷熱 ( をんれいねつ )の三 際 ( さい )あるは、人の 肌 ( はだへ )は 温 ( あたゝか )に 肉 ( にく )は 冷 ( ひやゝ )か 臓腑 ( ざうふ )は 熱 ( ねつ )すると 同 ( おな )じ 道理 ( だうり )也。 是 ( これ ) 余 ( よ )が 発明 ( はつめい )にあらず 諸書 ( しよしよ )に 散見 ( さんけん )したる 古人 ( こじん )の 説 ( せつ )也。 凡 ( およそ )物を 視 ( み )るに 眼力 ( がんりき )の 限 ( かぎ )りありて 其外 ( そのほか )を視るべからず。 されば人の 肉眼 ( にくがん )を以雪をみれば 一片 ( ひとひら )の 鵞毛 ( がまう )のごとくなれども、 数 ( す )十百 片 ( へん )の 雪花 ( ゆき )を 併合 ( よせあはせ )て一 片 ( へん )の鵞毛を 為 ( なす )也。 是を 験微鏡 ( むしめがね )に 照 ( てら )し 視 ( み )れば、 天造 ( てんざう )の細工したる雪の 形状 ( かたち ) 奇々 ( きゝ )妙々なる事下に 図 ( づ )するが 如 ( ごと )し。 其形 ( そのかたち )の 斉 ( ひとし )からざるは、かの 冷際 ( れいさい )に於て雪となる時冷際の 気運 ( きうん )ひとしからざるゆゑ、雪の 形 ( かたち ) 気 ( き )に 応 ( おう )じて 同 ( おな )じからざる也。 しかれども 肉眼 ( にくがん )のおよばざる 至微物 ( こまかきもの )ゆゑ、 昨日 ( きのふ )の 雪 ( ゆき )も 今日 ( けふ )の雪も一 望 ( ばう )の 白糢糊 ( はくもこ )を 為 ( なす )のみ。 下の 図 ( づ )は天保三年 許鹿君 ( きよろくくん ) *1の 高撰雪花図説 ( かうせんせつくわづせつ )に 在 ( あ )る 所 ( ところ )、 雪花 ( せつくわ )五十五 品 ( ひん )の内を 謄写 ( すきうつし )にす。 雪 ( ゆき ) 六出 ( りくしゆつ )を 為 ( なす )。 御 説 ( せつ )に 曰 ( いはく )「 凡 ( およそ ) 物 ( もの ) 方体 ( はうたい )は (四角なるをいふ) 必 ( かならず )八を以て一を 囲 ( かこ )み 円体 ( ゑんたい )は (丸をいふ)六を以て一を 囲 ( かこ )む 定理 ( ぢやうり )中の 定数 ( ぢやうすう ) 誣 ( しふ )べからず」云々。 雪を 六 ( むつ )の 花 ( はな )といふ事 御 説 ( せつ )を以しるべし。 愚 ( ぐ ) 按 ( あんずる )に 円 ( まろき )は天の正 象 ( しやう )、 方 ( かく )は地の 実位 ( じつゐ )也。 是天地 方円 ( はうゑん )の 間 ( あひだ )に 生育 ( そだつ )ゆゑに、天地の 象 ( かたち )をはなれざる事子の親に 似 ( に )るに相同じ。 雪の 六出 ( りくしゆつ )する 所以 ( ゆゑん )は、 物 ( もの )の 員 ( かず ) 長数 ( ちやうすう )は 陰 ( いん ) 半数 ( はんすう )は 陽 ( やう )也。 (男根なく両乳あり)九は 半 ( はん )の 陽 ( やう )十は長の 陰 ( いん )也。 しかれども陰陽和合して人を 為 ( なす )ゆゑ、男に無用の 両乳 ( りやうちゝ )ありて女の陰にかたどり、女に 不要 ( ふよう )の 陰舌 ( いんぜつ )ありて男にかたどる。 気中に 活動 ( はたらく ) 万物 ( ばんぶつ )此 理 ( り )に 漏 ( もる )る事なし。 雪は 活物 ( いきたるもの )にあらざれども 変 ( へん )ずる 所 ( ところ )に 活動 ( はたらき )の気あるゆゑに、 六出 ( りくしゆつ )したる 形 ( かたち )の 陰中 ( いんちゆう )或は 陽 ( やう )に 象 ( かたど )る 円形 ( まろきかたち )を 具 ( ぐ )したるもあり。 水は 極陰 ( ごくいん )の物なれども 一滴 ( ひとしづく )おとす時はかならず 円形 ( ゑんけい )をなす。 落 ( おつ )るところに 活 ( はたら )く 萌 ( きざし )あるゆゑに陰にして陽の 円 ( まろき )をうしなはざる也。 天地気中の 機関 ( からくり ) 定理定格 ( ぢやうりぢやうかく )ある事 奇々 ( きゝ ) 妙々 ( めう/\ ) 愚筆 ( ぐひつ )に 尽 ( つく )しがたし。 左伝に (隠公八年) 平地 ( へいち ) 尺 ( しやく )に 盈 ( みつる )を大雪と 為 ( す )と 見 ( み )えたるは 其国 ( そのくに ) 暖地 ( だんち )なれば也。 唐 ( たう )の 韓愈 ( かんゆ )が雪を 豊年 ( ほうねん )の 嘉瑞 ( かずゐ )といひしも 暖国 ( だんこく )の 論 ( ろん )也。 されど 唐土 ( もろこし )にも寒国は八月雪 降 ( ふる )事 五雑組 ( ござつそ )に見えたり。 暖国の雪一尺以下ならば 山川村里 ( さんせんそんり ) 立地 ( たちどころ )に 銀世界 ( ぎんせかい )をなし、雪の 飄々 ( へう/\ ) 翩々 ( へん/\ )たるを 観 ( み )て花に 諭 ( たと )へ玉に 比 ( くら )べ、 勝望美景 ( しようばうびけい )を 愛 ( あい )し、 酒食 ( しゆしよく ) 音律 ( おんりつ )の 楽 ( たのしみ )を 添 ( そ )へ、 画 ( ゑ )に 写 ( うつ )し 詞 ( ことば )につらねて 称翫 ( しようくわん )するは 和漢 ( わかん )古今の 通例 ( つうれい )なれども、 是 ( これ )雪の 浅 ( あさ )き 国 ( くに )の 楽 ( たのし )み也。 我 ( わが )越後のごとく 年毎 ( としごと )に 幾丈 ( いくぢやう )の雪を 視 ( み )ば 何 ( なん )の 楽 ( たのし )き事かあらん。 雪の 為 ( ため )に 力 ( ちから )を 尽 ( つく )し 財 ( ざい )を 費 ( つひや )し千 辛 ( しん )万 苦 ( く )する事、 下 ( しも )に 説 ( と )く 所 ( ところ )を 視 ( み )ておもひはかるべし。 我国の 雪意 ( ゆきもよひ )は 暖国 ( だんこく )に 均 ( ひと )しからず。 およそ九月の 半 ( なかば )より霜を 置 ( おき )て寒気 次第 ( しだい )に 烈 ( はげし )く、九月の末に 至 ( いたれ )ば 殺風 ( さつふう ) 肌 ( はだへ )を 侵入 ( をかし )て 冬枯 ( ふゆがれ )の 諸木 ( しよぼく ) 葉 ( は )を 落 ( おと )し、 天色 ( てんしよく ) 霎 ( せふ/\ )として日の 光 ( ひかり )を 看 ( み )ざる事 連日 ( れんじつ )是雪の 意 ( もよほし )也。 天気 朦朧 ( もうろう )たる事 数日 ( すじつ )にして 遠近 ( ゑんきん )の 高山 ( かうざん )に 白 ( はく )を 点 ( てん )じて雪を 観 ( み )せしむ。 これを 里言 ( さとことば )に 嶽廻 ( たけまはり )といふ。 又 海 ( うみ )ある所は 海鳴 ( うみな )り、山ふかき処は山なる、遠雷の如し。 これを里言に 胴鳴 ( どうな )りといふ。 これを見これを 聞 ( きゝ )て、雪の 遠 ( とほ )からざるをしる。 年の 寒暖 ( かんだん )につれて 時日 ( じじつ )はさだかならねど、 たけまはり・ どうなりは秋の 彼岸 ( ひがん ) 前後 ( ぜんご )にあり、 毎年 ( まいねん )かくのごとし。 前 ( まへ )にいへるがごとく、雪 降 ( ふら )んとするを 量 ( はか )り、雪に 損 ( そん )ぜられぬ 為 ( ため )に 屋上 ( やね )に 修造 ( しゆざう )を 加 ( くは )へ、 梁 ( うつばり ) 柱 ( はしら ) 廂 ( ひさし ) (家の前の 屋翼 ( ひさし )を 里言 ( りげん )に らうかといふ、すなはち 廊架 ( らうか )なり)其外すべて 居室 ( きよしつ )に 係 ( かゝ )る所 力 ( ちから ) 弱 ( よわき )はこれを 補 ( おぎな )ふ。 雪に 潰 ( つぶさ )れざる 為 ( ため )也。 庭樹 ( にはき )は大小に 随 ( したが )ひ 枝 ( えだ )の 曲 ( まぐ )べきはまげて 縛束 ( しばりつけ )、 椙丸太 ( すぎまるた )又は竹を 添 ( そ )へ 杖 ( つゑ )となして 枝 ( えだ )を 強 ( つよ )からしむ。 雪 折 ( をれ )をいとへば也。 冬草 ( ふゆくさ )の 類 ( るゐ )は 菰筵 ( こもむしろ )を以 覆 ( おほ )ひ 包 ( つゝ )む。 井戸は小屋を 懸 ( かけ )、 厠 ( かはや )は雪中其物を 荷 ( になは )しむべき 備 ( そなへ )をなす。 雪中には一 点 ( てん )の 野菜 ( やさい )もなければ 家内 ( かない )の 人数 ( にんず )にしたがひて、雪中の 食料 ( しよくれう )を 貯 ( たくは )ふ。 暖国 ( だんこく )の人の雪を 賞翫 ( しやうくわん )するは前にいへるがごとし。 江戸には雪の 降 ( ふら )ざる年もあれば、初雪はことさらに 美賞 ( びしやう )し、雪見の 船 ( ふね )に 哥妓 ( かぎ )を 携 ( たづさ )へ、雪の 茶 ( ちや )の 湯 ( ゆ )に 賓客 ( ひんかく )を 招 ( まね )き、 青楼 ( せいろう )は雪を 居続 ( ゐつゞけ )の 媒 ( なかだち )となし、 酒亭 ( しゆてい )は雪を 来客 ( らいかく )の 嘉瑞 ( かずゐ )となす。 雪を 賞 ( しやう )するの 甚 ( はなはだ )しきは 繁花 ( はんくわ )のしからしむる所也。 雪国の人これを見、これを 聞 ( きゝ )て 羨 ( うらやま )ざるはなし。 我国の初雪を以てこれに 比 ( くらぶ )れば、 楽 ( たのしむ )と 苦 ( くるしむ )と 雲泥 ( うんでい )のちがひ也。 そも/\越後国は北方の 陰地 ( いんち )なれども 一国 ( いつこく )の内 陰陽 ( いんやう )を 前後 ( ぜんご )す。 いかんとなれば天は西北にたらず、ゆゑに西北を 陰 ( いん )とし、地は東南に 足 ( たら )ず、ゆゑに東南を 陽 ( やう )とす。 越後の地勢は、西北は大海に 対 ( たい )して陽気也。 東南は 高山 ( かうざん ) 連 ( つらな )りて陰気也。 ゆゑに西北の 郡村 ( ぐんそん )は雪 浅 ( あさ )く、東南の 諸邑 ( しよいふ )は雪 深 ( ふか )し。 是 ( いんやう )の 前後 ( ぜんご )したるに 似 ( に )たり。 (冬は日南の方を 周 ( めぐる )ゆゑ北国はます/\寒し、家の内といへども北は寒く南はあたゝかなると同じ道理也)我国 初雪 ( はつゆき )を 視 ( み )る事 遅 ( おそき )と 速 ( はやき )とは、 其年 ( そのとし )の 気運 ( きうん ) 寒暖 ( かんだん )につれて 均 ( ひとし )からずといへども、およそ初雪は九月の 末 ( すゑ )十月の 首 ( はじめ )にあり。 我国の雪は 鵞毛 ( がまう )をなさず、 降時 ( ふるとき )はかならず 粉砕 ( こまかき )をなす、風又これを 助 ( たす )く。 故 ( ゆゑ )に一 昼夜 ( ちうや )に 積所 ( つもるところ )六七尺より一丈に 至 ( いた )る時もあり、 往古 ( むかし )より 今年 ( ことし )にいたるまで此雪此国に 降 ( ふら )ざる事なし。 されば 暖国 ( だんこく )の人のごとく初雪を 観 ( み )て 吟詠 ( ぎんえい ) 遊興 ( いうきよう )のたのしみは 夢 ( ゆめ )にもしらず、 今年 ( ことし )も又此 雪中 ( ゆきのなか )に 在 ( あ )る事かと雪を 悲 ( かなしむ )は 辺郷 ( へんきやう )の 寒国 ( かんこく )に 生 ( うまれ )たる不幸といふべし。 雪を 観 ( み )て 楽 ( たのし )む人の 繁花 ( はんくわ )の 暖地 ( だんち )に 生 ( うまれ )たる天幸を 羨 ( うらやま )ざらんや。 余 ( よ )が 隣宿 ( りんしゆく )六日町の俳友天吉老人の 話 ( はなし )に、 妻有庄 ( つまありのしやう )にあそびし 頃 ( ころ ) 聞 ( きゝ )しに、 千隈 ( ちくま )川の 辺 ( ほとり )の 雅 ( が )人、 初雪 ( しよせつ )より (天保五年をいふ)十二月廿五日までの 間 ( あひだ )、雪の 下 ( くだ )る 毎 ( ごと )に用意したる所の雪を 尺 ( しやく )をもつて 量 ( はか )りしに *2、雪の 高 ( たか )さ十八丈ありしといへりとぞ。 此話 ( このはなし )雪国の人すら 信 ( しん )じがたくおもへども、つら/\ 思量 ( おもひはかる )に、十月の初雪より十二月廿五日までおよその 日数 ( ひかず )八十日の 間 ( あひだ )に五尺づゝの雪ならば、廿四丈にいたるべし。 随 ( したがつ )て 下 ( ふれ )ば 随 ( したがつ )て 掃 ( はら )ふ 処 ( ところ )は 積 ( つん )で見る事なし。 又地にあれば 減 ( へり )もする也。 かれをもつて是をおもへば、我国の 深山幽谷 ( しんざんいうこく )雪の 深 ( ふかき )事はかりしるべからず。 天保五年は我国近年の大雪なりしゆゑ、右の 話 ( はなし ) 誣 ( し )ふべからず。 高田 ( たかた )御 城 ( しろ )大手先の 広場 ( ひろば )に、木を 方 ( かく )に 削 ( けづ )り尺を 記 ( しる )して 建 ( たて )給ふ、是を雪 竿 ( さを )といふ。 長一丈也。 雪の 深浅 ( しんせん ) 公税 ( こうぜい )に 係 ( かゝ )るを以てなるべし。 高田の 俳友 ( はいいう ) 楓石子 ( ふうせきし )よりの 書翰 ( しよかん )に (天保五年の仲冬)雪竿を見れば当地の雪此 節 ( せつ )一丈に 余 ( あま )れりといひ 来 ( きた )れり。 雪竿といへば越後の 事 ( こと )として 俳句 ( はいく )にも見えたれど、此国に於て高田の外 无用 ( むよう )の雪 竿 ( さを )を 建 ( たつ )る 処 ( ところ )昔はしらず今はなし。 風雅 ( ふうが )をもつて我国に 遊 ( あそ )ぶ人、雪中を 避 ( さけ )て三 夏 ( か )の 頃 ( ころ )此地を 踏 ( ふむ )ゆゑ、 越路 ( こしぢ )の雪をしらず。 然 ( しか )るに 越路 ( こしぢ )の雪を 言 ( こと )の 葉 ( は )に 作意 ( つくる )ゆゑたがふ事ありて、我国の心には 笑 ( わら )ふべきが 多 ( おほ )し。 雪を 掃 ( はら )ふは 落花 ( らくくわ )をはらふに 対 ( つゐ )して 風雅 ( ふうが )の一ツとし、 和漢 ( わかん )の 吟咏 ( ぎんえい )あまた見えたれども、かゝる大雪をはらふは 風雅 ( ふうが )の 状 ( すがた )にあらず。 初雪 ( はつゆき )の 積 ( つも )りたるをそのまゝにおけば、 再 ( ふたゝ )び 下 ( ふ )る雪を添へて一丈にあまる事もあれば、一 度 ( ど ) 降 ( ふれ )ば一度 掃 ( はら )ふ (雪浅ければのちふるをまつ) 是 ( これ )を 里言 ( さとことば )に 雪掘 ( ゆきほり )といふ。 土 ( つち )を 掘 ( ほる )がごとくするゆゑに 斯 ( かく )いふ也。 掘 ( ほら )ざれば家の用 路 ( ろ )を 塞 ( ふさ )ぎ 人家 ( じんか )を 埋 ( うづめ )て人の 出 ( いづ )べき 処 ( ところ )もなく、 力強 ( ちからつよき )家も 幾万斤 ( いくまんきん )の雪の 重量 ( おもさ )に 推砕 ( おしくだかれ )んをおそるゝゆゑ、家として雪を 掘 ( ほら )ざるはなし。 掘 ( ほ )るには木にて 作 ( つく )りたる 鋤 ( すき )を 用 ( もち )ふ、 里言 ( りげん )に こすきといふ、 則 ( すなはち ) 木鋤 ( こすき )也。 椈 ( ぶな )といふ木をもつて作る、 木質 ( きのしやう ) 軽強 ( ねばく )して 折 ( をる )る事なく 且 ( かつ ) 軽 ( かろ )し、 形 ( かたち )は鋤に 似 ( に )て 刃 ( は ) 広 ( ひろ )し。 雪中 第 ( だい )一の 用具 ( ようぐ )なれば、山中の人これを作りて 里 ( さと )に 売 ( うる )、 家毎 ( いへごと )に 貯 ( たくはへ )ざるはなし。 雪を 掘 ( ほ )る 状態 ( ありさま )は 図 ( づ )にあらはしたるが 如 ( ごと )し。 掘たる雪は 空地 ( あきち )の、人に 妨 ( さまたげ )なき 処 ( ところ )へ山のごとく 積 ( つみ )上る、これを 里言 ( りげん )に 掘揚 ( ほりあげ )といふ。 大家は 家夫 ( わかいもの )を 尽 ( つく )して 力 ( ちから )たらざれば 掘夫 ( ほりて )を 傭 ( やと )ひ、 幾 ( いく )十人の力を 併 ( あはせ )て一時に 掘尽 ( ほりつく )す。 事 ( こと )を 急 ( きふ )に 為 ( な )すは 掘 ( ほ )る内にも大雪 下 ( くだ )れば 立地 ( たちどころ )に 堆 ( うづたか )く人力におよばざるゆゑ也。 ( 掘 ( ほ )る処 図 ( づ )には 人数 ( にんず )を略してゑがけり)右は 大家 ( たいか )の事をいふ、小家の 貧 ( まづ )しきは 掘夫 ( ほりて )をやとふべきも 費 ( つひえ )あれば男女をいはず一家雪をほる。 吾里にかぎらず雪ふかき処は 皆 ( みな ) 然 ( しか )なり。 此雪いくばくの 力 ( ちから )をつひやし、いくばくの銭を 費 ( つひや )し、 終日 ( しゆうじつ )ほりたる 跡 ( あと )へその夜大雪 降 ( ふ )り 夜 ( よ ) 明 ( あけ )て見れば 元 ( もと )のごとし。 かゝる時は 主人 ( あるじ )はさら也、 下人 ( しもべ )も 頭 ( かしら )を 低 ( たれ )て 歎息 ( ためいき )をつくのみ也。 大抵 ( たいてい )雪ふるごとに 掘 ( ほる )ゆゑに、 里言 ( りげん )に一 番掘 ( ばんぼり )二番掘といふ。 春の雪は 消 ( きえ )やすきをもつて 沫雪 ( あわゆき )といふ。 和漢 ( わかん )の春雪 消 ( きえ )やすきを 詩哥 ( しいか )の 作為 ( さくい )とす、 是 ( これ ) 暖国 ( だんこく )の事也、寒国の雪は 冬 ( ふゆ )を 沫雪 ( あわゆき )ともいふべし。 いかんとなれば冬の雪はいかほどつもりても 凝凍 ( こほりかたまる )ことなく、 脆弱 ( やはらか )なる事 淤泥 ( どろ )のごとし。 故 ( かるがゆゑ )に冬の雪中は 橇 ( かんじき )・ 縋 ( すかり )を 穿 ( はき )て 途 ( みち )を 行 ( ゆく )。 里言 ( りげん )には雪を 漕 ( こぐ )といふ。 水を 渉 ( わた )る 状 ( すがた )に 似 ( に )たるゆゑにや、又 深田 ( ふかた )を 行 ( ゆく )すがたあり。 (すべらざるために 下駄 ( げた )の 歯 ( は )にくぎをうちて用ふ) 暖国 ( だんこく )の 沫雪 ( あわゆき )とは 気運 ( きうん )の 前後 ( ぜんご )かくのごとし。 冬の雪は 脆 ( やはらか )なるゆゑ人の 蹈固 ( ふみかため )たる 跡 ( あと )をゆくはやすけれど、 往来 ( ゆきゝ )の 旅人 ( たびゝと )一 宿 ( しゆく )の夜大雪降ばふみかためたる一 条 ( すぢ )の雪道雪に 埋 ( うづま )り 途 ( みち )をうしなふゆゑ、 郊原 ( のはら )にいたりては 方位 ( はうがく )をわかちがたし。 此時は 里人 ( さとひと )幾十人を 傭 ( やと )ひ、 橇 ( かんじき ) 縋 ( すかり )にて 道 ( みち )を 蹈開 ( ふみひらか )せ 跡 ( あと )に 随 ( したがつ )て 行 ( ゆく )也。 此 費 ( ものいり ) 幾緡 ( いくさし )の銭を 費 ( つひや )すゆゑ 貧 ( とぼ )しき 旅 ( たび )人は人の 道 ( みち )をひらかすを 待 ( まち )て 空 ( むなし )く時を 移 ( うつす )もあり。 健足 ( けんそく )の 飛脚 ( ひきやく )といへども雪 途 ( みち )を 行 ( ゆく )は一日二三里に 過 ( すぎ )ず。 橇 ( かんじき )にて 足 ( あし ) 自在 ( じざい )ならず、雪 膝 ( ひざ )を 越 ( こ )すゆゑ也。 これ冬の雪中一ツの 艱難 ( かんなん )なり。 春は雪 凍 ( こほり )て 銕石 ( てつせき )のごとくなれば、 雪車 ( そり ) (又 雪舟 ( そり )の字をも用ふ)を以て 重 ( おもき )を 乗 ( の )す。 里人 ( りじん )は雪車に物をのせ、おのれものりて雪上を 行 ( ゆく )事舟のごとくす。 雪中は牛馬の足立ざるゆゑすべて 雪車 ( そり )を用ふ。 春の雪中 重 ( おもき )を 負 ( おは )しむる事 牛馬 ( うしうま )に 勝 ( まさ )る。 (雪車の 制作 ( せいさく )別に記す、形大小種々あり大なるを 修羅 ( しゆら )といふ)雪国の 便利 ( べんり ) 第 ( だい )一の 用具 ( ようぐ )也。 しかれども雪凍りたる時にあらざれば用ひがたし、ゆゑに里人 雪舟途 ( そりみち )と 唱 ( とな )ふ。 凡 ( およそ )雪九月末より 降 ( ふり )はじめて雪中に春を 迎 ( むかへ )、正二の月は雪 尚 ( なほ ) 深 ( ふか )し。 三四の月に 至 ( いた )りて次第に 解 ( とけ )、五月にいたりて雪全く 消 ( きえ )て 夏道 ( なつみち )となる。 (年の寒暖によりて遅速あり)四五月にいたれば春の花ども一 時 ( じ )にひらく。 されば雪中に 在 ( あ )る事 凡 ( およそ )八ヶ月、一年の 間 ( あひだ )雪を 看 ( み )ざる事 僅 ( わづか )に四ヶ月なれども、全く雪中に 蟄 ( こも )るは半年也。 こゝを以て 家居 ( いへゐ )の 造 ( つく )りはさら也、 万事 ( よろづのこと )雪を 禦 ( ふせ )ぐを 専 ( もつはら )とし、 財 ( ざい )を 費 ( つひやし ) 力 ( ちから )を 尽 ( つく )す事 紙筆 ( しひつ )に 記 ( しる )しがたし。 農家 ( のうか )はことさら夏の初より秋の末までに五 穀 ( こく )をも 収 ( をさむ )るゆゑ、雪中に 稲 ( いね )を 刈 ( かる )事あり。 其 ( その ) 忙 ( せはし )き事の千 辛 ( しん )万 苦 ( く )、暖国の 農業 ( のうげふ )に 比 ( ひ )すれば百 倍 ( ばい )也。 さればとて雪国に 生 ( うまる )る 者 ( もの )は 幼稚 ( をさなき )より雪中に成長するゆゑ、 蓼中 ( たでのなか )の 虫 ( むし ) 辛 ( からき )をしらざるがごとく雪を雪ともおもはざるは、 暖地 ( だんち )の 安居 ( あんきよ )を 味 ( あぢはへ )ざるゆゑ也。 女はさら也、男も十人に七人は 是 ( これ )也。 しかれども 住 ( すめ )ば 都 ( みやこ )とて、 繁花 ( はんくわ )の江戸に奉公する事 年 ( とし )ありて 後 ( のち )雪国の 故郷 ( ふるさと )に 皈 ( かへ )る者、これも又十人にして七人也。 胡場 ( こば ) 北風 ( ほくふう )に 嘶 ( いなゝ )き、 越鳥 ( ゑつてう ) 南枝 ( なんし )に 巣 ( す )くふ、 故郷 ( こきやう )の 忘 ( わすれ )がたきは世界の 人情 ( にんじやう )也。 さて雪中は 廊下 ( らうか )に (江戸にいふ 店 ( たな )下) 雪垂 ( ゆきだれ )を (かやにてあみたるすだれをいふ) 下 ( くだ )し、 ( 雪吹 ( ふゞき )をふせぐため也) 窗 ( まど )も又これを用ふ。 雪ふらざる時は 巻 ( まい )て 明 ( あかり )をとる。 雪下 ( ゆきふる )事 盛 ( さかん )なる 時 ( とき )は、 積 ( つも )る雪家を 埋 ( うづめ )て雪と 屋上 ( やね )と 均 ( ひとし )く 平 ( たひら )になり、 明 ( あかり )のとるべき処なく、 昼 ( ひる )も 暗夜 ( あんや )のごとく 燈火 ( ともしび )を 照 ( てら )して家の内は 夜昼 ( よるひる )をわかたず。 漸 ( やうやく )雪の 止 ( やみ )たる時、雪を 掘 ( ほり )て 僅 ( わづか )に小 窗 ( まど )をひらき 明 ( あかり )をひく時は、 光明 ( くわうみやう ) 赫奕 ( かくやく )たる仏の国に生たるこゝち也。 鳥獣 ( とりけだもの )は 雪中 ( せつちゆう ) 食 ( しよく ) 无 ( なき )をしりて雪 浅 ( あさ )き国へ 去 ( さ )るもあれど一 定 ( ぢやう )ならず。 雪中に 籠 ( こも )り 居 ( ゐ )て朝夕をなすものは人と熊と也。 宿場 ( しゆくば )と 唱 ( となふ )る 所 ( ところ )は家の 前 ( まへ )に 庇 ( ひさし )を長くのばして 架 ( かく )る、大小の 人家 ( じんか )すべてかくのごとし。 雪中はさら也、平日も 往来 ( ゆきゝ )とす。 これによりて雪中の 街 ( ちまた )は用なきが如くなれば、人家の雪をこゝに 積 ( つむ )。 次第 ( しだい )に 重 ( かさなり )て 両側 ( りやうかは )の家の 間 ( あひだ )に雪の 堤 ( つゝみ )を 築 ( きづき )たるが 如 ( ごと )し。 こゝに於て 所々 ( ところ/\ )に雪の 洞 ( ほら )をひらき、 庇 ( ひさし )より庇に 通 ( かよ )ふ、これを 里言 ( さとことば )に 胎内潜 ( たいないくゞり )といふ、又 間夫 ( まぶ )ともいふ。 間夫 ( まぶ )とは 金掘 ( かねほり )の 方言 ( ことば )なるを 借 ( かり )て 用 ( もち )ふる也。 (間夫の本義は 妻妾 ( さいせふ )の 奸淫 ( かんいん )するをいふ)宿外の家の 続 ( つゞか )ざる処は 庇 ( ひさし )なければ、 高低 ( たかびく )をなしたるかの雪の 堤 ( つゝみ )を 往来 ( ゆきゝ )とす。 人の 足立 ( あしたて )がたき処あれば一 条 ( でう )の 道 ( みち )を 開 ( ひら )き、春にいたり雪 堆 ( うづだか )き所は 壇層 ( だん/\ )を作りて 通路 ( つうろ )の 便 ( べん )とす。 形 ( かたち ) 匣階 ( はこばしご )のごとし。 所 ( ところ )の 者 ( もの )はこれを 登下 ( のぼりくだり )するに 脚 ( あし )に 慣 ( なれ )て 一歩 ( ひとあし )もあやまつ事なし。 他国 ( たこく )の 旅人 ( たびゝと )などは 怖 ( おそ )る/\ 移歩 ( あしをはこび )かへつて 落 ( おつ )る 者 ( もの )あり、おつれば雪中に 身 ( み )を 埋 ( うづ )む。 視 ( み )る人はこれを 笑 ( わら )ひ、 落 ( おち )たるものはこれを 怒 ( いか )る。 かゝる 難所 ( なんじよ )を作りて他国の 旅客 ( りよかく )を 労 ( わづら )はしむる事 求 ( もとめ )たる 所為 ( しわざ )にあらず。 此雪を 取除 ( とりのけん )とするには 人力 ( じんりき )と 銭財 ( せんざい )とを 費 ( つひや )すゆゑ、 寸導 ( せめて )は 壇 ( だん )を作りて 途 ( みち )を 開 ( ひら )く也。 そも/\初雪より歳を越て雪 消 ( きゆ )るまでの事を 繁細 ( はんさい )に記さば小冊には 尽 ( つく )しがたし、ゆゑに 省 ( はぶき )てしるさゞる事甚多し。 大小の川に 近 ( ちか )き 村里 ( むらさと )、初雪の 後 ( のち ) 洪水 ( こうずゐ )の 災 ( わざはひ )に 苦 ( くるし )む事あり。 洪水 ( こうずゐ )を此国の 俚言 ( りげん )に 水揚 ( みづあがり )といふ。 勝手 ( かつて )の方へ立いで見れば 家内 ( かない )の男女 狂気 ( きやうき )のごとく 駈 ( かけ )まはりて、 家財 ( かざい )を水に 流 ( なが )さじと 手当 ( てあたり )しだいに 取退 ( とりのく )る。 水は 低 ( ひくき )に随て 潮 ( うしほ )のごとくおしきたり、 已 ( すで )に 席 ( たゝみ )を 浸 ( ひた )し 庭 ( には )に 漲 ( みなぎ )る。 次第に 積 ( つもり )たる雪 所 ( ところ )として雪ならざるはなく、 雪光 ( せつくわう ) 暗夜 ( あんや )を 照 ( てら )して水の 流 ( ながる )るありさま、おそろしさいはんかたなし。 余 ( よ )は人に 助 ( たす )けられて 高所 ( たかきところ )に 逃登 ( にげのぼ )り 遙 ( はるか )に 駅中 ( えきちゆう )を 眺 ( のぞめ )ば、 提灯 ( ちやうちん ) 炬 ( たいまつ )を 燈 ( とも )しつれ大勢の男ども 手 ( てに )々に [#「 手 ( てに )々に」はママ] 木鋤 ( こすき )をかたげ、雪を 越 ( こえ )水を 渉 ( わたり )て 声 ( こゑ )をあげてこゝに 来 ( きた )る。 これは 水揚 ( みづあがり )せざる 所 ( ところ )の 者 ( もの )どもこゝに 馳 ( はせ )あつまりて、川 筋 ( すぢ )を 開 ( ひら )き水を 落 ( おと )さんとする也。 闇夜 ( あんや )にてすがたは見えねど、 女 ( をんな ) 童 ( わらべ )の 泣叫 ( なきさけ )ぶ 声 ( こゑ ) 或 ( あるひ )は 遠 ( とほ )く或は 近 ( ちか )く、 聞 ( きく )もあはれのありさま也。 燃残 ( もえのこ )りたる 炬 ( たいまつ )一ツをたよりに人も馬も 首 ( くび )たけ水に 浸 ( ひた )り、 漲 ( みなぎ )るながれをわたりゆくは馬を 助 ( たすけ )んとする也。 帯 ( おび )もせざる女 片手 ( かたて )に 小児 ( せうに )を 背負 ( せおひ )、 提灯 ( ちやうちん )を 提 ( さげ )て 高処 ( たかきところ )へ 逃 ( にげ )のぼるは、 近 ( ちか )ければそこらあらはに見ゆ、 命 ( いのち )とつりがへなればなにをも 恥 ( はづか )しとはおもふべからず。 やう/\ 東雲 ( しのゝめ )の 頃 ( ころ )に 至 ( いた )りて、水も 落 ( おち )たりとて 諸人 ( しよにん ) 安堵 ( あんど )のおもひをなしぬ。 此 ( この ) 関 ( せき )といふ 駅 ( しゆく )は左右 人家 ( じんか )の 前 ( まへ )に 一道 ( ひとすぢ )づゝの 流 ( ながれ )あり、 末 ( すゑ )は 魚野川 ( うをのかは )へ落る、 三伏 ( さんふく )の 旱 ( ひでり )にも 乾 ( かわ )く事なき 清流水 ( せいりうすゐ )也。 ゆゑに 家毎 ( いへごと )に 此 ( この ) 流 ( ながれ )を 以 ( もつ )て 井水 ( ゐすゐ )の 代 ( かは )りとし、しかも 桶 ( をけ )にても 汲 ( くむ )べき 流 ( ながれ )なれば、平日の 便利 ( べんり )井戸よりもはるかに 勝 ( まされ )り。 しかるに 初雪 ( しよせつ )の 後 ( のち )十月のころまでにこの 二条 ( ふたすぢ )の 小流 ( こながれ )雪の 為 ( ため )に 降埋 ( ふりうめ )られ、流水は雪の下にあり、 故 ( ゆゑ )に 家毎 ( いへごと )に 汲 ( くむ )べき 程 ( ほど )に雪を 穿 ( うがち )て 水用 ( すゐよう )を弁ず。 この 穿 ( うがち )たる所も一夜の雪に 埋 ( うづめ )らるゝことあれば 再 ( ふたゝび )うがつ事 屡 ( しば/\ )なり。 人家 ( じんか )にちかき 流 ( ながれ )さへかくのごとくなれば、この二 条 ( すぢ )の 流 ( ながれ )の 水源 ( みなかみ )も雪に 埋 ( うづも )れ、 水用 ( すゐよう )を 失 ( うしの )ふのみならず水あがりの 懼 ( おそれ )あるゆゑ、 所 ( ところ )の人 力 ( ちから )を 併 ( あはせ )て流のかゝり口の雪を 穿 ( うがつ )事なり。 されども 人毎 ( ひとごと )に 業用 ( げふよう )にさゝへて時を 失 ( うしな )ふか、又は一夜の大雪にかの 水源 ( すゐげん )を 塞 ( ふさ )ぐ時は、水 溢 ( あぶれ )て 低 ( ひくき )所を 尋 ( たづね )て 流 ( なが )る。 駅中 ( えきちゆう )は人の 往来 ( ゆきゝ )の 為 ( ため )に雪を 蹈 ( ふみ )へして 低 ( ひくき )ゆゑ、 流水 ( りうすゐ ) 漲 ( みなぎ )り 来 ( きた )り 猶 ( なほ )も 溢 ( あぶれ )て人家に入り、 水難 ( すゐなん )に 逢 ( あ )ふ事 前 ( まへ )にいへるがごとし。 幾 ( いく )百人の力を 尽 ( つく )して 水道 ( すゐだう )をひらかざれば、 家財 ( かざい )を 流 ( なが )し 或 ( あるひ )は 溺死 ( できし )におよぶもあり。 雪いまだ 消 ( きえ )ず、山々はさら也 田圃 ( たはた )も 渺々 ( べう/\ )たる 曠平 ( くわうへい )の 雪面 ( せつめん )なれば、 枝川 ( えだかは )は雪に 埋 ( うづも )れ水は雪の下を流れ、大河といへども冬の初より 岸 ( きし )の水まづ 氷 ( こほ )りて氷の上に雪をつもらせ、つもる雪もおなじく氷りて岩のごとく、 岸 ( きし )の氷りたる 端 ( はし ) 次第 ( しだい )に雪ふりつもり、のちには 両岸 ( りやうがん )の雪 相合 ( あひがつ )して 陸地 ( りくち )とおなじ雪の地となる。 さて春を 迎 ( むか )へて寒気次第に 和 ( やは )らぎ、その年の 暖気 ( だんき )につれて雪も 降止 ( ふりやみ )たる二月の 頃 ( ころ )、 水気 ( すゐき )は 地気 ( ちき )よりも 寒暖 ( かんだん )を 知 ( し )る事はやきものゆゑ、かの 水面 ( すゐめん )に 積 ( つも )りたる雪 下 ( した )より 解 ( とけ )て 凍 ( こほ )りたる雪の力も水にちかきは 弱 ( よわ )くなり、 流 ( ながれ )は雪に 塞 ( ふさが )れて 狭 ( せま )くなりたるゆゑ 水勢 ( すゐせい )ます/\ 烈 ( はげ )しく、 陽気 ( やうき )を 得 ( え )て雪の 軟 ( やはらか )なる下を 潜 ( くゞ )り、 堤 ( つゝみ )のきるゝがごとく、 譬 ( たとへ )にいふ 寝耳 ( ねみゝ )に水の 災難 ( さいなん )にあふ事、雪中の 洪水 ( こうずゐ )寒国の 艱難 ( かんなん )、 暖地 ( だんち )の人 憐 ( あはれみ )給へかし。 右は其一をいふのみ。 詳 ( つまびらか )には 弁 ( べん )じがたし。 越後の西北は 大洋 ( おほうみ )に 対 ( たい )して 高山 ( かうざん )なし。 東南は 連山 ( れんざん ) 巍々 ( ぎゝ )として越中上信奥羽の五か国に 跨 ( またが )り、 重岳 ( ちようがく ) 高嶺 ( かうれい ) 肩 ( かた )を 並 ( なら )べて 数 ( す )十里をなすゆゑ大小の 獣 ( けもの ) 甚 ( はなはだ ) 多 ( おほ )し。 此 獣 ( けもの )雪を 避 ( さけ )て他国へ去るもありさらざるもあり、 動 ( うごか )ずして雪中に 穴居 ( けつきよ )するは 熊 ( くま )のみ也。 熊胆 ( くまのい )は越後を上 品 ( ひん )とす、雪中の熊胆はことさらに 価 ( あたひ ) 貴 ( たつと )し。 其 重価 ( ちようくわ )を 得 ( え )んと 欲 ( ほつ )して 春暖 ( しゆんだん )を 得 ( え )て雪の 降止 ( ふりやみ )たるころ、 出羽 ( では )あたりの 猟師 ( れふし )ども五七人心を合せ、三四疋の 猛犬 ( まうけん )を 牽 ( ひ )き米と 塩 ( しほ )と 鍋 ( なべ )を 貯 ( たくは )へ、水と 薪 ( たきゞ )は山中 在 ( あ )るに 随 ( したがつ )て用をなし、山より山を 越 ( こえ )、 昼 ( ひる )は 猟 ( かり )して 獣 ( けもの )を 食 ( しよく )とし、夜は 樹根 ( きのね ) 岩窟 ( がんくつ )を 寝所 ( ねどころ )となし、 生木 ( なまき )を 焼 ( たい )て 寒 ( さむさ )を 凌 ( しのぎ ) 且 ( かつ ) 明 ( あかし )となし、 着 ( き )たまゝにて 寝臥 ( ねふし )をなす。 遠 ( とほ )く 視 ( み )れば 猿 ( さる )にして 顔 ( かほ )は人也。 金革 ( きんかく )を 衽 ( しきね )にすとはかゝる人をやいふべき。 此 者 ( もの )らが 志 ( こゝろざす )所は我国の熊にあり。 さて我山中に入り 場所 ( ばしよ )よきを 見立 ( みたて )、木の 枝 ( えだ ) 藤蔓 ( ふぢつる )を以て 仮 ( かり )に 小屋 ( こや )を作りこれを 居所 ( ゐどころ )となし、おの/\犬を 牽 ( ひき )四方に 別 ( わかれ )て熊を 窺 ( うかゞ )ふ。 熊の 穴居 ( こもり )たる所を 認 ( みつくれ )ば 目幟 ( めじるし )をのこして小屋にかへり、一 連 ( れん )の力を 併 ( あはせ )てこれを 捕 ( と )る。 その 道具 ( だうぐ )は 柄 ( え )の長さ四尺斗りの 手槍 ( てやり )、 或 ( あるひ )は 山刀 ( やまがたな )を 薙刀 ( なぎなた )のごとくに作りたるもの、 銕炮 ( てつはう )山刀 斧 ( をの )の 類 ( るゐ )也。 刃 ( は ) 鈍 ( にぶ )る時は 貯 ( たくは )へたる 砥 ( と )をもつて 自 ( みづから ) 研 ( と )ぐ。 此 道具 ( だうぐ )も 獣 ( けもの )の 皮 ( かは )を以て 鞘 ( さや )となす。 此者ら春にもかぎらず冬より山に入るをりもあり。 そも/\ 熊 ( くま )は 和獣 ( わじう )の王、 猛 ( たけ )くして 義 ( ぎ )を 知 ( し )る。 菓木 ( このみ )の 皮虫 ( かはむし )のるゐを 食 ( しよく )として 同類 ( どうるゐ )の 獣 ( けもの )を 喰 ( くらは )ず、 田圃 ( たはた )を 荒 ( あらさ )ず、 稀 ( まれ )に 荒 ( あら )すは 食 ( しよく )の 尽 ( つき )たる時也。 詩経 ( しきやう )には 男子 ( だんし )の 祥 ( しやう )とし、或は 六雄将軍 ( りくゆうしやうぐん )の名を 得 ( え )たるも 義獣 ( ぎじう )なればなるべし。 牝牡 ( めすをす ) 同 ( おなじ )く 穴 ( あな )に 蟄 ( こも )らず、 牝 ( めす )の子あるは子とおなじくこもる。 其 蔵蟄 ( あなごもり )する所は大木の 雪頽 ( なだれ )に 倒 ( たふ )れて 朽 ( くち )たる 洞 ( うろ ) (なだれの事下にしるす)又は 岩間 ( いはのあひ ) 土穴 ( つちあな )、かれが心に 随 ( したがつ )て 居 ( を )る処さだめがたし。 雪中の熊は右のごとく 他食 ( たしよく )を 求 ( もとめ )ざるゆゑ、その 胆 ( きも )の 良功 ( りやうこう )ある事夏の胆に 比 ( くらぶ )れば百 倍 ( ばい )也。 琥珀 ( こはく )を上 品 ( ひん )とし、黒胆を下品とす。 偽物 ( ぎぶつ )は黒胆に多し。 かれが 居 ( をる )所の 地理 ( ちり )にしたがつて 捕得 ( とりえ )やすき術をほどこす。 熊は秋の土用より 穴 ( あな )に入り、春の土用に穴より 出 ( いづ )るといふ。 又一 説 ( せつ )に、穴に入りてより穴を出るまで 一睡 ( ひとねむり )にねむるといふ、人の 視 ( み )ざるところなれば 信 ( しん )じがたし。 沫雪 ( あわゆき )の 条 ( くだり )にいへるごとく、冬の雪は 軟 ( やはら )にして 足場 ( あしば )あしきゆゑ、熊を 捕 ( とる )は雪の 凍 ( こほり )たる春の土用まへ、かれが穴よりいでんとする 頃 ( ころ )を 程 ( ほど )よき 時節 ( じせつ )とする也。 岩壁 ( がんへき )の 裾 ( すそ )又は 大樹 ( たいじゆ )の 根 ( ね )などに 蔵蟄 ( あなごもり )たるを 捕 ( とる )には 圧 ( おし )といふ 術 ( じゆつ )を 用 ( もち )ふ、 天井釣 ( てんじやうづり )ともいふ。 その 制作 ( しかた )は木の 枝 ( えだ ) 藤 ( ふぢ )の 蔓 ( つる )にて穴に 倚掛 ( よせかけ )て 棚 ( たな )を 作 ( つく )り、たなの 端 ( はし )は 地 ( ち )に付て 杭 ( くひ )を以てこれを 縛 ( しば )り、たなの横木に 柱 ( はしら )ありて 棚 ( たな )の上に大石を 積 ( つみ )ならべ、横木より 縄 ( なは )を下し縄に 輪 ( わ )を 結 ( むす )びて 穴 ( あな )に 臨 ( のぞま )す、これを 蹴綱 ( けづな )といふ。 此蹴綱に 転機 ( しかけ )あり、 全 ( まつた )く 作 ( つく )りをはりてのち、穴にのぞんで 玉蜀烟艸 ( たうがらしたばこ )の 茎 ( くき )のるゐ 熊 ( くま )の 悪 ( にく )む物を 焚 ( たき )、しきりに 扇 ( あふぎ )て 烟 ( けふり )を穴に入るれば熊烟りに 噎 ( むせ )て大に 怒 ( いか )り、穴を飛出る時かならずかの 蹴綱 ( けづな )に 触 ( ふる )れば 転機 ( しかけ )にて 棚 ( たな ) 落 ( おち )て熊大石の下に 死 ( し )す。 手を 下 ( くだ )さずして熊を 捕 ( とる )の上 術 ( じゆつ )也。 是は熊の 居所 ( ゐどころ )による也。 これらは 樵夫 ( せうふ )も 折 ( をり )によりてはする事也。 又 熊捕 ( くまとり )の 場数 ( ばかず )を 蹈 ( ふみ )たる 剛勇 ( がうゆう )の者は一 連 ( れん )の 猟師 ( れふし )を熊の 居 ( を )る穴の前に 待 ( また )せ、 己 ( おのれ )一人 ひろゝ 簑 ( みの )を 頭 ( かしら )より 被 ( かぶり )り ( ひろゝは山にある艸の名也、みのに作れば稿よりかろし、猟師常にこれを用ふ)穴にそろ/\と 這 ( はひ )入り、熊に 簑 ( みの )の毛を 触 ( ふる )れば熊はみのゝ毛を 嫌 ( きら )ふものゆゑ 除 ( よけ )て前にすゝむ。 又 後 ( しりへ )よりみの毛を 障 ( さはら )す、熊又まへにすゝむ。 又さはり又すゝんで熊 終 ( つひ )には穴の口にいたる。 これを 視 ( み )て 待 ( まち )かまへたる 猟師 ( れふし )ども 手練 ( しゆれん )の 槍尖 ( やりさき )にかけて 突留 ( つきとむ )る。 一槍 ( ひとやり ) 失 ( あやまつ )ときは熊の 一掻 ( ひとかき )に一 命 ( めい )を 失 ( うしな )ふ。 その 危 ( あやふき )を 蹈 ( ふん )で熊を捕は 僅 ( わづか )の 黄金 ( かね )の 為 ( ため )也。 金慾 ( きんよく )の人を 過 ( あやまつ )事 色慾 ( しきよく )よりも 甚 ( はなはだ )し。 されば 黄金 ( わうごん )は 道 ( みち )を以て 得 ( う )べし、不道をもつて 得 ( う )べからず。 又上に 覆 ( おほ )ふ所ありてその下には雪のつもらざるを知り土穴を 掘 ( ほり )て 蟄 ( こも )るもあり。 然 ( しか )れどもこゝにも雪三五尺は 吹積 ( ふきつもる )也。 熊の穴ある所の雪にはかならず 細孔 ( ほそきあな )ありて 管 ( くだ )のごとし。 これ熊の 気息 ( いき )にて雪の 解 ( とけ )たる 孔 ( あな )也。 猟師 ( れふし )これを見れば雪を掘て穴をあらはし、木の 枝 ( えだ ) 柴 ( しば )のるゐを穴に 挿 ( さし )入れば熊これを 掻 ( かき )とりて穴に入るゝ、かくする事しば/\なれば穴 逼 ( つま )りて熊穴の口にいづる時槍にかくる。 突 ( つき )たりと見れば 数疋 ( すひき )の 猛犬 ( つよいぬ )いちどに飛かゝりて 囓 ( かみ )つく。 犬は人を力とし、人は犬を力として 殺 ( ころす )もあり。 此術は 椌 ( うつほ )木にこもりたるにもする事也。 熊の 黒 ( くろき )は雪の白がごとく 天然 ( てんねん )の常なれども、 天公 ( てんこう ) 機 ( き )を 転 ( てん )じて 白熊 ( はくいう )を出せり。 よく人に 馴 ( なれ )てはなはだ 愛 ( あいす )べきもの也。 こゝかしこに持あるきしがその 終 ( をはり )をしらず。 白亀の 改元 ( かいげん )、 白鳥 ( しらとり )の 神瑞 ( しんずゐ )、八幡の 鳩 ( はと )、源家の 旗 ( はた )、すべて白きは 皇国 ( みくに )の 祥象 ( しやうせう )なれば、 天機 ( てんき ) 白熊 ( はくいう )をいだししも 昇平万歳 ( しようへいばんぜい )の吉 瑞 ( ずゐ )成べし。 人熊の穴に 墜 ( おちいり )て熊に助られしといふ 話 ( はなし ) 諸書 ( しよしよ )に 散見 ( さんけん )すれども、其 実地 ( じつち )をふみたる人の 語 ( かた )りしは 珍 ( めづらし )ければこゝに 記 ( しる )す。 頃 ( ころ )は夏なりしゆゑ 客舎 ( やどりしいへ )の 庭 ( には )の 木 ( こ )かげに 筵 ( むしろ )をしきて 納涼 ( すゞみ )居しに、 主人 ( あるじ )は酒を 好 ( この )む人にて 酒肴 ( しゆかう )をこゝに開き、 余 ( よ )は酒をば 嗜 ( すか )ざるゆゑ茶を 喫 ( のみ )て居たりしに、 一老夫 ( いちらうふ )こゝに来り主人を 視 ( み )て 拱手 ( てをさげ )て礼をなし 後園 ( うらのかた )へ行んとせしを、 主 ( あるじ ) 呼 ( よび )とめ 老 ( らう )夫を 指 ( ゆびさし )ていふやう、此 叟父 ( おやぢ )は 壮年時 ( わかきとき )熊に助られたる人也、 危 ( あやふ )き 命 ( いのち )をたすかり今年八十二まで 健 ( すこやか )に 長生 ( ながいき )するは 可賀 ( めでたき )老人也、 識面 ( ちかづき )になり給へといふ。 老夫 莞爾 ( にこり )として 再 ( ふたゝび ) 去 ( さら )んとす。 さて是より熊の 話 ( はなし )也、今一盃たまはるべしとて 自 ( みづから ) 酌 ( つぎ )てしきりに 喫 ( のみ )、 腰 ( こし )より 烟艸 ( たばこいれ )をいだして 烟 ( たばこ )を 吹 ( のみ )などするゆゑ、其 次 ( つぎ )はいかにとたづねければ、 老父 ( らうふ ) 曰 ( いはく )、さて 傍 ( かたはら )を見れば 潜 ( くゞる )べきほどの 岩窟 ( いはあな )あり、中には雪もなきゆゑはひりて見るにすこし 温 ( あたゝか )也。 此時こゝろづきて腰をさぐりみるに 握飯 ( にぎりめし )の 弁当 ( べんたう )もいつかおとしたり、かくては 飢死 ( うゑじに )すべし、さりながら雪を 喰 ( くらひ )ても五日や十日は命あるべし、その内には 雪車哥 ( そりうた )の 声 ( こゑ )さへ 聞 ( きこゆ )れば村の者也、大声あげて 叫 ( よば )らば 助 ( たすけ )くれべし、それにつけてもお伊勢さまと善光寺さまをおたのみ申よりほかなしと、しきりに念仏 唱 ( とな )へ、大神宮をいのり日もくれかゝりしゆゑ、こゝを 寝所 ( ねどころ )にせばやと 闇地 ( くらがり )を 探 ( さぐ )り/\ 這 ( は )入りて見るに 次第 ( しだい )に 温 ( あたゝか )也。 猶 ( なほ )も 探 ( さぐ )りし 手先 ( てさき )に 障 ( さはり )しは 正 ( まさ )しく熊也。 しきりになめたれば心 爽 ( さはやか )になり 咽 ( のど )も 潤 ( うるほ )ひしに、熊は 鼻息 ( はないき )を 鳴 ( なら )して 寝 ( ねいる )やう也。 さては我を 助 ( たすく )るならんと心大におちつき、のちは熊と 脊 ( せなか )をならべて 臥 ( ふし )しが宿の事をのみおもひて 眠気 ( ねむけ )もつかず、おもひ/\てのちはいつか 寝入 ( ねいり )たり。 かくて熊の 身動 ( みうごき )をしたるに目さめてみれば、穴の口見ゆるゆゑ夜の 明 ( あけ )たるをしり、穴をはひいで、もしやかへるべき道もあるか、山にのぼるべき 藤 ( ふぢ )づるにてもあるかとあちこち見れどもなし、熊も穴をいでゝ 滝壺 ( たきつぼ )にいたり水をのみし時はじめて熊を見れば、犬を七ツもよせたるほどの大熊也。 又もとの 窟 ( あな )へはいりしゆゑ 我 ( わし )は 窟 ( あな )の口に 居 ( ゐ )て 雪車哥 ( そりうた )のこゑやすらんと 耳 ( みゝ )を 澄 ( すま )して 聞居 ( きゝゐ )たりしが、滝の音のみにて鳥の 音 ( ね )もきかず、その日もむなしく 暮 ( くれ )て又穴に一夜をあかし、熊の 掌 ( て )に 飢 ( うゑ )をしのぎ、 幾日 ( いくか )たちても哥はきかず、その心 細 ( ほそ )き事いはんかたなし。 されど熊は 次第 ( しだい )に 馴 ( なれ ) 可愛 ( かあいく )なりしと語るうち、主人は 微酔 ( ほろゑひ )にて 老夫 ( らうふ )にむかひ、其熊は 牝 ( め )熊ではなかりしかと三人大ひに笑ひ、又酒をのませ盃の 献酬 ( やりとり )にしばらく 話消 ( はなしきえ )けるゆゑ 強 ( しひ )て 下回 ( そのつぎ )をたづねければ、 老夫 ( らうふ ) 曰 ( いはく )、人の心は物にふれてかはるもの也、はじめ熊に 逢 ( あひ )し時はもはや 死地 ( こゝでしす )事と 覚悟 ( かくご )をばきはめ命も 惜 ( をし )くなかりしが、熊に 助 ( たすけ )られてのちは 次第 ( しだい )に命がをしくなり、 助 ( たすく )る人はなくとも雪さへ 消 ( きえ )なば 木根 ( きのね ) 岩角 ( いはかど )に 縋 ( とりつき )てなりと宿へかへらんと、雪のきゆるをのみまちわび幾日といふ日さへ 忘 ( わすれ )て 虚々 ( うか/\ )くらししが、熊は 飼犬 ( かひいぬ )のやうになりてはじめて人間の 貴 ( たふとき )事を 知 ( し )り、 谷間 ( たにあひ )ゆゑ雪のきゆるも里よりは 遅 ( おそ )くたゞ日のたつをのみうれしくありしに、 一日 ( あるひ ) 窟 ( あな )の口の日のあたる所に 虱 ( しらみ )を 捫 ( とり )て 居 ( ゐ )たりし時、熊 窟 ( あな )よりいで袖を 咥 ( くはへ )て引しゆゑ、いかにするかと引れゆきしにはじめ 濘落 ( すべりおち )たるほとりにいたり、熊 前 ( さき )にすゝみて 自在 ( じざい )に雪を 掻掘 ( かきほり ) 一道 ( ひとすぢ )の 途 ( みち )をひらく、 何方 ( いづく )までもとしたがひゆけば又 途 ( みち )をひらき/\て人の 足跡 ( あしあと )ある所にいたり、熊 四方 ( しはう )を 顧 ( かへりみ )て 走 ( はし )り 去 ( さり )て行方しれず。 さては我を 導 ( みちびき )たる也と熊の 去 ( さり )し方を 遥拝 ( ふしをがみ )かず/\礼をのべ、これまつたく神仏の 御蔭 ( おかげ )ぞとお伊勢さま 善光寺 ( ぜんくわうじ )さまを 遥拝 ( ふしをがみ )うれしくて足の 蹈所 ( ふみど )もしらず、 火点頃 ( ひとぼしころ )宿へかへりしに、此時近所の人々あつまり念仏申てゐたり。 両親はじめ 驚愕 ( びつくり )せられ 幽 ( いうれい )ならんとて立さわぐ。 そのはづ也。 月代 ( さかやき )は 簑 ( みの )のやうにのび 面 ( つら )は狐のやうに 痩 ( やせ )たり、幽 とて立さわぎしものちは笑となりて、両親はさら也人々もよろこび、薪とりにいでし四十九日目の 待夜 ( たいや )也とていとなみたる 仏 ( ぶつじ )も 俄 ( にはか )にめでたき 酒宴 ( さかもり )となりしと 仔細 ( こまか )に 語 ( かた )りしは、九右エ門といひし 小間居 ( こまゐ )の 農夫 ( ひやくしやう )也き。 其夜 燈下 ( ともしびのもと )に筆をとりて語りしまゝを 記 ( しる )しおきしが、今はむかしとなりけり。 唐土 ( もろこし ) 蜀 ( しよく )の 峨眉山 ( がびさん )には夏も 積雪 ( つもりたるゆき )あり。 其雪の 中 ( なか )に 雪蛆 ( せつじよ )といふ虫ある事 山海経 ( さんがいきやう )に見えたり。 ( 唐土 ( もろこし )の書)此 節 ( せつ ) 空 ( むなし )からず、越後の雪中にも 雪蛆 ( せつじよ )あり、此虫早春の頃より雪中に 生 ( しやう )じ雪 消終 ( きえをはれ )ば虫も 消終 ( きえをは )る、 始終 ( ししゆう )の 死生 ( しせい )を雪と 同 ( おなじ )うす。 字書 ( じしよ )を 按 ( あんずる )に、 蛆 ( じよ )は 腐中 ( ふちゆう )の 蠅 ( はへ )とあれば 所謂 ( いはゆる ) 蛆蠅 ( うじばへ )也。 木火土金水 ( もくくわどごんすゐ )の五行中皆虫を 生 ( しやう )ず、木の虫土の虫水の虫は 常 ( つね )に見る所めづらしからず。 蠅 ( はへ )は 灰 ( はひ )より 生 ( しやう )ず、灰は火の 燼末 ( もえたこな )也、しかれば蠅は火の虫也。 蠅 ( はへ )を 殺 ( ころ )して 形 ( かたち )あるもの 灰中 ( はひのなか )におけば 蘇 ( よみがへる )也。 又 虱 ( しらみ )は人の 熱 ( ねつ )より 生 ( しやう )ず、 熱 ( ねつ )は火也、火より生たる虫ゆゑに 蠅 ( はへ )も 虱 ( しらみ )も 共 ( とも )に 暖 ( あたゝか )なるをこのむ。 金中 ( かねのなか )の虫は 肉眼 ( ひとのめ )におよばざる 冥塵 ( ほこり )のごとき虫ゆゑに人これをしらず。 およそ 銅銕 ( どうてつ )の 腐 ( くさる )はじめは虫を 生 ( しやう )ず、虫の生じたる 所 ( ところ ) 色 ( いろ )を 変 ( へん )ず。 しば/\これを 拭 ( ぬぐへ )ば虫をころすゆゑ 其所 ( そのところ ) 腐 ( くさら )ず。 錆 ( さびる )は 腐 ( くさる )の 始 ( はじめ )、 錆 ( さび )の中かならず虫あり、 肉眼 ( にくがん )におよばざるゆゑ人しらざる也。 (蘭人の説也)金中 猶 ( なほ ) 虫 ( むし )あり、雪中虫 無 ( なから )んや。 しかれども常をなさゞれば 奇 ( き )とし 妙 ( めう )として 唐土 ( もろこし )の 書 ( しよ )にも 記 ( しる )せり。 我越後の 雪蛆 ( せつじよ )はちひさき事 蚊 ( か )の 如 ( ごと )し。 此虫は二 種 ( しゆ )あり、一ツは 翼 ( はね )ありて 飛行 ( とびあるき )、一ツははねあれども 蔵 ( おさめ )て 行 ( はひありく )。 共に足六ツあり、色は 蠅 ( はへ )に 似 ( に )て 淡 ( うす )く (一は黒し)其 居 ( を )る所は 市中原野 ( しちゆうげんや ) 蚊 ( か )におなじ。 しかれども人を 螫 ( さす )むしにはあらず、 顕微鏡 ( むしめがね )にて 視 ( み )たる所をこゝに 図 ( づ )して 物産家 ( ぶつさんか )の 説 ( せつ )を 俟 ( ま )つ。 雪吹 ( ふゞき )は 樹 ( き )などに 積 ( つも )りたる雪の風に 散乱 ( さんらん )するをいふ。 其状 ( そのすがた ) 優美 ( やさしき )ものゆゑ花のちるを是に 比 ( ひ )して 花雪吹 ( はなふゞき )といひて 古哥 ( こか )にもあまた見えたり。 是 ( これ )東南 寸雪 ( すんせつ )の国の事也、北方 丈雪 ( ぢやうせつ )の国我が越後の雪 深 ( ふかき )ところの雪吹は雪中の 暴風 ( はやて )雪を 巻騰 ( まきあぐる ) ( つぢかぜ )也。 雪中第一の 難義 ( なんぎ )これがために死する人年々也。 その一ツを 挙 ( あげ )てこゝに 記 ( しる )し、 寸雪 ( すんせつ )の 雪吹 ( ふゞき )のやさしきを 観 ( みる )人の 為 ( ため )に 丈雪 ( ぢやうせつ )の雪吹の 愕 ( おそろしき )を 示 ( しめ )す。 余 ( よ )が 住 ( すむ ) 塩沢 ( しほさは )に 遠 ( とほ )からざる村の 農夫 ( のうふ ) 男 ( せがれ )一人あり、 篤実 ( とくじつ )にして 善 ( よく ) 親 ( おや )に 仕 ( つか )ふ。 廿二歳の冬、二里あまり 隔 ( へだて )たる村より十九歳の 娵 ( よめ )をむかへしに、 容姿 ( すがた ) 憎 ( にく )からず 生質 ( うまれつき ) 柔従 ( やはらか )にて、 糸織 ( いとはた )の 伎 ( わざ )にも 怜利 ( かしこ )ければ 舅 ( しうと ) 姑 ( しうとめ )も 可愛 ( かあい )がり、 夫婦 ( ふうふ )の中も 睦 ( むつまし )く 家内 ( かない ) 可祝 ( めでたく )春をむかへ、其年九月のはじめ 安産 ( あんざん )してしかも男子なりければ、 掌中 ( てのうち )に 珠 ( たま )を 得 ( え )たる 心地 ( こゝち )にて 家内 ( かない ) 悦 ( よろこ )びいさみ、 産婦 ( さんふ )も 健 ( すこやか )に 肥立 ( ひだち ) 乳汁 ( ちゝ )も一子に 余 ( あま )るほどなれば 小児 ( せうに )も 肥太 ( こえふと )り 可賀名 ( めでたきな )をつけて 千歳 ( ちとせ )を 寿 ( ことぶき )けり。 此一家 ( このいつか )の 者 ( もの )すべて 篤実 ( とくじつ )なれば 耕織 ( かうしよく )を 勤行 ( よくつとめ )、 小農夫 ( こびやくしやう )なれども 貧 ( まづし )からず、 善男 ( よきせがれ )をもち 良娵 ( よきよめ )をむかへ 好孫 ( よきまご )をまうけたりとて一 村 ( そん )の人々 常 ( つね )に 羨 ( うらやみ )けり。 かゝる 善人 ( ぜんにん )の 家 ( いへ )に天 災 ( わざはひ )を 下 ( くだ )ししは 如何 ( いかん )ぞや。 舅 ( しうと ) 旁 ( かたはら )にありて、そはよき事也 男 ( せがれ )も行べし、 実母 ( ばゝどの )へも 孫 ( まご )を見せてよろこばせ 夫婦 ( ふうふ )して 自慢 ( じまん )せよといふ。 娵 ( よめ )はうちゑみつゝ 姑 ( しうとめ )にかくといへば、姑は 俄 ( にはか )に 土産 ( みやげ )など取そろへる 間 ( うち )に 娵 ( よめ ) 髪 ( かみ )をゆひなどして 嗜 ( たしなみ )の 衣類 ( いるゐ )を 着 ( ちやく )し、 綿入 ( わたいれ )の 木綿帽子 ( もめんばうし )も 寒国 ( かんこく )の 習 ( ならひ )とて見にくからず、 児 ( こ )を 懐 ( ふところ )にいだき入んとするに 姑 ( しうとめ ) 旁 ( かたはら )よりよく 乳 ( ち )を 呑 ( のま )せていだきいれよ、 途 ( みち )にてはねんねがのみにくからんと 一言 ( ひとこと )の 詞 ( ことば )にも 孫 ( まご )を 愛 ( あい )する 情 ( こゝろ )ぞしられける。 夫 ( をつと )は 蓑笠 ( みのかさ ) 稿脚衣 ( わらはゞき )すんべを 穿 ( はき ) ( 晴天 ( せいてん )にも 簑 ( みの )を 着 ( きる )は雪中 農夫 ( のうふ )の常也) 土産物 ( みやげもの )を 軽荷 ( かるきに )に 担 ( にな )ひ、 両親 ( ふたおや )に 暇乞 ( いとまごひ )をなし 夫婦 ( ふうふ ) 袂 ( たもと )をつらね 喜躍 ( よろこびいさみ )て 立出 ( たちいで )けり。 正是 ( これぞ ) 親子 ( おやこ )が 一世 ( いつせ )の 別 ( わか )れ、 後 ( のち )の 悲歎 ( なげき )とはなりけり。 をつとつまにいふ、 今日 ( けふ )は 頃日 ( このごろ )の 日和 ( ひより )也、よくこそおもひたちたれ。 今日 ( けふ ) 夫婦 ( ふうふ ) 孫 ( まご )をつれて 来 ( きた )るべしとは 親 ( おや )たちはしられ玉ふまじ。 孫 ( まご )の 顔 ( かほ )を見玉はゞさぞかしよろこび給ふらん。 さればに候、 父翁 ( とつさま )はいつぞや 来 ( きた )られしが 母人 ( かさま )はいまだ 赤子 ( ねんね )を見給はざるゆゑことさらの 喜悦 ( よろこび )ならん。 遅 ( おそく )ならば 一宿 ( とまり )てもよからんか、 郎 ( おまへ )も 宿 ( とまり )給へ。 朗々 ( のどか )なりしも 掌 ( てのひら )をかへすがごとく 天 ( てん ) 怒 ( いかり ) 地 ( ち ) 狂 ( くるひ )、寒風は 肌 ( はだへ )を 貫 ( つらぬく )の 鎗 ( やり )、 凍雪 ( とうせつ )は 身 ( み )を 射 ( いる )の 箭 ( や )也。 夫 ( をつと )は 簑笠 ( みのかさ )を吹とられ、 妻 ( つま )は 帽子 ( ばうし )を 吹 ( ふき )ちぎられ、 髪 ( かみ )も吹みだされ、 咄嗟 ( あはや )といふ 間 ( ま )に 眼口 ( めくち ) 襟袖 ( えりそで )はさら也、 裾 ( すそ )へも雪を吹いれ、 全身 ( ぜんしん ) 凍 ( こゞえ ) 呼吸 ( こきう ) 迫 ( せま )り 半身 ( はんしん )は 已 ( すで )に雪に 埋 ( う )められしが、 命 ( いのち )のかぎりなれば 夫婦 ( ふうふ ) 声 ( こゑ )をあげほうい/\と 哭叫 ( なきさけべ )ども、 往来 ( ゆきゝ )の人もなく 人家 ( じんか )にも 遠 ( とほ )ければ 助 ( たすく )る人なく、手足 凍 ( こゞへ )て 枯木 ( かれき )のごとく 暴風 ( ばうふう )に 吹僵 ( ふきたふさ )れ、 夫婦 ( ふうふ ) 頭 ( かしら )を 並 ( ならべ )て雪中に 倒 ( たふ )れ 死 ( しゝ )けり。 此 雪吹 ( ふゞき )其日の 暮 ( くれ )に 止 ( やみ )、 次日 ( つぎのひ )は 晴天 ( せいてん )なりければ 近村 ( きんそん )の者四五人此所を 通 ( とほ )りかゝりしに、かの 死骸 ( しがい )は 雪吹 ( ふゞき )に 埋 ( うづめ )られて見えざれども 赤子 ( あかご )の 啼声 ( なくこゑ )を雪の中にきゝければ、人々大に 怪 ( あやし )みおそれて 逃 ( にげ )んとするも 在 ( あり )しが、 剛気 ( がうき )の者雪を 掘 ( ほり )てみるに、まづ女の 髪 ( かみ )の 毛 ( け )雪中に 顕 ( あらはれ )たり。 扨 ( さて )は 昨日 ( きのふ )の 雪吹倒 ( ふゞきたふ )れならん (里言にいふ所)とて皆あつまりて雪を 掘 ( ほり )、 死骸 ( しがい )を見るに 夫婦 ( ふうふ ) 手 ( て )を 引 ( ひき )あひて 死居 ( しゝゐ )たり。 児 ( こ )は母の 懐 ( ふところ )にあり、母の袖 児 ( こ )の 頭 ( かしら )を 覆 ( おほ )ひたれば 児 ( こ )は 身 ( み )に雪をば 触 ( ふれ )ざるゆゑにや 凍死 ( こゞえしな )ず、 両親 ( ふたおや )の 死骸 ( しがい )の中にて又 声 ( こゑ )をあげてなきけり。 雪中の 死骸 ( しがい )なれば 生 ( いけ )るがごとく、 見知 ( みしり )たる者ありて 夫婦 ( ふうふ )なることをしり、 我児 ( わがこ )をいたはりて袖をおほひ夫婦手をはなさずして 死 ( しゝ )たる心のうちおもひやられて、さすがの 若者 ( わかもの )らも 泪 ( なみだ )をおとし、 児 ( こ )は 懐 ( ふところ )にいれ 死骸 ( しがい )は 簑 ( みの )につゝみ 夫 ( をつと )の 家 ( いへ )に 荷 ( にな )ひゆきけり。 かの 両親 ( ふたおや )は夫婦 娵 ( よめ )の家に 一宿 ( とまりし )とのみおもひをりしに、 死骸 ( しがい )を見て 一言 ( ひとこと )の 詞 ( ことば )もなく、 二人 ( ふたり )が 死骸 ( しがい )にとりつき 顔 ( かほ )にかほをおしあて大 声 ( こゑ )をあげて 哭 ( なき )けるは、見るも 憐 ( あはれ )のありさま也。 一人の男 懐 ( ふところ )より 児 ( こ )をいだして 姑 ( しうと )にわたしければ、 悲 ( かなしみ )と 喜 ( よろこび )と 両行 ( りやうかう )の 涙 ( なみだ )をおとしけるとぞ。 雪吹 ( ふゞき )の人を 殺 ( ころ )す事大方右に 類 ( るゐ )す。 暖地 ( だんち )の人花の 散 ( ちる )に 比 ( くらべ )て 美賞 ( びしやう )する 雪吹 ( ふゞき )と其 異 ( ことなる )こと、 潮干 ( しほひ )に 遊 ( あそ )びて 楽 ( たのしむ )と 洪濤 ( つなみ )に 溺 ( おぼれ )て 苦 ( くるしむ )との 如 ( ごと )し。 雪国の 難義 ( なんぎ ) 暖地 ( だんち )の人おもひはかるべし。 連日 ( れんじつ )の 晴天 ( せいてん )も一時に 変 ( へん )じて雪吹となるは雪中の常也。 其 力 ( ちから ) 樹 ( き )を 抜 ( ぬき ) 屋 ( いへ )を 折 ( くじく )。 人家これが 為 ( ため )に 苦 ( くるし )む事 枚挙 ( あげてかぞへ )がたし。 雪吹に 逢 ( あひ )たる時は雪を 掘 ( ほり )身を其内に 埋 ( うづむ )れば雪 暫時 ( ざんじ )につもり、雪中はかへつて 温 ( あたゝか )なる 気味 ( きみ )ありて 且 ( かつ ) 気息 ( いき )を 漏 ( もら )し死をまぬがるゝ事あり。 雪中を 歩 ( ほ )する人 陰嚢 ( いんのう )を 綿 ( わた )にてつゝむ事をす、しかせざれば 陰嚢 ( いんのう )まづ 凍 ( こほり )て 精気 ( せいき ) 尽 ( つく )る也。 又 凍死 ( こゞえしゝ )たるを 湯火 ( たうくわ )をもつて 温 ( あたゝむ )れば 助 ( たすか )る事あれども 武火 ( つよきひ ) 熱湯 ( あつきゆ )を 用 ( もち )ふべからず。 命 ( いのち )たすかりたるのち 春暖 ( しゆんだん )にいたれば 腫 ( はれ ) 病 ( やまひ )となり 良医 ( りやうい )も 治 ( ぢ )しがたし。 凍死 ( こゞえしゝ )たるはまづ 塩 ( しほ )を 熬 ( いり )て 布 ( ぬの )に 包 ( つゝみ )しば/\ 臍 ( へそ )をあたゝめ 稿火 ( わらび )の 弱 ( よわき )をもつて 次第 ( しだい )に 温 ( あたゝむ )べし、 助 ( たすか )りたるのち 病 ( やまひ )を 発 ( はつ )せず。 ( 人肌 ( ひとはだ )にて 温 ( あたゝ )むはもつともよし) 手足 ( てあし )の 凍 ( こゞえ )たるも 強 ( つよ )き 湯火 ( たうくわ )にてあたゝむれば、 陽気 ( やうき )いたれば 灼傷 ( やけど )のごとく 腫 ( はれ )、つひに 腐 ( くさり )て 指 ( ゆび )をおとす、百 薬 ( やく ) 功 ( こう )なし。 これ 我 ( わ )が見たる所を 記 ( しる )して人に 示 ( しめ )す。 人の 凍死 ( こゞえし )するも手足の 亀手 ( かゞまる )も 陰毒 ( いんどく )の 血脉 ( けちみやく )を 塞 ( ふさ )ぐの也。 俄 ( にはか )に 湯火 ( たうくわ )の 熱 ( ねつ )を以て 温 ( あたゝむ )れば 人精 ( じんせい )の 気血 ( きけつ )をたすけ、 陰毒 ( いんどく ) 一旦 ( いつたん )に 解 ( とく )るといへども 全 ( まつた )く 去 ( さら )ず、 陰 ( いん )は 陽 ( やう )に 勝 ( かた )ざるを以て 陽気 ( やうき ) 至 ( いたれ )ば 陰毒 ( いんどく ) 肉 ( にく )に 暈 ( しみ )て 腐 ( くさる )也。 寒中 雨雪 ( うせつ )に 歩行 ( ありき )て 冷 ( ひえ )たる人 急 ( きふ )に 湯火 ( たうくわ )を 用 ( もち )ふべからず。 己 ( おのれ )が 人熱 ( じんねつ )の 温 ( あたゝか )ならしむるをまつて用ふべし、 長生 ( ちやうせい )の一 術 ( じゆつ )なり。 世に越後の 七不思議 ( なゝふしぎ )と 称 ( しよう )する其一ツ 蒲原郡 ( かんばらこほり )妙法寺村の 農家 ( のうか ) 炉中 ( ろちゆう )の 隅 ( すみ ) 石臼 ( いしうす )の 孔 ( あな )より 出 ( いづ )る火、人 皆 ( みな ) 奇 ( き )也として 口碑 ( かうひ )につたへ 諸書 ( しよしよ )に 散見 ( さんけん )す。 此火寛文年中 始 ( はじめ )て 出 ( いで )しと 旧記 ( きうき )に見えたれば、三百余年の今において 絶 ( たゆ )る事なきは 奇中 ( きちゆう )の奇也。 天奇 ( てんき )を 出 ( いだ )す事一ならず、おなじ国の 魚沼郡 ( うおぬまこほり )に又一ツの 奇火 ( きくわ )を 出 ( いだ )せり。 天公 ( てんたうさま )の 機状 ( からくりのしかけ )かの妙法寺村の火とおなじ事也。 彼 ( かれ )は人の 知 ( し )る所、是は他国の人のしらざる所なればこゝに 記 ( しるし )て 話柄 ( はなしのたね )とす *3。 その中に一人の 童 ( わらべ ) 家 ( いへ )にかへり 事 ( こと )の 仔細 ( しさい )を 親 ( おや )に 語 ( かたり )けるに、 此親 ( このおや )心ある者にてその所にいたり火の 形状 ( かたち )を見るに、いまだ 消 ( きえ )ざる雪中に 手 ( て )を入るべきほどの 孔 ( あな )をなし 孔 ( あな )より三四寸の上に火 燃 ( もゆ )る。 熟覧 ( よく/\みて )おもへらく、これ 正 ( まさ )しく妙法寺村の火のるゐなるべしと 火口 ( ひぐち )に石を入れてこれを 消 ( け )し家にかへりて人に 語 ( かたら )ず、雪きえてのち 再 ( ふたゝび )その所にいたりて見るに火のもえたるはかの 小溝 ( こみぞ )の 岸 ( きし )也。 火燧 ( ひうち )をもて 発燭 ( つけぎ )に火を 点 ( てん )じ 試 ( こゝろみ )に池中に 投 ( なげ )いれしに、 池中 ( ちちゆう )火を 出 ( いだ )せし事 庭燎 ( にはび )のごとし。 水上に火 燃 ( もゆ )るは妙法寺村の火よりも 奇 ( き )也として 駅中 ( えきちゆう )の人々 来 ( きた )りてこれを 視 ( み )る。 そのゝち銭に 才 ( かしこき )人かの池のほとりに 混屋 ( ふろや )をつくり、 筧 ( かけひ )を以て水をとるがごとくして地中の火を引き 湯槽 ( ゆぶね )の 竈 ( かまど )に 燃 ( もや )し、又 燈火 ( ともしび )にも 代 ( かゆ )る。 此湯 硫黄 ( ゆわう )の気ありて 能 ( よく ) 疥癬 ( しつ )の 類 ( るゐ )を 治 ( ぢ )し、 一時 ( いちじ ) 流行 ( りうかう )して人群をなせり。 かるがゆゑに火脉は 甚 ( はなはだ ) 稀 ( まれ )也。 地中の火脉 凝結 ( こりむすぶ )ところかならず 気息 ( いき )を 出 ( いだ )す事人の気息のごとく、 肉眼 ( にくがん )には見えず。 火脉 ( くわみやく )の 気息 ( いき )に 人間 ( にんげん ) 日用 ( にちよう )の 陽火 ( ほんのひ )を 加 ( くはふ )ればもえて 焔 ( ほのほ )をなす、これを 陰火 ( いんくわ )といひ 寒火 ( かんくわ )といふ。 寒火を 引 ( ひく )に 筧 ( かけひ )の 筒 ( つゝ )の 焦 ( こげ )ざるは、火脉の気いまだ陽火をうけて火とならざる 気息 ( いき )ばかりなるゆゑ也。 陽火をうくれば筒の口より一二寸の上に火をなす、こゝを以て 火脉 ( くわみやく )の気息の 燃 ( もゆ )るを 知 ( し )るべし。 妙法寺村の火も是也。 是 余 ( よ )が 発明 ( はつめい )にあらず、 古書 ( こしよ )に 拠 ( より )て 考得 ( かんがへえ )たる所也。 *4 魚沼郡 ( うをぬまこほり ) 清水 ( しみづ )村の 奥 ( おく )に山あり、高さ一里あまり、 周囲 ( めぐり )も一里あまり也。 山中すべて大小の 破隙 ( われめ )あるを以て山の名とす。 山半 ( やまのなかば )は 老樹 ( らうじゆ ) 条 ( えだ )をつらね 半 ( なかば )より上は 岩石 ( がんぜき ) 畳々 ( でふ/\ )として 其形 ( そのかたち ) 竜躍 ( りようをどり ) 虎怒 ( とらいかる )がごとく 奇々怪々 ( きゝくわい/\ ) 言 ( いふ )べからず。 麓 ( ふもと )の左右に 渓川 ( たにがは )あり 合 ( がつ )して 滝 ( たき )をなす、 絶景 ( ぜつけい )又 言 ( いふ )べからず。 旱 ( ひでり )の時此 滝壺 ( たきつぼ )に ( あまこひ )すればかならず 験 ( しるし )あり。 一年 ( ひとゝせ )四月の 半 ( なかば )雪の 消 ( きえ )たる 頃 ( ころ )清水村の 農夫 ( のうふ )ら二十人あまり 集 ( あつま )り、 熊 ( くま )を 狩 ( から )んとて此山にのぼり、かの 破隙 ( われめ )の 窟 ( うろ )をなしたる所かならず熊の 住処 ( すみか )ならんと、 例 ( れい )の 番椒烟草 ( たうがらしたばこ )の 茎 ( くき )を 薪 ( たきゞ )に 交 ( まぜ )、 窟 ( うろ )にのぞんで 焚 ( たき )たてしに熊はさらに 出 ( いで )ず、 窟 ( うろ )の 深 ( ふかき )ゆゑに 烟 ( けふり )の 奥 ( おく )に 至 ( いた )らざるならんと 次日 ( つぎのひ )は 薪 ( たきゞ )を 増 ( ま )し山も 焼 ( やけ )よと 焚 ( たき )けるに、熊はいでずして一山の 破隙 ( われめ )こゝかしこより 烟 ( けふり )をいだして 雲 ( くも )の 起 ( おこる )が 如 ( ごと )くなりければ、 奇異 ( きい )のおもひをなし熊を 狩 ( から )ずして 空 ( むな )しく立かへりしと清水村の 農夫 ( のうふ )が 語 ( かた )りぬ。 おもふに此山 半 ( なかば )より上は岩を 骨 ( ほね )として 肉 ( にく )の 土 ( つち ) 薄 ( うす )く 地脉 ( ちみやく )気を 通 ( つう )じて 破隙 ( われめ )をなすにや、天地妙々の 奇工 ( きこう ) 思量 ( はかりしる )べからず。 山より雪の 崩頽 ( くづれおつる )を 里言 ( さとことば )に なだれといふ、又なでともいふ。 按 ( あんずる )になだれは 撫下 ( なでおり )る也、 るを れといふは 活用 ( はたらかする )ことばなり、山にもいふ也。 こゝには 雪頽 ( ゆきくづる )の 字 ( じ )を 借 ( かり )て 用 ( もち )ふ。 字書 ( じしよ )に 頽 ( たい )は 暴風 ( ばうふう )ともあればよく 叶 ( かな )へるにや。 さて 雪頽 ( なだれ )は 雪吹 ( ふゞき )に 双 ( ならべ )て雪国の 難義 ( なんぎ )とす。 高山 ( たかやま )の雪は里よりも 深 ( ふか )く、 凍 ( こほ )るも又里よりは 甚 ( はなはだ )し。 我国東南の山々 里 ( さと )にちかきも雪一丈四五尺なるは 浅 ( あさ )しとす。 此雪こほりて岩のごとくなるもの、二月のころにいたれば 陽気 ( やうき )地中より 蒸 ( むし )て 解 ( とけ )んとする時地気と天気との 為 ( ため )に 破 ( われ )て 響 ( ひゞき )をなす。 一 片 ( へん ) 破 ( われ )て 片々 ( へん/\ )破る、其ひゞき大木を 折 ( をる )がごとし。 これ 雪頽 ( なだれ )んとするの 萌 ( きざし )也。 山の 地勢 ( ちせい )と日の 照 ( てら )すとによりてなだるゝ 処 ( ところ )となだれざる処あり、なだるゝはかならず二月にあり。 里人 ( さとひと )はその時をしり、処をしり、 萌 ( きざし )を 知 ( し )るゆゑに、なだれのために 撃死 ( うたれし )するもの 稀 ( まれ )也。 しかれども天の 気候 ( きこう ) 不意 ( ふい )にして一 定 ( ぢやう )ならざれば、 雪頽 ( なだれ )の下に身を 粉 ( こ )に 砕 ( くだく )もあり。 此時はかならず 暴風 ( はやて )力をそへて粉に 砕 ( くだき )たる 沙礫 ( こじやり )のごとき雪を 飛 ( とば )せ、白日も 暗夜 ( あんや )の如くその 慄 ( おそろ )しき事 筆帋 ( ひつし )に 尽 ( つく )しがたし。 此 雪頽 ( なだれ )に 命 ( いのち )を 捨 ( おと )しし人、命を 拾 ( ひろひ )し人、我が 見聞 ( みきゝ )したるを 次 ( つぎ )の 巻 ( まき )に 記 ( しる )して 暖国 ( だんこく )の人の 話柄 ( はなしのたね )とす。 或人 ( あるひと ) 問 ( とふて ) 曰 ( いはく )、雪の 形 ( かたち ) 六出 ( むつかど )なるは 前 ( まえ )に 弁 ( べん )ありて 詳 ( つまびらか )也。 雪頽 ( なだれ )は雪の 塊 ( かたまり )ならん、 砕 ( くだけ )たる 形 ( かたち )雪の 六出 ( むつかど )なる 本形 ( ほんけい )をうしなひて 方形 ( かどだつ )はいかん。 答 ( こたへ )て 曰 ( いはく )、地気天に 変格 ( へんかく )して雪となるゆゑ天の 円 ( まるき )と地の 方 ( かく )なるとを 併合 ( あはせ )て 六出 ( むつかど )をなす。 六出 ( りくしゆつ )は 円形 ( まろきかたち )の 裏 ( うら )也。 雪 天陽 ( てんやう )を 離 ( はなれ )て 降下 ( ふりくだ )り地に 皈 ( かへれ )ば天 陽 ( やう )の 円 ( まろ )き 象 ( かたどり )うせて地 陰 ( いん )の 方 ( かく )なる 本形 ( ほんけい )に 象 ( かたど )る、ゆゑに 雪頽 ( なだれ )は千も万も 圭角 ( かどだつ )也。 このなだれ 解 ( とけ )るはじめは 角々 ( かど/\ ) 円 ( まろ )くなる、これ 陽火 ( やうくわ )の日にてらさるゝゆゑ天の 円 ( まろき )による也。 陰中 ( いんちゆう )に 陽 ( やう )を 包 ( つゝ )み、 陽中 ( やうちゆう )に 陰 ( いん )を 抱 ( いだく )は天地 定理中 ( ぢやうりちゆう )の 定格 ( ぢやうかく )也。 老子経 ( らうしきやう )第四十二 章 ( しやう )に 曰 ( いはく )、 万物 ( ばんぶつ )負 レ 陰而 ( いんをおびて )抱 レ 陽 ( やうをいだく ) 沖気以 ( ちゆうきもつて )為 レ 和 ( くわをなす )といへり。 此 理 ( り )を以てする時はお 内義 ( ないぎ )さまいつもお内義さまでは 陰中 ( いんちゆう )に陽を 抱 ( いだか )ずして 天理 ( てんり )に 叶 ( かなは )ず、をり/\は 夫 ( をつと )に 代 ( かは )りて 理屈 ( りくつ )をいはざれば 家内 ( かない ) 治 ( おさまら )ず、さればとて 理屈 ( りくつ )に 過 ( すぎ ) 牝鳥 ( めんどり ) 旦 ( とき )をつくれば、これも又家内の 陰陽 ( いんやう ) 前後 ( ぜんご )して 天理 ( てんり )に 違 ( たが )ふゆゑ家の 亡 ( ほろぶ )るもと也。 万物 ( ばんぶつ )の天理 誣 ( しふ )べからざる事かくのごとしといひければ、 問客 ( とひしひと ) 唯々 ( いゝ )として 去 ( さ )りぬ。 雪頽の 図 ( づ )多く方形に 从 ( したが )ふものは、其七八をとりて 模様 ( もやう )を 為 ( なす )すのみ。 北越雪譜初編巻之上 終 [#改丁] 我 ( わが ) 住 ( すむ ) 魚沼郡 ( うをぬまこほり )の内にて 雪頽 ( なだれ )の 為 ( ため )に 非命 ( ひめい )の 死 ( し )をなしたる事、其村の人のはなしをこゝに 記 ( しる )す。 しかれども人の 不祥 ( ふしやう )なれば 人名 ( じんめい )を 詳 ( つまびらか )にせず。 いづれも 孝子 ( かうし )の 聞 ( きこえ )ありけり。 一年 ( ひとゝせ )二月のはじめ 主人 ( あるじ )は朝より用ある所へ 出行 ( いでゆき )しが、其日も 已 ( すで )に 申 ( さる )の頃なれど 皈 ( かへ )りきたらず。 さのみ 間 ( ひま )をとるべき用にもあらざりければ、家内 不審 ( ふしん )におもひ 忰 ( せがれ ) 家僕 ( かぼく )をつれて其家にいたり 父 ( ちゝ )が事をたづねしに、こゝへはきたらずといふ。 しからばこゝならんかしこならんなど 家僕 ( かぼく )とはかりて 尋求 ( たづねもとめ )しかど 更 ( さら )に 音問 ( おとづれ )をきかず、日もはや 暮 ( くれ )なんとすれば 空 ( むな )しく家に 皈 ( かへ )りしか/\のよし母に 語 ( かた )りければ、こは 心得 ( こゝろえ )ぬ事也とて心あたりの処こゝかしこへ人を 走 ( はし )らせて 尋 ( たづね )させけるにその 在家 ( ありか )さらにしれず。 其夜 四更 ( しかう )の 頃 ( ころ )にいたれども 主人 ( あるじ )は 皈 ( かへ )らず。 我は 宿 ( やど )へ 皈 ( かへ )り足にて 遙 ( はるか )に 行過 ( ゆきすぎ )たる 頃 ( ころ ) 例 ( れい )の 雪頽 ( なだれ )の 音 ( おと )をきゝて、これかならずかの山ならんと 嶺 ( たふげ )を 无事 ( ぶじ )に 通 ( とほ )りしをよろこびしにつけ、こゝのあるじはふもとを 无難 ( ぶなん )に 行過 ( ゆきすぎ )給ひしや、万一なだれに 逢 ( あひ )はし給はざりしかと 案 ( あん )じつゝ 宿 ( やど )へかへりぬ。 今に 皈 ( かへ )り給はぬはもしやなだれにといひて 眉 ( まゆ )を 皺 ( しは )めければ、親子は心あたりときゝてたのみし事も 案 ( あん )にたがひて、顔見あはせ 泪 ( なみだ )さしぐむばかり也。 老夫 ( らうふ )はこれを見てそこ/\に立かへりぬ。 集居 ( あつまりゐ )たる 若人 ( わかて )どもこれをきゝて、さらばなだれの処にいたりてたづねみん 炬 ( たいまつ )こしらへよなど 立騒 ( たちさわ )ぎければ、ひとりの 老人 ( らうじん )がいふ、いな/\まづまち候へ、 遠 ( とほ )くたづねに 行 ( ゆき )し 者 ( もの )もいまだかへらず、今にもその人とおなじくあるじの 皈 ( かへ )りたまはんもはかりがたし、 雪頽 ( なだれ )にうたれ給ふやうなる 不覚人 ( ふかくにん )にはあらざるを、かの 老奴 ( おやぢ )めがいらざることをいひて 親子 ( おやこ )たちの心を 苦 ( くるしめ )たりといふに、親子はこれに 励 ( はげま )されて 心慰 ( こゝろひらけ ) 酒肴 ( しゆかう )をいだして人々にすゝむ。 これを見て 皆 ( みな )打ゑみつゝ 炉辺 ( ろへん )に 座列 ( ゐならび )て酒 酌 ( くみ )かはし、やゝ時うつりて 遠 ( とほ )く 走 ( はせ )たる者ども立かへりしに、 行方 ( ゆくへ )は 猶 ( なほ )しれざりけり。 さて 雪頽 ( なだれ )を見るにさのみにはあらぬすこしのなだれなれば、 道 ( みち )を 塞 ( ふさぎ )たる事二十 間 ( けん ) 余 ( あま )り雪の 土手 ( どて )をなせり。 よしやこゝに死たりともなだれの下をこゝぞとたづねんよすがもなければ、いかにやせんと人々 佇立 ( たゝずみ )たるなかに、かの 老人 ( らうじん )よし/\ 所為 ( しかた )こそあれとて、 若 ( わか )き 者 ( もの )どもをつれ 近 ( ちか )き村にいたりて ( にはとり )をかりあつめ、 雪頽 ( なだれ )の上にはなち 餌 ( ゑ )をあたえつゝおもふ処へあゆませけるに、一羽の 羽たゝきして時ならぬに 為晨 ( ときをつくり )ければ 余 ( ほか )のにはとりもこゝにあつまりて 声 ( こゑ )をあはせけり。 こは 水中 ( すゐちゆう )の 死骸 ( しがい )をもとむる 術 ( じゆつ )なるを雪に 用 ( もち )ひしは 応変 ( おうへん )の才也しと、のち/\までも人々いひあへり。 老人 衆 ( しゆう )にむかひ、あるじはかならず此下に 在 ( あ )るべし、いざ 掘 ( ほ )れほらんとて大勢一度に立かゝりて 雪頽 ( なだれ )を 砕 ( くだ )きなどして 掘 ( ほり )けるほどに、大なる 穴 ( あな )をなして六七尺もほり入れしが目に見ゆるものさらになし。 猶 ( なほ )ちからを 尽 ( つく )してほりけるに 真白 ( ましろ )なる雪のなかに 血 ( ち )を 染 ( そめ )たる雪にほりあて、すはやとて 猶 ( なほ )ほり入れしに 片腕 ( かたうで )ちぎれて 首 ( くび )なき 死骸 ( しがい )をほりいだし、やがて 腕 ( かひな )はいでたれども首はいでず。 こはいかにとて 広 ( ひろ )く穴にしたるなかをあちこちほりもとめてやう/\ 首 ( くび )もいでたり、雪中にありしゆゑ 面 ( おもて ) 生 ( いけ )るがごとく也。 さいぜんよりこゝにありつる 妻 ( つま )子らこれを見るより 妻 ( つま )は 夫 ( をつと )が 首 ( くび )を 抱 ( かゝ )へ、子どもは 死骸 ( しがい )にとりすがり 声 ( こゑ )をあげて 哭 ( なき )けり、人々もこのあはれさを見て 袖 ( そで )をぬらさぬはなかりけり。 かくてもあられねば 妻 ( つま )は 着 ( き )たる 羽織 ( はおり )に 夫 ( をつと )の 首 ( くび )をつゝみてかゝへ、 世息 ( せがれ )は 布子 ( ぬのこ )を 脱 ( ぬぎ )て父の 死骸 ( しがい )に 腕 ( うで )をそへて 泪 ( なみだ )ながらにつゝみ 脊負 ( せおは )んとする時、さいぜん 走 ( はし )りたる 者 ( もの )ども 戸板 ( といた )むしろなど 担 ( かた )げる用意をなしきたり、 妻 ( つま )がもちたる 首 ( くび )をもなきからにそへてかたげければ、人々 前後 ( ぜんご )につきそひ、つま子らは 哭 ( なく )々あとにつきて 皈 ( かへ )りけるとぞ。 此ものがたりは 牧之 ( ぼくし )が 若 ( わか )かりし時その事にあづかりたる人のかたりしまゝをしるせり。 これのみならずなだれに命をうしなひし人 猶 ( なほ ) 多 ( おほ )かり、またなだれに家をおしつぶせし事もありき。 其 ( その ) 怖 ( おそろし )さいはんかたなし。 かの 死骸 ( しがい )の 頭 ( かしら )と 腕 ( かひな )の 断離 ( ちぎれ )たるは、なだれにうたれて 磨断 ( すりきら )れたる也。 なだれは 敢 ( あへ )て山にもかぎらず、 形状 ( かたち ) 峯 ( みね )をなしたる処は時としてなだるゝ事あり。 文化のはじめ 思川村 ( おもひがはむら ) 天昌寺 ( てんしやうじ )の 住職 ( じゆうしよく ) 執中和尚 ( しつちゆうをせう )は 牧之 ( ぼくし )が 伯父 ( をぢ )也。 仲冬のすゑ此人 居間 ( ゐま )の二階にて 書案 ( つくゑ )によりて物を 書 ( かき )てをられしが、 窓 ( まど )の 庇 ( ひさし )に 下 ( さが )りたる 垂氷 ( つらゝ )の五六尺なるが 明 ( あか )りに 障 ( さは )りて 机 ( つくゑ )のほとり 暗 ( くら )きゆゑ、家の 檐 ( のき )にいで 家僕 ( しもべ )が雪をほらんとてうちおきたる 木鋤 ( こすき )をとり、かのつらゝを 打 ( うち )をらんとて一打うちけるに、此ひゞきにやありけん (里言につらゝを かなこほりといふ、たるひとは古言にもいふ)本堂に 積 ( つもり )たる雪の片屋根 磊々 ( ぐら/\ )となだれおち、 土蔵 ( どざう )のほとりに 清水 ( しみづ )がゝりの池ありしに、和尚なだれに 押落 ( おしおと )され池に入るべきを、なだれの 勢 ( いきほ )ひに 身 ( み )は 手鞠 ( てまり )のごとく池をもはねこえて 掘揚 ( ほりあげ )たる雪に 半身 ( はんしん )を 埋 ( うづ )められ、あとさけびたるこゑに 庫裏 ( くり )の雪をほりゐたるしもべら 馳 ( はせ )きたり、 持 ( もち )たる 木鋤 ( こすき )にて和尚を 掘 ( ほり )いだしければ、和尚大に 笑 ( わら )ひ 身 ( み )うちを見るに 聊 ( いさゝか )も 疵 ( きず )うけず、 耳 ( みゝ )に 掛 ( かけ )たる 眼鏡 ( めかね )さへつゝがなく 不思議 ( ふしぎ )の命をたすかり給ひぬ。 此時七十 余 ( よ )の 老僧 ( らうそう )也しが、 前 ( まへ )にいへる 何村 ( なにむら )の人の 不幸 ( ふかう )に 比 ( くらぶ )れば万死に一生をえられたる 天幸 ( てんかう )といひつべし。 齢 ( よはひ )も八十余まで 无病 ( むびやう )にして文政のすゑに 遷化 ( せんげ )せられき。 平日 余 ( よ )に 示 ( しめ )していはれしは、我 雪頽 ( なだれ )に 撞 ( うた )れしとき筆を 採 ( と )りて 居 ( ゐ )たりしは、 尊 ( たふと )き 仏経 ( ぶつきやう )なりしゆゑたゞにやはとて一 字 ( じ ) 毎 ( ごと )に 念仏 ( ねんぶつ )申て 書居 ( かきを )れり、しかるに 雪頽 ( なだれ )に死すべかりしを 不思議 ( ふしぎ )に 命 ( いのち ) 助 ( たす )かりしは一 字 ( じ ) 念仏 ( ねんぶつ )の 功徳 ( くどく )にてやありけん。 神仏 ( かみほとけ )を 信 ( しん )ずる心の 中 ( うち )より悪心はいでぬもの也。 悪心の 无 ( なき )が 災難 ( さいなん )をのがるゝ第一也とをしへられき。 今も 猶 ( なほ ) 耳 ( みゝ )に残れり。 人智 ( じんち )を 尽 ( つく )してのちはからざる 大難 ( だいなん )にあふは 因果 ( いんぐわ )のしからしむる処ならんか。 人にははかりしりがたし。 人家の 雪頽 ( なだれ )にも家を 潰 ( つぶ )せし事人の死たるなどあまた 見聞 ( みきゝ )したれども、さのみはとてしるさず。 さきのとし玉山翁が 梓行 ( しかう )せられし 軍物語 ( いくさものがたり )の画本の中に、越後の雪中にたゝかひしといふ 図 ( づ )あり。 文には 深雪 ( みゆき )とありて、しかも十二月の事なるに、ゑがきたる 軍兵 ( ぐんびやう )どもが 挙止 ( ふるまひ )を見るに雪は 浅 ( あさ )く見ゆ。 (越後の雪中馬足はたちがたし、ゆゑに農人すら雪中牛馬を用ひず、いわんや軍馬をや、しかるを馬上の戦ひにしるしたるは作者のあやまり也、したがふて画者も 誤 ( あやま )れる也、雪あさき国の人の画作なれば雪の実地をしらざるはうべ也)越後雪中の 真景 ( しんけい )には甚しくたがへり。 しかしながら 画 ( ゑ )には 虚 ( そらごと )もまじへざればそのさまあしきもあるべけれど、あまりにたがひたれば玉山の玉に 瑾 ( きず )あらんも 惜 ( をし )ければ、かねて 書通 ( しよつう )の 交 ( まじは )りにまかせて牧之が 拙 ( つたな )き筆にて雪の 真景 ( しんけい ) 種々 ( かず/\ ) 写 ( うつ )し、 猶 ( なほ ) 常 ( つね )に見ざる真景もがなと春の 半 ( なかば )わざ/\ 三国嶺 ( みくにたふげ )にちかき 法師嶺 ( ほふしたふげ )のふもとに 在 ( あ )る 温泉 ( をんせん )に 旅 ( やど )りそのあたりの雪を見つるに、 高 ( たか )き 峯 ( みね )よりおろしたるなだれなどは、五七 間 ( けん )ほどなる四角或は三角なる雪の長さは二三十 間 ( けん )もあらんとおもふが谷によこたはりたる上に、なほ 幾 ( いく )つとなく大小かさなりたるなど、雪国にうまれたる目にさへその 奇観 ( きくわん )ことばには 尽 ( つく )しがたし。 これらの 真景 ( しんけい )をも 其座 ( そのざ )にうつしとりたるを 添 ( そへ )て 贈 ( おく )りしに、玉山翁が 返書 ( へんしよ )に、 北越 ( ほくゑつ )の雪 我 ( わ )が 机上 ( きしやう )にふりかゝるがごとく目をおどろかし候、これらの 図 ( づ )をなほ多くあつめ文を 添 ( そへ )させ私筆にて 例 ( れい )の 絵本 ( ゑほん )となし候はゞ、其 書 ( しよ )雪の 霏.

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京山人百樹刪定 岡田武松校訂 北越雪譜 北越雪譜二編 鈴木牧之編撰

絆2かいしがめん

岩波文庫に収めた北越雪譜は 不図 ( はからず )も読書子の称賛を得て、昨年三月には第二刷を発行し、 茲 ( ここ )にまた第三刷を発行するに至つたのは校訂子の欣喜に堪へないところである。 第二刷のときも、註解に若干の増補を為したが、今回は本書の完璧を期する為めに、書中の挿画全部を天保の初版によつてやり直した、雪譜初版刊行の年月に就ては、判然としない点がある、岩波文庫版の解説には、初篇の一を天保六年としたのは、京山の序文の年号をとつたのであり、初篇の三の発行の年月を天保七年としたのは奥附によつたものである、勿論初篇の一が天保六年に出版されたと云ふ確証はないが、とも角も天保六年か七年の頃に世に出たものと思ふ、これは 偏 ( ひとへ )に識者の高教を待つ。 此挙梓行の為にせざれば図に洪繊重復あり、今梓に臨て其図の過半を省き、目を新にするものを存して巻中に夾刺するは単冊に尽し難を以て也。 余嘗て原図を閲するに、雪中の諸状混錯を走墨に失して通暁し難きもの靴中の瘡痒これを何如せん、唯翁が草図に傚ひて真に描せる而已。 或原図の梓に入るものは則これを加ふ、或は説有て図無きもの其説に拠て其図を作りしもあり。 盖余未だ越地を踏ず、越雪の真景に於て茫然たり、故に雪図に於て違漏あるも知るべからず、其誤を編者に駆ること勿れ。 露 ( つゆ )は 地気 ( ちき )の 粒珠 ( りふしゆ )する 所 ( ところ )、 霜 ( しも )は地気の 凝結 ( ぎようけつ )する所、 冷気 ( れいき )の 強弱 ( つよきよわき )によりて 其形 ( そのかたち )を 異 ( こと )にするのみ。 水は地の 全体 ( ぜんたい )なれば 元 ( もと )の地に 皈 ( かへる )なり。 地中 ( ちちゆう ) 深 ( ふか )ければかならず 温気 ( あたゝかなるき )あり、 地 ( ち ) 温 ( あたゝか )なるを 得 ( え )て 気 ( き )を 吐 ( はき )、天に 向 ( むかひ )て 上騰 ( のぼる )事人の 気息 ( いき )のごとく、 昼夜 ( ちうや ) 片時 ( かたとき )も 絶 ( たゆ )る事なし。 天も又気を 吐 ( はき )て地に 下 ( くだ )す、 是 ( これ )天地の 呼吸 ( こきふ )なり。 人の 呼 ( でるいき )と 吸 ( ひくいき )とのごとし。 天地 呼吸 ( こきふ )して 万物 ( ばんぶつ )を 生育 ( そだつる )也。 天に九ツの 段 ( だん )あり、これを 九天 ( きうてん )といふ。 九段 ( くだん )の内 最 ( もつとも )地に 近 ( ちか )き所を 太陰天 ( たいいんてん )といふ。 (地を 去 ( さ )る事高さ四十八万二千五百里といふ)太陰天と地との 間 ( あひだ )に三ツの 際 ( へだて )あり、天に 近 ( ちかき )を 熱際 ( ねつさい )といひ、中を 冷際 ( れいさい )といひ、地に 近 ( ちかき )を 温際 ( をんさい )といふ。 地気は 冷際 ( れいさい )を 限 ( かぎ )りとして 熱際 ( ねつさい )に 至 ( いた )らず、 冷温 ( れいをん )の二 段 ( だん )は地を 去 ( さ )る事甚だ 遠 ( とほ )からず。 富士山は 温際 ( をんさい )を 越 ( こえ )て 冷際 ( れいさい )にちかきゆゑ、 絶頂 ( ぜつてう )は 温気 ( あたゝかなるき ) 通 ( つう )ぜざるゆゑ 艸木 ( くさき )を 生 ( しやう )ぜず。 夏も 寒 ( さむ )く 雷鳴 ( かみなり ) 暴雨 ( ゆふだち )を 温際 ( をんさい )の下に見る。 (雷と夕立はをんさいのからくり也)雲は 地中 ( ちちゆう )の 温気 ( をんき )より 生 ( しやう )ずる物ゆゑに其 起 ( おこ )る 形 ( かたち )は 湯気 ( ゆげ )のごとし、水を 沸 ( わかし )て 湯気 ( ゆげ )の 起 ( たつ )と同じ事也。 雲 ( くも ) 温 ( あたゝか )なる気を以て天に 升 ( のぼ )り、かの 冷際 ( れいさい )にいたれば 温 ( あたゝか )なる 気 ( き ) 消 ( きえ )て雨となる、 湯気 ( ゆげ )の 冷 ( ひえ )て 露 ( つゆ )となるが 如 ( ごと )し。 (冷際にいたらざれば雲散じて雨をなさず)さて 雨露 ( あめつゆ )の 粒珠 ( つぶだつ )は天地の気中に 在 ( あ )るを以て也。 艸木の 実 ( み )の 円 ( まろき )をうしなはざるも気中に 生 ( しやう )ずるゆゑ也。 雲 冷際 ( れいさい )にいたりて雨とならんとする時、 天寒 ( てんかん )甚しき時は 雨 ( あめ ) 氷 ( こほり )の 粒 ( つぶ )となりて 降 ( ふ )り 下 ( くだ )る。 天寒の 強 ( つよき )と 弱 ( よわき )とによりて 粒珠 ( つぶ )の大小を 為 ( な )す、 是 ( これ )を 霰 ( あられ )とし 霙 ( みぞれ )とす。 ( 雹 ( ひよう )は夏ありその 弁 ( べん )こゝにりやくす)地の 寒 ( かん ) 強 ( つよ )き時は 地気 ( ちき ) 形 ( かたち )をなさずして天に 升 ( のぼ )る 微温湯気 ( ぬるきゆげ )のごとし。 天の 曇 ( くもる )は是也。 地気 上騰 ( のぼる )こと多ければ 天 ( てん ) 灰色 ( ねずみいろ )をなして雪ならんとす。 曇 ( くもり )たる 雲 ( くも ) 冷際 ( れいさい )に 到 ( いた )り 先 ( まづ )雨となる。 此時冷際の寒気雨を 氷 ( こほら )すべき 力 ( ちから )たらざるゆゑ 花粉 ( くわふん )を 為 ( な )して 下 ( くだ )す、 是 ( これ ) 雪 ( ゆき )也。 地寒 ( ちかん )のよわきとつよきとによりて 氷 ( こほり )の 厚 ( あつき )と 薄 ( うすき )との 如 ( ごと )し。 天に 温冷熱 ( をんれいねつ )の三 際 ( さい )あるは、人の 肌 ( はだへ )は 温 ( あたゝか )に 肉 ( にく )は 冷 ( ひやゝ )か 臓腑 ( ざうふ )は 熱 ( ねつ )すると 同 ( おな )じ 道理 ( だうり )也。 是 ( これ ) 余 ( よ )が 発明 ( はつめい )にあらず 諸書 ( しよしよ )に 散見 ( さんけん )したる 古人 ( こじん )の 説 ( せつ )也。 凡 ( およそ )物を 視 ( み )るに 眼力 ( がんりき )の 限 ( かぎ )りありて 其外 ( そのほか )を視るべからず。 されば人の 肉眼 ( にくがん )を以雪をみれば 一片 ( ひとひら )の 鵞毛 ( がまう )のごとくなれども、 数 ( す )十百 片 ( へん )の 雪花 ( ゆき )を 併合 ( よせあはせ )て一 片 ( へん )の鵞毛を 為 ( なす )也。 是を 験微鏡 ( むしめがね )に 照 ( てら )し 視 ( み )れば、 天造 ( てんざう )の細工したる雪の 形状 ( かたち ) 奇々 ( きゝ )妙々なる事下に 図 ( づ )するが 如 ( ごと )し。 其形 ( そのかたち )の 斉 ( ひとし )からざるは、かの 冷際 ( れいさい )に於て雪となる時冷際の 気運 ( きうん )ひとしからざるゆゑ、雪の 形 ( かたち ) 気 ( き )に 応 ( おう )じて 同 ( おな )じからざる也。 しかれども 肉眼 ( にくがん )のおよばざる 至微物 ( こまかきもの )ゆゑ、 昨日 ( きのふ )の 雪 ( ゆき )も 今日 ( けふ )の雪も一 望 ( ばう )の 白糢糊 ( はくもこ )を 為 ( なす )のみ。 下の 図 ( づ )は天保三年 許鹿君 ( きよろくくん ) *1の 高撰雪花図説 ( かうせんせつくわづせつ )に 在 ( あ )る 所 ( ところ )、 雪花 ( せつくわ )五十五 品 ( ひん )の内を 謄写 ( すきうつし )にす。 雪 ( ゆき ) 六出 ( りくしゆつ )を 為 ( なす )。 御 説 ( せつ )に 曰 ( いはく )「 凡 ( およそ ) 物 ( もの ) 方体 ( はうたい )は (四角なるをいふ) 必 ( かならず )八を以て一を 囲 ( かこ )み 円体 ( ゑんたい )は (丸をいふ)六を以て一を 囲 ( かこ )む 定理 ( ぢやうり )中の 定数 ( ぢやうすう ) 誣 ( しふ )べからず」云々。 雪を 六 ( むつ )の 花 ( はな )といふ事 御 説 ( せつ )を以しるべし。 愚 ( ぐ ) 按 ( あんずる )に 円 ( まろき )は天の正 象 ( しやう )、 方 ( かく )は地の 実位 ( じつゐ )也。 是天地 方円 ( はうゑん )の 間 ( あひだ )に 生育 ( そだつ )ゆゑに、天地の 象 ( かたち )をはなれざる事子の親に 似 ( に )るに相同じ。 雪の 六出 ( りくしゆつ )する 所以 ( ゆゑん )は、 物 ( もの )の 員 ( かず ) 長数 ( ちやうすう )は 陰 ( いん ) 半数 ( はんすう )は 陽 ( やう )也。 (男根なく両乳あり)九は 半 ( はん )の 陽 ( やう )十は長の 陰 ( いん )也。 しかれども陰陽和合して人を 為 ( なす )ゆゑ、男に無用の 両乳 ( りやうちゝ )ありて女の陰にかたどり、女に 不要 ( ふよう )の 陰舌 ( いんぜつ )ありて男にかたどる。 気中に 活動 ( はたらく ) 万物 ( ばんぶつ )此 理 ( り )に 漏 ( もる )る事なし。 雪は 活物 ( いきたるもの )にあらざれども 変 ( へん )ずる 所 ( ところ )に 活動 ( はたらき )の気あるゆゑに、 六出 ( りくしゆつ )したる 形 ( かたち )の 陰中 ( いんちゆう )或は 陽 ( やう )に 象 ( かたど )る 円形 ( まろきかたち )を 具 ( ぐ )したるもあり。 水は 極陰 ( ごくいん )の物なれども 一滴 ( ひとしづく )おとす時はかならず 円形 ( ゑんけい )をなす。 落 ( おつ )るところに 活 ( はたら )く 萌 ( きざし )あるゆゑに陰にして陽の 円 ( まろき )をうしなはざる也。 天地気中の 機関 ( からくり ) 定理定格 ( ぢやうりぢやうかく )ある事 奇々 ( きゝ ) 妙々 ( めう/\ ) 愚筆 ( ぐひつ )に 尽 ( つく )しがたし。 左伝に (隠公八年) 平地 ( へいち ) 尺 ( しやく )に 盈 ( みつる )を大雪と 為 ( す )と 見 ( み )えたるは 其国 ( そのくに ) 暖地 ( だんち )なれば也。 唐 ( たう )の 韓愈 ( かんゆ )が雪を 豊年 ( ほうねん )の 嘉瑞 ( かずゐ )といひしも 暖国 ( だんこく )の 論 ( ろん )也。 されど 唐土 ( もろこし )にも寒国は八月雪 降 ( ふる )事 五雑組 ( ござつそ )に見えたり。 暖国の雪一尺以下ならば 山川村里 ( さんせんそんり ) 立地 ( たちどころ )に 銀世界 ( ぎんせかい )をなし、雪の 飄々 ( へう/\ ) 翩々 ( へん/\ )たるを 観 ( み )て花に 諭 ( たと )へ玉に 比 ( くら )べ、 勝望美景 ( しようばうびけい )を 愛 ( あい )し、 酒食 ( しゆしよく ) 音律 ( おんりつ )の 楽 ( たのしみ )を 添 ( そ )へ、 画 ( ゑ )に 写 ( うつ )し 詞 ( ことば )につらねて 称翫 ( しようくわん )するは 和漢 ( わかん )古今の 通例 ( つうれい )なれども、 是 ( これ )雪の 浅 ( あさ )き 国 ( くに )の 楽 ( たのし )み也。 我 ( わが )越後のごとく 年毎 ( としごと )に 幾丈 ( いくぢやう )の雪を 視 ( み )ば 何 ( なん )の 楽 ( たのし )き事かあらん。 雪の 為 ( ため )に 力 ( ちから )を 尽 ( つく )し 財 ( ざい )を 費 ( つひや )し千 辛 ( しん )万 苦 ( く )する事、 下 ( しも )に 説 ( と )く 所 ( ところ )を 視 ( み )ておもひはかるべし。 我国の 雪意 ( ゆきもよひ )は 暖国 ( だんこく )に 均 ( ひと )しからず。 およそ九月の 半 ( なかば )より霜を 置 ( おき )て寒気 次第 ( しだい )に 烈 ( はげし )く、九月の末に 至 ( いたれ )ば 殺風 ( さつふう ) 肌 ( はだへ )を 侵入 ( をかし )て 冬枯 ( ふゆがれ )の 諸木 ( しよぼく ) 葉 ( は )を 落 ( おと )し、 天色 ( てんしよく ) 霎 ( せふ/\ )として日の 光 ( ひかり )を 看 ( み )ざる事 連日 ( れんじつ )是雪の 意 ( もよほし )也。 天気 朦朧 ( もうろう )たる事 数日 ( すじつ )にして 遠近 ( ゑんきん )の 高山 ( かうざん )に 白 ( はく )を 点 ( てん )じて雪を 観 ( み )せしむ。 これを 里言 ( さとことば )に 嶽廻 ( たけまはり )といふ。 又 海 ( うみ )ある所は 海鳴 ( うみな )り、山ふかき処は山なる、遠雷の如し。 これを里言に 胴鳴 ( どうな )りといふ。 これを見これを 聞 ( きゝ )て、雪の 遠 ( とほ )からざるをしる。 年の 寒暖 ( かんだん )につれて 時日 ( じじつ )はさだかならねど、 たけまはり・ どうなりは秋の 彼岸 ( ひがん ) 前後 ( ぜんご )にあり、 毎年 ( まいねん )かくのごとし。 前 ( まへ )にいへるがごとく、雪 降 ( ふら )んとするを 量 ( はか )り、雪に 損 ( そん )ぜられぬ 為 ( ため )に 屋上 ( やね )に 修造 ( しゆざう )を 加 ( くは )へ、 梁 ( うつばり ) 柱 ( はしら ) 廂 ( ひさし ) (家の前の 屋翼 ( ひさし )を 里言 ( りげん )に らうかといふ、すなはち 廊架 ( らうか )なり)其外すべて 居室 ( きよしつ )に 係 ( かゝ )る所 力 ( ちから ) 弱 ( よわき )はこれを 補 ( おぎな )ふ。 雪に 潰 ( つぶさ )れざる 為 ( ため )也。 庭樹 ( にはき )は大小に 随 ( したが )ひ 枝 ( えだ )の 曲 ( まぐ )べきはまげて 縛束 ( しばりつけ )、 椙丸太 ( すぎまるた )又は竹を 添 ( そ )へ 杖 ( つゑ )となして 枝 ( えだ )を 強 ( つよ )からしむ。 雪 折 ( をれ )をいとへば也。 冬草 ( ふゆくさ )の 類 ( るゐ )は 菰筵 ( こもむしろ )を以 覆 ( おほ )ひ 包 ( つゝ )む。 井戸は小屋を 懸 ( かけ )、 厠 ( かはや )は雪中其物を 荷 ( になは )しむべき 備 ( そなへ )をなす。 雪中には一 点 ( てん )の 野菜 ( やさい )もなければ 家内 ( かない )の 人数 ( にんず )にしたがひて、雪中の 食料 ( しよくれう )を 貯 ( たくは )ふ。 暖国 ( だんこく )の人の雪を 賞翫 ( しやうくわん )するは前にいへるがごとし。 江戸には雪の 降 ( ふら )ざる年もあれば、初雪はことさらに 美賞 ( びしやう )し、雪見の 船 ( ふね )に 哥妓 ( かぎ )を 携 ( たづさ )へ、雪の 茶 ( ちや )の 湯 ( ゆ )に 賓客 ( ひんかく )を 招 ( まね )き、 青楼 ( せいろう )は雪を 居続 ( ゐつゞけ )の 媒 ( なかだち )となし、 酒亭 ( しゆてい )は雪を 来客 ( らいかく )の 嘉瑞 ( かずゐ )となす。 雪を 賞 ( しやう )するの 甚 ( はなはだ )しきは 繁花 ( はんくわ )のしからしむる所也。 雪国の人これを見、これを 聞 ( きゝ )て 羨 ( うらやま )ざるはなし。 我国の初雪を以てこれに 比 ( くらぶ )れば、 楽 ( たのしむ )と 苦 ( くるしむ )と 雲泥 ( うんでい )のちがひ也。 そも/\越後国は北方の 陰地 ( いんち )なれども 一国 ( いつこく )の内 陰陽 ( いんやう )を 前後 ( ぜんご )す。 いかんとなれば天は西北にたらず、ゆゑに西北を 陰 ( いん )とし、地は東南に 足 ( たら )ず、ゆゑに東南を 陽 ( やう )とす。 越後の地勢は、西北は大海に 対 ( たい )して陽気也。 東南は 高山 ( かうざん ) 連 ( つらな )りて陰気也。 ゆゑに西北の 郡村 ( ぐんそん )は雪 浅 ( あさ )く、東南の 諸邑 ( しよいふ )は雪 深 ( ふか )し。 是 ( いんやう )の 前後 ( ぜんご )したるに 似 ( に )たり。 (冬は日南の方を 周 ( めぐる )ゆゑ北国はます/\寒し、家の内といへども北は寒く南はあたゝかなると同じ道理也)我国 初雪 ( はつゆき )を 視 ( み )る事 遅 ( おそき )と 速 ( はやき )とは、 其年 ( そのとし )の 気運 ( きうん ) 寒暖 ( かんだん )につれて 均 ( ひとし )からずといへども、およそ初雪は九月の 末 ( すゑ )十月の 首 ( はじめ )にあり。 我国の雪は 鵞毛 ( がまう )をなさず、 降時 ( ふるとき )はかならず 粉砕 ( こまかき )をなす、風又これを 助 ( たす )く。 故 ( ゆゑ )に一 昼夜 ( ちうや )に 積所 ( つもるところ )六七尺より一丈に 至 ( いた )る時もあり、 往古 ( むかし )より 今年 ( ことし )にいたるまで此雪此国に 降 ( ふら )ざる事なし。 されば 暖国 ( だんこく )の人のごとく初雪を 観 ( み )て 吟詠 ( ぎんえい ) 遊興 ( いうきよう )のたのしみは 夢 ( ゆめ )にもしらず、 今年 ( ことし )も又此 雪中 ( ゆきのなか )に 在 ( あ )る事かと雪を 悲 ( かなしむ )は 辺郷 ( へんきやう )の 寒国 ( かんこく )に 生 ( うまれ )たる不幸といふべし。 雪を 観 ( み )て 楽 ( たのし )む人の 繁花 ( はんくわ )の 暖地 ( だんち )に 生 ( うまれ )たる天幸を 羨 ( うらやま )ざらんや。 余 ( よ )が 隣宿 ( りんしゆく )六日町の俳友天吉老人の 話 ( はなし )に、 妻有庄 ( つまありのしやう )にあそびし 頃 ( ころ ) 聞 ( きゝ )しに、 千隈 ( ちくま )川の 辺 ( ほとり )の 雅 ( が )人、 初雪 ( しよせつ )より (天保五年をいふ)十二月廿五日までの 間 ( あひだ )、雪の 下 ( くだ )る 毎 ( ごと )に用意したる所の雪を 尺 ( しやく )をもつて 量 ( はか )りしに *2、雪の 高 ( たか )さ十八丈ありしといへりとぞ。 此話 ( このはなし )雪国の人すら 信 ( しん )じがたくおもへども、つら/\ 思量 ( おもひはかる )に、十月の初雪より十二月廿五日までおよその 日数 ( ひかず )八十日の 間 ( あひだ )に五尺づゝの雪ならば、廿四丈にいたるべし。 随 ( したがつ )て 下 ( ふれ )ば 随 ( したがつ )て 掃 ( はら )ふ 処 ( ところ )は 積 ( つん )で見る事なし。 又地にあれば 減 ( へり )もする也。 かれをもつて是をおもへば、我国の 深山幽谷 ( しんざんいうこく )雪の 深 ( ふかき )事はかりしるべからず。 天保五年は我国近年の大雪なりしゆゑ、右の 話 ( はなし ) 誣 ( し )ふべからず。 高田 ( たかた )御 城 ( しろ )大手先の 広場 ( ひろば )に、木を 方 ( かく )に 削 ( けづ )り尺を 記 ( しる )して 建 ( たて )給ふ、是を雪 竿 ( さを )といふ。 長一丈也。 雪の 深浅 ( しんせん ) 公税 ( こうぜい )に 係 ( かゝ )るを以てなるべし。 高田の 俳友 ( はいいう ) 楓石子 ( ふうせきし )よりの 書翰 ( しよかん )に (天保五年の仲冬)雪竿を見れば当地の雪此 節 ( せつ )一丈に 余 ( あま )れりといひ 来 ( きた )れり。 雪竿といへば越後の 事 ( こと )として 俳句 ( はいく )にも見えたれど、此国に於て高田の外 无用 ( むよう )の雪 竿 ( さを )を 建 ( たつ )る 処 ( ところ )昔はしらず今はなし。 風雅 ( ふうが )をもつて我国に 遊 ( あそ )ぶ人、雪中を 避 ( さけ )て三 夏 ( か )の 頃 ( ころ )此地を 踏 ( ふむ )ゆゑ、 越路 ( こしぢ )の雪をしらず。 然 ( しか )るに 越路 ( こしぢ )の雪を 言 ( こと )の 葉 ( は )に 作意 ( つくる )ゆゑたがふ事ありて、我国の心には 笑 ( わら )ふべきが 多 ( おほ )し。 雪を 掃 ( はら )ふは 落花 ( らくくわ )をはらふに 対 ( つゐ )して 風雅 ( ふうが )の一ツとし、 和漢 ( わかん )の 吟咏 ( ぎんえい )あまた見えたれども、かゝる大雪をはらふは 風雅 ( ふうが )の 状 ( すがた )にあらず。 初雪 ( はつゆき )の 積 ( つも )りたるをそのまゝにおけば、 再 ( ふたゝ )び 下 ( ふ )る雪を添へて一丈にあまる事もあれば、一 度 ( ど ) 降 ( ふれ )ば一度 掃 ( はら )ふ (雪浅ければのちふるをまつ) 是 ( これ )を 里言 ( さとことば )に 雪掘 ( ゆきほり )といふ。 土 ( つち )を 掘 ( ほる )がごとくするゆゑに 斯 ( かく )いふ也。 掘 ( ほら )ざれば家の用 路 ( ろ )を 塞 ( ふさ )ぎ 人家 ( じんか )を 埋 ( うづめ )て人の 出 ( いづ )べき 処 ( ところ )もなく、 力強 ( ちからつよき )家も 幾万斤 ( いくまんきん )の雪の 重量 ( おもさ )に 推砕 ( おしくだかれ )んをおそるゝゆゑ、家として雪を 掘 ( ほら )ざるはなし。 掘 ( ほ )るには木にて 作 ( つく )りたる 鋤 ( すき )を 用 ( もち )ふ、 里言 ( りげん )に こすきといふ、 則 ( すなはち ) 木鋤 ( こすき )也。 椈 ( ぶな )といふ木をもつて作る、 木質 ( きのしやう ) 軽強 ( ねばく )して 折 ( をる )る事なく 且 ( かつ ) 軽 ( かろ )し、 形 ( かたち )は鋤に 似 ( に )て 刃 ( は ) 広 ( ひろ )し。 雪中 第 ( だい )一の 用具 ( ようぐ )なれば、山中の人これを作りて 里 ( さと )に 売 ( うる )、 家毎 ( いへごと )に 貯 ( たくはへ )ざるはなし。 雪を 掘 ( ほ )る 状態 ( ありさま )は 図 ( づ )にあらはしたるが 如 ( ごと )し。 掘たる雪は 空地 ( あきち )の、人に 妨 ( さまたげ )なき 処 ( ところ )へ山のごとく 積 ( つみ )上る、これを 里言 ( りげん )に 掘揚 ( ほりあげ )といふ。 大家は 家夫 ( わかいもの )を 尽 ( つく )して 力 ( ちから )たらざれば 掘夫 ( ほりて )を 傭 ( やと )ひ、 幾 ( いく )十人の力を 併 ( あはせ )て一時に 掘尽 ( ほりつく )す。 事 ( こと )を 急 ( きふ )に 為 ( な )すは 掘 ( ほ )る内にも大雪 下 ( くだ )れば 立地 ( たちどころ )に 堆 ( うづたか )く人力におよばざるゆゑ也。 ( 掘 ( ほ )る処 図 ( づ )には 人数 ( にんず )を略してゑがけり)右は 大家 ( たいか )の事をいふ、小家の 貧 ( まづ )しきは 掘夫 ( ほりて )をやとふべきも 費 ( つひえ )あれば男女をいはず一家雪をほる。 吾里にかぎらず雪ふかき処は 皆 ( みな ) 然 ( しか )なり。 此雪いくばくの 力 ( ちから )をつひやし、いくばくの銭を 費 ( つひや )し、 終日 ( しゆうじつ )ほりたる 跡 ( あと )へその夜大雪 降 ( ふ )り 夜 ( よ ) 明 ( あけ )て見れば 元 ( もと )のごとし。 かゝる時は 主人 ( あるじ )はさら也、 下人 ( しもべ )も 頭 ( かしら )を 低 ( たれ )て 歎息 ( ためいき )をつくのみ也。 大抵 ( たいてい )雪ふるごとに 掘 ( ほる )ゆゑに、 里言 ( りげん )に一 番掘 ( ばんぼり )二番掘といふ。 春の雪は 消 ( きえ )やすきをもつて 沫雪 ( あわゆき )といふ。 和漢 ( わかん )の春雪 消 ( きえ )やすきを 詩哥 ( しいか )の 作為 ( さくい )とす、 是 ( これ ) 暖国 ( だんこく )の事也、寒国の雪は 冬 ( ふゆ )を 沫雪 ( あわゆき )ともいふべし。 いかんとなれば冬の雪はいかほどつもりても 凝凍 ( こほりかたまる )ことなく、 脆弱 ( やはらか )なる事 淤泥 ( どろ )のごとし。 故 ( かるがゆゑ )に冬の雪中は 橇 ( かんじき )・ 縋 ( すかり )を 穿 ( はき )て 途 ( みち )を 行 ( ゆく )。 里言 ( りげん )には雪を 漕 ( こぐ )といふ。 水を 渉 ( わた )る 状 ( すがた )に 似 ( に )たるゆゑにや、又 深田 ( ふかた )を 行 ( ゆく )すがたあり。 (すべらざるために 下駄 ( げた )の 歯 ( は )にくぎをうちて用ふ) 暖国 ( だんこく )の 沫雪 ( あわゆき )とは 気運 ( きうん )の 前後 ( ぜんご )かくのごとし。 冬の雪は 脆 ( やはらか )なるゆゑ人の 蹈固 ( ふみかため )たる 跡 ( あと )をゆくはやすけれど、 往来 ( ゆきゝ )の 旅人 ( たびゝと )一 宿 ( しゆく )の夜大雪降ばふみかためたる一 条 ( すぢ )の雪道雪に 埋 ( うづま )り 途 ( みち )をうしなふゆゑ、 郊原 ( のはら )にいたりては 方位 ( はうがく )をわかちがたし。 此時は 里人 ( さとひと )幾十人を 傭 ( やと )ひ、 橇 ( かんじき ) 縋 ( すかり )にて 道 ( みち )を 蹈開 ( ふみひらか )せ 跡 ( あと )に 随 ( したがつ )て 行 ( ゆく )也。 此 費 ( ものいり ) 幾緡 ( いくさし )の銭を 費 ( つひや )すゆゑ 貧 ( とぼ )しき 旅 ( たび )人は人の 道 ( みち )をひらかすを 待 ( まち )て 空 ( むなし )く時を 移 ( うつす )もあり。 健足 ( けんそく )の 飛脚 ( ひきやく )といへども雪 途 ( みち )を 行 ( ゆく )は一日二三里に 過 ( すぎ )ず。 橇 ( かんじき )にて 足 ( あし ) 自在 ( じざい )ならず、雪 膝 ( ひざ )を 越 ( こ )すゆゑ也。 これ冬の雪中一ツの 艱難 ( かんなん )なり。 春は雪 凍 ( こほり )て 銕石 ( てつせき )のごとくなれば、 雪車 ( そり ) (又 雪舟 ( そり )の字をも用ふ)を以て 重 ( おもき )を 乗 ( の )す。 里人 ( りじん )は雪車に物をのせ、おのれものりて雪上を 行 ( ゆく )事舟のごとくす。 雪中は牛馬の足立ざるゆゑすべて 雪車 ( そり )を用ふ。 春の雪中 重 ( おもき )を 負 ( おは )しむる事 牛馬 ( うしうま )に 勝 ( まさ )る。 (雪車の 制作 ( せいさく )別に記す、形大小種々あり大なるを 修羅 ( しゆら )といふ)雪国の 便利 ( べんり ) 第 ( だい )一の 用具 ( ようぐ )也。 しかれども雪凍りたる時にあらざれば用ひがたし、ゆゑに里人 雪舟途 ( そりみち )と 唱 ( とな )ふ。 凡 ( およそ )雪九月末より 降 ( ふり )はじめて雪中に春を 迎 ( むかへ )、正二の月は雪 尚 ( なほ ) 深 ( ふか )し。 三四の月に 至 ( いた )りて次第に 解 ( とけ )、五月にいたりて雪全く 消 ( きえ )て 夏道 ( なつみち )となる。 (年の寒暖によりて遅速あり)四五月にいたれば春の花ども一 時 ( じ )にひらく。 されば雪中に 在 ( あ )る事 凡 ( およそ )八ヶ月、一年の 間 ( あひだ )雪を 看 ( み )ざる事 僅 ( わづか )に四ヶ月なれども、全く雪中に 蟄 ( こも )るは半年也。 こゝを以て 家居 ( いへゐ )の 造 ( つく )りはさら也、 万事 ( よろづのこと )雪を 禦 ( ふせ )ぐを 専 ( もつはら )とし、 財 ( ざい )を 費 ( つひやし ) 力 ( ちから )を 尽 ( つく )す事 紙筆 ( しひつ )に 記 ( しる )しがたし。 農家 ( のうか )はことさら夏の初より秋の末までに五 穀 ( こく )をも 収 ( をさむ )るゆゑ、雪中に 稲 ( いね )を 刈 ( かる )事あり。 其 ( その ) 忙 ( せはし )き事の千 辛 ( しん )万 苦 ( く )、暖国の 農業 ( のうげふ )に 比 ( ひ )すれば百 倍 ( ばい )也。 さればとて雪国に 生 ( うまる )る 者 ( もの )は 幼稚 ( をさなき )より雪中に成長するゆゑ、 蓼中 ( たでのなか )の 虫 ( むし ) 辛 ( からき )をしらざるがごとく雪を雪ともおもはざるは、 暖地 ( だんち )の 安居 ( あんきよ )を 味 ( あぢはへ )ざるゆゑ也。 女はさら也、男も十人に七人は 是 ( これ )也。 しかれども 住 ( すめ )ば 都 ( みやこ )とて、 繁花 ( はんくわ )の江戸に奉公する事 年 ( とし )ありて 後 ( のち )雪国の 故郷 ( ふるさと )に 皈 ( かへ )る者、これも又十人にして七人也。 胡場 ( こば ) 北風 ( ほくふう )に 嘶 ( いなゝ )き、 越鳥 ( ゑつてう ) 南枝 ( なんし )に 巣 ( す )くふ、 故郷 ( こきやう )の 忘 ( わすれ )がたきは世界の 人情 ( にんじやう )也。 さて雪中は 廊下 ( らうか )に (江戸にいふ 店 ( たな )下) 雪垂 ( ゆきだれ )を (かやにてあみたるすだれをいふ) 下 ( くだ )し、 ( 雪吹 ( ふゞき )をふせぐため也) 窗 ( まど )も又これを用ふ。 雪ふらざる時は 巻 ( まい )て 明 ( あかり )をとる。 雪下 ( ゆきふる )事 盛 ( さかん )なる 時 ( とき )は、 積 ( つも )る雪家を 埋 ( うづめ )て雪と 屋上 ( やね )と 均 ( ひとし )く 平 ( たひら )になり、 明 ( あかり )のとるべき処なく、 昼 ( ひる )も 暗夜 ( あんや )のごとく 燈火 ( ともしび )を 照 ( てら )して家の内は 夜昼 ( よるひる )をわかたず。 漸 ( やうやく )雪の 止 ( やみ )たる時、雪を 掘 ( ほり )て 僅 ( わづか )に小 窗 ( まど )をひらき 明 ( あかり )をひく時は、 光明 ( くわうみやう ) 赫奕 ( かくやく )たる仏の国に生たるこゝち也。 鳥獣 ( とりけだもの )は 雪中 ( せつちゆう ) 食 ( しよく ) 无 ( なき )をしりて雪 浅 ( あさ )き国へ 去 ( さ )るもあれど一 定 ( ぢやう )ならず。 雪中に 籠 ( こも )り 居 ( ゐ )て朝夕をなすものは人と熊と也。 宿場 ( しゆくば )と 唱 ( となふ )る 所 ( ところ )は家の 前 ( まへ )に 庇 ( ひさし )を長くのばして 架 ( かく )る、大小の 人家 ( じんか )すべてかくのごとし。 雪中はさら也、平日も 往来 ( ゆきゝ )とす。 これによりて雪中の 街 ( ちまた )は用なきが如くなれば、人家の雪をこゝに 積 ( つむ )。 次第 ( しだい )に 重 ( かさなり )て 両側 ( りやうかは )の家の 間 ( あひだ )に雪の 堤 ( つゝみ )を 築 ( きづき )たるが 如 ( ごと )し。 こゝに於て 所々 ( ところ/\ )に雪の 洞 ( ほら )をひらき、 庇 ( ひさし )より庇に 通 ( かよ )ふ、これを 里言 ( さとことば )に 胎内潜 ( たいないくゞり )といふ、又 間夫 ( まぶ )ともいふ。 間夫 ( まぶ )とは 金掘 ( かねほり )の 方言 ( ことば )なるを 借 ( かり )て 用 ( もち )ふる也。 (間夫の本義は 妻妾 ( さいせふ )の 奸淫 ( かんいん )するをいふ)宿外の家の 続 ( つゞか )ざる処は 庇 ( ひさし )なければ、 高低 ( たかびく )をなしたるかの雪の 堤 ( つゝみ )を 往来 ( ゆきゝ )とす。 人の 足立 ( あしたて )がたき処あれば一 条 ( でう )の 道 ( みち )を 開 ( ひら )き、春にいたり雪 堆 ( うづだか )き所は 壇層 ( だん/\ )を作りて 通路 ( つうろ )の 便 ( べん )とす。 形 ( かたち ) 匣階 ( はこばしご )のごとし。 所 ( ところ )の 者 ( もの )はこれを 登下 ( のぼりくだり )するに 脚 ( あし )に 慣 ( なれ )て 一歩 ( ひとあし )もあやまつ事なし。 他国 ( たこく )の 旅人 ( たびゝと )などは 怖 ( おそ )る/\ 移歩 ( あしをはこび )かへつて 落 ( おつ )る 者 ( もの )あり、おつれば雪中に 身 ( み )を 埋 ( うづ )む。 視 ( み )る人はこれを 笑 ( わら )ひ、 落 ( おち )たるものはこれを 怒 ( いか )る。 かゝる 難所 ( なんじよ )を作りて他国の 旅客 ( りよかく )を 労 ( わづら )はしむる事 求 ( もとめ )たる 所為 ( しわざ )にあらず。 此雪を 取除 ( とりのけん )とするには 人力 ( じんりき )と 銭財 ( せんざい )とを 費 ( つひや )すゆゑ、 寸導 ( せめて )は 壇 ( だん )を作りて 途 ( みち )を 開 ( ひら )く也。 そも/\初雪より歳を越て雪 消 ( きゆ )るまでの事を 繁細 ( はんさい )に記さば小冊には 尽 ( つく )しがたし、ゆゑに 省 ( はぶき )てしるさゞる事甚多し。 大小の川に 近 ( ちか )き 村里 ( むらさと )、初雪の 後 ( のち ) 洪水 ( こうずゐ )の 災 ( わざはひ )に 苦 ( くるし )む事あり。 洪水 ( こうずゐ )を此国の 俚言 ( りげん )に 水揚 ( みづあがり )といふ。 勝手 ( かつて )の方へ立いで見れば 家内 ( かない )の男女 狂気 ( きやうき )のごとく 駈 ( かけ )まはりて、 家財 ( かざい )を水に 流 ( なが )さじと 手当 ( てあたり )しだいに 取退 ( とりのく )る。 水は 低 ( ひくき )に随て 潮 ( うしほ )のごとくおしきたり、 已 ( すで )に 席 ( たゝみ )を 浸 ( ひた )し 庭 ( には )に 漲 ( みなぎ )る。 次第に 積 ( つもり )たる雪 所 ( ところ )として雪ならざるはなく、 雪光 ( せつくわう ) 暗夜 ( あんや )を 照 ( てら )して水の 流 ( ながる )るありさま、おそろしさいはんかたなし。 余 ( よ )は人に 助 ( たす )けられて 高所 ( たかきところ )に 逃登 ( にげのぼ )り 遙 ( はるか )に 駅中 ( えきちゆう )を 眺 ( のぞめ )ば、 提灯 ( ちやうちん ) 炬 ( たいまつ )を 燈 ( とも )しつれ大勢の男ども 手 ( てに )々に [#「 手 ( てに )々に」はママ] 木鋤 ( こすき )をかたげ、雪を 越 ( こえ )水を 渉 ( わたり )て 声 ( こゑ )をあげてこゝに 来 ( きた )る。 これは 水揚 ( みづあがり )せざる 所 ( ところ )の 者 ( もの )どもこゝに 馳 ( はせ )あつまりて、川 筋 ( すぢ )を 開 ( ひら )き水を 落 ( おと )さんとする也。 闇夜 ( あんや )にてすがたは見えねど、 女 ( をんな ) 童 ( わらべ )の 泣叫 ( なきさけ )ぶ 声 ( こゑ ) 或 ( あるひ )は 遠 ( とほ )く或は 近 ( ちか )く、 聞 ( きく )もあはれのありさま也。 燃残 ( もえのこ )りたる 炬 ( たいまつ )一ツをたよりに人も馬も 首 ( くび )たけ水に 浸 ( ひた )り、 漲 ( みなぎ )るながれをわたりゆくは馬を 助 ( たすけ )んとする也。 帯 ( おび )もせざる女 片手 ( かたて )に 小児 ( せうに )を 背負 ( せおひ )、 提灯 ( ちやうちん )を 提 ( さげ )て 高処 ( たかきところ )へ 逃 ( にげ )のぼるは、 近 ( ちか )ければそこらあらはに見ゆ、 命 ( いのち )とつりがへなればなにをも 恥 ( はづか )しとはおもふべからず。 やう/\ 東雲 ( しのゝめ )の 頃 ( ころ )に 至 ( いた )りて、水も 落 ( おち )たりとて 諸人 ( しよにん ) 安堵 ( あんど )のおもひをなしぬ。 此 ( この ) 関 ( せき )といふ 駅 ( しゆく )は左右 人家 ( じんか )の 前 ( まへ )に 一道 ( ひとすぢ )づゝの 流 ( ながれ )あり、 末 ( すゑ )は 魚野川 ( うをのかは )へ落る、 三伏 ( さんふく )の 旱 ( ひでり )にも 乾 ( かわ )く事なき 清流水 ( せいりうすゐ )也。 ゆゑに 家毎 ( いへごと )に 此 ( この ) 流 ( ながれ )を 以 ( もつ )て 井水 ( ゐすゐ )の 代 ( かは )りとし、しかも 桶 ( をけ )にても 汲 ( くむ )べき 流 ( ながれ )なれば、平日の 便利 ( べんり )井戸よりもはるかに 勝 ( まされ )り。 しかるに 初雪 ( しよせつ )の 後 ( のち )十月のころまでにこの 二条 ( ふたすぢ )の 小流 ( こながれ )雪の 為 ( ため )に 降埋 ( ふりうめ )られ、流水は雪の下にあり、 故 ( ゆゑ )に 家毎 ( いへごと )に 汲 ( くむ )べき 程 ( ほど )に雪を 穿 ( うがち )て 水用 ( すゐよう )を弁ず。 この 穿 ( うがち )たる所も一夜の雪に 埋 ( うづめ )らるゝことあれば 再 ( ふたゝび )うがつ事 屡 ( しば/\ )なり。 人家 ( じんか )にちかき 流 ( ながれ )さへかくのごとくなれば、この二 条 ( すぢ )の 流 ( ながれ )の 水源 ( みなかみ )も雪に 埋 ( うづも )れ、 水用 ( すゐよう )を 失 ( うしの )ふのみならず水あがりの 懼 ( おそれ )あるゆゑ、 所 ( ところ )の人 力 ( ちから )を 併 ( あはせ )て流のかゝり口の雪を 穿 ( うがつ )事なり。 されども 人毎 ( ひとごと )に 業用 ( げふよう )にさゝへて時を 失 ( うしな )ふか、又は一夜の大雪にかの 水源 ( すゐげん )を 塞 ( ふさ )ぐ時は、水 溢 ( あぶれ )て 低 ( ひくき )所を 尋 ( たづね )て 流 ( なが )る。 駅中 ( えきちゆう )は人の 往来 ( ゆきゝ )の 為 ( ため )に雪を 蹈 ( ふみ )へして 低 ( ひくき )ゆゑ、 流水 ( りうすゐ ) 漲 ( みなぎ )り 来 ( きた )り 猶 ( なほ )も 溢 ( あぶれ )て人家に入り、 水難 ( すゐなん )に 逢 ( あ )ふ事 前 ( まへ )にいへるがごとし。 幾 ( いく )百人の力を 尽 ( つく )して 水道 ( すゐだう )をひらかざれば、 家財 ( かざい )を 流 ( なが )し 或 ( あるひ )は 溺死 ( できし )におよぶもあり。 雪いまだ 消 ( きえ )ず、山々はさら也 田圃 ( たはた )も 渺々 ( べう/\ )たる 曠平 ( くわうへい )の 雪面 ( せつめん )なれば、 枝川 ( えだかは )は雪に 埋 ( うづも )れ水は雪の下を流れ、大河といへども冬の初より 岸 ( きし )の水まづ 氷 ( こほ )りて氷の上に雪をつもらせ、つもる雪もおなじく氷りて岩のごとく、 岸 ( きし )の氷りたる 端 ( はし ) 次第 ( しだい )に雪ふりつもり、のちには 両岸 ( りやうがん )の雪 相合 ( あひがつ )して 陸地 ( りくち )とおなじ雪の地となる。 さて春を 迎 ( むか )へて寒気次第に 和 ( やは )らぎ、その年の 暖気 ( だんき )につれて雪も 降止 ( ふりやみ )たる二月の 頃 ( ころ )、 水気 ( すゐき )は 地気 ( ちき )よりも 寒暖 ( かんだん )を 知 ( し )る事はやきものゆゑ、かの 水面 ( すゐめん )に 積 ( つも )りたる雪 下 ( した )より 解 ( とけ )て 凍 ( こほ )りたる雪の力も水にちかきは 弱 ( よわ )くなり、 流 ( ながれ )は雪に 塞 ( ふさが )れて 狭 ( せま )くなりたるゆゑ 水勢 ( すゐせい )ます/\ 烈 ( はげ )しく、 陽気 ( やうき )を 得 ( え )て雪の 軟 ( やはらか )なる下を 潜 ( くゞ )り、 堤 ( つゝみ )のきるゝがごとく、 譬 ( たとへ )にいふ 寝耳 ( ねみゝ )に水の 災難 ( さいなん )にあふ事、雪中の 洪水 ( こうずゐ )寒国の 艱難 ( かんなん )、 暖地 ( だんち )の人 憐 ( あはれみ )給へかし。 右は其一をいふのみ。 詳 ( つまびらか )には 弁 ( べん )じがたし。 越後の西北は 大洋 ( おほうみ )に 対 ( たい )して 高山 ( かうざん )なし。 東南は 連山 ( れんざん ) 巍々 ( ぎゝ )として越中上信奥羽の五か国に 跨 ( またが )り、 重岳 ( ちようがく ) 高嶺 ( かうれい ) 肩 ( かた )を 並 ( なら )べて 数 ( す )十里をなすゆゑ大小の 獣 ( けもの ) 甚 ( はなはだ ) 多 ( おほ )し。 此 獣 ( けもの )雪を 避 ( さけ )て他国へ去るもありさらざるもあり、 動 ( うごか )ずして雪中に 穴居 ( けつきよ )するは 熊 ( くま )のみ也。 熊胆 ( くまのい )は越後を上 品 ( ひん )とす、雪中の熊胆はことさらに 価 ( あたひ ) 貴 ( たつと )し。 其 重価 ( ちようくわ )を 得 ( え )んと 欲 ( ほつ )して 春暖 ( しゆんだん )を 得 ( え )て雪の 降止 ( ふりやみ )たるころ、 出羽 ( では )あたりの 猟師 ( れふし )ども五七人心を合せ、三四疋の 猛犬 ( まうけん )を 牽 ( ひ )き米と 塩 ( しほ )と 鍋 ( なべ )を 貯 ( たくは )へ、水と 薪 ( たきゞ )は山中 在 ( あ )るに 随 ( したがつ )て用をなし、山より山を 越 ( こえ )、 昼 ( ひる )は 猟 ( かり )して 獣 ( けもの )を 食 ( しよく )とし、夜は 樹根 ( きのね ) 岩窟 ( がんくつ )を 寝所 ( ねどころ )となし、 生木 ( なまき )を 焼 ( たい )て 寒 ( さむさ )を 凌 ( しのぎ ) 且 ( かつ ) 明 ( あかし )となし、 着 ( き )たまゝにて 寝臥 ( ねふし )をなす。 遠 ( とほ )く 視 ( み )れば 猿 ( さる )にして 顔 ( かほ )は人也。 金革 ( きんかく )を 衽 ( しきね )にすとはかゝる人をやいふべき。 此 者 ( もの )らが 志 ( こゝろざす )所は我国の熊にあり。 さて我山中に入り 場所 ( ばしよ )よきを 見立 ( みたて )、木の 枝 ( えだ ) 藤蔓 ( ふぢつる )を以て 仮 ( かり )に 小屋 ( こや )を作りこれを 居所 ( ゐどころ )となし、おの/\犬を 牽 ( ひき )四方に 別 ( わかれ )て熊を 窺 ( うかゞ )ふ。 熊の 穴居 ( こもり )たる所を 認 ( みつくれ )ば 目幟 ( めじるし )をのこして小屋にかへり、一 連 ( れん )の力を 併 ( あはせ )てこれを 捕 ( と )る。 その 道具 ( だうぐ )は 柄 ( え )の長さ四尺斗りの 手槍 ( てやり )、 或 ( あるひ )は 山刀 ( やまがたな )を 薙刀 ( なぎなた )のごとくに作りたるもの、 銕炮 ( てつはう )山刀 斧 ( をの )の 類 ( るゐ )也。 刃 ( は ) 鈍 ( にぶ )る時は 貯 ( たくは )へたる 砥 ( と )をもつて 自 ( みづから ) 研 ( と )ぐ。 此 道具 ( だうぐ )も 獣 ( けもの )の 皮 ( かは )を以て 鞘 ( さや )となす。 此者ら春にもかぎらず冬より山に入るをりもあり。 そも/\ 熊 ( くま )は 和獣 ( わじう )の王、 猛 ( たけ )くして 義 ( ぎ )を 知 ( し )る。 菓木 ( このみ )の 皮虫 ( かはむし )のるゐを 食 ( しよく )として 同類 ( どうるゐ )の 獣 ( けもの )を 喰 ( くらは )ず、 田圃 ( たはた )を 荒 ( あらさ )ず、 稀 ( まれ )に 荒 ( あら )すは 食 ( しよく )の 尽 ( つき )たる時也。 詩経 ( しきやう )には 男子 ( だんし )の 祥 ( しやう )とし、或は 六雄将軍 ( りくゆうしやうぐん )の名を 得 ( え )たるも 義獣 ( ぎじう )なればなるべし。 牝牡 ( めすをす ) 同 ( おなじ )く 穴 ( あな )に 蟄 ( こも )らず、 牝 ( めす )の子あるは子とおなじくこもる。 其 蔵蟄 ( あなごもり )する所は大木の 雪頽 ( なだれ )に 倒 ( たふ )れて 朽 ( くち )たる 洞 ( うろ ) (なだれの事下にしるす)又は 岩間 ( いはのあひ ) 土穴 ( つちあな )、かれが心に 随 ( したがつ )て 居 ( を )る処さだめがたし。 雪中の熊は右のごとく 他食 ( たしよく )を 求 ( もとめ )ざるゆゑ、その 胆 ( きも )の 良功 ( りやうこう )ある事夏の胆に 比 ( くらぶ )れば百 倍 ( ばい )也。 琥珀 ( こはく )を上 品 ( ひん )とし、黒胆を下品とす。 偽物 ( ぎぶつ )は黒胆に多し。 かれが 居 ( をる )所の 地理 ( ちり )にしたがつて 捕得 ( とりえ )やすき術をほどこす。 熊は秋の土用より 穴 ( あな )に入り、春の土用に穴より 出 ( いづ )るといふ。 又一 説 ( せつ )に、穴に入りてより穴を出るまで 一睡 ( ひとねむり )にねむるといふ、人の 視 ( み )ざるところなれば 信 ( しん )じがたし。 沫雪 ( あわゆき )の 条 ( くだり )にいへるごとく、冬の雪は 軟 ( やはら )にして 足場 ( あしば )あしきゆゑ、熊を 捕 ( とる )は雪の 凍 ( こほり )たる春の土用まへ、かれが穴よりいでんとする 頃 ( ころ )を 程 ( ほど )よき 時節 ( じせつ )とする也。 岩壁 ( がんへき )の 裾 ( すそ )又は 大樹 ( たいじゆ )の 根 ( ね )などに 蔵蟄 ( あなごもり )たるを 捕 ( とる )には 圧 ( おし )といふ 術 ( じゆつ )を 用 ( もち )ふ、 天井釣 ( てんじやうづり )ともいふ。 その 制作 ( しかた )は木の 枝 ( えだ ) 藤 ( ふぢ )の 蔓 ( つる )にて穴に 倚掛 ( よせかけ )て 棚 ( たな )を 作 ( つく )り、たなの 端 ( はし )は 地 ( ち )に付て 杭 ( くひ )を以てこれを 縛 ( しば )り、たなの横木に 柱 ( はしら )ありて 棚 ( たな )の上に大石を 積 ( つみ )ならべ、横木より 縄 ( なは )を下し縄に 輪 ( わ )を 結 ( むす )びて 穴 ( あな )に 臨 ( のぞま )す、これを 蹴綱 ( けづな )といふ。 此蹴綱に 転機 ( しかけ )あり、 全 ( まつた )く 作 ( つく )りをはりてのち、穴にのぞんで 玉蜀烟艸 ( たうがらしたばこ )の 茎 ( くき )のるゐ 熊 ( くま )の 悪 ( にく )む物を 焚 ( たき )、しきりに 扇 ( あふぎ )て 烟 ( けふり )を穴に入るれば熊烟りに 噎 ( むせ )て大に 怒 ( いか )り、穴を飛出る時かならずかの 蹴綱 ( けづな )に 触 ( ふる )れば 転機 ( しかけ )にて 棚 ( たな ) 落 ( おち )て熊大石の下に 死 ( し )す。 手を 下 ( くだ )さずして熊を 捕 ( とる )の上 術 ( じゆつ )也。 是は熊の 居所 ( ゐどころ )による也。 これらは 樵夫 ( せうふ )も 折 ( をり )によりてはする事也。 又 熊捕 ( くまとり )の 場数 ( ばかず )を 蹈 ( ふみ )たる 剛勇 ( がうゆう )の者は一 連 ( れん )の 猟師 ( れふし )を熊の 居 ( を )る穴の前に 待 ( また )せ、 己 ( おのれ )一人 ひろゝ 簑 ( みの )を 頭 ( かしら )より 被 ( かぶり )り ( ひろゝは山にある艸の名也、みのに作れば稿よりかろし、猟師常にこれを用ふ)穴にそろ/\と 這 ( はひ )入り、熊に 簑 ( みの )の毛を 触 ( ふる )れば熊はみのゝ毛を 嫌 ( きら )ふものゆゑ 除 ( よけ )て前にすゝむ。 又 後 ( しりへ )よりみの毛を 障 ( さはら )す、熊又まへにすゝむ。 又さはり又すゝんで熊 終 ( つひ )には穴の口にいたる。 これを 視 ( み )て 待 ( まち )かまへたる 猟師 ( れふし )ども 手練 ( しゆれん )の 槍尖 ( やりさき )にかけて 突留 ( つきとむ )る。 一槍 ( ひとやり ) 失 ( あやまつ )ときは熊の 一掻 ( ひとかき )に一 命 ( めい )を 失 ( うしな )ふ。 その 危 ( あやふき )を 蹈 ( ふん )で熊を捕は 僅 ( わづか )の 黄金 ( かね )の 為 ( ため )也。 金慾 ( きんよく )の人を 過 ( あやまつ )事 色慾 ( しきよく )よりも 甚 ( はなはだ )し。 されば 黄金 ( わうごん )は 道 ( みち )を以て 得 ( う )べし、不道をもつて 得 ( う )べからず。 又上に 覆 ( おほ )ふ所ありてその下には雪のつもらざるを知り土穴を 掘 ( ほり )て 蟄 ( こも )るもあり。 然 ( しか )れどもこゝにも雪三五尺は 吹積 ( ふきつもる )也。 熊の穴ある所の雪にはかならず 細孔 ( ほそきあな )ありて 管 ( くだ )のごとし。 これ熊の 気息 ( いき )にて雪の 解 ( とけ )たる 孔 ( あな )也。 猟師 ( れふし )これを見れば雪を掘て穴をあらはし、木の 枝 ( えだ ) 柴 ( しば )のるゐを穴に 挿 ( さし )入れば熊これを 掻 ( かき )とりて穴に入るゝ、かくする事しば/\なれば穴 逼 ( つま )りて熊穴の口にいづる時槍にかくる。 突 ( つき )たりと見れば 数疋 ( すひき )の 猛犬 ( つよいぬ )いちどに飛かゝりて 囓 ( かみ )つく。 犬は人を力とし、人は犬を力として 殺 ( ころす )もあり。 此術は 椌 ( うつほ )木にこもりたるにもする事也。 熊の 黒 ( くろき )は雪の白がごとく 天然 ( てんねん )の常なれども、 天公 ( てんこう ) 機 ( き )を 転 ( てん )じて 白熊 ( はくいう )を出せり。 よく人に 馴 ( なれ )てはなはだ 愛 ( あいす )べきもの也。 こゝかしこに持あるきしがその 終 ( をはり )をしらず。 白亀の 改元 ( かいげん )、 白鳥 ( しらとり )の 神瑞 ( しんずゐ )、八幡の 鳩 ( はと )、源家の 旗 ( はた )、すべて白きは 皇国 ( みくに )の 祥象 ( しやうせう )なれば、 天機 ( てんき ) 白熊 ( はくいう )をいだししも 昇平万歳 ( しようへいばんぜい )の吉 瑞 ( ずゐ )成べし。 人熊の穴に 墜 ( おちいり )て熊に助られしといふ 話 ( はなし ) 諸書 ( しよしよ )に 散見 ( さんけん )すれども、其 実地 ( じつち )をふみたる人の 語 ( かた )りしは 珍 ( めづらし )ければこゝに 記 ( しる )す。 頃 ( ころ )は夏なりしゆゑ 客舎 ( やどりしいへ )の 庭 ( には )の 木 ( こ )かげに 筵 ( むしろ )をしきて 納涼 ( すゞみ )居しに、 主人 ( あるじ )は酒を 好 ( この )む人にて 酒肴 ( しゆかう )をこゝに開き、 余 ( よ )は酒をば 嗜 ( すか )ざるゆゑ茶を 喫 ( のみ )て居たりしに、 一老夫 ( いちらうふ )こゝに来り主人を 視 ( み )て 拱手 ( てをさげ )て礼をなし 後園 ( うらのかた )へ行んとせしを、 主 ( あるじ ) 呼 ( よび )とめ 老 ( らう )夫を 指 ( ゆびさし )ていふやう、此 叟父 ( おやぢ )は 壮年時 ( わかきとき )熊に助られたる人也、 危 ( あやふ )き 命 ( いのち )をたすかり今年八十二まで 健 ( すこやか )に 長生 ( ながいき )するは 可賀 ( めでたき )老人也、 識面 ( ちかづき )になり給へといふ。 老夫 莞爾 ( にこり )として 再 ( ふたゝび ) 去 ( さら )んとす。 さて是より熊の 話 ( はなし )也、今一盃たまはるべしとて 自 ( みづから ) 酌 ( つぎ )てしきりに 喫 ( のみ )、 腰 ( こし )より 烟艸 ( たばこいれ )をいだして 烟 ( たばこ )を 吹 ( のみ )などするゆゑ、其 次 ( つぎ )はいかにとたづねければ、 老父 ( らうふ ) 曰 ( いはく )、さて 傍 ( かたはら )を見れば 潜 ( くゞる )べきほどの 岩窟 ( いはあな )あり、中には雪もなきゆゑはひりて見るにすこし 温 ( あたゝか )也。 此時こゝろづきて腰をさぐりみるに 握飯 ( にぎりめし )の 弁当 ( べんたう )もいつかおとしたり、かくては 飢死 ( うゑじに )すべし、さりながら雪を 喰 ( くらひ )ても五日や十日は命あるべし、その内には 雪車哥 ( そりうた )の 声 ( こゑ )さへ 聞 ( きこゆ )れば村の者也、大声あげて 叫 ( よば )らば 助 ( たすけ )くれべし、それにつけてもお伊勢さまと善光寺さまをおたのみ申よりほかなしと、しきりに念仏 唱 ( とな )へ、大神宮をいのり日もくれかゝりしゆゑ、こゝを 寝所 ( ねどころ )にせばやと 闇地 ( くらがり )を 探 ( さぐ )り/\ 這 ( は )入りて見るに 次第 ( しだい )に 温 ( あたゝか )也。 猶 ( なほ )も 探 ( さぐ )りし 手先 ( てさき )に 障 ( さはり )しは 正 ( まさ )しく熊也。 しきりになめたれば心 爽 ( さはやか )になり 咽 ( のど )も 潤 ( うるほ )ひしに、熊は 鼻息 ( はないき )を 鳴 ( なら )して 寝 ( ねいる )やう也。 さては我を 助 ( たすく )るならんと心大におちつき、のちは熊と 脊 ( せなか )をならべて 臥 ( ふし )しが宿の事をのみおもひて 眠気 ( ねむけ )もつかず、おもひ/\てのちはいつか 寝入 ( ねいり )たり。 かくて熊の 身動 ( みうごき )をしたるに目さめてみれば、穴の口見ゆるゆゑ夜の 明 ( あけ )たるをしり、穴をはひいで、もしやかへるべき道もあるか、山にのぼるべき 藤 ( ふぢ )づるにてもあるかとあちこち見れどもなし、熊も穴をいでゝ 滝壺 ( たきつぼ )にいたり水をのみし時はじめて熊を見れば、犬を七ツもよせたるほどの大熊也。 又もとの 窟 ( あな )へはいりしゆゑ 我 ( わし )は 窟 ( あな )の口に 居 ( ゐ )て 雪車哥 ( そりうた )のこゑやすらんと 耳 ( みゝ )を 澄 ( すま )して 聞居 ( きゝゐ )たりしが、滝の音のみにて鳥の 音 ( ね )もきかず、その日もむなしく 暮 ( くれ )て又穴に一夜をあかし、熊の 掌 ( て )に 飢 ( うゑ )をしのぎ、 幾日 ( いくか )たちても哥はきかず、その心 細 ( ほそ )き事いはんかたなし。 されど熊は 次第 ( しだい )に 馴 ( なれ ) 可愛 ( かあいく )なりしと語るうち、主人は 微酔 ( ほろゑひ )にて 老夫 ( らうふ )にむかひ、其熊は 牝 ( め )熊ではなかりしかと三人大ひに笑ひ、又酒をのませ盃の 献酬 ( やりとり )にしばらく 話消 ( はなしきえ )けるゆゑ 強 ( しひ )て 下回 ( そのつぎ )をたづねければ、 老夫 ( らうふ ) 曰 ( いはく )、人の心は物にふれてかはるもの也、はじめ熊に 逢 ( あひ )し時はもはや 死地 ( こゝでしす )事と 覚悟 ( かくご )をばきはめ命も 惜 ( をし )くなかりしが、熊に 助 ( たすけ )られてのちは 次第 ( しだい )に命がをしくなり、 助 ( たすく )る人はなくとも雪さへ 消 ( きえ )なば 木根 ( きのね ) 岩角 ( いはかど )に 縋 ( とりつき )てなりと宿へかへらんと、雪のきゆるをのみまちわび幾日といふ日さへ 忘 ( わすれ )て 虚々 ( うか/\ )くらししが、熊は 飼犬 ( かひいぬ )のやうになりてはじめて人間の 貴 ( たふとき )事を 知 ( し )り、 谷間 ( たにあひ )ゆゑ雪のきゆるも里よりは 遅 ( おそ )くたゞ日のたつをのみうれしくありしに、 一日 ( あるひ ) 窟 ( あな )の口の日のあたる所に 虱 ( しらみ )を 捫 ( とり )て 居 ( ゐ )たりし時、熊 窟 ( あな )よりいで袖を 咥 ( くはへ )て引しゆゑ、いかにするかと引れゆきしにはじめ 濘落 ( すべりおち )たるほとりにいたり、熊 前 ( さき )にすゝみて 自在 ( じざい )に雪を 掻掘 ( かきほり ) 一道 ( ひとすぢ )の 途 ( みち )をひらく、 何方 ( いづく )までもとしたがひゆけば又 途 ( みち )をひらき/\て人の 足跡 ( あしあと )ある所にいたり、熊 四方 ( しはう )を 顧 ( かへりみ )て 走 ( はし )り 去 ( さり )て行方しれず。 さては我を 導 ( みちびき )たる也と熊の 去 ( さり )し方を 遥拝 ( ふしをがみ )かず/\礼をのべ、これまつたく神仏の 御蔭 ( おかげ )ぞとお伊勢さま 善光寺 ( ぜんくわうじ )さまを 遥拝 ( ふしをがみ )うれしくて足の 蹈所 ( ふみど )もしらず、 火点頃 ( ひとぼしころ )宿へかへりしに、此時近所の人々あつまり念仏申てゐたり。 両親はじめ 驚愕 ( びつくり )せられ 幽 ( いうれい )ならんとて立さわぐ。 そのはづ也。 月代 ( さかやき )は 簑 ( みの )のやうにのび 面 ( つら )は狐のやうに 痩 ( やせ )たり、幽 とて立さわぎしものちは笑となりて、両親はさら也人々もよろこび、薪とりにいでし四十九日目の 待夜 ( たいや )也とていとなみたる 仏 ( ぶつじ )も 俄 ( にはか )にめでたき 酒宴 ( さかもり )となりしと 仔細 ( こまか )に 語 ( かた )りしは、九右エ門といひし 小間居 ( こまゐ )の 農夫 ( ひやくしやう )也き。 其夜 燈下 ( ともしびのもと )に筆をとりて語りしまゝを 記 ( しる )しおきしが、今はむかしとなりけり。 唐土 ( もろこし ) 蜀 ( しよく )の 峨眉山 ( がびさん )には夏も 積雪 ( つもりたるゆき )あり。 其雪の 中 ( なか )に 雪蛆 ( せつじよ )といふ虫ある事 山海経 ( さんがいきやう )に見えたり。 ( 唐土 ( もろこし )の書)此 節 ( せつ ) 空 ( むなし )からず、越後の雪中にも 雪蛆 ( せつじよ )あり、此虫早春の頃より雪中に 生 ( しやう )じ雪 消終 ( きえをはれ )ば虫も 消終 ( きえをは )る、 始終 ( ししゆう )の 死生 ( しせい )を雪と 同 ( おなじ )うす。 字書 ( じしよ )を 按 ( あんずる )に、 蛆 ( じよ )は 腐中 ( ふちゆう )の 蠅 ( はへ )とあれば 所謂 ( いはゆる ) 蛆蠅 ( うじばへ )也。 木火土金水 ( もくくわどごんすゐ )の五行中皆虫を 生 ( しやう )ず、木の虫土の虫水の虫は 常 ( つね )に見る所めづらしからず。 蠅 ( はへ )は 灰 ( はひ )より 生 ( しやう )ず、灰は火の 燼末 ( もえたこな )也、しかれば蠅は火の虫也。 蠅 ( はへ )を 殺 ( ころ )して 形 ( かたち )あるもの 灰中 ( はひのなか )におけば 蘇 ( よみがへる )也。 又 虱 ( しらみ )は人の 熱 ( ねつ )より 生 ( しやう )ず、 熱 ( ねつ )は火也、火より生たる虫ゆゑに 蠅 ( はへ )も 虱 ( しらみ )も 共 ( とも )に 暖 ( あたゝか )なるをこのむ。 金中 ( かねのなか )の虫は 肉眼 ( ひとのめ )におよばざる 冥塵 ( ほこり )のごとき虫ゆゑに人これをしらず。 およそ 銅銕 ( どうてつ )の 腐 ( くさる )はじめは虫を 生 ( しやう )ず、虫の生じたる 所 ( ところ ) 色 ( いろ )を 変 ( へん )ず。 しば/\これを 拭 ( ぬぐへ )ば虫をころすゆゑ 其所 ( そのところ ) 腐 ( くさら )ず。 錆 ( さびる )は 腐 ( くさる )の 始 ( はじめ )、 錆 ( さび )の中かならず虫あり、 肉眼 ( にくがん )におよばざるゆゑ人しらざる也。 (蘭人の説也)金中 猶 ( なほ ) 虫 ( むし )あり、雪中虫 無 ( なから )んや。 しかれども常をなさゞれば 奇 ( き )とし 妙 ( めう )として 唐土 ( もろこし )の 書 ( しよ )にも 記 ( しる )せり。 我越後の 雪蛆 ( せつじよ )はちひさき事 蚊 ( か )の 如 ( ごと )し。 此虫は二 種 ( しゆ )あり、一ツは 翼 ( はね )ありて 飛行 ( とびあるき )、一ツははねあれども 蔵 ( おさめ )て 行 ( はひありく )。 共に足六ツあり、色は 蠅 ( はへ )に 似 ( に )て 淡 ( うす )く (一は黒し)其 居 ( を )る所は 市中原野 ( しちゆうげんや ) 蚊 ( か )におなじ。 しかれども人を 螫 ( さす )むしにはあらず、 顕微鏡 ( むしめがね )にて 視 ( み )たる所をこゝに 図 ( づ )して 物産家 ( ぶつさんか )の 説 ( せつ )を 俟 ( ま )つ。 雪吹 ( ふゞき )は 樹 ( き )などに 積 ( つも )りたる雪の風に 散乱 ( さんらん )するをいふ。 其状 ( そのすがた ) 優美 ( やさしき )ものゆゑ花のちるを是に 比 ( ひ )して 花雪吹 ( はなふゞき )といひて 古哥 ( こか )にもあまた見えたり。 是 ( これ )東南 寸雪 ( すんせつ )の国の事也、北方 丈雪 ( ぢやうせつ )の国我が越後の雪 深 ( ふかき )ところの雪吹は雪中の 暴風 ( はやて )雪を 巻騰 ( まきあぐる ) ( つぢかぜ )也。 雪中第一の 難義 ( なんぎ )これがために死する人年々也。 その一ツを 挙 ( あげ )てこゝに 記 ( しる )し、 寸雪 ( すんせつ )の 雪吹 ( ふゞき )のやさしきを 観 ( みる )人の 為 ( ため )に 丈雪 ( ぢやうせつ )の雪吹の 愕 ( おそろしき )を 示 ( しめ )す。 余 ( よ )が 住 ( すむ ) 塩沢 ( しほさは )に 遠 ( とほ )からざる村の 農夫 ( のうふ ) 男 ( せがれ )一人あり、 篤実 ( とくじつ )にして 善 ( よく ) 親 ( おや )に 仕 ( つか )ふ。 廿二歳の冬、二里あまり 隔 ( へだて )たる村より十九歳の 娵 ( よめ )をむかへしに、 容姿 ( すがた ) 憎 ( にく )からず 生質 ( うまれつき ) 柔従 ( やはらか )にて、 糸織 ( いとはた )の 伎 ( わざ )にも 怜利 ( かしこ )ければ 舅 ( しうと ) 姑 ( しうとめ )も 可愛 ( かあい )がり、 夫婦 ( ふうふ )の中も 睦 ( むつまし )く 家内 ( かない ) 可祝 ( めでたく )春をむかへ、其年九月のはじめ 安産 ( あんざん )してしかも男子なりければ、 掌中 ( てのうち )に 珠 ( たま )を 得 ( え )たる 心地 ( こゝち )にて 家内 ( かない ) 悦 ( よろこ )びいさみ、 産婦 ( さんふ )も 健 ( すこやか )に 肥立 ( ひだち ) 乳汁 ( ちゝ )も一子に 余 ( あま )るほどなれば 小児 ( せうに )も 肥太 ( こえふと )り 可賀名 ( めでたきな )をつけて 千歳 ( ちとせ )を 寿 ( ことぶき )けり。 此一家 ( このいつか )の 者 ( もの )すべて 篤実 ( とくじつ )なれば 耕織 ( かうしよく )を 勤行 ( よくつとめ )、 小農夫 ( こびやくしやう )なれども 貧 ( まづし )からず、 善男 ( よきせがれ )をもち 良娵 ( よきよめ )をむかへ 好孫 ( よきまご )をまうけたりとて一 村 ( そん )の人々 常 ( つね )に 羨 ( うらやみ )けり。 かゝる 善人 ( ぜんにん )の 家 ( いへ )に天 災 ( わざはひ )を 下 ( くだ )ししは 如何 ( いかん )ぞや。 舅 ( しうと ) 旁 ( かたはら )にありて、そはよき事也 男 ( せがれ )も行べし、 実母 ( ばゝどの )へも 孫 ( まご )を見せてよろこばせ 夫婦 ( ふうふ )して 自慢 ( じまん )せよといふ。 娵 ( よめ )はうちゑみつゝ 姑 ( しうとめ )にかくといへば、姑は 俄 ( にはか )に 土産 ( みやげ )など取そろへる 間 ( うち )に 娵 ( よめ ) 髪 ( かみ )をゆひなどして 嗜 ( たしなみ )の 衣類 ( いるゐ )を 着 ( ちやく )し、 綿入 ( わたいれ )の 木綿帽子 ( もめんばうし )も 寒国 ( かんこく )の 習 ( ならひ )とて見にくからず、 児 ( こ )を 懐 ( ふところ )にいだき入んとするに 姑 ( しうとめ ) 旁 ( かたはら )よりよく 乳 ( ち )を 呑 ( のま )せていだきいれよ、 途 ( みち )にてはねんねがのみにくからんと 一言 ( ひとこと )の 詞 ( ことば )にも 孫 ( まご )を 愛 ( あい )する 情 ( こゝろ )ぞしられける。 夫 ( をつと )は 蓑笠 ( みのかさ ) 稿脚衣 ( わらはゞき )すんべを 穿 ( はき ) ( 晴天 ( せいてん )にも 簑 ( みの )を 着 ( きる )は雪中 農夫 ( のうふ )の常也) 土産物 ( みやげもの )を 軽荷 ( かるきに )に 担 ( にな )ひ、 両親 ( ふたおや )に 暇乞 ( いとまごひ )をなし 夫婦 ( ふうふ ) 袂 ( たもと )をつらね 喜躍 ( よろこびいさみ )て 立出 ( たちいで )けり。 正是 ( これぞ ) 親子 ( おやこ )が 一世 ( いつせ )の 別 ( わか )れ、 後 ( のち )の 悲歎 ( なげき )とはなりけり。 をつとつまにいふ、 今日 ( けふ )は 頃日 ( このごろ )の 日和 ( ひより )也、よくこそおもひたちたれ。 今日 ( けふ ) 夫婦 ( ふうふ ) 孫 ( まご )をつれて 来 ( きた )るべしとは 親 ( おや )たちはしられ玉ふまじ。 孫 ( まご )の 顔 ( かほ )を見玉はゞさぞかしよろこび給ふらん。 さればに候、 父翁 ( とつさま )はいつぞや 来 ( きた )られしが 母人 ( かさま )はいまだ 赤子 ( ねんね )を見給はざるゆゑことさらの 喜悦 ( よろこび )ならん。 遅 ( おそく )ならば 一宿 ( とまり )てもよからんか、 郎 ( おまへ )も 宿 ( とまり )給へ。 朗々 ( のどか )なりしも 掌 ( てのひら )をかへすがごとく 天 ( てん ) 怒 ( いかり ) 地 ( ち ) 狂 ( くるひ )、寒風は 肌 ( はだへ )を 貫 ( つらぬく )の 鎗 ( やり )、 凍雪 ( とうせつ )は 身 ( み )を 射 ( いる )の 箭 ( や )也。 夫 ( をつと )は 簑笠 ( みのかさ )を吹とられ、 妻 ( つま )は 帽子 ( ばうし )を 吹 ( ふき )ちぎられ、 髪 ( かみ )も吹みだされ、 咄嗟 ( あはや )といふ 間 ( ま )に 眼口 ( めくち ) 襟袖 ( えりそで )はさら也、 裾 ( すそ )へも雪を吹いれ、 全身 ( ぜんしん ) 凍 ( こゞえ ) 呼吸 ( こきう ) 迫 ( せま )り 半身 ( はんしん )は 已 ( すで )に雪に 埋 ( う )められしが、 命 ( いのち )のかぎりなれば 夫婦 ( ふうふ ) 声 ( こゑ )をあげほうい/\と 哭叫 ( なきさけべ )ども、 往来 ( ゆきゝ )の人もなく 人家 ( じんか )にも 遠 ( とほ )ければ 助 ( たすく )る人なく、手足 凍 ( こゞへ )て 枯木 ( かれき )のごとく 暴風 ( ばうふう )に 吹僵 ( ふきたふさ )れ、 夫婦 ( ふうふ ) 頭 ( かしら )を 並 ( ならべ )て雪中に 倒 ( たふ )れ 死 ( しゝ )けり。 此 雪吹 ( ふゞき )其日の 暮 ( くれ )に 止 ( やみ )、 次日 ( つぎのひ )は 晴天 ( せいてん )なりければ 近村 ( きんそん )の者四五人此所を 通 ( とほ )りかゝりしに、かの 死骸 ( しがい )は 雪吹 ( ふゞき )に 埋 ( うづめ )られて見えざれども 赤子 ( あかご )の 啼声 ( なくこゑ )を雪の中にきゝければ、人々大に 怪 ( あやし )みおそれて 逃 ( にげ )んとするも 在 ( あり )しが、 剛気 ( がうき )の者雪を 掘 ( ほり )てみるに、まづ女の 髪 ( かみ )の 毛 ( け )雪中に 顕 ( あらはれ )たり。 扨 ( さて )は 昨日 ( きのふ )の 雪吹倒 ( ふゞきたふ )れならん (里言にいふ所)とて皆あつまりて雪を 掘 ( ほり )、 死骸 ( しがい )を見るに 夫婦 ( ふうふ ) 手 ( て )を 引 ( ひき )あひて 死居 ( しゝゐ )たり。 児 ( こ )は母の 懐 ( ふところ )にあり、母の袖 児 ( こ )の 頭 ( かしら )を 覆 ( おほ )ひたれば 児 ( こ )は 身 ( み )に雪をば 触 ( ふれ )ざるゆゑにや 凍死 ( こゞえしな )ず、 両親 ( ふたおや )の 死骸 ( しがい )の中にて又 声 ( こゑ )をあげてなきけり。 雪中の 死骸 ( しがい )なれば 生 ( いけ )るがごとく、 見知 ( みしり )たる者ありて 夫婦 ( ふうふ )なることをしり、 我児 ( わがこ )をいたはりて袖をおほひ夫婦手をはなさずして 死 ( しゝ )たる心のうちおもひやられて、さすがの 若者 ( わかもの )らも 泪 ( なみだ )をおとし、 児 ( こ )は 懐 ( ふところ )にいれ 死骸 ( しがい )は 簑 ( みの )につゝみ 夫 ( をつと )の 家 ( いへ )に 荷 ( にな )ひゆきけり。 かの 両親 ( ふたおや )は夫婦 娵 ( よめ )の家に 一宿 ( とまりし )とのみおもひをりしに、 死骸 ( しがい )を見て 一言 ( ひとこと )の 詞 ( ことば )もなく、 二人 ( ふたり )が 死骸 ( しがい )にとりつき 顔 ( かほ )にかほをおしあて大 声 ( こゑ )をあげて 哭 ( なき )けるは、見るも 憐 ( あはれ )のありさま也。 一人の男 懐 ( ふところ )より 児 ( こ )をいだして 姑 ( しうと )にわたしければ、 悲 ( かなしみ )と 喜 ( よろこび )と 両行 ( りやうかう )の 涙 ( なみだ )をおとしけるとぞ。 雪吹 ( ふゞき )の人を 殺 ( ころ )す事大方右に 類 ( るゐ )す。 暖地 ( だんち )の人花の 散 ( ちる )に 比 ( くらべ )て 美賞 ( びしやう )する 雪吹 ( ふゞき )と其 異 ( ことなる )こと、 潮干 ( しほひ )に 遊 ( あそ )びて 楽 ( たのしむ )と 洪濤 ( つなみ )に 溺 ( おぼれ )て 苦 ( くるしむ )との 如 ( ごと )し。 雪国の 難義 ( なんぎ ) 暖地 ( だんち )の人おもひはかるべし。 連日 ( れんじつ )の 晴天 ( せいてん )も一時に 変 ( へん )じて雪吹となるは雪中の常也。 其 力 ( ちから ) 樹 ( き )を 抜 ( ぬき ) 屋 ( いへ )を 折 ( くじく )。 人家これが 為 ( ため )に 苦 ( くるし )む事 枚挙 ( あげてかぞへ )がたし。 雪吹に 逢 ( あひ )たる時は雪を 掘 ( ほり )身を其内に 埋 ( うづむ )れば雪 暫時 ( ざんじ )につもり、雪中はかへつて 温 ( あたゝか )なる 気味 ( きみ )ありて 且 ( かつ ) 気息 ( いき )を 漏 ( もら )し死をまぬがるゝ事あり。 雪中を 歩 ( ほ )する人 陰嚢 ( いんのう )を 綿 ( わた )にてつゝむ事をす、しかせざれば 陰嚢 ( いんのう )まづ 凍 ( こほり )て 精気 ( せいき ) 尽 ( つく )る也。 又 凍死 ( こゞえしゝ )たるを 湯火 ( たうくわ )をもつて 温 ( あたゝむ )れば 助 ( たすか )る事あれども 武火 ( つよきひ ) 熱湯 ( あつきゆ )を 用 ( もち )ふべからず。 命 ( いのち )たすかりたるのち 春暖 ( しゆんだん )にいたれば 腫 ( はれ ) 病 ( やまひ )となり 良医 ( りやうい )も 治 ( ぢ )しがたし。 凍死 ( こゞえしゝ )たるはまづ 塩 ( しほ )を 熬 ( いり )て 布 ( ぬの )に 包 ( つゝみ )しば/\ 臍 ( へそ )をあたゝめ 稿火 ( わらび )の 弱 ( よわき )をもつて 次第 ( しだい )に 温 ( あたゝむ )べし、 助 ( たすか )りたるのち 病 ( やまひ )を 発 ( はつ )せず。 ( 人肌 ( ひとはだ )にて 温 ( あたゝ )むはもつともよし) 手足 ( てあし )の 凍 ( こゞえ )たるも 強 ( つよ )き 湯火 ( たうくわ )にてあたゝむれば、 陽気 ( やうき )いたれば 灼傷 ( やけど )のごとく 腫 ( はれ )、つひに 腐 ( くさり )て 指 ( ゆび )をおとす、百 薬 ( やく ) 功 ( こう )なし。 これ 我 ( わ )が見たる所を 記 ( しる )して人に 示 ( しめ )す。 人の 凍死 ( こゞえし )するも手足の 亀手 ( かゞまる )も 陰毒 ( いんどく )の 血脉 ( けちみやく )を 塞 ( ふさ )ぐの也。 俄 ( にはか )に 湯火 ( たうくわ )の 熱 ( ねつ )を以て 温 ( あたゝむ )れば 人精 ( じんせい )の 気血 ( きけつ )をたすけ、 陰毒 ( いんどく ) 一旦 ( いつたん )に 解 ( とく )るといへども 全 ( まつた )く 去 ( さら )ず、 陰 ( いん )は 陽 ( やう )に 勝 ( かた )ざるを以て 陽気 ( やうき ) 至 ( いたれ )ば 陰毒 ( いんどく ) 肉 ( にく )に 暈 ( しみ )て 腐 ( くさる )也。 寒中 雨雪 ( うせつ )に 歩行 ( ありき )て 冷 ( ひえ )たる人 急 ( きふ )に 湯火 ( たうくわ )を 用 ( もち )ふべからず。 己 ( おのれ )が 人熱 ( じんねつ )の 温 ( あたゝか )ならしむるをまつて用ふべし、 長生 ( ちやうせい )の一 術 ( じゆつ )なり。 世に越後の 七不思議 ( なゝふしぎ )と 称 ( しよう )する其一ツ 蒲原郡 ( かんばらこほり )妙法寺村の 農家 ( のうか ) 炉中 ( ろちゆう )の 隅 ( すみ ) 石臼 ( いしうす )の 孔 ( あな )より 出 ( いづ )る火、人 皆 ( みな ) 奇 ( き )也として 口碑 ( かうひ )につたへ 諸書 ( しよしよ )に 散見 ( さんけん )す。 此火寛文年中 始 ( はじめ )て 出 ( いで )しと 旧記 ( きうき )に見えたれば、三百余年の今において 絶 ( たゆ )る事なきは 奇中 ( きちゆう )の奇也。 天奇 ( てんき )を 出 ( いだ )す事一ならず、おなじ国の 魚沼郡 ( うおぬまこほり )に又一ツの 奇火 ( きくわ )を 出 ( いだ )せり。 天公 ( てんたうさま )の 機状 ( からくりのしかけ )かの妙法寺村の火とおなじ事也。 彼 ( かれ )は人の 知 ( し )る所、是は他国の人のしらざる所なればこゝに 記 ( しるし )て 話柄 ( はなしのたね )とす *3。 その中に一人の 童 ( わらべ ) 家 ( いへ )にかへり 事 ( こと )の 仔細 ( しさい )を 親 ( おや )に 語 ( かたり )けるに、 此親 ( このおや )心ある者にてその所にいたり火の 形状 ( かたち )を見るに、いまだ 消 ( きえ )ざる雪中に 手 ( て )を入るべきほどの 孔 ( あな )をなし 孔 ( あな )より三四寸の上に火 燃 ( もゆ )る。 熟覧 ( よく/\みて )おもへらく、これ 正 ( まさ )しく妙法寺村の火のるゐなるべしと 火口 ( ひぐち )に石を入れてこれを 消 ( け )し家にかへりて人に 語 ( かたら )ず、雪きえてのち 再 ( ふたゝび )その所にいたりて見るに火のもえたるはかの 小溝 ( こみぞ )の 岸 ( きし )也。 火燧 ( ひうち )をもて 発燭 ( つけぎ )に火を 点 ( てん )じ 試 ( こゝろみ )に池中に 投 ( なげ )いれしに、 池中 ( ちちゆう )火を 出 ( いだ )せし事 庭燎 ( にはび )のごとし。 水上に火 燃 ( もゆ )るは妙法寺村の火よりも 奇 ( き )也として 駅中 ( えきちゆう )の人々 来 ( きた )りてこれを 視 ( み )る。 そのゝち銭に 才 ( かしこき )人かの池のほとりに 混屋 ( ふろや )をつくり、 筧 ( かけひ )を以て水をとるがごとくして地中の火を引き 湯槽 ( ゆぶね )の 竈 ( かまど )に 燃 ( もや )し、又 燈火 ( ともしび )にも 代 ( かゆ )る。 此湯 硫黄 ( ゆわう )の気ありて 能 ( よく ) 疥癬 ( しつ )の 類 ( るゐ )を 治 ( ぢ )し、 一時 ( いちじ ) 流行 ( りうかう )して人群をなせり。 かるがゆゑに火脉は 甚 ( はなはだ ) 稀 ( まれ )也。 地中の火脉 凝結 ( こりむすぶ )ところかならず 気息 ( いき )を 出 ( いだ )す事人の気息のごとく、 肉眼 ( にくがん )には見えず。 火脉 ( くわみやく )の 気息 ( いき )に 人間 ( にんげん ) 日用 ( にちよう )の 陽火 ( ほんのひ )を 加 ( くはふ )ればもえて 焔 ( ほのほ )をなす、これを 陰火 ( いんくわ )といひ 寒火 ( かんくわ )といふ。 寒火を 引 ( ひく )に 筧 ( かけひ )の 筒 ( つゝ )の 焦 ( こげ )ざるは、火脉の気いまだ陽火をうけて火とならざる 気息 ( いき )ばかりなるゆゑ也。 陽火をうくれば筒の口より一二寸の上に火をなす、こゝを以て 火脉 ( くわみやく )の気息の 燃 ( もゆ )るを 知 ( し )るべし。 妙法寺村の火も是也。 是 余 ( よ )が 発明 ( はつめい )にあらず、 古書 ( こしよ )に 拠 ( より )て 考得 ( かんがへえ )たる所也。 *4 魚沼郡 ( うをぬまこほり ) 清水 ( しみづ )村の 奥 ( おく )に山あり、高さ一里あまり、 周囲 ( めぐり )も一里あまり也。 山中すべて大小の 破隙 ( われめ )あるを以て山の名とす。 山半 ( やまのなかば )は 老樹 ( らうじゆ ) 条 ( えだ )をつらね 半 ( なかば )より上は 岩石 ( がんぜき ) 畳々 ( でふ/\ )として 其形 ( そのかたち ) 竜躍 ( りようをどり ) 虎怒 ( とらいかる )がごとく 奇々怪々 ( きゝくわい/\ ) 言 ( いふ )べからず。 麓 ( ふもと )の左右に 渓川 ( たにがは )あり 合 ( がつ )して 滝 ( たき )をなす、 絶景 ( ぜつけい )又 言 ( いふ )べからず。 旱 ( ひでり )の時此 滝壺 ( たきつぼ )に ( あまこひ )すればかならず 験 ( しるし )あり。 一年 ( ひとゝせ )四月の 半 ( なかば )雪の 消 ( きえ )たる 頃 ( ころ )清水村の 農夫 ( のうふ )ら二十人あまり 集 ( あつま )り、 熊 ( くま )を 狩 ( から )んとて此山にのぼり、かの 破隙 ( われめ )の 窟 ( うろ )をなしたる所かならず熊の 住処 ( すみか )ならんと、 例 ( れい )の 番椒烟草 ( たうがらしたばこ )の 茎 ( くき )を 薪 ( たきゞ )に 交 ( まぜ )、 窟 ( うろ )にのぞんで 焚 ( たき )たてしに熊はさらに 出 ( いで )ず、 窟 ( うろ )の 深 ( ふかき )ゆゑに 烟 ( けふり )の 奥 ( おく )に 至 ( いた )らざるならんと 次日 ( つぎのひ )は 薪 ( たきゞ )を 増 ( ま )し山も 焼 ( やけ )よと 焚 ( たき )けるに、熊はいでずして一山の 破隙 ( われめ )こゝかしこより 烟 ( けふり )をいだして 雲 ( くも )の 起 ( おこる )が 如 ( ごと )くなりければ、 奇異 ( きい )のおもひをなし熊を 狩 ( から )ずして 空 ( むな )しく立かへりしと清水村の 農夫 ( のうふ )が 語 ( かた )りぬ。 おもふに此山 半 ( なかば )より上は岩を 骨 ( ほね )として 肉 ( にく )の 土 ( つち ) 薄 ( うす )く 地脉 ( ちみやく )気を 通 ( つう )じて 破隙 ( われめ )をなすにや、天地妙々の 奇工 ( きこう ) 思量 ( はかりしる )べからず。 山より雪の 崩頽 ( くづれおつる )を 里言 ( さとことば )に なだれといふ、又なでともいふ。 按 ( あんずる )になだれは 撫下 ( なでおり )る也、 るを れといふは 活用 ( はたらかする )ことばなり、山にもいふ也。 こゝには 雪頽 ( ゆきくづる )の 字 ( じ )を 借 ( かり )て 用 ( もち )ふ。 字書 ( じしよ )に 頽 ( たい )は 暴風 ( ばうふう )ともあればよく 叶 ( かな )へるにや。 さて 雪頽 ( なだれ )は 雪吹 ( ふゞき )に 双 ( ならべ )て雪国の 難義 ( なんぎ )とす。 高山 ( たかやま )の雪は里よりも 深 ( ふか )く、 凍 ( こほ )るも又里よりは 甚 ( はなはだ )し。 我国東南の山々 里 ( さと )にちかきも雪一丈四五尺なるは 浅 ( あさ )しとす。 此雪こほりて岩のごとくなるもの、二月のころにいたれば 陽気 ( やうき )地中より 蒸 ( むし )て 解 ( とけ )んとする時地気と天気との 為 ( ため )に 破 ( われ )て 響 ( ひゞき )をなす。 一 片 ( へん ) 破 ( われ )て 片々 ( へん/\ )破る、其ひゞき大木を 折 ( をる )がごとし。 これ 雪頽 ( なだれ )んとするの 萌 ( きざし )也。 山の 地勢 ( ちせい )と日の 照 ( てら )すとによりてなだるゝ 処 ( ところ )となだれざる処あり、なだるゝはかならず二月にあり。 里人 ( さとひと )はその時をしり、処をしり、 萌 ( きざし )を 知 ( し )るゆゑに、なだれのために 撃死 ( うたれし )するもの 稀 ( まれ )也。 しかれども天の 気候 ( きこう ) 不意 ( ふい )にして一 定 ( ぢやう )ならざれば、 雪頽 ( なだれ )の下に身を 粉 ( こ )に 砕 ( くだく )もあり。 此時はかならず 暴風 ( はやて )力をそへて粉に 砕 ( くだき )たる 沙礫 ( こじやり )のごとき雪を 飛 ( とば )せ、白日も 暗夜 ( あんや )の如くその 慄 ( おそろ )しき事 筆帋 ( ひつし )に 尽 ( つく )しがたし。 此 雪頽 ( なだれ )に 命 ( いのち )を 捨 ( おと )しし人、命を 拾 ( ひろひ )し人、我が 見聞 ( みきゝ )したるを 次 ( つぎ )の 巻 ( まき )に 記 ( しる )して 暖国 ( だんこく )の人の 話柄 ( はなしのたね )とす。 或人 ( あるひと ) 問 ( とふて ) 曰 ( いはく )、雪の 形 ( かたち ) 六出 ( むつかど )なるは 前 ( まえ )に 弁 ( べん )ありて 詳 ( つまびらか )也。 雪頽 ( なだれ )は雪の 塊 ( かたまり )ならん、 砕 ( くだけ )たる 形 ( かたち )雪の 六出 ( むつかど )なる 本形 ( ほんけい )をうしなひて 方形 ( かどだつ )はいかん。 答 ( こたへ )て 曰 ( いはく )、地気天に 変格 ( へんかく )して雪となるゆゑ天の 円 ( まるき )と地の 方 ( かく )なるとを 併合 ( あはせ )て 六出 ( むつかど )をなす。 六出 ( りくしゆつ )は 円形 ( まろきかたち )の 裏 ( うら )也。 雪 天陽 ( てんやう )を 離 ( はなれ )て 降下 ( ふりくだ )り地に 皈 ( かへれ )ば天 陽 ( やう )の 円 ( まろ )き 象 ( かたどり )うせて地 陰 ( いん )の 方 ( かく )なる 本形 ( ほんけい )に 象 ( かたど )る、ゆゑに 雪頽 ( なだれ )は千も万も 圭角 ( かどだつ )也。 このなだれ 解 ( とけ )るはじめは 角々 ( かど/\ ) 円 ( まろ )くなる、これ 陽火 ( やうくわ )の日にてらさるゝゆゑ天の 円 ( まろき )による也。 陰中 ( いんちゆう )に 陽 ( やう )を 包 ( つゝ )み、 陽中 ( やうちゆう )に 陰 ( いん )を 抱 ( いだく )は天地 定理中 ( ぢやうりちゆう )の 定格 ( ぢやうかく )也。 老子経 ( らうしきやう )第四十二 章 ( しやう )に 曰 ( いはく )、 万物 ( ばんぶつ )負 レ 陰而 ( いんをおびて )抱 レ 陽 ( やうをいだく ) 沖気以 ( ちゆうきもつて )為 レ 和 ( くわをなす )といへり。 此 理 ( り )を以てする時はお 内義 ( ないぎ )さまいつもお内義さまでは 陰中 ( いんちゆう )に陽を 抱 ( いだか )ずして 天理 ( てんり )に 叶 ( かなは )ず、をり/\は 夫 ( をつと )に 代 ( かは )りて 理屈 ( りくつ )をいはざれば 家内 ( かない ) 治 ( おさまら )ず、さればとて 理屈 ( りくつ )に 過 ( すぎ ) 牝鳥 ( めんどり ) 旦 ( とき )をつくれば、これも又家内の 陰陽 ( いんやう ) 前後 ( ぜんご )して 天理 ( てんり )に 違 ( たが )ふゆゑ家の 亡 ( ほろぶ )るもと也。 万物 ( ばんぶつ )の天理 誣 ( しふ )べからざる事かくのごとしといひければ、 問客 ( とひしひと ) 唯々 ( いゝ )として 去 ( さ )りぬ。 雪頽の 図 ( づ )多く方形に 从 ( したが )ふものは、其七八をとりて 模様 ( もやう )を 為 ( なす )すのみ。 北越雪譜初編巻之上 終 [#改丁] 我 ( わが ) 住 ( すむ ) 魚沼郡 ( うをぬまこほり )の内にて 雪頽 ( なだれ )の 為 ( ため )に 非命 ( ひめい )の 死 ( し )をなしたる事、其村の人のはなしをこゝに 記 ( しる )す。 しかれども人の 不祥 ( ふしやう )なれば 人名 ( じんめい )を 詳 ( つまびらか )にせず。 いづれも 孝子 ( かうし )の 聞 ( きこえ )ありけり。 一年 ( ひとゝせ )二月のはじめ 主人 ( あるじ )は朝より用ある所へ 出行 ( いでゆき )しが、其日も 已 ( すで )に 申 ( さる )の頃なれど 皈 ( かへ )りきたらず。 さのみ 間 ( ひま )をとるべき用にもあらざりければ、家内 不審 ( ふしん )におもひ 忰 ( せがれ ) 家僕 ( かぼく )をつれて其家にいたり 父 ( ちゝ )が事をたづねしに、こゝへはきたらずといふ。 しからばこゝならんかしこならんなど 家僕 ( かぼく )とはかりて 尋求 ( たづねもとめ )しかど 更 ( さら )に 音問 ( おとづれ )をきかず、日もはや 暮 ( くれ )なんとすれば 空 ( むな )しく家に 皈 ( かへ )りしか/\のよし母に 語 ( かた )りければ、こは 心得 ( こゝろえ )ぬ事也とて心あたりの処こゝかしこへ人を 走 ( はし )らせて 尋 ( たづね )させけるにその 在家 ( ありか )さらにしれず。 其夜 四更 ( しかう )の 頃 ( ころ )にいたれども 主人 ( あるじ )は 皈 ( かへ )らず。 我は 宿 ( やど )へ 皈 ( かへ )り足にて 遙 ( はるか )に 行過 ( ゆきすぎ )たる 頃 ( ころ ) 例 ( れい )の 雪頽 ( なだれ )の 音 ( おと )をきゝて、これかならずかの山ならんと 嶺 ( たふげ )を 无事 ( ぶじ )に 通 ( とほ )りしをよろこびしにつけ、こゝのあるじはふもとを 无難 ( ぶなん )に 行過 ( ゆきすぎ )給ひしや、万一なだれに 逢 ( あひ )はし給はざりしかと 案 ( あん )じつゝ 宿 ( やど )へかへりぬ。 今に 皈 ( かへ )り給はぬはもしやなだれにといひて 眉 ( まゆ )を 皺 ( しは )めければ、親子は心あたりときゝてたのみし事も 案 ( あん )にたがひて、顔見あはせ 泪 ( なみだ )さしぐむばかり也。 老夫 ( らうふ )はこれを見てそこ/\に立かへりぬ。 集居 ( あつまりゐ )たる 若人 ( わかて )どもこれをきゝて、さらばなだれの処にいたりてたづねみん 炬 ( たいまつ )こしらへよなど 立騒 ( たちさわ )ぎければ、ひとりの 老人 ( らうじん )がいふ、いな/\まづまち候へ、 遠 ( とほ )くたづねに 行 ( ゆき )し 者 ( もの )もいまだかへらず、今にもその人とおなじくあるじの 皈 ( かへ )りたまはんもはかりがたし、 雪頽 ( なだれ )にうたれ給ふやうなる 不覚人 ( ふかくにん )にはあらざるを、かの 老奴 ( おやぢ )めがいらざることをいひて 親子 ( おやこ )たちの心を 苦 ( くるしめ )たりといふに、親子はこれに 励 ( はげま )されて 心慰 ( こゝろひらけ ) 酒肴 ( しゆかう )をいだして人々にすゝむ。 これを見て 皆 ( みな )打ゑみつゝ 炉辺 ( ろへん )に 座列 ( ゐならび )て酒 酌 ( くみ )かはし、やゝ時うつりて 遠 ( とほ )く 走 ( はせ )たる者ども立かへりしに、 行方 ( ゆくへ )は 猶 ( なほ )しれざりけり。 さて 雪頽 ( なだれ )を見るにさのみにはあらぬすこしのなだれなれば、 道 ( みち )を 塞 ( ふさぎ )たる事二十 間 ( けん ) 余 ( あま )り雪の 土手 ( どて )をなせり。 よしやこゝに死たりともなだれの下をこゝぞとたづねんよすがもなければ、いかにやせんと人々 佇立 ( たゝずみ )たるなかに、かの 老人 ( らうじん )よし/\ 所為 ( しかた )こそあれとて、 若 ( わか )き 者 ( もの )どもをつれ 近 ( ちか )き村にいたりて ( にはとり )をかりあつめ、 雪頽 ( なだれ )の上にはなち 餌 ( ゑ )をあたえつゝおもふ処へあゆませけるに、一羽の 羽たゝきして時ならぬに 為晨 ( ときをつくり )ければ 余 ( ほか )のにはとりもこゝにあつまりて 声 ( こゑ )をあはせけり。 こは 水中 ( すゐちゆう )の 死骸 ( しがい )をもとむる 術 ( じゆつ )なるを雪に 用 ( もち )ひしは 応変 ( おうへん )の才也しと、のち/\までも人々いひあへり。 老人 衆 ( しゆう )にむかひ、あるじはかならず此下に 在 ( あ )るべし、いざ 掘 ( ほ )れほらんとて大勢一度に立かゝりて 雪頽 ( なだれ )を 砕 ( くだ )きなどして 掘 ( ほり )けるほどに、大なる 穴 ( あな )をなして六七尺もほり入れしが目に見ゆるものさらになし。 猶 ( なほ )ちからを 尽 ( つく )してほりけるに 真白 ( ましろ )なる雪のなかに 血 ( ち )を 染 ( そめ )たる雪にほりあて、すはやとて 猶 ( なほ )ほり入れしに 片腕 ( かたうで )ちぎれて 首 ( くび )なき 死骸 ( しがい )をほりいだし、やがて 腕 ( かひな )はいでたれども首はいでず。 こはいかにとて 広 ( ひろ )く穴にしたるなかをあちこちほりもとめてやう/\ 首 ( くび )もいでたり、雪中にありしゆゑ 面 ( おもて ) 生 ( いけ )るがごとく也。 さいぜんよりこゝにありつる 妻 ( つま )子らこれを見るより 妻 ( つま )は 夫 ( をつと )が 首 ( くび )を 抱 ( かゝ )へ、子どもは 死骸 ( しがい )にとりすがり 声 ( こゑ )をあげて 哭 ( なき )けり、人々もこのあはれさを見て 袖 ( そで )をぬらさぬはなかりけり。 かくてもあられねば 妻 ( つま )は 着 ( き )たる 羽織 ( はおり )に 夫 ( をつと )の 首 ( くび )をつゝみてかゝへ、 世息 ( せがれ )は 布子 ( ぬのこ )を 脱 ( ぬぎ )て父の 死骸 ( しがい )に 腕 ( うで )をそへて 泪 ( なみだ )ながらにつゝみ 脊負 ( せおは )んとする時、さいぜん 走 ( はし )りたる 者 ( もの )ども 戸板 ( といた )むしろなど 担 ( かた )げる用意をなしきたり、 妻 ( つま )がもちたる 首 ( くび )をもなきからにそへてかたげければ、人々 前後 ( ぜんご )につきそひ、つま子らは 哭 ( なく )々あとにつきて 皈 ( かへ )りけるとぞ。 此ものがたりは 牧之 ( ぼくし )が 若 ( わか )かりし時その事にあづかりたる人のかたりしまゝをしるせり。 これのみならずなだれに命をうしなひし人 猶 ( なほ ) 多 ( おほ )かり、またなだれに家をおしつぶせし事もありき。 其 ( その ) 怖 ( おそろし )さいはんかたなし。 かの 死骸 ( しがい )の 頭 ( かしら )と 腕 ( かひな )の 断離 ( ちぎれ )たるは、なだれにうたれて 磨断 ( すりきら )れたる也。 なだれは 敢 ( あへ )て山にもかぎらず、 形状 ( かたち ) 峯 ( みね )をなしたる処は時としてなだるゝ事あり。 文化のはじめ 思川村 ( おもひがはむら ) 天昌寺 ( てんしやうじ )の 住職 ( じゆうしよく ) 執中和尚 ( しつちゆうをせう )は 牧之 ( ぼくし )が 伯父 ( をぢ )也。 仲冬のすゑ此人 居間 ( ゐま )の二階にて 書案 ( つくゑ )によりて物を 書 ( かき )てをられしが、 窓 ( まど )の 庇 ( ひさし )に 下 ( さが )りたる 垂氷 ( つらゝ )の五六尺なるが 明 ( あか )りに 障 ( さは )りて 机 ( つくゑ )のほとり 暗 ( くら )きゆゑ、家の 檐 ( のき )にいで 家僕 ( しもべ )が雪をほらんとてうちおきたる 木鋤 ( こすき )をとり、かのつらゝを 打 ( うち )をらんとて一打うちけるに、此ひゞきにやありけん (里言につらゝを かなこほりといふ、たるひとは古言にもいふ)本堂に 積 ( つもり )たる雪の片屋根 磊々 ( ぐら/\ )となだれおち、 土蔵 ( どざう )のほとりに 清水 ( しみづ )がゝりの池ありしに、和尚なだれに 押落 ( おしおと )され池に入るべきを、なだれの 勢 ( いきほ )ひに 身 ( み )は 手鞠 ( てまり )のごとく池をもはねこえて 掘揚 ( ほりあげ )たる雪に 半身 ( はんしん )を 埋 ( うづ )められ、あとさけびたるこゑに 庫裏 ( くり )の雪をほりゐたるしもべら 馳 ( はせ )きたり、 持 ( もち )たる 木鋤 ( こすき )にて和尚を 掘 ( ほり )いだしければ、和尚大に 笑 ( わら )ひ 身 ( み )うちを見るに 聊 ( いさゝか )も 疵 ( きず )うけず、 耳 ( みゝ )に 掛 ( かけ )たる 眼鏡 ( めかね )さへつゝがなく 不思議 ( ふしぎ )の命をたすかり給ひぬ。 此時七十 余 ( よ )の 老僧 ( らうそう )也しが、 前 ( まへ )にいへる 何村 ( なにむら )の人の 不幸 ( ふかう )に 比 ( くらぶ )れば万死に一生をえられたる 天幸 ( てんかう )といひつべし。 齢 ( よはひ )も八十余まで 无病 ( むびやう )にして文政のすゑに 遷化 ( せんげ )せられき。 平日 余 ( よ )に 示 ( しめ )していはれしは、我 雪頽 ( なだれ )に 撞 ( うた )れしとき筆を 採 ( と )りて 居 ( ゐ )たりしは、 尊 ( たふと )き 仏経 ( ぶつきやう )なりしゆゑたゞにやはとて一 字 ( じ ) 毎 ( ごと )に 念仏 ( ねんぶつ )申て 書居 ( かきを )れり、しかるに 雪頽 ( なだれ )に死すべかりしを 不思議 ( ふしぎ )に 命 ( いのち ) 助 ( たす )かりしは一 字 ( じ ) 念仏 ( ねんぶつ )の 功徳 ( くどく )にてやありけん。 神仏 ( かみほとけ )を 信 ( しん )ずる心の 中 ( うち )より悪心はいでぬもの也。 悪心の 无 ( なき )が 災難 ( さいなん )をのがるゝ第一也とをしへられき。 今も 猶 ( なほ ) 耳 ( みゝ )に残れり。 人智 ( じんち )を 尽 ( つく )してのちはからざる 大難 ( だいなん )にあふは 因果 ( いんぐわ )のしからしむる処ならんか。 人にははかりしりがたし。 人家の 雪頽 ( なだれ )にも家を 潰 ( つぶ )せし事人の死たるなどあまた 見聞 ( みきゝ )したれども、さのみはとてしるさず。 さきのとし玉山翁が 梓行 ( しかう )せられし 軍物語 ( いくさものがたり )の画本の中に、越後の雪中にたゝかひしといふ 図 ( づ )あり。 文には 深雪 ( みゆき )とありて、しかも十二月の事なるに、ゑがきたる 軍兵 ( ぐんびやう )どもが 挙止 ( ふるまひ )を見るに雪は 浅 ( あさ )く見ゆ。 (越後の雪中馬足はたちがたし、ゆゑに農人すら雪中牛馬を用ひず、いわんや軍馬をや、しかるを馬上の戦ひにしるしたるは作者のあやまり也、したがふて画者も 誤 ( あやま )れる也、雪あさき国の人の画作なれば雪の実地をしらざるはうべ也)越後雪中の 真景 ( しんけい )には甚しくたがへり。 しかしながら 画 ( ゑ )には 虚 ( そらごと )もまじへざればそのさまあしきもあるべけれど、あまりにたがひたれば玉山の玉に 瑾 ( きず )あらんも 惜 ( をし )ければ、かねて 書通 ( しよつう )の 交 ( まじは )りにまかせて牧之が 拙 ( つたな )き筆にて雪の 真景 ( しんけい ) 種々 ( かず/\ ) 写 ( うつ )し、 猶 ( なほ ) 常 ( つね )に見ざる真景もがなと春の 半 ( なかば )わざ/\ 三国嶺 ( みくにたふげ )にちかき 法師嶺 ( ほふしたふげ )のふもとに 在 ( あ )る 温泉 ( をんせん )に 旅 ( やど )りそのあたりの雪を見つるに、 高 ( たか )き 峯 ( みね )よりおろしたるなだれなどは、五七 間 ( けん )ほどなる四角或は三角なる雪の長さは二三十 間 ( けん )もあらんとおもふが谷によこたはりたる上に、なほ 幾 ( いく )つとなく大小かさなりたるなど、雪国にうまれたる目にさへその 奇観 ( きくわん )ことばには 尽 ( つく )しがたし。 これらの 真景 ( しんけい )をも 其座 ( そのざ )にうつしとりたるを 添 ( そへ )て 贈 ( おく )りしに、玉山翁が 返書 ( へんしよ )に、 北越 ( ほくゑつ )の雪 我 ( わ )が 机上 ( きしやう )にふりかゝるがごとく目をおどろかし候、これらの 図 ( づ )をなほ多くあつめ文を 添 ( そへ )させ私筆にて 例 ( れい )の 絵本 ( ゑほん )となし候はゞ、其 書 ( しよ )雪の 霏.

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カメの性別を見分ける方法: 8 ステップ (画像あり)

絆2かいしがめん

越後の国 往古 ( わうご )は 出羽越中 ( ではゑつちゆう )に 距 ( またが )りし事 国史 ( こくし )に見ゆ。 今は七 郡 ( ぐん )を以て 一国 ( いつこく )とす。 東に 岩船郡 ( いはふねごほり ) (古くは 石 ( いは )に作る海による) 蒲原 ( かんばら )郡 ( 新潟 ( にひがた )の 湊 ( みなと )此郡に属す)西に 魚沼 ( うをぬま )郡 (海に遠し)北に 三嶋 ( みしま )郡 (海による) 刈羽 ( かりは )郡 (海に近し)南に 頸城 ( くびき )郡 (海に近き処もあり) 古志 ( こし )郡 (海に遠し)以上七 郡 ( ぐん )也。 蒲原 ( かんばら )郡の 新潟 ( にひがた )は北海第一の 湊 ( みなと )なれば福地たる ( こと ) 論 ( ろん )を 俟 ( また )ず。 此余 ( このよ )の 豊境 ( はうきやう )は 姑 ( しばらく ) 略 ( りやく )す。 此地皆十月より雪 降 ( ふ )る、その 深 ( ふかき )と 浅 ( あさき )とは 地勢 ( ちせい )による。 猶 ( なほ ) 末 ( すゑ )に 論 ( ろん )ぜり。 蒲原郡 ( かんばらごほり )の 伊弥彦山 ( いやひこさん ) (弥一作夜) 伊弥彦社 ( いやひこのやしろ )を当国第一の 古跡 ( こせき )とす。 祭 ( まつ )るところの御神は 饒速日命 ( にぎはやひのみこと )の御子 天香語山命 ( あまのかごやまのみこと )なり。 元明天皇 ( げんみやうてんわう )の 和銅 ( わだう )二年の 垂跡 ( すゐしやく )とす。 (社領五百石)此山さのみ高山にもあらざれども、越後の 海浜 ( かいひん )八十里の中ほどに 独立 ( どくりう )して 山脉 ( さんみやく )いづれの山へもつゞかず。 右に 国上山 ( くにかみやま )、左に 角田 ( かくだ )山を 提攜 ( ていけい ) [#「提攜」の左に「カヽヘ」の注記]して一国の 諸山 ( しよざん ) 是 ( これ )に 対 ( たい )して 拱揖 ( きよういふ ) [#「拱揖」の左に「コシヲカヽメル」の注記]するが 如 ( ごと )く、いづれの山よりも見えて 実 ( じつ )に越後の 鎮 ( ちん ) [#「鎮」の左に「マモリ」の注記]ともなるべき山は是よりほかにはあらじとおもはる。 さればこそ 命 ( みこと )もこゝに 垂跡 ( すゐしやく )まし/\たれ。 此御神の 縁起 ( えんぎ ) 或 ( あるひ )は 験 ( れいげん ) 神宝 ( じんはう )の 類 ( るゐ )記すべき あまたあれども 姑 ( しばらく )こゝに 省 ( はぶく )。 里言 ( りげん )に 湖 ( みづうみ )を 潟 ( かた )といふ。 その大なるを 福嶋潟 ( ふくしまがた )といふ、四方三里 計 ( ばかり )。 此 潟 ( かた )に遠からずして 五月雨山 ( さみだれやま )あり。 後 ( のち )五年を 経 ( へ )て 勅免 ( ちよくめん )ありしかども、 法 ( ほふ )を 弘 ( ひろめ )ん 為 ( ため )とて越後にいまししこと五年なり、 故 ( ゆゑ )に聖人の 旧跡 ( きうせき )越地に 残 ( のこ )れり。 弘法 ( ぐほふ )廿五年御歳六十の時 洛 ( みやこ )に 皈 ( かへり )玉へり。 (越後に五年、下野に三年、常陸に十年、相模に七年也) 弘長 ( こうちやう )二年十一月廿八日 遷化 ( せんげ ) 寿 ( ことぶき )九十歳。 件 ( くだん )の 柿崎 ( かきざき )の哥も 弘法行脚 ( ぐほふあんぎや )の 時 ( とき )の作なるべし。 さて今を 去 ( さること ) (天保十一子なり)五百四十一年前、 永仁 ( えいにん )六年戌のとし藤原 為兼卿 ( ためかねきやう )佐渡へ 左遷 ( させん )の時、三嶋郡 寺泊 ( てらどまり )の 駅 ( えき )に 順風 ( じゆんふう )を 待 ( まち )玉ひし 間 ( あひだ )、 初君 ( はつぎみ )といふ 遊女 ( いうぢよ )をめし玉ひしに、初君が哥に「ものおもひこし 路 ( ぢ )の 浦 ( うら )の 白浪 ( しらなみ )も立かへるならひありとこそきけ」此哥 吉瑞 ( きちずゐ )となりてや、五年たちてのち 嘉元 ( かげん )元年為兼卿 皈洛 ( きらく )ありて、九年の 後 ( のち )正和元年 玉葉集 ( ぎよくえふしふ )を 撰 ( えらみ )の時、初君が 件 ( くだん )の 哥 ( うた )を入れられ玉へり、是を越後第一の 逸事 ( いつじ ) [#「逸事」の左に「スクレタコト」の注記]とす。 初君が 古跡 ( こせき )今 寺泊 ( てらどまり )に 在 ( あ )り、 里俗 ( りぞく )初君 屋敷 ( やしき )といふ。 貞享 ( ぢやうきやう )元年 釈門万元 ( しやくもんまんげん ) 記 ( しるす )といふ初君が哥の 碑 ( いしぶみ )ありしが、 断破 ( かけやぶれ )しを 享和年間 ( きやうわねんかん ) 里入 ( りじん ) 重修 ( ちようしう ) [#「重修」の左に「ツクリカヘ」の注記]して今に 存 ( そん )せり。 凡 ( およそ )日本国中に於て第一雪の深き国は越後なりと 古昔 ( むかし )も今も人のいふ事なり。 しかれども越後に於も 最 ( もつとも )雪のふかきこと一丈二丈におよぶは 我住 ( わがすむ ) 魚沼郡 ( うをぬまごほり )なり。 次に 古志 ( こし )郡、次に 頸城 ( くびき )郡なり。 其余 ( そのよ )の四 郡 ( ぐん )は雪のつもる 三郡に 比 ( ひ )すれば浅し。 是を以 論 ( ろん )ずれば、 我住 ( わがすむ )魚沼郡は日本第一に雪の 深 ( ふかく ) 降 ( ふる )所なり。 我その魚沼郡の 塩沢 ( しほさは )に 生 ( うま )れ、毎年十月の 頃 ( ころ )より 翌年 ( よくとし )の三四月のころまで雪を 視 ( みる )事 已 ( すで )に六十余年、 近日 ( このごろ )此 雪譜 ( せつふ )を作るも雪に 籠居 ( こもりをる )のすさみなり。 雪なき時ならば 健足 ( たつしや )の人は四日ならば江戸にいたるべし。 其江戸の元日を 聞 ( きけ )ば 縉紳朱門 ( しんしんしゆもん ) [#「縉紳朱門」の左に「ヲレキ/\」の注記]の ( こと )はしらず、 市中 ( しちゆう )は千 門 ( もん )万 戸 ( こ ) 千歳 ( ちとせ )の松をかざり、 直 ( すぐ )なる 御代 ( みよ )の竹をたて、太平の 七五三 ( しめ )を引たるに、 新年 ( しんねん )の 賀客 ( れいしや )麻上下の 肩 ( かた )をつらねて 往来 ( ゆきゝ )するに万歳もうちまじりつ。 女太夫とか 鳥追 ( とりお )ひの 三味線 ( さみせん )にめでたき哥をうたひ、娘の 児 ( こ )のやり 羽子 ( はご )、男の 児 ( こ )の 帋鳶 ( いかのぼり )、見るもの 聞 ( きく )ものめでたきなかに、 初日 ( はつひ ) 影 ( かげ )花やかにさし 昇 ( のぼり )たる、 実 ( げ )に 新玉 ( あらたま )の春とこそいふべけれ。 其 ( その )元日も此雪国の元日も 同 ( おなじ )元日なれども、 大都会 ( たいとくわい )の 繁花 ( はんくわ )と 辺鄙 ( へんひ )の雪中と 光景 ( ありさま )の 替 ( かは )りたる事 雲泥 ( うんでい )のちがひなり。 されば人も三四月にいたらざれば梅花を 不見 ( みず )、翁が句に 春も 稍 ( やゝ ) 景色 ( けしき )とゝのふ月と梅、と 吟 ( ぎん )ぜしは 大都会 ( たいとくわい )の正月十五日なり。 また「山里は万歳 遅 ( おそ )し梅の花」とは 辺鄙 ( へんひ )の三月なるべし。 門松 ( かどまつ )は雪の中へ 建 ( たて )、 七五三 ( しめ )かざりは雪の 軒 ( のき )に引わたす。 礼者 ( れいしや )は 木屐 ( げた )をはき、 従者 ( とも )は 藁靴 ( わらぐつ )なり。 雪 径 ( みち )に 階級 ( だん/\ )ある所にいたれば主人もわらぐつにはきかふる、此げたわらぐつは礼者にかぎらず人々皆しかり。 雪 全 ( まつた )く 消 ( きゆ )る夏のはじめにいたらざれば、 草履 ( ざうり )をはく事ならず。 されば元日の初日影も 惟 ( たゞ )雪の銀 世界 ( せかい )を 照 ( てら )すのみ。 一ツとして春の 景色 ( けしき )を 不見 ( みず )。 古哥 ( こか )に「花をのみ待らん人に山里の雪 間 ( ま )の草の春を見せばや」とは雪浅き 都 ( みやこ )の事ぞかし。 雪国の人は春にして春をしらざるをもつて 生涯 ( しやうがい )を 終 ( をは )る。 初編にもいへる如く我国の雪は 鵞毛 ( がまう )をなすは 稀 ( まれ )なり、大かたは 白砂 ( しらすな )を 降 ( ふら )すが如し。 冬の雪はさらに 凝凍 ( こほる )ことなく、春にいたればこほること 鉄石 ( てつせき )のごとし。 冬の雪のこほらざるは 湿気 ( しめりけ )なく 乾 ( かわき )たる 沙 ( すな )のごとくなるゆゑなり。 是 ( これ ) 暖国 ( だんこく )の雪に 異処 ( ことなるところ )なり。 しかれどもこほりてかたくなるは雪 解 ( とけん )とするのはじめなり。 春にいたりても 年 ( とし )によりては雪の 降 ( ふる )こと冬にかはらざれども、 積 ( つもる )こと五六尺に 過 ( すぎ )ず。 天地に 気 ( やうき ) 有 ( ある )を以なるべし。 されば春の雪は 解 ( とく )るもはやし、しかれども雪のふかき年は春も 屋上 ( やねのうへ )の雪を 掘 ( ほる )ことあり。 掘 ( ほる )とは 椈 ( ぶな )の木にて作りたる 木鋤 ( こすき )にて 土 ( つち )を 掘 ( ほる )ごとくして 取捨 ( とりすつ )るを 里言 ( りげん )に雪を掘といふ、 已 ( すで )に初編にもいへり。 かやうにせざれば雪の 重 ( おもき )に 屋 ( いへ )を 潰 ( つぶす )ゆゑなり。 されば 旧冬 ( きうとう )の 家毎 ( いへごと )に 掘除 ( ほりのけ )たる雪と春 降積 ( ふりつもり )たる雪と 道路 ( みち )に山をなすこと下にあらはす 図 ( づ )を見てもしるべし。 いづれの家にても雪は家よりも 高 ( たかき )ゆゑ、春を 迎 ( むかふ )る時にいたればこゝろよく 日光 ( ひのひかり )を引んために、 明 ( あかし )をとる処の 窗 ( まど )に 遮 ( さへぎ )る雪を他処へ 取除 ( とりのく )るなり。 然 ( しか )るに時としては一夜の 間 ( あひだ )に三四尺の雪に降うづめられて家内 薄暗 ( うすくらく )、心も 朦々 ( まう/\ )として 雑煮 ( ざふに )を 祝 ( いは )ふことあり。 越後はさら也、北国の人はすべて雪の中に正月をするは毎年の事也。 かゝる正月は 暖国 ( だんこく )の人に見せたくぞおもはるゝ。 江戸の 児曹 ( こども )が春の遊は、女 児 ( こ )は 繍毬 ( てまり ) 羽子擢 ( はごつき )、男 児 ( ご )は 紙鴟 ( たこ )を 揚 ( あげ )ざるはなし。 我国のこどもは春になりても前にいへるごとく地として雪ならざる処なければ、 歩行 ( ほかう )に 苦 ( くる )しく 路上 ( みちなか )に遊をなす事 少 ( すくな )し。 こゝに 玉栗 ( たまくり )といふ 児戯 ( こどもあそび )あり。 (春にもかぎらず雪中のあそび也) 始 ( はじめ )は雪を 円成 ( まろめ )て 卵 ( たまご )の大さに 握 ( にぎ )りかため其上へ/\と雪を幾度もかけて足にて 踏堅 ( ふみかため )、あるひは 柱 ( はしら )にあてゝ 圧堅 ( おしかため )、これを 肥 ( こやす )といふ。 さて 手毬 ( てまり )の大さになりたる時他の 童 ( わらべ )が作りたる 玉栗 ( たまくり )を 庇下 ( ひさしした )などに 置 ( おか )しめ、我が玉栗を以他の玉栗にうちあつる、 強 ( つよ )き玉栗 弱 ( よわ )き玉栗を 砕 ( くだ )くをもつて 勝負 ( しようぶ )を 争 ( あらそ )ふ。 此玉栗を 作 ( つく )るに雪に 少 ( すこ )し 塩 ( しほ )を入るれば 堅 ( かたく )なること石の如し、ゆゑに小児 互 ( たがひ )に塩を入るを 禁 ( きん )ずるなり。 こゝを以てみる時は、 塩 ( しほ )は物を 堅 ( かた )むる物なり。 物を 堅実 ( けんじつ )にするゆゑ 塩蔵 ( しほづけ )にすれば 肉類 ( にくるゐ )も 不腐 ( くさらず )、朝夕 嗽 ( くちそゝぐ )に塩の湯水を以すれば 歯 ( は )をかためて歯の命を長くすといふ。 玉栗は 児戯 ( こどもたはふれ )なれど、塩の物を 堅 ( かたく )する 証 ( あかし )とするにたれり。 故にこゝに 記 ( しる )せり。 又 童 ( わらべ )のあそびに 雪 ( いき )ン 堂 ( だう )といふ あり、初編にいだせり。 (我 里俗 ( りぞく )はねをつくといはずはねをかへすといふ、うちかへすの心なるべし) 江戸に正月せし人の 話 ( はなし )に、市中にて見上るばかり松竹を 飾 ( かざり )たるもとに、 美 ( うつくし )く 粧 ( よそほ )ひたる娘たち 彩 ( いろどり )たる 羽子板 ( はごいた )を持て 並 ( なら )び立て羽子をつくさま、いかにも大江戸の春なりとぞ。 我里の羽子 擢 ( つき )は 辺鄙 ( へんひ )とはいひながら、かゝる 艶姿 ( やさしきすがた )にあらず。 これを 擢 ( つく )に雪を 掘 ( ほる ) 木鋤 ( こすき )を用ふ、力にまかせて擢ゆゑに 空 ( そら )にあがる 甚高し。 かやうに大なる羽子ゆゑに 童 ( わらべ )はまじらず、あらくれたる男女うちまじり、はゞきわらぐつなどにて 此戯 ( このたはふれ )をなすなり。 一ツの羽子を 並 ( なら )びたちてつくゆゑに、あやまちて 取落 ( とりおと )したるものは 始 ( はじめ )に定ありて、あるひは雪をうちかけ、又は 頭 ( かしら )より雪をあぶする。 その雪 襟 ( えり ) 懐 ( ふところ )に入りて 冷 ( つめたき )に 耐 ( たへ )ざるを大勢が笑ふ、 窗 ( まど )よりこれを 視 ( み )るも雪中の 一興 ( いつきやう )なり。 京伝翁が 骨董集 ( こつとうしふ )に (上編ノ下) 下学集 ( かがくしふ )を引て、羽子板は文化十二年より三百七十年ばかりの 前 ( さき )、文安のころありしものにて、それよりもなほさきにありし事は 詳 ( つまびらか )ならずといはれたり。 又下学集には羽子板に (ハゴイタ、コギイタ)と両かなをつけたれば、こぎの子といふも羽子の事なりとあり。 我国にも江戸の如くに児女のはねをつく所もあり。 此 奇状 ( きじやう ) 奇事 ( きじ ) 已 ( すで )に初編にもいへり、されど 一奇談 ( いつきだん )を聞たるゆゑこゝにしるして 暖国 ( だんこく )の 話柄 ( はなしのたね )とす。 年 ( とし )の凶作はもとより事に 臨 ( のぞん )で 餓 ( うゑ )にいたる時小判を 甜 ( なめ )て 腹 ( はら )は 彭張 ( ふくれ )ず、 餓 ( うゑ )たる時の小判一枚は飯一 碗 ( わん )の光をなさず。 五十余年前の 饑饉 ( ききん )の時、或所にて 餓死 ( がし )したる人の懐に小判百両ありしときゝぬ。 途中にて一人の 苧 商人 ( をがせあきびと )に 遇 ( あ )ひ、 路伴 ( みちづれ )になりて 往 ( ゆき )けり。 時は十二月のはじめなりしが数日の雪も此日 晴 ( はれ )たれば、両人 肩 ( かた )をならべて 心 ( こゝろ ) 朗 ( のどか )にはなしながら 已 ( すで )に 塚 ( つか )の山といふ 小嶺 ( ちひさきたふげ )にさしかゝりし時、雪国の 恒 ( つね )として 晴天 ( せいてん ) 俄 ( にはか )に 凍雲 ( とううん )を 布 ( しき )、 暴風 ( ばうふう )四方の雪を吹 散 ( ちら )して白日を 覆 ( おほ )ひ、 咫尺 ( しせき )を 弁 ( べん )ぜず。 袖襟 ( そでえり )へ雪を吹入れて 全身 ( みうち ) 凍 ( こゞえ )て 息 ( いき )もつきあへず、大風四面よりふきめぐらして雪を 渦 ( うづ )に 巻揚 ( まきあぐ )る、是を雪国にて雪吹といふ。 此ふゞきは 不意 ( ふい )にあるものゆゑ、 晴天 ( せいてん )といへども冬の 他行 ( たぎやう )には必 蓑笠 ( みのかさ )を用ること我国の常なり。 二人は 橇 ( かじき )に雪を 漕 ( こぎ )つゝ (雪にあゆむを里言にこぐといふ) 互 ( たがひ )に 声 ( こゑ )をかけて 助 ( たすけ )あひ 辛 ( からう )じて 嶺 ( たふげ )を 逾 ( こえ )けるに、 商人 ( あきひと ) 農夫 ( のうふ )にいふやう、今日の晴天に 柏崎 ( かしはざき )までは何ともおもはざりしゆゑ 弁当 ( べんたう )をもたず、今 空腹 ( すきはら )におよんで 寒 ( さむさ )に 堪 ( たへ )ず、かくては 貴殿 ( おみさま )に 伴 ( ともなひ )て雪を 漕 ( こぐ )ことならず、さいぜんの 話 ( はなし )におみさまの 懐 ( ふところ )に 弁当 ( べんたう )ありときゝぬ、 夫 ( それ )を我に 与 ( あた )へたまふまじきや、 惟 ( たゞ )には 貰 ( もら )ふまじ、こゝに銭六百あり、 死 ( しぬ )か 活 ( いきる )かの 際 ( きは )にいたりて此銭を何にかせん、六百にて弁当を 売 ( うり )玉へといふ。 農夫 ( のうふ )は 貧乏 ( びんぼふ )の者なりしゆゑ六百ときゝて大によろこび、 焼飯 ( やきめし )二ツを出して六百の銭に 替 ( かへ )けり。 商人は 懐 ( ふところ )にありて 温 ( あたゝまり )のさめざる焼飯の大なるを二ツ食し、雪に 咽 ( のど )を 潤 ( うるほ )して 精心 ( せいしん ) 健 ( すこやか )になり前にすゝんで雪をこぎけり。 此時にいたりて焼飯を売たる 農夫 ( のうふ )は 肚 ( はら ) 減 ( へり )て 労 ( つか )れ、商人は焼飯に 腹 ( はら ) 満 ( みち )足をすゝめて 往 ( ゆく )。 農夫は 屡 ( しば/\ ) 後 ( おくる )るゆゑ 終 ( つひ )には 棄 ( すて )て 独 ( ひとり ) 先 ( さき )の村にいたり、しるべの家に入りて 炉辺 ( ろへん )に 身 ( み )を 温 ( あたゝめ )て酒を 酌 ( くみ )、 始 ( はじめ )て 蘇生 ( よみがへり )たるおもひをなしけり。 この 苧 ( をがせ )商人、 或時 ( あるとき ) 余 ( よ )が 俳友 ( はいいう )の家に 逗留 ( とうりう )の 話 ( はなし )に 件 ( くだん )の事を 語 ( かた )り 出 ( いだ )し、 彼時 ( かのとき )我六百の銭を 惜 ( をし )み焼飯を 買 ( かは )ずんば、 雪吹 ( ふゞき )の 中 ( うち )に 餓死 ( うゑじに )せんことかの 農夫 ( のうふ )が如くなるべし、今日の命も銭六百のうちなりとて笑ひしと 俳友 ( はいいう )が 語 ( かた )れり。 五穀豊熟 ( ごこくほうじゆく )して 年 ( とし )の 貢 ( みつぎ )も 心易 ( こゝろやす )く 捧 ( さゝ )げ、 諸民 ( しよみん ) 鼓腹 ( はらつゞみ )の春に 遇 ( あひ )し時、氏神の 祭 ( まつり )などに 遭 ( あひ )しを幸に地芝居を 興行 ( こうぎやう )する あり。 役者は皆其処の 素人 ( しろうと )あるひは 近村 ( きんそん )近 駅 ( えき )よりも来るなり。 師匠 ( ししやう )は田舎芝居の 役者 ( やくしや )を 傭 ( やと )ふ。 始 ( はじめ )に寺などへ 群居 ( よりあひ )て狂言をさだめてのち、それ/\の役を定む。 此 群居 ( よりあひ )の 議論 ( ぎろん ) 紛々 ( ふん/\ )として一度にて 果 ( はた )したる なし。 事定りてのち寺に於て 稽古 ( けいこ )をはじむ、 技 ( わざ ) 熟 ( じゆく )してのち初日をさだめ、 衣裳 ( いしやう ) 髢 ( かつら )のるゐは是を 借 ( かす )を一ツの 業 ( なりはひ )とするものありて 物 ( もの )の 不足 ( たらざる )なし。 此芝居二三月の 頃 ( ころ )する事あり、此時はいまだ雪の 消 ( きえ )ざる銀 世界 ( せかい )なり。 されば芝居を 造 ( つく )る処、此役者 等 ( ら )が家はさらなり、 親類 ( しんるゐ ) 縁者 ( えんじや ) 朋友 ( はういう )よりも人を出し、あるひは人を 傭 ( やと )ひ芝居小屋場の地所の雪を 平 ( たひ )らかに 踏 ( ふみ )かため、 舞台 ( ぶたい ) 花道 ( はなみち ) 楽屋 ( がくや ) 桟敷 ( さじき )のるゐすべて皆雪をあつめてその 形 ( かたち )につかね、なりよく 造 ( つく )ること下の 図 ( づ )を見て知るべし。 此雪にて 造 ( つく )りたる物、天又 人工 ( じんこう )をたすけて一夜の間に 凍 ( こほり )て鉄石の如くになるゆゑ、いかほど大入にてもさじきの 崩 ( くづる )る気づかひなし。 弥生 ( やよひ )の 頃 ( ころ )は雪もやゝ 稀 ( まれ )なれば、 春色 ( しゆんしよく )の 空 ( そら )を見て 家毎 ( いへごと )に雪 囲 ( かこひ )を 取除 ( とりのく )るころなれば、処々より雪かこひの丸太あるひは 雪垂 ( ゆきたれ )とて 茅 ( かや )にて幅八九尺 広 ( ひろ )さ二間ばかりにつくりたる 簾 ( すだれ )を 借 ( かり )あつめてすべての 日覆 ( ひおひ )となす。 ぶたい花みちは雪にて作りたる上に板をならぶる、此板も一夜のうちに 冰 ( こほり )つきて 釘付 ( くぎづけ )にしたるよりも 堅 ( かた )し。 暖 ( だん )国に 比 ( くらぶ )れば 論 ( ろん )の 外 ( ほか )なり。 物を 売 ( うる )茶屋をも 作 ( つく )る、いづれの処も平一 面 ( めん )の雪なれば、物を 煮処 ( にるところ )は雪を 窪 ( くぼ )め 糠 ( ぬか )をちらして火を 焼 ( たけ )ば、雪の 解 ( とけ )ざる事妙なり。 百樹 ( もゝき ) 曰 ( いはく )、 余 ( よ )丁酉の夏 北越 ( ほくゑつ )に遊びて塩沢に在し時、近村に地芝居ありと 聞 ( きゝ )て京水と 倶 ( とも )に至りしに、寺の門の 傍 ( かたはら )に 杭 ( くひ )を 建 ( たて )て 横 ( よこ )に 長 ( なが )き 行燈 ( あんどん )あり、是に 題 ( だい )して 曰 ( いはく )、 当院 ( たうゐん ) 屋根普請 ( やねふしん ) 勧化 ( くわんけ )の 為 ( ため ) 本堂 ( ほんだう )に 於 ( おい )て 晴天 ( せいてん )七日の間芝居 興行 ( こうぎやう )せしむるものなり、 名題 ( なだい )は 仮名手本 ( かなでほん )忠臣蔵役人替名とありて 役者 ( やくしや )の名 多 ( おほ )くは 変名 ( へんみやう )なり。 寺の門内には 仮店 ( かりみせ )ありて物を売り、 人 ( ひと ) 群 ( ぐん )をなす。 芝居には 仮 ( かり )に戸板を 集 ( あつめ )て 囲 ( かこひ )たる入り口あり、こゝに 守 ( まも )る 者 ( もの )ありて一人 前 ( まへ )何程と 価 ( あたひ )を 取 ( とる )、これ 屋根普請 ( やねふしん )の 勧化 ( くわんけ )なり。 本堂の上り段に 舞台 ( ぶたい )を作り 掛 ( かけ )、左に花道あり、左右の 桟敷 ( さじき )は 竹牀簀 ( たけすのこ ) 薦張 ( こもばり )なり。 土間には 薦 ( こも )を 布 ( しき )、 筵 ( むしろ )をならぶ。 旅 ( たび )の芝居 大概 ( たいがい )はかくの如しと市川白猿が 話 ( はなし )にもきゝぬ。 桟敷 ( さじき )のこゝかしこに 欲然 ( もえたつ )やうな 毛氈 ( まうせん )をかけ、うしろに 彩色画 ( さいしきゑ )の 屏風 ( びやうぶ )をたてしはけふのはれなり。 四五人の婦みな 綿帽子 ( わたばうし )したるは 辺鄙 ( へんび ) [#ルビの「へんび」はママ]に古風を 失 ( うしなは )ざる也。 観人 ( みるひと ) 群 ( ぐん )をなして大入なれば、 猿 ( さる )の如き 童 ( わらべ )ども 樹 ( き )にのぼりてみるもあり。 小娘 ( ちひさきむすめ )が 笊 ( ざる )を 提 ( さげ )て 冰々 ( こほり/\ )とよびて 土間 ( どま )の中を 売 ( う )る。 笊 ( ざる )のなかへ木の 青葉 ( あをば )をしき雪の 冰 ( こほり )の 塊 ( かたまり )をうる也。 茶を売べきを氷を売るは甚めづらし、氷のこと 削氷 ( けづりひ )の 条 ( くだり )にいふべし。 おかるに 扮 ( なり )しは岩井玉之丞とて田舎芝居の 戯子 ( やくしや )なるよし、 頗 ( すこぶ )る 美 ( び )なり。 由良の助に 扮 ( なり )しは 余 ( よ )が 旅中 ( りよちゆう ) 文雅 ( ぶんが )を 以 ( もつて ) 識 ( しる ) 人 ( ひと )なり、 年若 ( としわか )なればかゝる 戯 ( たはふれ )をもなすなるべし。 常にはかはりて今の坂東彦三郎に 似 ( に )たり。 技 ( げい )も又 観 ( みる )に 足 ( たれ )り。 寺岡平右ヱ門になりしは 余 ( よ )が 客舎 ( かくしや )にきたる 篦頭 ( かみゆひ )なり、これも常にかはりて関三十郎に似て 音声 ( おんせい )もまた 天然 ( てんねん )と関三の如し。 余 ( よ )京水と 相 ( あひ ) 顧 ( かへりみ )て感じ、京水たはふれにイヨ尾張屋と 誉 ( ほめ )けるが、尾張屋は関三の 家号 ( いへな )なる事通じがたきや、尾張屋とほむるものひとりもなし。 一 幕 ( まく )にてかへらんとせしに守る者木戸をいださず、 便所 ( べんじよ )は寺の 後 ( うしろ )にあり、 空腹 ( くうふく )ならば 弁当 ( べんたう )を 買 ( かひ )玉へ、 取次 ( とりつぎ )申さんといふ。 我のみにあらず、人も又いださず。 おもふに、 人 ( ひと ) 散 ( ちれ )ば 演場 ( しばゐ )の 蕭然 ( さみしくなる )を 厭 ( いと )ふゆゑなるべし。 いづくにか 出 ( いづる )所あらんと 尋 ( たづね )しに、此寺の四方 垣 ( かき )をめぐらして出べきの 隙 ( ひま )なし。 折 ( をり )ふし 童 ( わらべ )が外より垣をやぶりて入りたるその 穴 ( あな )より両人くゞりいでしは、これも又 可笑 ( をかしき )一ツにてぞありし。 旧冬 ( きうとう )より 降積 ( ふりつもり )たる雪家の 棟 ( むね )よりも高く、春になりても家内 薄暗 ( うすくら )きゆゑ、 高窓 ( たかまど )を 埋 ( うづめ )たる雪を 掘 ( ほり )のけて 明 ( あかり )をとること前にもいへるが如し。 此 屋上 ( やね )の雪は冬のうちしば/\掘のくる度々に、 木鋤 ( こすき )にてはからず 屋上 ( やね )を 損 ( そん )ずる あり。 我国の 屋上 ( やね )おほかたは 板葺 ( いたぶき )なり、屋根板は他国に 比 ( くらぶ )れば 厚 ( あつ )く 広 ( ひろ )し。 葺たる上に 算木 ( さんぎ )といふ物を 作 ( つく )り 添 ( そへ )石を 置 ( おき )て 鎮 ( おもし )とし風を 防 ( ふせぐ )の 便 ( たより )とす。 これゆゑに雪をほりのくるといへどもつくすことならず、その雪のうへに 早春 ( さうしゆん )の雪ふりつもりて 凍 ( こほる )ゆゑ屋根のやぶれをしらず。 春も 稍深 ( やゝふかく )なれば雪も日あたりは 解 ( とけ )あるひは 焼火 ( たきび )の所雪早く 解 ( とく )るにいたりて、かの屋根の 損 ( そん )じたる処 木羽 ( こば )の下たをくゞりなどして雪水 漏 ( もる )ゆゑ、夜中俄に 畳 ( たゝみ )をとりのけ 桶鉢 ( をけはち )のるゐあるかぎりをならべて 漏 ( もり )をうくる。 もる処を 修治 ( つくろはん )とするに雪 全 ( まつた )くきえざるゆゑ手をくだす ならず、漏は次第にこほりて 座敷 ( ざしき )の内にいくすぢも大なる 氷柱 ( つらゝ )を見る時あり。 是 暖国 ( だんこく )の人に見せたくぞおもはる。 百樹曰、 余 ( よ ) 越遊 ( ゑついう )して大家の 造 ( つく )りやうを見るに、 楹 ( はしら )の 太 ( ふとき )こと江戸の土蔵のごとし。 天井 ( てんじやう )高く 欄間 ( らんま )大なり、これ雪の時 明 ( あかり )をとるためなり。 戸障子 ( としやうじ ) 骨太 ( ほねふと )くして手 丈夫 ( ぢやうぶ )なるゆゑ、 閾 ( しきゐ ) 鴨柄 ( かもゑ )も 広 ( ひろ )く 厚 ( あつ )し。 すべて 大材 ( たいさい )を 用 ( もちふ )る事目を 駭 ( おどろか )せり、これ皆雪に 潰 ( つぶれ )ざるの用心なりとぞ。 江戸の町にいふ 店下 ( たなした )を越後に 雁木 ( がんぎ ) (又は 庇 ( ひさし ))といふ、雁木の下広くして 小荷駄 ( こにだ )をも 率 ( ひく )べきほどなり、これは雪中にこの 庇 ( ひさし )下を 往来 ( ゆきゝ )の 為 ( ため )なり。 余 ( よ )越後より江戸へ 皈 ( かへ )る時高田の城下を 通 ( とほり )しが、こゝは北越第一の 市会 ( しくわい )なり。 商工 ( しやうこう ) 軒 ( のき )をならべ百物 備 ( そなはら )ざることなし。 両側一里余 庇 ( ひさし )下つゞきたるその中を 往 ( ゆく )こと、甚 意快 ( いくわい ) [#「意快」の左に「コヽロヨイ」の注記]なりき。 文墨 ( ぶんぼく )の 雅人 ( がじん )も多しときゝしが、 旅中 ( りよちゆう ) 年 ( とし )の 凶 ( きやう )するに 遭 ( あひ )、 皈家 ( きか )を 急 ( いそぎ )しゆゑ剌 [#「刺」の左に「テフダ」の注記] ( し )を入れざりしは今に 遺憾 ( ゐかん )とす。 雪中 歩行 ( ほかう )の 具 ( ぐ )初編に 其図 ( そのづ )を 出 ( いだ )ししが 製作 ( せいさく )を 記 ( しる )さず、ふたゝびその 詳 ( つまびらか )なるを 示 ( しめ )す。 是雪中第一のはきもの也。 童もこれをはく也。 上品なるはあみはじめに白紙を用ひ、ふむ所にたゝみのおもてを切入る。 あみやうは甚むづかしきものなり、此図は大略をしるす。 泥行 ( どろみち )には便なるべし。 我国の雪中には 途 ( みち )に 泥 ( どろ )ある所なし、ゆゑにはき物はげたの外わらにてつくる。 わらのぬきこあるひは 蒲 ( がま )にても作る。 雪中にはかならず用ふ、やまかせぎは常にも用ふ。 作りやう図を見て大略を知るべし。 やすくいへばわらのきやはんなり。 わらは寒をふせぐものゆゑ、雪のはきもの大かたはわらにて作るなり。 大かたはたて二尺三寸はゞ二尺ばかりなり、 胸 ( むね )あてともいふ。 前より吹つくる雪をふせぐために用ふ、農業には常にも用ふ。 他国にもあるなり。 里俗わら 屑 ( くづ )のやはらかなるを シビといふ。 このシビにて作り、足にからみはくゆゑに、シビガラミといふべきをシブガラミと 訛 ( なま )りいふなり。 たて一尺二三寸よこ七寸五六分、 形 ( かたち ) 図 ( づ )の如く ジヤガラといふ木の枝にて作る。 鼻は 反 ( そら )して クマイブといふ 蔓 ( つる )又は カヅラといふつるをも用ふ。 山漆 ( やまうるし )の肉付の皮にて巻かたむ。 是は前に図したる沓の下にはくもの也、雪にふみこまざるためなり。 はきつけぬ人は一足もあゆみがたし。 なれたる人はこれをはきて 獣 ( けもの )を追ふ也。 右の外、男女の雪 帽子 ( ばうし )雪 下駄 ( げた )、 其余 ( そのよ )種々雪中 歩用 ( ほよう )の 具 ( ぐ )あれども、 薄 ( はく )雪の国に用ふる物に 似 ( に )たるはこゝに 省 ( はぶ )く。 彼 ( かれ )は 泥行 ( でいかう )の用なれば雪中に用ふるとは 製作 ( せいさく ) 異 ( こと )なるべし。 人力 ( じんりき )を 助 ( たすくる )事船と車に 同 ( おなじ )く、 且 ( そのうへ )に 作 ( つく )る事 最易 ( いとやす )きは 図 ( づ )を見て知るべし。 俳諧 ( はいかい )の 季寄 ( きよせ )に 雪車 ( そり )を冬とするは 誤 ( あやま )れり。 さればとて雪中の物なれば春の 季 ( き )には 似気 ( にげ )なし。 古哥にも多くは冬によめり、 実 ( じつ )にはたがふとも冬として可なり。 されば 載 ( のす )るものによりて大小品々あれども作りやうは皆同じやうなり、名も又おなし。 只 ( たゞ )大なるを里俗に 修羅 ( しゆら )といふ、大石大木をのするなり。 山々の 喬木 ( たかきき )も春二月のころは雪に 埋 ( うづま )りたるが 梢 ( こずゑ )の雪は 稍 ( やゝ ) 消 ( きえ )て 遠目 ( とほめ )にも見ゆる也。 常には見上る 高枝 ( たかきえだ )も 埋 ( うづま )りたる雪を 天然 ( てんねん )の 足場 ( あしば )として心の 儘 ( まゝ )に 伐 ( きり )とり、大かたは六 把 ( は )を一人まへとするなり。 其術 ( そのじゆつ ) 学 ( まなば )ずして 自然 ( しぜん )に 得 ( う )る処奇々妙々なり。 山烏 ( やまからす )よくこれをしりてむらがりきたり、袋をやぶりて 食 ( しよく )を 喰尽 ( くらひつく )す。 樵夫 ( きこり )はこれをしらず、今日の 生業 ( かせぎ )はこれにてたれり、いざや 焼飯 ( やきめし )にせんとて打より見れば一 粒 ( つぶ )ものこさず、 烏 ( からす )どもは 樹上 ( きのうへ )にありて 啼 ( なく )。 唱哥 ( しやうが )の 節 ( ふし )も 古雅 ( こが )なるものなり。 是 繁花 ( はんくわ )をしらざる 幽僻 ( いうへき )の地なるゆゑなり。 春もやゝ景色とゝのふといひし梅も柳も雪にうづもれて、花も 緑 ( みどり )もあるかなきかにくれゆく。 是は我のみにあらず、雪国の人の 人情 ( にんじやう )ぞかし。 百樹 ( もゝき ) 曰 ( いはく )、我が 幼年 ( えうねん )の頃は元日のあしたより扇々と市中をうりありく 声 ( こゑ )、あるひは白酒々の声も春めきて心も 朗 ( のどか )なりしが此声今はなし。 鳥追の声はさらなり、武家のつゞきて町に遠所には 江 ( こはだ )の 鮨 ( すし ) 鯛 ( たひ )のすしとうる声今もあり、春めくもの也。 三月は桜草うる声に花をおもひ、五月は 鰹々 ( かつを/\ )に 白妙 ( しろたへ )の垣根をしたふ。 七夕の竹ヤ々々は心涼しく、 師走 ( しはす )の竹ヤ/\は (すゝはらふ竹うりなり) 聞 ( きく )に 忙 ( せはし )。 物皆季に 応 ( おう )じて声をなし、情に入る事天然の理なり。 胡笳 ( こか )の 悲 ( かなしみ )も又然らん。 件 ( くだん )のは人の声なり、ましてや春の鶯あるひは蛙、夏の蝉、秋の初雁、鹿、虫の 音 ( ね )、冬の 水鵲 ( ちどり )をや。 二三月のころも地として雪ならざるはなく、 渺々 ( びやう/\ )として 田圃 ( たはた )も 是下 ( このした )に 在 ( あ )りて 持分 ( もちぶん )の 境 ( さかひ )もさらにわかちがたし。 しかるにかの 糞 ( こやし )のそりを引てこゝに来り、雪のほかに一 点 ( てん )の 目標 ( めじるし )もなきに雪を 掘 ( ほる )こと井を掘が如くにして 糞 ( こやし )を入るに、我田の坪にいたる事一尺をもあやまらず、これ我が 農奴等 ( のうぬら )もする事なり。 茫々 ( ばう/\ ) [#「茫々」の左に「ヒロ/\」の注記]たる雪上何を 目的 ( めあて )にしてかくはするぞと 問 ( と )ひしに、目あてとする事はしらず、たゞ心にこゝぞとおもふ所その坪にはづれし事なしといへり。 所為 ( しわざ )は 賤 ( いやし )けれども 芸術 ( げいじゆつ )の 極意 ( ごくい )もこゝにあるべくぞおもはるゝゆゑに、こゝにしるして 初学 ( しよがく )の人 芸 ( げい )に 進 ( すゝむ )の 一端 ( はし )を 示 ( しめ )す。 ひとゝせ京都本願寺御普請の時、末口五尺あまり長さ十丈あまりの 槻 ( けやき )を ( ひき )し事ありき。 かゝる時は 修羅 ( しゆら )を二ツも三ツもかくるなり。 かゝる大材をも ( ひく )をもつて雪の 堅 ( かたき )をしるべし。 田 圃 ( はた )も平一面の雪なればひくべき所へ 直道 ( すぐみち )にひきゆくゆゑ甚 弁 ( べん )なり。 修羅 ( しゆら )に大 綱 ( つな )をつけ左右に 枝綱 ( えだつな )いくすぢもあり、まつさきに本願寺御用木といふ 幟 ( のぼり )を二本 持 ( も )つ、信心の老若男女 童等 ( わらべら )までも 蟻 ( あり )の如くあつまりてこれをひく。 木やり 音頭取 ( おんどとり )五七人花やかなる 色木綿 ( いろもめん )の 衣類 ( いるゐ )に 彩帋 ( いろがみ )の 麾 ( ざい ) 採 ( とり )て材木の上にありて木やりをうたふ。 その 哥 ( うた )の一ツにハア うさぎ/\ 児兎 ( こうさぎ )ハアヽ わが耳はなぜながいハアヽ 母の 胎内 ( たいない )にいた時に 笹 ( さゝ )の 葉 ( は )をのまれてハアア それで耳がながい 大持がうかんだハアア 花の 都 ( みやこ )へめりだした (いく百人同音に) いゝとう/\ そのこゑさまさずやつてくれ いゝとう/\/\。 氷柱 ( つらゝ )の六七尺もあるをそりにのせて大持の学びをなし、木やりをうたひ引あるきて戯れあそぶなど、 暖国 ( だんこく )にはあるまじく 聞 ( きゝ )もせざる事なるべし。 春にいたれば寒気地中より 氷結 ( いて )あがる。 その力 礎 ( いしずへ )をあげて 椽 ( えん )を 反 ( そら )し、あるひは 踏石 ( ふみいし )をも持あぐる。 冬はいかほど 寒 ( かん )ずるともかゝる事なし。 屋根の雪を 掘 ( ほり )のけてつみ 上 ( あ )げおくを、 里言 ( りげん )に 掘揚 ( ほりあげ )といふ。 (前にもいへり) 往来 ( ゆきゝ )の 路 ( みち )にも掘あげありて山をなすゆゑ、春雪のこほるにいたれば、この雪の山に 箱梯 ( はこばしご )のごとく 階 ( だん )を 作 ( つく )りて往来のたよりとす。 かやうの所いづかたにもあるゆゑに 下踏 ( げた )の 歯 ( は )に 釘 ( くぎ )をならべ 打 ( うち )て 蹉跌 ( すべら )ざる 為 ( ため )とす。 * 10 冬春にかぎらず雪の 気物 ( きもの )にふれて 霜 ( しも )のおきたるやうになる、是を 里言 ( りげん )に シガといふ。 春の頃野山の 樹木 ( きゞ )の下 枝 ( え )は雪にうづもれたるも 稍 ( こずゑ )は雪の 消 ( きえ )たるに、シガのつきたるは玉もて作りたる 枝 ( えだ )のやうにて見事なるものなり。 川辺 ( かはべ )などはたらく者には 髪 ( かみ )の 毛 ( け )にもシガのつく事あり、此シガ我が 塩沢 ( しほざは )にはまれなり。 おなじ 郡 ( こほり )の 中 ( うち ) 小出嶋 ( こいでしま )あたりには多し、大河に近きゆゑ 水気 ( すゐき )の霜となるゆゑにやあらん。 我国の雪 里地 ( さとち )は三月のころにいたれば 次第 ( しだい )々々に 消 ( きえ )、 朝 ( あさ )々は 凍 ( こほる )こと鉄石の如くなれども、 日中 ( ひなか )は上よりも下よりもきゆる。 その四角なる雪を 脊負 ( せお )ひあるひは 担持 ( になひもち )にするなど 暖国 ( だんこく )の雪とは大に 異 ( ことな )り、雪に 枝 ( えだ )を折れじと杉丸太をそへてしばりからげおきたる 庭樹 ( にはき )なども、 解 ( とき )ほどけばさすがに梅は雪の中に 莟 ( つぼみ )をふくみて春待かほなり、これ春の末なり。 此時にいたりて去年十月 以来 ( このかた ) 暗 ( くら )かりし 坐敷 ( ざしき )もやう/\ 明 ( あかる )くなりて、 盲人 ( まうじん )の 眼 ( め )のひらきたる心地せられて、雛はかざれども桃の節供は名のみにて花はまだつぼみなり。 四月にいたれば 田圃 ( たはた )の雪も 斑 ( まだら )にきえて、去年秋の 彼岸 ( ひがん )に 蒔 ( まき )たる 野菜 ( やさい )のるゐ雪の下に 萌 ( もえ )いで、梅は盛をすぐし桃桜は夏を春とす。 雪に埋りたる 泉水 ( せんすゐ )を 掘 ( ほり )いだせば、去年初雪より 以来 ( このかた )二百日あまり 黒闇 ( まつくら )の水のなかにありし 金魚 ( きんぎよ ) 緋鯉 ( ひこひ )なんどうれしげに 浮泳 ( うかみおよぐ )も 言 ( ものいはゞ )やれ/\うれしやといふべし。 五月にいたりても人の手をつけざる 日蔭 ( ひかげ )の雪は 依然 ( いぜん )として山をなせり、 況 ( いはん )や 山林幽谷 ( さんりんいうこく )の雪は三伏の暑中にも消ざる所あり。 足 ( あし )もとに鶯を聞く我もまた谷わたりする こし ( 越 )の山ぶみ 拙作 ( せつさく )なれども 実境 ( じつきやう )なれば 記 ( しる )す。 庇 ( ひさし )のもとに 床 ( ゆか )ありて浅き箱やうのものに白く 方 ( かく )なる物を 置 ( おき )たるは、 遠目 ( とほめ )にこれ 石花菜 ( ところてん )を売ならん、口には 上 ( のぼ )らずとおもひながらも、山をはなれて暑もはげしく 汗 ( あせ )もしとゞに足もつかれたれば 茶店 ( さてん )あるがうれしく、京水とともにはしりいりて腰をかけ、かの白き物を見ればところてんにはあらで雪の氷なりけり。 六月に氷をみる事江戸の目には 最珍 ( いとめづら )しければ立よりて 熟視 ( よくみれ )ば、深さ五寸 計 ( ばかり )の箱に水をいれその中に 小 ( ちひさ )き 踏石 ( ふみいし )ほどの雪の氷をおきけり。 売茶翁 ( ちやをうるおきな )に問ば、これは 山蔭 ( やまかげ )の谷にあるなり、めしたまはゞすゝめんといふ。 さらばとて 乞 ( こ )ひければ 翁 ( おきな ) 菜刀 ( なきりはうてう )を 把 ( とり )、 ( さら )のなかへさら/\と 音 ( おと )して 削 ( けづ )りいれ、豆の 粉 ( こ )をかけていだせり。 氷に 黄 ( き )な 粉 ( こ )をかけたるは江戸の目には見も 慣 ( なれ )ず 可笑 ( をかし )ければ、京水と 相目 ( あひもく )して 笑 ( わらひ )をしのびつゝ、是は 価 ( あたひ )をとらすべし、今ひとさらづゝ豆の粉をかけざるをとて、 両掛 ( りやうがけ )に 用意 ( ようい )したる 沙糖 ( さたう )をかけたる 削氷 ( けづりひ )に、歯もうくばかり暑をわすれたるは 珍 ( めづら )しき事いはんかたなし。 実 ( じつ )に 好古 ( こうこ )の 肝 ( きも )を 清 ( きよ )くす。 氷室 ( ひむろ )といふ事、俳諧の 季寄 ( きよせ )といふものなどにもみえたれば 普 ( あまねく ) 人 ( ひと )の知りたる事にて、周礼にもいでたれば唐土のむかしにもありしことなり。 御国 ( みくに )は仁徳紀に見えたればその古きを知るべし。 延喜式 ( えんぎしき )に山城国 葛城郡 ( かつらきごほり )に 氷室 ( ひむろ )五ヶ所をいだせり、六月朔日氷室より氷をいだして 朝庭 ( てうてい )に 貢献 ( こうけん )するを、 諸臣 ( しよしん )にも 頒賜 ( わかちたまふ )事 年毎 ( としごと )の 例 ( れい )なるよしなり。 前に引し明月記の 寒氷 ( かんひやう )は朝庭よりの 古例 ( これい )の 賜 ( たまもの )にはあるべからず、いかんとなれば 削氷 ( けずりひ )を賞味せられしは七月廿八日なり、六月朔日にたまはりたる氷、七月廿八日まで 消 ( きえ )ずやあるべき。 明月記は千 写 ( しや )百 ( も )の書なれば七は六の 誤 ( あやまり )としても氷室を 出 ( いで )し六月の氷 朝 ( あした )を 待 ( まつ )べからず。 盖 ( けだし ) 貢献 ( こうけん )の後 氷室守 ( ひむろもり )が私に 出 ( いだ )すもしるべからず。 其 氷室 ( ひむろ )は水の 氷 ( こほり )ををさめおくやうに 諸書 ( しよしよ )の 注釈 ( ちゆうしやく )にも見えしが、水の氷れるは 不潔 ( ふけつ )なり、不潔をもつて 貢献 ( こうけん )にはなすべからず。 且水の 冰 ( こほり )は地中に 在 ( あ )りても 消易 ( きえやすき )ものなり、 是 ( これ ) 他 ( た )なし、水は極陰の物なるゆゑ陽に 感 ( かん )じ 易 ( やすき )ゆゑなり。 我越後に 削氷 ( けづりひ )を視て 思 ( おもふ )に、かの 谷間 ( たにあひ )に 在 ( あり )といひしは 天然 ( てんねん )の氷室なり。 むかしの冰室といふは雪の 氷 ( こほ )りむろなるべし。 是 己 ( おのれ )が 臆断 ( おくだん )を以て理に 就 ( つい )て 古 ( いにしへ )の氷室を 解 ( かい )するなり。 かの削氷を賞味し玉ひたる定家に (拾遺愚艸)「夏ながら秋風たちぬ氷室山こゝにぞ冬をのこすとおもへば」又源の仲正に (千載集)「下たさゆる氷室の山のおそ桜きえのこりたる雪かとぞ見る」この哥氷室山のおそ桜を 消残 ( きえのこ )りたる雪に見たてたる一首の 意 ( こゝろ )、氷室は雪の氷なるべくぞおもはるゝ。 今加州侯毎年六月朔日雪を 献 ( けん )じ玉ふも雪の氷なり。 これにても 古 ( いにしへ )の氷室は雪の氷なるをおもふべし。 掌 ( こぶし )ほどなるを三銭にうる、はじめは二三度賞味せしがのちには氷ともおもはざりき。 およそ物の 得 ( え )がたきは 珍 ( めづ )らしく、 得易 ( えやすき )はめづらしからざるは 人情 ( にんじやう )の 恒 ( つね )なり。 塩沢に居て六月の氷のめづらしからざりしをおもへば、吉野の人はよしのゝ花ともおもはず、松嶋の人は松嶋の月ともおもふまじ。 たゞいつまでも 飽 ( あか )ざる物は孝心なる我子の 顔 ( かほ )と、 蔵置 ( をさめおく ) 黄金 ( こがね )の 光 ( ひかり )なるべし。 越後国南は上州に 隣 ( とな )る 魚沼郡 ( うをぬまごほり )なり。 東は奥州羽州へ 隣 ( とな )る 蒲原郡 ( かんばらごほり ) 岩船 ( いはふね )郡なり。 国堺 ( くにさかひ )はいづれも 連山波濤 ( れんざんはたう )をなすゆゑ雪多し。 東北は 鼠 ( ねずみ )が関 (岩船郡の内出羽のさかひ) 西 ( にし )は 市振 ( いちふり ) (頸城郡の内越中の堺)に 至 ( いたる )の道八十里が間 都 ( すべ )て北の 海浜 ( かいひん )なり。 海気によりて雪一丈にいたらず (年によりて多少あり)又 消 ( きゆる )も早し。 頸城 ( くびき )郡の高田は海を 去 ( さる )事遠からざれども雪深し。 文化のはじめ大雪の時高田の市中 (町のながさ一リにあまる)雪に 埋 ( うづま )りて 闇夜 ( あんや )のごとく、 昼夜 ( ちうや )をわかたざる事十余日、市中 燈 ( ともしび )の油 尽 ( つき )て諸人難義せしに、御 領主 ( りやうしゆ )より家毎に油を 賜 ( たま )ひし事ありき。 此時我塩沢も大雪にて、夜昼をしらず家雪にうづまりて日光を見ざる事十四五日 (連日ふゞきなるゆゑ雪をほる事ならず家うづまりてくらきなり)人気 欝悶 ( うつもん )して病をなすにいたれるもありけり。 百樹曰、余牧之老人が此書の 稿本 ( かうほん )に 就 ( つき )て 増修 ( ぞうしう )の 説 ( せつ )を 添 ( そへ )、 上梓 ( じやうし ) [#「上梓」の左に「ホンニスル」の注記]の 為 ( ため )に 傭書 ( ようしよ ) [#「傭書」の左に「ハンシタカキ」の注記]へ 授 ( さづく )る一本を作るをりしも、老人が 寄 ( よせ )たる書中に、 「当年は雪 遅 ( おそ )く冬至に成候ても 駅中 ( えきちゆう )の雪一尺にたらず、此 日次 ( ひなみ )にては今年は小雪ならんと諸人一統悦び居候所に廿四日 (十一月なり) 黄昏 ( たそがれ )より 降 ( ふり )いだし、廿五六七八九日まで五日の間 昼夜 ( ちうや )につもる事およそ一丈四五尺にもおよび申候。 毎年の事ながら不意の大雪にて廿七日より廿九日まで 駅中 ( えきちう )家毎の雪 掘 ( ぼり )にて 混雑 ( こんざつ )いたし、 簷外 ( えんぐわい ) 急 ( たちまち )玉山を 築 ( きづき )戸外へもいでがたく 悃 ( こま )り申候。 今日も又大 雪吹 ( ふゞき )に相成、家内 暗 ( くら )く 蝋燭 ( らふそく )にて此状をしたゝめ申候。 何程 可降哉 ( ふるべくや ) 難計 ( はかりがたく )一同心痛いたし居申候」 (下略)是当年 (天保十亥とし)十一月廿九日出の 尺翰 ( てがみ )なり。 此文をもつても越後の雪を知るべし。 山景野色 ( さんけいやしよく )も雪ありしとはおもはれず、雪の浅き他国に同じ。 五雑組 ( ござつそ )に (天部)百草雪を 畏 ( おそれ )ずして霜を畏る。 盖 ( けだし )雪は雲に 生 ( しやう )じて 陽位 ( やうゐ )也、霜は 露 ( つゆ )に生じて 陰位 ( いんゐ )也といへり。 越後の夏を 視 ( み )て 謝肇 ( しやでうせつ )が此 説 ( せつ )に 伏 ( ふく )せり。 我住塩沢より 下 ( しも )越後の方へ二宿 越 ( こえ )て (六日町五日町) 浦佐 ( うらさ )といふ宿あり。 こゝに 普光寺 ( ふくわうじ )といふ (真言宗)あり、寺中に七間四面の 毘沙門堂 ( びしやもんだう )あり。 伝 ( つたへ )ていふ、此堂大同二年の 造営 ( ざうえい )なりとぞ。 修復 ( しゆふく )の 度毎 ( たびごと )に 棟札 ( むねふだ )あり、今猶 歴然 ( れきぜん )と 存 ( そん )す。 毘沙門の 御丈 ( みたけ )三尺五六寸、 往古 ( わうご ) 椿沢 ( つばきざは )といふ村に椿の 大樹 ( たいじゆ )ありしを伐て 尊像 ( そんざう )を作りしとぞ。 作名 ( さくめい )は 伝 ( つたは )らずときゝぬ。 像材 ( ざうざい )椿なるをもつて此地椿を 薪 ( たきゞ )とすればかならず 祟 ( たゝり )あり、ゆゑに椿を 植 ( うゑ )ず。 又 尊 ( そんれい )鳥を 捕 ( とる )を 忌 ( いみ )玉ふ、ゆゑに諸鳥寺内に 群 ( ぐん )をなして人を 怖 ( おそれ )ず、此地の人鳥を捕かあるひは 喰 ( くらへ )ば 立所 ( たちどころ )に 神罰 ( しんばつ )あり。 たとひ 遠郷 ( ゑんきやう )へ 聟 ( むこ ) 娵 ( よめ )にゆきて年を 歴 ( へ )ても鳥を 喰 ( しよく )すれば必 凶応 ( あしきこと )あり、 験 ( れいげん )の 煕々 ( あきらか )たる事此一を以て知るべし。 されば 遠郷 ( ゑんきやう ) 近邑 ( きんいう ) 信仰 ( しんかう )の人多し。 むかしより此毘沙門堂に於て毎年正月三日の夜に 限 ( かぎ )りて 堂押 ( だうおし )といふ事あり、 敢 ( あへて ) 祭式 ( さいしき )の 礼格 ( れいかく )とするにはあらねど、むかしより 有来 ( ありきたり )たる 神事 ( じんじ )なり。 正月三日はもとより雪道なれども十里廿里より来りて此 浦 ( うら )佐に一宿し、此 堂押 ( だうおし )に 遇 ( あふ )人もあれば 近村 ( きんそん )はいふもさらなり。 燈火 ( ともしび )を 点 ( てん )ずるころ、かの七間四面の堂にゆかた 裸 ( はだか )の男女 推 ( おし )入りて、 錐 ( きり )をたつるの地なし。 余 ( よ )も若かりしころ一度此堂押にあひしが、上へあげたる手を下へさぐる事もならざるほどに 逼 ( せま )り 立 ( たち )けり。 押 ( おす )といふは 誰 ( たれ )ともなくサンヨウ/\と 大音 ( だいおん )に 呼 ( よば )はる 声 ( こゑ )の下に、堂内に 充満 ( みち/\ )たる老若男女ヲヽサイコウサイとよばはりて北より南へどろ/\と押、又よばはりて西より東へおしもどす。 此一おしにて男女 倶 ( とも )に 元結 ( もとゆひ )おのづからきれて 髪 ( かみ )を 乱 ( みだ )す 甚 奇 ( き )なり。 七間四面の堂の内に 裸 ( はだか )なる人こみいりてあげたる手もおろす事ならぬほどなれば、人の多さはかりしるべし。 此諸人の 気息 ( いき )正月三日の寒気ゆゑ 烟 ( けふり )のごとく 霧 ( きり )のごとく 照 ( てら )せる 神燈 ( じんとう )もこれが 為 ( ため )に 暗 ( くら )く、人の 気息 ( いき )屋根うらに 露 ( つゆ )となり雨のごとくに 降 ( ふり )、人気 破風 ( はふ )よりもれて雲の立のぼるが如し。 婦人 稀 ( まれ )には小児を 背中 ( せなか )にむすびつけて 押 ( おす )も 有 ( あれ )ども、この小児 啼 ( なく )ことなきも常とするの 不思議 ( ふしぎ )なり。 況 ( いはんや )此堂押にいさゝかも 怪瑕 ( けが )をうけたる者むかしより一人もなし。 婦人のなかには 湯具 ( ゆぐ )ばかりなるもあれど、 闇処 ( くらきところ )に 噪雑 ( わやくや )して一人もみだりがましき事をせず、これおの/\ 毘沙門天 ( びしやもんでん )の 神罰 ( しんばつ )を 怖 ( おそる )るゆゑなり。 裸 ( はだか )なる 所以 ( ゆゑん )は 人気 ( じんき )にて堂内の 熱 ( ねつ )すること 燃 ( もゆる )がごとくなるゆゑ也。 願望 ( ぐわんまう )によりては一里二里の所より正月三日の雪中寒気 肌 ( はだへ )を 射 ( いる )がごときをも 厭 ( いとは )ず、 柱 ( はしら )のごとき 氷柱 ( つらゝ )を 裸身 ( はだかみ )に 脊負 ( せおひ )て堂押にきたるもあり。 二タおし三おしにいたればいかなる人も 熱 ( あつき )こと暑中のごときゆゑ、堂のほとりにある大なる石の 盥盤 ( てうづばち )に入りて水を 浴 ( あ )び又押に入るもあり。 一ト押おしては 息 ( いき )をやすむ、七押七 踊 ( をどり )にて 止 ( やむ )を 定 ( さだめ )とす。 踊 ( をどり )といふも 桶 ( をけ )の 中 ( うち )に 芋 ( いも )を 洗 ( あら )ふがごとし。 ゆゑに人みな 満身 ( みうち )に 汗 ( あせ )をながす。 第七をどり目にいたりて 普光寺 ( ふくわうじ )の 山長 ( やまをとこ ) ( 耕夫 ( さくをとこ )の長をいふ)手に 簓 ( さゝら )を 持 ( もち )、人の 手輦 ( てぐるま )に 乗 ( のり )て人のなかへおし入り 大音 ( だいおん )にいふ。 「毘沙門さまの 御前 ( おんまへ )に 黒雲 ( くろくも )が 降 ( さがつ )た (モウ)」 ( 衆人 ( おほぜい ))「なんだとてさがつた (モウ)」 (山男)「 米 ( よね )がふるとてさがつた (モウ)」とさゝらをすりならす。 此さゝら内へ 摺 ( すれ )ば 凶作 ( きようさく )なりとて 外 ( そと )へ/\とすりならす。 又 志願 ( しぐわん )の者 兼 ( かね )て 普光寺 ( ふくわうじ )へ達しおきて、小桶に 神酒 ( みき )を入れ 盃 ( さかづき )を 添 ( そへ )て 献 ( けん )ず。 山男 挑燈 ( てうちん )をもたせ人をおしわくる者廿人ばかりさきにすゝみて堂に入る。 此盃手に入れば 幸 ( さいはひ )ありとて人の 濤 ( なみ )をなして取んとす。 神酒 ( みき )は神に 供 ( くう )ずる 状 ( かたち )して人に 散 ( ちら )し、盃は人の中へ 擲 ( なぐ )る、これを 得 ( え )たる人は宮を 造 ( つく )りて 祭 ( まつ )る、其家かならずおもはざるの幸福あり。 此てうちんをも 争 ( あらそ )ひ 奪 ( うば )ふにかならず 破 ( やぶ )る、その 骨 ( ほね )一本たりとも田の 水口 ( みなくち )へさしおけば、この水のかゝる田は 熟実 ( みのりよく )虫のつく事なし。 神 ( しんれい )のあらたかなる事あまねく人の知る所なり。 神事 ( じんじ )をはれば人々 離散 ( りさん )して普光寺に入り、 初 ( はじめ ) 棄置 ( すておき )たる 衣類 ( いるゐ ) 懐中 ( くわいちゆう )物を 視 ( み )るに 鼻帋 ( はながみ )一枚だに 失 ( うす )る事なし、 掠 ( かすむ )れば 即座 ( そくざ )に 神罰 ( しんばつ )あるゆゑなり。 翌朝 ( よくてう )山 長 ( おとこ ) 神酒 ( みき ) 供物 ( くもつ )を 備 ( そな )ふ、 後 ( うしろ )さまに 進 ( すゝみ )て 捧 ( さゝ )ぐ、正面にすゝむを神の 忌 ( いみ )給ふと也。 昨夜 ( さくや )ちらしおきたる 苧幹 ( をがら ) 寸断 ( ずた/\ )に 折 ( をれ )てあり、 是 ( これ ) 人 ( ひと ) 散 ( さんじ )てのち 諸神 ( しよじん )こゝに 集 ( あつま )りて 踊 ( をどり )玉ふゆゑ、をがらを 踏 ( ふみ )をり玉ふなりといひつたふ。 神事 ( かみごと )はすべて 児戯 ( じぎ )に 似 ( に )たること多し、しかれども 凡慮 ( ぼんりよ )を以て 量識 ( はかりしる )べからず。 此堂押に 類 ( るゐ )せし事他国にもあるべし、 姑 ( しばらく ) 記 ( しる )して 類 ( るゐ )を 示 ( しめ )す。 北越雪譜二編巻之一 終 [#改丁] 酉陽雑俎 ( いうやうざつそ )に 云 ( いふ )、 熊胆 ( ゆうたん )春は 首 ( くび )に 在 ( あ )り、夏は 腹 ( はら )に在り、秋は左の足にあり、冬は右の足にありといへり。 余 ( よ ) 試 ( こゝろみ )に 猟師 ( かりうど )にこれを 問 ( とひ )しに、 熊 ( くま )の 胆 ( きも )は常に 腹 ( はら )にありて 四時 ( しじ )同じといへり。 盖 ( けだし ) 漢土 ( かんど )の 熊 ( くま )は 酉陽雑俎 ( いうやうざつそ )の 説 ( せつ )のごとくにや。 凡 ( およそ ) 猟師 ( れふし )山に入りて 第一 ( だいいち )に 欲 ( ほつす )る 処 ( ところ )の物は熊なり。 一熊 ( いちゆう )を 得 ( う )ればその皮とその 胆 ( きも )と大小にもしたがへども、 大 ( おほ )かたは金五両以上にいたるゆゑに 猟師 ( れふし )の 欲 ( ほつす )るなり。 しかれども熊は 猛 ( たけ )く、 且 ( かつ ) 智 ( ち )ありて 得 ( う )るに 易 ( やす )からず。 たま/\ 一熊 ( いちゆう )を 得 ( う )るとも 其儕 ( そのともがら )に 価 ( あたひ )を 分 ( わかつ )ゆゑ 利得 ( りとく ) 薄 ( うす )し、さればとて雪中の熊は 一人 ( ひとり )の 力 ( ちから )にては 得事 ( うること ) 難 ( かた )しとぞ。 此村の弥左ヱ門といふ 農夫 ( のうふ )、 老 ( おい )たる 双親 ( ふたおや ) 年頃 ( としごろ )のねがひにまかせ、秋のはじめ信州善光寺へ 参詣 ( さんけい )させけり。 さてある日用ありて二里ばかりの所へゆきたる 留守 ( るす )、 隣家 ( りんか )の者 過 ( あやまち )て火を 出 ( いだ )したちまち 軒 ( のき )にうつりければ、弥左ヱ門が 妻 ( つま ) 二人 ( ふたり )の 小児 ( こども )をつれて 逃去 ( にげさ )り、 命 ( いのち )一ツを 助 ( たすか )りたるのみ、 家財 ( かざい )はのこらず 目前 ( もくぜん )の 烟 ( けむり )となりぬ。 弥左ヱ門は村に 火災 ( くわさい )ありときゝて 走皈 ( はせかへ )りしに、 今朝 ( けさ ) 出 ( いで )し家は 灰 ( はひ )となりてたゞ 妻子 ( つまこ )の 无 ( ぶじ )をよろこぶのみ。 此 夫婦 ( ふうふ ) 心 ( こゝろ ) 正直 ( しやうぢき )にして 親 ( おや )にも 孝心 ( かうしん )なる者ゆゑ、人これを 憐 ( あはれ )みまづしばらく 我 ( わ )が家に 居 ( を )るべしなど 奨 ( すゝむ )る 富農 ( ふのう )もありけるが、われ/\は 奴僕 ( ぬぼく )の 業 ( わざ )をなしても 恩 ( おん )に 報 ( むく )ゆべきが、 双親 ( ふたおや ) 皈 ( かへ )り来りて 膝 ( ひざ )を 双 ( ならべ )て人の家に 在 ( あ )らんは心も安からじとて 諾 ( うけがは )ず。 竊 ( ひそか )に 田地 ( でんぢ )を 分 ( わかち )て 質入 ( しちいれ )なしその金にて 仮 ( かり )に家を作り、親も 皈 ( かへ )りて 住 ( すみ )けり。 草 ( くさ )を 刈 ( かる ) 鎌 ( かま )をさへ 買求 ( かひもとむ )るほどなりければ、火の 為 ( ため )に 貧 ( まづし )くなりしに家を 焼 ( やき )たる 隣家 ( りんか )へ 対 ( むか )ひて 一言 ( いちごん )の 恨 ( うらみ )をいはず、 交 ( まじは )り 親 ( したし )むこと常にかはらざりけり。 かくてその年もくれて 翌年 ( よくとし )の二月のはじめ、此弥左ヱ門山に 入 ( いり )て 薪 ( たきゞ )を取りしかへるさ、谷に 落 ( おち )たる 雪頽 ( なだれ )の雪の 中 ( なか )にきは/\しく 黒 ( くろ )き 物 ( もの ) 有 ( あり )、 遙 ( はるか )にこれを 視 ( み )て、もし人のなだれにうたれ死したるにやと 辛 ( からう )じて谷に下り、 是 ( これ )を 視 ( み )れば 稀有 ( けう )の大熊 雪頽 ( なだれ )に 打殺 ( うちころさ )れたるなりけり。 此 雪頽 ( なだれ )といふ事 初編 ( しよへん )にもくはしく 記 ( しるし )たるごとく、山に 積 ( つも )りたる雪二丈にもあまるが、春の 陽気 ( やうき ) 下 ( した )より 蒸 ( むし )て 自然 ( しぜん )に 砕 ( くだ )け 落 ( おつ )る事 大磐石 ( だいばんじやく )を 転 ( まろば )しおとすが如し。 これに 遇 ( あへ )ば人馬はさらなり、大木大石もうちおとさる。 されば此熊もこれにうたれしゝたるなり。 弥ざゑもんはよきものをみつけたりと大に 悦 ( よろこ )び、 皮 ( かは )も 胆 ( きも )もとらんとおもひしが、日も西に 傾 ( かたぶき )たれば 明日 ( あす )きたらんとて人の見つけざるやうに 山刀 ( やまがたな )にて熊を雪に 埋 ( うづ )めかくし、心に目しるしをして家にかへり 親 ( おや )にもかたりてよろこばせ、次のあした 皮 ( かは )を 剥 ( はぐ )べき用意をなしてかしこにいたりしに 胆 ( きも )は常に 倍 ( ばい )して大なりしゆゑ、 弁当 ( べんたう )の 面桶 ( めんつう )に入れて持かへりしを人ありて 皮 ( かは )を金一両 胆 ( きも )を九両に 買 ( かひ )けり。 弥ざゑもんはからず十両の金を 得 ( え )て 質 ( しち )入れせし田地をもうけもどし、これより 屡 ( しば/\ ) 幸 ( さいはひ )ありてほどなく家もあらたに作りたていぜんにまさりて 栄 ( さかえ )けり。 弥左ヱ門が 雪頽 ( なだれ )に熊を得たるは 金一釜 ( きんいつふ )を 掘得 ( ほりえ )たる 孝子 ( かうし )にも 比 ( ひ )すべく、 年頃 ( としごろ )の 孝心 ( かうしん )を 天 ( てん )のあはれみ玉ひしならんと人々 賞 ( しやう )しけりと 友人 ( いうじん ) 谷鴬翁 ( こくあうをう )がかたりき。 吾が 住 ( すむ ) 塩沢 ( しほざは )は 下組 ( したぐみ )六十八ヶ村の 郷元 ( がうもと )なれば、郷元を 与 ( あづか )り知る家には 古来 ( こらい )の 記録 ( きろく )も 残 ( のこ )れり。 此時 御領主より彦右ヱ門 息 ( せがれ )へ米五俵、浅右ヱ門 妻 ( さい )へ米五俵 賜 ( たまはり )し事を 記 ( しる )しあり。 此 魚沼郡 ( うをぬまこほり )は 大郡 ( たいぐん )にて 会津侯御 預 ( あづか )りの地なり。 元文の昔も今も 御領内 ( ごりやうない )の 人民 ( じんみん )を 怜 ( あはれみ )玉ふ事 仰 ( あふ )ぐべく 尊 ( たつと )むべし。 そのありがたさを吾が 后 ( のち )へも 示 ( しめ )さんとて 筆 ( ふで )の 序 ( ついで )にしるせり。 近年は山家の人、家を作るに此 雪頽 ( なだれ )を 避 ( さけ )て地を 計 ( はか )るゆゑその 難 ( なん )まれなれども、 山道 ( やまみち )を 往来 ( ゆきゝ )する時なだれにうたれ死するもの 間 ( まゝ )ある事なり。 他国の人越後に来りて 山下 ( さんか )を 往来 ( わうらい )せばホウラなだれを用心すべし。 他国の人これに死したる 石塔 ( せきたふ )今も所々にあり、おそるべし/\。 吾が国に 雪吹 ( ふゞき )といへるは、 猛風 ( まうふう ) 不意 ( ふい )に 起 ( おこ )りて 高山平原 ( かうざんへいげん )の雪を 吹散 ( ふきちら )し、その風四方にふきめぐらして 寒雪 ( かんせつ )百万の 箭 ( や )を 飛 ( とば )すが如く、 寸隙 ( すんげき )の 間 ( あひだ )をも 許 ( ゆる )さずふきいるゆゑ、ましてや 往来 ( ゆきゝ )の人は 通身 ( みうち )雪に 射 ( いら )れて 少時 ( すこしのま )に 半身 ( はんしん ) 雪 ( ゆき )に 埋 ( うづめら )れて 凍死 ( こゞえし )する 、まへにもいへるがごとし。 此ふゞきは 晴天 ( せいてん )にも 俄 ( にはか )におこり、二日も三日も雪あれしてふゞきなる事あり、 往来 ( ゆきゝ )もこれが 為 ( ため )にとまること毎年なり。 此時に 臨 ( のぞん )で 死亡 ( しばう )せしもの、雪あれのやむを 待 ( まつ )も 程 ( ほど )のあるものゆゑ、せんかたなく雪あれを 犯 ( をかし )て 棺 ( くわん )を 出 ( いだ )す事あり。 施主 ( せしゆ )はいかやうにもしのぶべきが 他人 ( たのひと )の 悃苦 ( こまる )事見るもきのどくなり、これ雪国に一ツの 苦状 ( くぢやう )といふべし。 我 ( われ )江戸に 逗留 ( とうりう )せしころ、 旅宿 ( りよしゆく )のちかきあたりに死亡ありて 葬式 ( さうしき )の日大 嵐 ( あらし )なるに、 宿 ( やど )の 主 ( あるじ )もこれに 往 ( ゆく )とて 雨具 ( あまぐ )きびしくなしながら、 今日 ( けふ )の 仏 ( ほとけ )はいかなる 因果 ( いんくわ )ものぞや、かゝる 嵐 ( あらし )に 値 ( あひ )て人に 難義 ( なんぎ )をかくるほどなればとても 極楽 ( ごくらく )へはゆかるまじ、などつぶやきつゝ立いづるを見て、吾が国の 雪吹 ( ふゞき )に 比 ( くら )ぶればいと安しとおもへり。 筑紫 ( つくし )のしらぬ火といふは古哥にもあまたよみて、むかしよりその名たかくあまねく人のしる所なり。 その 然 ( もゆ )るさまは 春暉 ( しゆんき )が 西遊記 ( さいいうき ) * 12にしらぬ火を 視 ( み )たりとて、 詳 ( つまびらか )にしるせり。 其しらぬ火といふも世にいふ 竜燈 ( りうとう )のたぐひなるべし。 我国 蒲原郡 ( かんはらこほり )に 鎧潟 ( よろひがた )とて (里言に湖を潟と云)東西一里半、南北ヘ一里の 湖水 ( こすゐ )あり、毎年二月の中の午の日の夜、酉の下刻より丑の刻頃まで水上に火 燃 ( もゆ )るを、里人は 鎧潟 ( よろひがた )の万燈とて 群 ( あつま )り 観 ( み )る人多し。 余 ( よ )が 友人 ( いうじん )これをみたるをきゝしに、かの西遊記にしるしたるつくしのしらぬ火とおなじさまなり。 近年 湖水 ( こすゐ )を北海へおとし新田となりしゆゑ、 湖中 ( こちゆう )の万 燈 ( とう )も今は 人家 ( じんか )の 億燈 ( おくとう )となれり。 又我国の 八海山 ( はつかいさん )は 巓 ( いたゞき )に八ツの池あり、依て山の名とす。 絶頂 ( ぜつちよう )に八海大明神の社あり、八月朔日を縁日とし山にのぼる人多し。 此夜にかぎりて 竜燈 ( りうとう )あり、其来る所を見たる人なしといふ。 およそ竜燈といふものおほかたは春夏秋なり。 諸国にある 諸書にしるしたるを見るに、いづれもおなじさまにて海よりも 出 ( いで )、山よりもくだる。 毎年其日其 刻限 ( こくげん )、定りある事甚 奇異 ( きい )なり。 竜神より神仏へ 供 ( くう )と 云 ( いふ )が 普通 ( ふつう )の 説 ( せつ )なれど、こゝに 珎 ( めづらし )き 竜燈 ( りうとう )の談あり、少しく竜燈を 解 ( げす )べき説なれば 姑 ( しばら )くしるして 好事家 ( かうずか )の 茶話 ( ちやわ )に 供 ( きよう )す。 我国 ( わがくに ) 頸城郡 ( くびきこほり ) 米山 ( よねやま )の 麓 ( ふもと )に 医王山 ( いわうさん ) 米山寺 ( べいさんじ )は和同年中の 創草 ( さう/\ )なり。 山のいたゞきに薬師堂あり、山中女人を 禁 ( きん )ず。 此米山の腰を米山 嶺 ( たふげ )とて越後北海の 駅路 ( えきろ )なり、此 辺 ( ほとり ) 古跡 ( こせき )多し。 余 ( よ )先年其古跡を 尋 ( たづね )んとて 下 ( しも )越後にあそびし時、 新道 ( しんだう )村の 長 ( をさ ) 飯塚知義 ( いひつかともよし )の 話 ( はなし )に、 一年 ( ひとゝせ )夏の頃 ( あまこひ )の 為 ( ため )に村の者どもを 从 ( したが )へ 米山 ( よねやま )へのぼりしに、 薬師 ( やくし )へ参詣の人山こもりするために 御鉢 ( おはち )といふ所に小屋二ツあり、その小屋へ一宿しゝに 是 ( この )日は六月十二日にて此御鉢といふ所へ 竜燈 ( りうとう )のあがる夜なり。 おもひまうけずして竜燈をみる事よとて人々しづまりをりしに、酉の刻とおもふ頃、いづくともなくきたりあつまりしに、大なるは 手鞠 ( てまり )の如く、小なるは 卵 ( たまご )の如し。 大小ともに此御 鉢 ( はち )といふあたりをさらずして、 飛行 ( ひぎやう )する あるひはゆるやか、あるひははしる、そのさま心ありて 遊 ( あそ )ぶが如し。 其 光 ( ひか )りは 螢火 ( ほたるひ )の色に 似 ( に )たり。 つよくも光り、よはくもひかるあり。 舞 ( ま )ひめぐりてしばらくもとゞまるはなく、あまたありてかぞへがたし。 はじめより小やの入り口を 閉 ( とざし )、人々ひそまりて 覗 ( のぞき )ゐたれば、こゝに人ありともおもはざるやうにて、大小の 竜燈 ( りうとう )二ツ三ツ小屋のまへ七八間さきにすゝみきたりしを、かれがひかりにすかしみれば、 形 ( かた )ち鳥のやうに見えて光りは 咽 ( のど )の下より 放 ( はな )つやうなり。 猶近 ( なほちか )くよらばかたちもたしかに 視 ( み )とゞけんとおもひしに、ちかくはよらずしてゆるやかに飛めぐれり。 此夜は 山中 ( さんちゆう )に一宿の心 得 ( え )なれば心用の 為 ( ため )に 筒 ( つゝ )をも 持 ( もた )せしに、 手 ( て )たれの上手しかも若ものなりしが光りを 的 ( まと )にうたんとするを、老人ありてやれまてとおしとゞめ、あなもつたいなし、此竜燈は竜神より薬師如来へさゝげ玉ふなり。 罰 ( ばち )あたりめと 叱 ( しか )りたる声に、竜燈はおどろきたるやうにてはるか遠く飛さりしと 知義 ( ともよし ) 語 ( かた )られき。 およそ越後の雪をよみたる 哥 ( うた )あまたあれども、 越雪 ( こしのゆき )を 目前 ( もくぜん )してよみたるはまれなり。 西行 ( さいぎやう )が 山家集 ( さんかしふ )、 頓阿 ( とんあ )が 草菴集 ( さうあんしふ )にも越後の雪の哥なし、此 韻僧 ( ゐんそう )たちも越地の雪はしらざるべし。 俊頼朝臣 ( としよりあそん )に「 降雪 ( ふるゆき )に 谷 ( たに )の 俤 ( おもかげ )うづもれて 稍 ( こずゑ )ぞ冬の 山路 ( やまぢ )なりける」これらは 実 ( じつ )に越後の雪の 真景 ( しんけい )なれども、此あそん越後にきたり玉ひしにはあらず、 俗 ( ぞく )にいふ 哥人 ( かじん )は 居 ( ゐ )ながら 名所 ( めいしよ )をしるなり。 伊達政宗卿 ( だてまさむねきやう )の御哥に「さゝずとも 誰 ( たれ )かは 越 ( こえ )ん 関 ( せき )の 戸 ( と )も 降 ( ふり )うづめたる 雪 ( ゆき )の夕 暮 ( ぐれ )」又「なか/\につゞらをりなる 道 ( みち ) 絶 ( たえ )て雪に 隣 ( となり )のちかき山里」此君は御名たかき 哥仙 ( かせん )にておはしまししゆゑ、かゝるめでたき御哥もありて人の 口碑 ( こうひ )にもつたふ。 雪の 実境 ( じつきやう )をよみ玉ひしはしろしめす御 ン国も 深雪 ( みゆき )なればなり。 芭蕉翁が 奥 ( おく )に 行脚 ( あんぎや )のかへるさ越後に入り、 新潟 ( にひがた )にて「海に 降 ( ふ )る雨や 恋 ( こひ )しきうき 身宿 ( みやど )」 寺泊 ( てらどまり )にて「 荒海 ( あらうみ )や 佐渡 ( さど )に 横 ( よこ )たふ天の川」これ夏秋の 遊杖 ( いうぢやう )にて越後の雪を見ざる事 必 ( ひつ )せり。 されば近来も越地に遊ぶ 文人墨客 ( ぶんじんぼくかく )あまたあれど、秋のすゑにいたれば雪をおそれて 故郷 ( ふるさと )へ 逃皈 ( にげかへ )るゆゑ、越雪の 詩哥 ( しいか )もなく 紀行 ( きかう )もなし。 稀 ( まれ )には他国の人越後に雪中するも 文雅 ( ぶんが )なきは筆にのこす事なし。 吾が国三条の人 崑崙 ( こんろん )山人、北越奇談を出板せしが (六巻絵入かな本文化八年板) 一辞半言 ( いちじはんげん )も雪の事をしるさず。 今 文運 ( ぶんうん ) 盛 ( さかん )にして新板 湧 ( わく )がごとくなれども日本第一の大雪なる越後の雪を 記 ( しる )したる 書 ( しよ )なし。 ゆゑに吾が 不学 ( ふがく )をも 忘 ( わす )れて 越雪 ( ゑつせつ )の 奇状 ( きぢやう ) 奇蹟 ( きせき )を記して 後来 ( こうらい )に 示 ( しめ )し、且 越地 ( ゑつち )に 係 ( かゝ )りし事は 姑 ( しばら )く 載 ( のせ )て 好事 ( かうず )の 話柄 ( わへい )とす。 さて元禄の 頃 ( ころ )高田の御城下に 細井昌庵 ( ほそゐしやうあん )といひし医師ありけり。 一に青庵といひ、 俳諧 ( はいかい )を 善 ( よく )して 号 ( がう )を 凍雲 ( とううん )といへり。 ひとゝせはせを翁奥羽あんぎやのかへり 凍雲 ( とううん )をたづねて「 薬欄 ( やくらん )にいづれの花を 草枕 ( くさまくら )」と 発句 ( ほつく )しければ、 凍雲 ( とううん )とりあへず「 萩 ( はぎ )のすだれを 巻 ( まき )あぐる月」此時のはせをが 肉筆 ( にくひつ )二枚ありて一枚は 書損 ( しよそん )と覚しく 淡墨 ( うすゞみ )をもつて 一抹 ( ひとふで )の 痕 ( あと )あり、二枚ともに 昌庵主 ( しやうあんぬし )の家につたへしを、 后 ( のち )に本 書 ( しよ )は同所の 親族 ( しんぞく )三崎屋吉兵衛の家につたへ、 書損 ( しよそん )のは同所五智如来の寺にのこれり。 しかるに文政のころ此地の 邦君 ( はうくん ) 風雅 ( ふうが )をこのみ玉ひしゆゑ、かの二枚 持主 ( もちぬし )より奉りければ、吉兵ヱヘ 常信 ( つねのぶ )の三幅対に白銀五枚、かの寺へもあつき賜ありて、今二枚ともに 御蔵 ( ござう )となりぬと友人 葵亭 ( きてい )翁がものがたりしつ。 葵亭翁は 蒲原郡 ( かんばらごほり )加茂明神の 修験 ( しゆげん )宮本院名は 義方吐醋 ( よしかたとさく )と 号 ( がう )し、又 無方斎 ( むはうさい )と 別号 ( べつがう )す、 隠居 ( いんきよ )して 葵亭 ( きてい )といふ。 和漢 ( わかん )の 博識 ( はくしき )北越の 聞人 ( なたかきひと )なり。 芭蕉が 件 ( くだん )の句ものに見えざればしるせり。 百樹 ( もゝき )曰、芭蕉 居士 ( こじ )は寛永廿年伊賀の上野藤堂新七郎殿の 藩 ( はん )に生る。 (次男なり)寛文六年歳廿四にして 仕絆 ( しはん )を 辞 ( じ )し、京にいでゝ 季吟 ( きぎん )翁の門に入り、 書 ( しよ )を 北向雲竹 ( きたむきうんちく )に 学 ( まな )ぶ。 はじめ 宗房 ( むねふさ )といへり、季吟翁の 句集 ( くしふ )のものにも宗房とあり。 延宝 ( えんはう )のすゑはじめて江戸に来り 杉風 ( さんふう )が家に 寄 ( よる )、 (小田原町鯉屋藤左ヱ門) 剃髪 ( ていはつ )して 素宣 ( そせん )といへり、 桃青 ( たうせい )は 后 ( のち )の名なり。 芭蕉 ( はせを )とは 草庵 ( さうあん )に芭蕉を 植 ( うゑ )しゆゑ人よりよびたる名の 后 ( のち )には 自 ( みづから ) 号 ( がう )によべり。 翁の作に芭蕉を 移辞 ( うつすことば )といふ文あり、その 終 ( をは )りの 辞 ( ことば )に「たま/\花さくも花やかならず 茎太 ( くきふと )けれども 斧 ( をの )にあたらず、かの山中 不材 ( ふさい )の 類木 ( るゐぼく )にたぐへてその性よし。 僧 ( そう ) 懐素 ( くわいそ )は是に筆を 走 ( はし )らし 張横渠 ( ちやうくわうきよ )は 新葉 ( しんえふ )を見て 修学 ( しゆがく )の 力 ( ちから )とせしとなり。 予 ( よ )その二ツをとらず。 たゞ此 蔭 ( かげ )に遊びて風雨に 破 ( やぶ )れ 易 ( やす )きを 愛 ( あい )す「はせを 野分 ( のわき )して 盥 ( たらひ )に雨をきく夜哉」此芭蕉庵の 旧蹟 ( きうせき )は 深 ( ふか )川 清澄町 ( きよすみちやう )万年橋の南 詰 ( づめ )に 対 ( むか )ひたる今 或侯 ( あるこう )の 庭中 ( ていちゆう )に在り、古池の 趾 ( あと )今に存せりとぞ。 (余芭蕉年表一名はせを年代記といふものを作せり、 書肆 ( しよし ) 刻 ( こく )を乞ども考証未 レ足ゆゑに刻をゆるさず) 翁 ( おきな )身を 世外 ( せいぐわい )に 置 ( おき )て四方に 雲水 ( うんすゐ )し、江戸に 趾 ( あと )をとゞめず。 是 挙世 ( きよせい ) [#「挙世」の左に「ヨノナカ」の注記]の知る処なり。 翁が 臨終 ( りんじゆう )の事は江州粟津の義仲寺にのこしたる榎本其角が芭蕉 終焉記 ( しゆうえんき )に目前視るが如くに 記 ( しる )せり。 此記を 視 ( み )るに翁いさゝか 菌毒 ( きんどく ) [#「菌」の左に「キノコ」の注記]にあたりて 痢 ( り )となり、九月晦日より病に 臥 ( ふし )、 僅 ( わづか )に十二日にして 下泉 ( かせん )せり。 其角は此時和泉の 淡 ( あは )の 輪 ( わ )といふ所にありしが、翁大坂にときゝて病ともしらずして十日に来り十二日の 臨終 ( りんじゆう )に 遇 ( あへ )り、 奇遇 ( きぐう )といふべし。 (以上終焉記を摘要す)其角が終焉記の文中に (此記義仲寺に施板ありて人の乞ふにあたふ、俳人はかならずみるべき書なり)『義仲寺にうつして葬礼義信を 尽 ( つく )し京大坂大津 膳所 ( ぜゞ )の 連衆 ( れんじゆう ) 被官 ( ひくわん ) 従者 ( ずさ )までも此翁の 情 ( なさけ )を 慕 ( した )へるにこそ 招 ( まねか )ざるに 馳来 ( はせきた )る者三百余人なり。 浄衣 ( じやうえ )その外智月と (百樹云、大津の米屋の母、翁の門人)乙州が妻 縫 ( ぬひ )たてゝ着せまゐらす』又曰『二千 余 ( よ )人の 門葉辺遠 ( もんえふへんゑん )ひとつに 合信 ( かつしん )する 因 ( ちなみ )と 縁 ( えん )との 不可思議 ( ふかしぎ )いかにとも 勘破 ( かんは )しがたし』百樹おもへらく、孔子に三千の門人ありて門に十 哲 ( てつ )をいだす。 芭蕉に二千の門葉ありて、 庵 ( あん )に十哲とよぶ門人あり。 至善 ( しぜん )の 大道 ( たいだう )と 遊芸 ( いうげい )の 小技 ( せうぎ )と 尊卑 ( そんひ )の 雲泥 ( うんでい )は論におよばざれども、孔子七十にして 魯国 ( ろこく )の 城北 ( しろのきた )泗上に 葬 ( はうふり )て 心喪 ( こゝろのも )を 服 ( ふく )する 弟子 ( でし )三千人、芭蕉五十二にして粟津の義仲寺に 葬 ( はうむ )る時 招 ( まねか )ざるに来る者三百余人、 是以 ( こゝをもつて )人に師たるの徳ありしをおもふべし。 盖 ( けだし )芭蕉の 盆石 ( ぼんせき )が孔夫子の 泰山 ( たいさん )に似たるをいふなり。 芭蕉 曾 ( かつて ) ( そくわい ) [#「 」の左に「ウルコヽロ」の注記]の 風 ( ふう ) 軽薄 ( けいはく )の 習 ( しふ )少しもなかりしは 吟咏 ( ぎんえい ) 文章 ( ぶんしやう )にてもしらる。 此翁は其角がいひしごとく人の 推慕 ( すゐぼ )する事今に於も 不可思議 ( ふかしぎ )の 奇人 ( きじん )なり。 されば一 句 ( く )一 章 ( しやう )といへども人これを 句碑 ( くひ )に作りて 不朽 ( ふきう )に 伝 ( つた )ふる事今 猶 ( なほ ) 句碑 ( くひ )のあらざる国なし。 吟海 ( ぎんかい )の 幸祥 ( かうしやう ) 詞林 ( しりん )の 福禎 ( ふくてい ) 文藻 ( ぶんさう )に於て此人の右に出る者なし。 されば本文にもいへるごとくかりそめにいひすてたる 薬欄 ( やくらん )の一句の 墨痕 ( ぼくこん )も百四十余年の 后 ( のち )にいたりて文政の頃白銀の光りをはなつぞかし、 論外不思議 ( ろんぐわいふしぎ )といふべし。 蜀山先生 嘗 ( かつて ) 謂予 ( よにいつて ) 曰 ( いはく )、 凡 ( およそ ) 文墨 ( ぶんぼく )をもつて世に遊ぶ 者 ( もの )画は論せず、 死後 ( しご )にいたり一字一百銭に 当 ( あて )らるゝ身とならば 文雅 ( ぶんがの )幸福 足 ( たる )べしといはれき。 此先生は今其幸福あり、一字一百銭に 当 ( あて )らるゝ事 嗟乎 ( あゝ ) 難 ( かたい )かな。 されば 爰 ( こゝ )に一証を 得 ( え )たるゆゑ、此 雪譜 ( せつふ )に 記載 ( きさい )して 后来 ( こうらい )に 示 ( しめ )すは、かゝる 瑣談 ( さだん ) [#「瑣談」の左に「チヒサイハナシ」の注記]も世に 埋冤 ( まいゑん ) [#「埋冤」の左に「ウヅマル」の注記]せん事のをしければ、いざ 然 ( さら )ばとて雪に 転 ( ころば )す筆の 老婆心 ( らうばしん )なり。 后 ( のち )に 柏筵 ( はくえん )とあらたむ。 妻 ( つま )をおさいといひ、俳名を 翠仙 ( すゐせん )といふ、夫婦ともに俳諧を 能 ( よく )し 文雅 ( ぶんが )を 好 ( このめ )り。 此 柏筵 ( はくえん )が日記のやうに 書残 ( かきのこ )したる 老 ( おい )の 楽 ( たのしみ )といふ 随筆 ( ずゐひつ )あり。 (二百四五十帋の自筆なり) 嘗 ( かつて ) 梱外 ( こんぐわい ) [#「梱」の左に「シキヰ」の注記]へ 出 ( いだ )さゞりしを、狂哥堂真顔翁 珎書 ( ちんしよ )なれば 懇望 ( こんまう )してかの家より借りたる時 余 ( よ )も 亡兄 ( ばうけい )とともに 読 ( よみ )しことありき。 そのなかに芝居土用やすみのうち 柏筵 ( はくえん )一蝶が引船の絵の小屏風を風入れする 旁 ( かたはら )にて、 人参 ( にんじん )をきざみながら此絵にむかしをおもひいだして 独言 ( ひとりごと )いひたるを 記 ( しる )したる文に「我れ 幼年 ( えうねん )の 頃 ( ころ )はじめて吉原を見たる時、黒羽二重に三升の紋つけたるふり袖を 着 ( き )て、右の手を一蝶にひかれ左りを其角にひかれて日本 堤 ( づゝみ )を 往 ( ゆき )し事今に 忘 ( わすれ )ず。 此ふたりは世に名をひゞかせたれど今はなき人なり。 我は幸に世にありて名もまた 頗 ( すこぶ )る 聞 ( きこ )えたり (中略)今日小川 破笠老 ( はりつらう )まゐらる。 むかしのはなしせられたるなかに、芭蕉翁はほそおもてうすいもにていろ白く小兵なり。 常 ( つね )に茶のつむぎの羽織をきられ、 嵐雪 ( らんせつ )よ、其角が所へいてくるぞよとものしづかにいはれしとかたられたり」此文はせをを今目前に見るが如し。 (翁の門人惟然が作といふ翁の肖像あるひは画幅の肖像、世に流伝するものと此説とあはせ視るべし)小川破笠俗称平助 壮年 ( さうねん )の 頃 ( ころ ) 放蕩 ( はうたう )にて嵐雪と 倶 ( とも )に (俗称服部彦兵ヱ)其角が堀江町の 居 ( きよ )に 食客 ( しよくかく )たりし事、 件 ( くだん )の 老 ( おい )の 楽 ( たのしみ )又破笠が 自記 ( じき )にも見ゆ。 破笠一に笠翁また 卯観 ( ばうくわん )子、 夢中庵 ( むちゆうあん )等の号あり。 絵 ( ゑ )を一蝶に 学 ( まな )び、俳諧は其角を師とす。 余が蔵する画幅に延享三年丙寅仲春夢中庵笠翁八十有四 筆 ( ふで )とあり。 描金 ( まきゑ )を 善 ( よく )して人の 粕 ( かす )をなめず、別に 一趣 ( いつしゆ )の 奇工 ( きこう )を 為 ( な )す。 破笠 ( はりつ )細工とて今に 賞 ( しやう )せらる。 吉原の七月 創 ( はじめ )て 機燈 ( からくりとうろ )を作りて今に其 余波 ( よは )を 残 ( のこせ )り、 伝 ( でん ) 詳 ( つまびらか )なれどもさのみはとてもらせり。 東游記 ( とういうき )に越前国大野領の山中に 化石渓 ( くわせきたに )あり。 何物にても半月あるひは一ヶ月此 渓 ( たに )に 浸 ( ひた )しおけばかならず石に化す、 器物 ( きぶつ )はさらなり紙一 束 ( そく ) 藁 ( わら )にてむすびたるが石に 化 ( くわし )たるを見たりとしるせり。 我が越後にも化石渓あり、 魚沼郡 ( うをぬまこほり ) 小出 ( こいで )の 在 ( ざい ) 羽川 ( はかは )といふ 渓 ( たに )水へ 蚕 ( かひこ )の 腐 ( くさり )たるを 流 ( ながし )しが一夜にして石に 化 ( くわ )したりと 友人 ( いうじん ) 葵亭翁 ( きていをう )がかたられき。 かの大野領の化石渓は東游記の 為 ( ため )に 名 ( な ) 高 ( たか )けれども我が国の化石渓は世にしられず、又近江の石亭が 雲根志 ( うんこんし )変化の部に (前編)人あり語云、越後国 大飯郡 ( おほひこほり )に 寒水滝 ( かんすゐたき )といふあり、此処 深山幽谷 ( しんさんいうこく )にして 沍寒 ( こかん ) [#「沍寒」の左に「ツヨクサムキ」の注記]の地なり。 此滝 坪 ( つぼ )へ万物を 投 ( なげ )こめおくに百日を 過 ( すぐさ )ずして石に化すとぞ、滝坪の近所にて諸木の枝葉又は木の 実 ( み )その外 生類 ( しやうるゐ )までも石に化たるを得るとぞ。 予 ( よ )去る頃此滝の石を取よせし人ありて見るに、常の石にあらず 全躰 ( ぜんたい ) 鐘乳 ( しようにう )なり、木の葉など石中にふくむ 則 ( すなはち )石なり。 雲林石譜 ( うんりんせきふ )にいふ 鐘乳 ( しようにう )の 転化 ( てんくわ )して石になるならん云云。 牧之 ( ぼくし ) 案 ( あんず )るに、越後に 大飯郡 ( おほひごほり )なし又 寒水滝 ( かんすゐたき )の名もきかず。 人あり 語 ( かた )るとあれば 伝聞 ( でんぶん )の 誤 ( あやまり )なるべし。 盖 ( けだし ) 北越奇談 ( ほくゑつきだん )に 会津 ( あひづ )に 隣 ( とな )る 駒 ( こま )が 岳 ( たけ )の 深谷 ( しんこく )に入ること三里にして 化石渓 ( くわせきたに )と名付る処あり、 虫羽 ( ちゆうう )草木といへども 渓 ( たに )に入りて一年を 歴 ( ふ )ればみな化して石となる。 其 ( その )川甚 苦寒 ( くかん )にして夏も 渉 ( わたる )べからざるが如し。 又 蘇門岳 ( そもんがたけ )の北 下田郷 ( しただがう )の 深谷 ( しんこく )にも 化石渓 ( くわせきたに )あり云々。 雲根志 ( うんこんし )の 説 ( せつ )はこれらの所を 聞誤 ( きゝあやまり )たるならん。 百樹 ( もゝき )曰、 件 ( くだん )の 図 ( づ )を 視 ( み )るに常にある亀とは 形状 ( かたち )少しく 異 ( こと )なるやうなり。 依て 案 ( あんず )るに、 本草 ( ほんざう )に 所謂 ( いはゆる ) 秦亀 ( しんき )一名 筮亀 ( ぜいき )あるひは山亀といひ、俗に 石亀 ( いしがめ )といふ物にやあらん。 秦亀 ( しんき )は山中に 居 ( を )るものなり、ゆゑに 呼 ( よん )で山亀といふ。 春夏は 渓水 ( けいすゐ )に遊び秋冬は山に 蔵 ( かく )る、 極 ( きはめ )て長寿する亀は是なりとぞ。 又 筮亀 ( ぜいき )と一名するは 周易 ( しうえき )に亀を 焼 ( やき )て占ひしも此亀なりとぞ。 件 ( くだん )の亀の化石、本草家の 鑒定 ( かんてい )を 得 ( え )て 秦亀 ( しんき )ならば一 層 ( そう )の 珎 ( ちん )を 増 ( ます )べし。 山にて 掘 ( ほり ) 得 ( え )たりとあれば 秦亀 ( しんき )にちかきやうなり。 化石といふものあまた見しに、多は 小 ( ちひさ )きものにてあるひはまた 体 ( かたち ) 全 ( まつたき )も 稀 ( まれ )なり。 図 ( づ )の化石は 体 ( かたち ) 全 ( まつた )く 且 ( そのうへ )大なり、 珎 ( ちん )とすべし。 その色 枯 ( かれ )ずして 生 ( いける )が如く、 堅硬 ( かたき )ことは石なり。 潜確類書 ( せんかくるゐしよ )又 本草 ( ほんざう )三才 図会 ( づゑ )等にいへる 石蟹 ( いしかに ) 泥沙 ( でいしや )と 倶 ( とも )に化して石になりたるなるべし。 盆養 ( ぼんやう )する 石菖 ( せきしやう )の 下 ( もと )におくに水中に 動 ( うごく )が如し。 亀の 徒者 ( おとも )に 其図 ( そのづ )を 出 ( いだ )す、是も今は名家の 形見 ( かたみ )となりぬ。 雲根志 ( うんこんし ) 異 ( れいい )の部に曰、 予 ( よ )が 隣家 ( となり )に 壮勇 ( さうゆう )の者あり儀兵衛といふ。 或時 田上谷 ( たがみだに )といふ山中に 行 ( ゆき )て 夜更 ( よふけ )て 皈 ( かへ )るに、むかうなる山の 澗底 ( たにそこ )より青く光り 虹 ( にじ )の如く 昇 ( のぼり )てすゑは 天 ( そら )に 接 ( まじは )る。 此男 勇漢 ( ゆうかん )なれば 无 ( む )二 无 ( む )三に草木を分けて山を越、谷をわたりてかの 根元 ( こんげん )をさぐりみるに、たゞ何の 異 ( ことな )る事もなき石なり。 ひろひとりて 背 ( せ )に 負 ( お )ひ 皈 ( かへ )るに道すがら光ること前の如し。 甚だ夜道の 労 ( らう )をたすかり、 暁 ( あかつき )の 頃 ( ころ )我が家に着ぬ。 又本国 甲賀郡 ( かふかこほり ) 石原 ( いしはら ) 潮音寺 ( てうおんじ )和尚のものがたりに、近里の農人 畑 ( はた )を 掘居 ( ほりゐ )しに 拳 ( こぶし )ほどなる石をほりいだせり、此石常の石よりは甚だうつくし、よつて取りかへりぬ、夜に入りて光ること 流星 ( りうせい )の如し。 友のいふ、是は 石 ( れいせき )なり、人の持ものにあらず、家にあらば必 災 ( わざはひ )あるべし、はやく打やぶりてすつべしと。 これをきゝて 斧 ( をの )をもつて 打砕 ( うちくだき )しを竹やぶの中へすてたり、其夜竹林一面に光る事数万の螢火の如し。 翌朝 ( よくてう )近里の人きゝつたへて 集 ( あつま )り来り、竹林をたづねみるに少しのくづまでも一石も有る事なし。 又 筑后国 ( ちくごのくに ) 上妻 ( あがつま )郡の人用ありて夜中近村へ行に一ツの小川あり、かちわたりせしに、なにやらん光る物あり、拾ひとりてみれば小石なり、翌日さる方へ献ず、しばらくして失たりとぞ。 (以上一条全文) 是等 ( これら )は他国の事なり、我が 越后 ( ゑちご )にも夜光の玉のありし事あり。 新発田 ( しばた )より (蒲原郡)東北 加治 ( かぢ )といふ所と中条といふ所の間 路 ( みち )の 傍 ( かたはら )田の中に庚申塚あり、此塚の上に大さ一尺五寸ばかりの 円 ( まろき )石を 鎮 ( ちん )してこれを 礼 ( まつ )る。 此石その 先農夫 ( せんのうふ ) 屋 ( いへ )の 后 ( うしろ )の竹林を 掃除 ( さうぢ )して竹の根など 掘 ( ほ )るとてかの石一ツを 掘得 ( ほりえ )たり。 その色青みありて黒く甚だなめらかなり、 農夫 ( のうふ )これをもつて 藁 ( わら )をうつ 盤 ( ばん )となす、其夜妻 庭 ( には )に 出 ( いで )しに 燦然 ( さんぜん )として光る物あり、妻 妖怪 ( ばけもの )なりとして 驚 ( おどろき ) 叫 ( さけぶ )。 家主 ( あるじ ) 壮夫 ( わかもの )三五人を 伴 ( ともな )ひ来りて光る物を 打 ( うつ )に石なり、皆もつて 怪 ( くわい )とし石を竹林に捨つ、その石 夜毎 ( よごと )に光りあり、村人おそれて夜行ものなし。 依て此石を庚申塚に祭り上に 泥土 ( どろ )を 塗 ( ぬり )て光をかくす、今 猶 ( なほ ) 苔 ( こけ )むしてあり。 好事 ( かうず )の人この石を 乞 ( こ )へども 村人 ( そんじん ) 祟 ( たゝり )あらん を 惧 ( おそれ )てゆるさずとぞ。 又 駒 ( こま )が 岳 ( たけ )の 麓 ( ふもと )大湯村と 橡尾 ( とちを )村の間を流るゝ 渓 ( たに )川を 佐奈志 ( さなし )川といふ、ひとゝせ 渇水 ( かつすゐ )せし頃水中に一 点 ( てん )の光あり、螢の水にあるが如し。 数日処を 移 ( うつ )さず、一日 暴風 ( ばうう )に水 増 ( まし )て光りし物所を 失 ( うしな )ふ、 后 ( のち )四五町川下に光りある物 螢火 ( けいくわ )の如し。 此地山中なれば 村夫等 ( そんふら ) 昏愚 ( こんぐ )にして夜光の玉なる事をしらず、 敢 ( あへ )てたづねもとむる者もなかりしに、其秋の 洪水 ( こうずゐ )に夜光の玉ふたゝびながれて 所在 ( しよざい )を 失 ( うしな )ひしとぞ。 (以上北越奇談の説) 偖 ( さて ) 茲 ( こゝ )に 夜光珠 ( やくわうのたま )の 実事 ( じつじ )あり。 我 ( われ )文政二年卯の春 下 ( しも )越後を 歴遊 ( れきいう )せしをり、三嶋郡に入り 伊弥彦 ( やひこ )明神を 拝 ( をがみ )、 旧知識 ( きうちき )なれば高橋 光則翁 ( みつのりをう )を 尋 ( たづね )しに、翁大によろこびて 一宿 ( いつしゆく )を 許 ( ゆる )しぬ。 此翁和哥を 善 ( よく )し 且 ( かつ ) 好古 ( かうこ )の 癖 ( へき )ありて 卓達 ( たくたつ )の人なり、 雅談 ( がだん ) 湧 ( わく )が如く、おもはず ( つゑ )をとゞめし事四五日なりし。 一 夕 ( せき )翁の語りけるは、今より四五十年以前吉田の (三島郡の内なり)ほとり大鳥川といふ 渓 ( たに )川に夜な/\光りものありとて人 怖 ( おぢ )て近づくものなかりしに、此川の近所に富長村といふあり、こゝに 鍛冶 ( かぢ )の兄弟あり、ひとりの母を 養 ( やしな )ふ、家 最 ( もつとも ) 貧 ( まづ )し。 此兄弟 剛気 ( がうき )なるものゆゑかの光り物を見きはめ、もし 妖怪 ( ばけもの )ならば 退治 ( たいぢ )して村のものどもが 肝 ( きも )をひしがんとて、ある夜兄弟かしこにいたりしに、をりしも秋の頃水もまさりし川 面 ( づら )をみるに、月 暗 ( くら )くしてたゞ水の音をきくのみ。 両人 炬 ( たいまつ )をふりてらしてこゝかしこをみるに光るものさらになく、また 怪 ( あや )しむべきをみず、さては人のいふは 空言 ( そらごと )ならん、いざとて 皈 ( かへ )らんとしけるに、水上 俄 ( にはか )に 光明 ( くわうみやう )を 放 ( はな )つ、すはやとて両人衣服を 脱 ( ぬぎ )すて水に飛入り 泳 ( およ )ぎよりて光る物を 探 ( さぐ )りみるに、くゝり枕ほどなる石なり、これを 取得 ( とりえ )て家に 皈 ( かへ )り、まづ ( かまど )の 下 ( もと )に 置 ( おき )しに光り 一室 ( いつしつ )を 照 ( てら )せり。 かくて 后 ( のち ) 弟 ( おとゝ ) 別家 ( べつけ )する時家の物二ツに 分 ( わか )ちて弟に 与 ( あたへ )んと母のいひしに、弟は 家財 ( かざい )を 望 ( のぞま )ず光る石を 持去 ( もちさら )んといふ。 兄がいはく、光る石を 拾 ( ひろ )ひ 得 ( え )しは我が 企 ( くはだて )なり、 汝 ( なんぢ )は我が 力 ( ちから )を 助 ( たすけ )しのみなり、光る石は親の 譲 ( ゆづり )にあらず、兄が物なり。 家財 ( かざい )を 分 ( わかつ )ならばおやのゆづりをこそわかつべけれ、 与 ( あた )ふまじ/\。 弟いな/\あの石はおれがものなり、いかんとなればおん身は光る石を 拾 ( ひろは )んとの 企 ( くはだて )にはあらず、 妖物 ( ばけもの )を 退治 ( たいぢ )せんとて川へいたり、おん身よりは 我先 ( われさき )に川へ飛いり光りものを 探 ( さぐ )りあてゝかづきあげしも我なり、しかればおれがひろひしを持さらんになにかあらん。 いや/\此兄がものなり、弟がのなりと 口論 ( こうろん )やまず、 終 ( つひ )にはつかみあひうちあひしを、母やう/\におししづめ、しからば光る石を二ツに 破 ( わ )りて分つべしといふ。 其夜水のかゝりし処 光り暉 ( かゝや )く事 螢 ( ほたる )の 群 ( むらがり )たるが如くなりしに、二三夜にしてその光りも 消失 ( きえうせ )けりとぞ。 いかに 頑愚 ( ぐわんぐ )の手にありしとはいひながら、 稀世 ( きせい )の宝玉 鄙人 ( ひじん )の 一槌 ( いつつゐ )をうけて 亡 ( ほろ )びたるは、玉も人も 倶 ( とも )に不幸といふべしと 語 ( かた )られき。 加嶋屋源太兵ヱものがたりに、 過 ( すぎ )し 年 ( とし )北国より人ありて 拳 ( こぶし )の大さの 夜光 ( やくわう )の玉あり、よく一 室 ( しつ )を 照 ( てら )す、よき 価 ( あたひ )あらば 売 ( うら )んといひしかば、 即座 ( そくざ )に其人に 托 ( たく )して 曰 ( いはく )、其玉 求 ( もとめ )たし、 暗夜 ( あんや )にその玉の入りたる箱の内ばかり白きやうに見えなば金五十両にもとむべし、又その玉にて闇夜に大なる文字一字にても 読 ( よみ )えられなば金百両にもとむべし、又 書状 ( しよぢやう )よむほどならば三百金、いよ/\一室をてらさば吾が身上のこらずの 力 ( ちから )を 尽 ( つく )して 求 ( もと )むべし、 媒 ( なかだち )して玉はるべしといひしが、そのゝちなにの 便 ( たより )もなくてやみぬ、 空言 ( そらごと )にてありしと思はる云云。 此文段は天明年中 蔵石 ( ざうせき )の世に 流行 ( はやり )たる頃加嶋屋が 話 ( はなし )をそのまゝに 春暉 ( しゆんき )が 后 ( のち )にしるしたるなるべし。 さて又 余 ( よ )がかの 鍛冶 ( かぢ )屋が玉のはなしをきゝしは文政二年の春なり、今より四五十年以前とあれば、 鍛冶 ( かぢ )が玉を 砕 ( くだ )きたるは安永のすゑか天明のはじめなるべし。 然 ( しか )りとすれば、 蔵石 ( ざうせき )の 流行 ( はやり )たる頃なれば、かのかじまやが 話 ( はなし )に北国の人 一室 ( いつしつ )をてらす玉のうりものありしといひしは、我が国の 縮商人 ( ちゞみあきびと )などがかぢやの玉の をきゝつたへて 商 ( あきな )ひ口をいひしもはかられず。 しかるに玉はくだきしときゝてかじまやへ 答 ( こた )へざりしにやあらん。 卞和 ( へんくわ )が玉も 楚王 ( そわう )を 得 ( え )たればこそ世にもいでたれ、右にのせたる夜光の 話 ( はなし )五ツあり、三ツは我が越後にありし事なり。 いづれも世にいでず、 嗟乎 ( あゝ ) 惜 ( をし )むべし/\。

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