レオナルド ダ ヴィンチ が 研究 し てい た の は 震度 計。 レオナルド・ダ・ヴィンチ

レオナルド・ダ・ヴィンチが研究していたのは?【お天気検定】 答え 依田司

レオナルド ダ ヴィンチ が 研究 し てい た の は 震度 計

2020年5月、新型コロナウイルスの流行により、ゴールデンウィークは史上初の ステイホーム週間となりました。 自粛のかいあり、日本では現在新型コロナは収束に向かっているようですが……もう1つ気になるのが、 地震です。 5月4~6日、17~18日には、震度4の地震が関東地方に 計 6回も発生。 さらに 5月19日には、 岐阜県飛騨地方を中心に 30回以上の群発地震が発生しました。 気象庁も今後の地震への注意を呼びかけています。 そして同時に、 最近クジラやイルカ、深海魚が打ち上げられているのも見逃せません。 昔から 巨大地震の前兆とされる深海魚やクジラの打ち上げですが、今回はその 関係性やメカニズムを追求していきます。 コロナ禍の中で南海トラフ巨大地震が起こってしまうのでは……という不安を抱いている方も多いと思います。 しっかりと対策をしていきましょう! 【2020年5月】最近地震が多い!関東で震度4が6回、飛騨地方では30回以上の群発地震 2020年1月~5月の震度3以上の地震回数 出典: 2020年5月4日と 6日に、 千葉県では 最大震度4の地震が 2回発生。 6日の地震では、東京と埼玉、神奈川でも震度3を記録し、関東地方で大きく揺れが確認されました。 さらに関東地方では 2020年5月17日から19日にかけて、 最大震度4の地震が 4回も発生しています。 地震は関東圏だけではありません。 2020年5月19日に飛騨地方を震源とする地震があり、 高山市では最大震度4を観測しました。 岐阜県の飛騨地方から長野県にかけてでは、先月から地震が続いており、 岐阜県では19日だけで 30回以上、 長野県でも 6回以上発生しています。 【2020年5月19日】岐阜飛騨地方の群発地震 出典: 震度自体は小さく、けが人の情報もありませんが、このように連続して発生する地震を 「群発地震」といいます。 断層の動きが活発化しているのがわかりますよね。 2020年5月20日~21日にかけては、 東京湾を震源とする群発地震が 5回も発生。 SNS上でも、 「最近、地震が多い」、「コロナ流行中に南海トラフ地震が起きたら……」といった不安が広がっており、気象庁も今後の地震への注意を呼びかけています。 2020年、クジラや深海魚が打ち上げられている?巨大地震との関係は? 2020年5月、何度も起こった地震と前後して、 クジラやイルカ、深海魚が打ち上げられていたことは知っていますか? 2020年 5月6日には、 静岡県の下田市で イルカが打ち上げられました。 また 5月9日には、神奈川県藤沢市の 江ノ島でも イルカが打ち上がっています。 実は2018年~2020年にかけて、 クジラやイルカの大量座礁(打ち上げ)が世界中で起こっていて、近年話題になっています。 クジラやイルカが打ち上がると地震が起こる……とは昔から言い伝えられていますが、科学的に断定された事実ではありません。 しかし北大地震火山研究観測センター長や国立極地研究所所長などを歴任した島村英紀氏によれば、海を回遊するクジラやイルカは 地球の 磁 場 を利用してその位置を測定しているとされます。 つまり、 磁場の異常がクジラやイルカの座礁(打ち上げ)の原因になるということです。 地震の際には磁場が変化することもありますから、両者の関係性は一概には否定できません。 参考: , , さらに 2020年5月15日には、 富山湾で深海魚 「アカナマダ」が捕獲されて話題になりました。 アカナマダはあの有名な 「リュウグウノツカイ」に似た深海魚で、近年、富山湾で 8回以上も目撃されています。 実はこのアカナマダ、今までは目撃されることすらほとんどなかった、 超レア深海魚なのです。 ネット上では、 「巨大地震発生の予兆ではないか」という不安の声が広がっていたのですが…… 実際にアカナマダが捕獲された2日後、紀伊水道を震源地とする最大震度4の地震が発生。 2011年の東日本大震災の前にも、リュウグウノツカイやダイオウイカなどの深海魚が大量に打ち上げられた例があり、その関連性は昔から語られています。 ネイチャー雑誌編集者によれば、 海底から噴出する火山ガスが大量発生したときに、深海で生息する深海魚が異常行動を起こすといいます。 2020年5月、日本海の海底で何かが起こっているのは間違いないでしょう。 参考: , 巨大地震に備えて準備をしておこう!最低限の備蓄品まとめ 2020年5月には日本各地で地震が頻発しており、また深海魚やイルカ、クジラの打ち上げも確認されています。 両者の関係性は科学的には認められていないものの、 備えあれば患いなし、 今のうちに来たる巨大地震に備えて準備をしておくことをオススメします。 そこで今回は最後に、 最低限の備蓄品を紹介したいと思います。 飲料水は十分に備蓄しておきましょう。 ミネラルウォーターの箱買いが便利です。 また、 ウォーターバッグやウォータータンクがあると、 給水車が来た時にまとまった量の水を運べるのでこちらも必須です!.

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レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯と代表作品まとめ 16世紀ルネサンスの巨匠と絵画の入門編

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湿度計の歴史 私たちの身近な存在である目に見えない「湿度」ですが、 湿度の計測技術は意外と歴史が長くあります。 まず、中国前漢の時代、紀元前150年頃。 小さなことから大きなことを知る、という意味もこめられているようですが、 ここが湿度計の原点と考えられています。 その後ヨーロッパでは、レオナルド・ダ・ヴィンチが同じような天秤で測る方法で、 湿度計のデザイン考案していた記録があります。 乾燥した木綿には吸湿性があると知ったダヴィンチが、 同じ重さの玉を天秤にかけ、 1つは木綿でつつみ、もう1つはロウでコーティングし、左右の変化により 湿度を知ることができると考えたようです。 それ以降、日本をはじめ世界各国で様々な計測方法が生み出されましたが、 例えば機械式湿度計では、スイスの物理学者ソシュールが、 毛髪を使った湿度計を開発しています。 脱脂した若い女性の金髪を使い、 その伸縮により、針を動かす仕組みを採用しました。 簡単ですが、とても精度の高い湿度計だったようです。 現在ではでも紹介している乾湿球湿度計やデジタル表示の電気式湿度計、 温湿度センサーを使用したものまで、 用途や予算などにあわせ、多くの湿度計を選ぶことができます。 先人の知恵によって、今の私たちの快適な生活があると改めて感じます。

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未来を知っていた天才 レオナルド・ダ・ヴィンチの軌跡①

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「モナリザ」や「最後の晩餐」など数々の名作を残したダ・ヴィンチは、芸術以外にも数学、生物学、解剖学、天文学、地質学、物理学、力学など様々な分野で功績を残しました。 画像:Leonardo da Vinci ダ・ヴィンチの才能は多分野で発揮され、それぞれにおいてとても優れていたため、やがて「万能人」と呼ばれるようになります。 当時だけでなく現在の人類の発展にも多くの影響を与えたダ・ヴィンチは「人類史上最も多才な人物」であると考えられています。 そのためダ・ヴィンチは自分が生まれたヴィンチ村にちなんで「ダ・ヴィンチ(ヴィンチ村の出身)」という姓を使うことにしたのです。 画像:Lucarelli 近年の研究でダ・ヴィンチの母親と思われる人物が特定されましたが、やはり父親は判明していません。 そのため、ダ・ヴィンチの本当の性は現在も謎に包まれています。 しかし、彼は大人になった後も結婚はせず、生涯独身を貫きました。 これは結婚するのが当たり前だった当時のイタリアにおいてとても奇妙なことでした。 画像:Svenska Familj-Journalen ダ・ヴィンチは天才肌であり、一般人とは感性が多少違っていました。 そのためダ・ヴィンチに合った女性を見つけることができず、独身のまま歳を重ねてしまったのではないかといわれています。 また、オーストラリアの有名な精神医学者である「ジークムント・フロイト」はダ・ヴィンチの残した手帳などを分析し、彼が同性愛者だった可能性を指摘しています。 ヴェロッキオは芸術の才能もさることながら、後の天才画家「ラファエロ」の父であるジョヴァンニ・サンティから「稀代の良師」と絶賛されるほど、弟子の才能を伸ばすことに秀でていた人物だといわれています。 画像:Andrea del Verrocchio,Leonardo da Vinci そんなヴェロッキオと弟子のダ・ヴィンチにはある有名な逸話が残っています。 それはダ・ヴィンチの描いた絵を見た師匠のヴェロッキオが、そのあまりの見事さに自信を喪失してしまい絵を描くことを止めてしまったというものでした。 事実ダ・ヴィンチの絵の才能は若い頃から発揮されており、逸話の元となった「キリストの洗礼」を描いたのは彼が20歳のときでした。 このキリストの洗礼はヴェロッキオとの合作だともいわれており、ダ・ヴィンチが左側に描いた天使が師匠の引退を決定付けたされています。 非常に高い設計技術を持っていたダ・ヴィンチは、強国を築くために重要な都市計画の設計を任されたのです。 画像:Leonardo da Vinvci このときダ・ヴィンチが描いた設計図は都市を真上ではなく、斜め上から眺めた形式のものでした。 そしてそのあまりの正確さと技術力に、雇用主のチェーザレは度肝を抜かれることになりました。 これは実際にヘリコプターが開発されるよりも400年以上も前のことでした。 ヘリコプターのような飛行機械の構想は紀元前にもあったとことがわかっています。 しかし、それは竹とんぼのようなものであり、飛行機械としてのヘリコプターを概念化させたのはダ・ヴィンチが最初だといわれています。 画像:Leonardo da Vinvci この他にもダ・ヴィンチはペダルを漕ぐことで車体が回転し、周囲を削り取ってしまう戦車なども設計しています。 ダ・ヴィンチのアイデアはどれも革新的であり当時の技術では再現することができませんでしたが、自動糸巻器や針金の強度検査器などは後の世で実用化され、製造業の発展を支えることになりました。 彼が考案したのは兵隊が水中を自由に移動するための潜水服でした。 画像:Leonardo da Vinvci このスーツの存在を知った軍の関係者は潜水服の詳細をダ・ヴィンチに尋ねました。 しかし、当時の戦闘において水中で活動が可能になることは驚異的であり、自らの発明が最強の兵器になることを恐れたダ・ヴィンチは一切の詳細を教えなかったといわれています。 鏡文字とは文字を左右逆に書くことで、鏡が無ければ読むことが困難になる文字の記載法です。 この鏡文字は子ども時代に彼の母親から存在を教えられた思い出の技法でした。 画像:Leonardo da Vinvci ダ・ヴィンチは13000文字にもなるメモ全てを鏡文字で書くという不思議な行動もしています。 また、この技法は文字だけでなく彼の絵画においても使用されました。 また、話してみると機知に富んだユニークなジョークをいう人物でもありました。 画像:Leonardo da Vinvci その反面、頑固で気難しい気性でもあり、天才特有の変人的な部分も兼ね備えていたといわれています。 最も彼の頭の中は常人には理解できない事柄で溢れていたことが予想されるため、それも仕方ないことなのかも知れません。 しかし、意外なことにダ・ヴィンチは外国語や暗算の類は苦手としていたことがわかっています。 画像:Francesco Melzi 暗算が苦手だったため、計算機の原理まで考案していたほどでした。 天才にも意外に人間臭い一面があったのです。 彼は人を描くならばその内部も知っていなければならないと考え、人体を解剖し入念なスケッチを行なったのです。 ダ・ヴィンチは骨や筋肉、内臓だけでなく、眼球を解剖して物が見える仕組みを理解しようとしたり、妊婦の死体を解剖して胎児の成長過程を知ろうとしました。 画像:Leonardo da Vinci また、処刑場に出向いて見せしめに放置されている死体を熱心にスケッチしたという逸話も残っています。 処刑場に出向いたり、妊婦を解剖するなどダ・ヴィンチの感性は常人には理解し難いものでした。 しかし、芸術理解のために人体解剖を行なう画家はダ・ヴィンチの他にもいたようです。 ダ・ヴィンチは膨大な数のスケッチや設計図を残していますが、そのほとんどは完成することはありませんでした。 有名な「モナリザ」や「最後の晩餐」でさえ未完成の作品だといわれています。 画像:Leonardo da Vinci 気まぐれなダ・ヴィンチは気分が乗らないと絵を描こうとしなかったため、絵の依頼主が実は完成させる気がないのではないかと心配したほどだといいます。 事実、ダ・ヴィンチは非常にこだわりが強く、気に入らないと書き直したり創作を止めてしまうことも多かったようです。 彼は夜にまとまった時間眠るのではなく、4時間毎に15分寝るという独自のスタイルをとっていました。 つまりダ・ヴィンチは一日に6回、合わせて一時間半だけ眠っていたのです。 画像:Leonardo da Vinci このように睡眠を分けてとる方法は「複眠」と呼ばれており、エジソンやナポレオン、近年ではスティーブジョブズなどが取り入れていたことがわかっています。 彼のメモは膨大な量が残されていますが、時系列順に並ぶことはなく日付や場所などがバラバラに記載されていました。 その中には先述した設計図も多く、後世においてこのメモをヒントに実用化された品が多数存在します。 画像:Leonardo da Vinci ダ・ヴィンチは天才的な頭脳で思い浮かぶ斬新かつ革新的なアイデアを次々にメモに残していきました。 しかし、彼はメモをすると満足したのかほとんどを形にしようとはしませんでした。 もっともダ・ヴィンチのアイデアのほとんどは当時の技術では再現不可能だったのです。 発見されているメモは5000を超え、紛失したものを含めると1万枚を超えていたのではないかと考えられています。 二人に面識はほとんどありませんでしたが、世間は彼らをライバルと考え並べて称賛していました。 ダ・ヴィンチの書記の中にはミケランジェロを手厳しくけなすものも見つかっており、彼を認めていたかは別としてライバル視していたことには間違いないようです。 画像:Daniele da Volterra そんなダ・ヴィンチとミケランジェロですが、フィレンツェ政庁の壁画に絵を描くように双方に依頼がされたことがあるのです。 この壁画は天才二人が競い合うことで最高の傑作になることが期待されましたが、結局完成することはありませんでした。 その理由には諸説あり、嵐によってダ・ヴィンチの絵が流されて消えてしまったという説や、絵の具に不具合があったという説などが存在します。 どちらにせよダ・ヴィンチ側に理由があったようで、彼の偏屈な性格から考えて何かしらの意図があったのではないかと勘ぐってしまいます。 ここではその中でも特に有名なものをご紹介します。 経験こそ立派な先生だ。 なぜなら、真似をすれば自然の子供ではなく、自然の孫でしかない。 我々には自然の形態がたくさん与えられているのだから、直接自然に触れることが大事だ。 いかなる障害も、私の中に強い決意を生み出すのだから。 水は澱んでいれば濁り、寒空には凍ってしまう。 ましてや怠惰でいれば気力さえも失われる。 しかし、これは映画の中だけの話ではなく、実際のダ・ヴィンチの絵には多くの謎が残されているといわれています。 近年、有名な「モナリザ」の絵を特殊なカメラで解析した結果、モナリザの顔の下に三人もの別人の顔が描かれていることが判明しました。 モナリザの絵には他にも、ある角度で見たときに表情が変わるなど、意図的な仕掛けが施されているとされています。 画像:Leonardo da Vinci ダ・ヴィンチ・コードではダ・ヴィンチの最高傑作とも称される「最期の晩餐」を取り上げ、「キリストとマグダラのマリアの間に聖杯が隠されている」と解説がされました。 そしてマグダラのマリアはイエスの子を身籠っていたと解釈できるとして、世界中に波紋を呼んだのです。 ダ・ヴィンチは自身の絵に意図的に謎を残しており、「私の絵は真の数学者だけが理解できる」と言い残しています。 その内容は、何処で葬儀を行い、何者が参列し、誰が自分の遺体を運ぶか、など非常に詳細なものでした。 つまりダ・ヴィンチの終活は完璧だったのです。 画像:Luigi Pampaloni ダ・ヴィンチは生前から死に方の重要性を説いており、自身の死後行われる葬儀にまでこだわりを見せたのです。 これは哲学者としても注目を集めるダ・ヴィンチらしい逸話だといえるでしょう。 それは「葬儀では貧しい者60人に松明を持たる」、「彼らに参列代としてお金を支払う」、「松明を4つの教会に運ぶ」 というものでした。 また、葬儀に貧しい者を使いお金を分け与えることまでは理解できますが、松明を4つの教会に配置した意味とは何だったのでしょうか? ダ・ヴィンチのことですから必ず何かしらの意味が存在したはずです。 その説とは「レオナルド・ダ・ヴィンチとは個人ではなく、複数人への呼称であった」というものです。 ダ・ヴィンチは史上最も多才な人間といわれ、その功績は美術、音楽、建築、数学、幾何学、解剖学、生理学、動植物学、天文学、気象学、地質学、地理学、物理学、光学、力学、土木工学などに及ぶものでした。 その功績があまりに多様であるため、複数の人間がダ・ヴィンチを名乗っていたのではないかと考えられたのです。 画像:Leonardo da Vinci 当時ダ・ヴィンチの顔は広く知られていたため、個人としてのダ・ヴィンチが存在したことは間違いありません。 しかし、ダ・ヴィンチと協力して研究活動していた人物が存在していてもおかしくはなく、「レオナルド・ダ・ヴィンチ(ヴィンチ村のレオナルド)」を団体名のように使っていたのではないかというのです。 ダ・ヴィンチは孤独を好む人物だったといわれていますが、これもあまり大勢の人間と関わらないことで複数いるダ・ヴィンチの秘密を守ろうとしていたのではないかともいわれています。 この説の是非はわかりませんが、このような話が上がるほどレオナルド・ダ・ヴィンチという人は史上類を見ない天才だったということです。 天才と呼ばれた彼は何を想い何を考えたのでしょう。 遠い未来に生きる私たちでさえも彼の視線に至ることはできていません。

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