僕 は イエロー で ホワイト で ちょっと ブルー 感想。 ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルー あらすじ解説!

4章分全文公開『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』ブレイディみかこ 特設サイト

僕 は イエロー で ホワイト で ちょっと ブルー 感想

作者:ブレイディ みかこ 出版社:新潮社 発売日:2019-06-21• 今年もっとも感情を揺さぶられた一冊だ。 なにしろこの本を読んでいる間、いい歳して中学生かよ!というくらい落ち着きがなかった。 世の中の不条理に憤って汚い言葉を口にしたかと思えば、声をあげてギャハハと笑い、気がつけば目を真っ赤にして洟をかんでいた。 ノンフィクション好きで著者の名前を知らない人はいないだろう。 ここ数年、注目を集める書き手である。 本書は彼女がこれまで書いたものの中で、もっともプライベートな色合いの濃い一冊といっていいだろう。 彼女は英国南部のブライトンという街で、アイルランド出身で大型ダンプの運転手をしている配偶者とともに20年以上前から暮らしている。 ふたりの間には中学生の息子がいる。 彼が本書の主人公だ。 息子くんは市の学校ランキングで常にトップを走っているようなカトリックの公立小学校に通い、生徒会長まで務めたが、中学校は自宅から近い学校を選んだ。 そこは上品なミドルクラスの優等生が集まる学校ではなかった。 いじめもレイシズムも喧嘩もある、人種や格差もごちゃ混ぜの、英国社会のリアルを反映したような「元底辺中学校」だった。 本書はそんな学校に通い始めた息子くんの1年半の記録である。 これがもう、読み始めたら止まらない。 とにかく面白いのだ。 読者は例外なく主人公のファンになってしまうだろう。 英国では、公立でも保護者が子どもを通わせる小中学校を選ぶことができる。 当然のことながら人気校には応募が殺到するのだが、定員を超えた場合は、校門から児童の自宅までの距離を測定し、近い順番に受け入れるというルールになっている。 このため、わざわざ学校の近所に引っ越す人が出てくる。 するとそうした地区ほど住宅価格は高騰し、そうでない地域との格差が進んでしまう。 著者が暮らすのは「荒れている地域」と呼ばれる元公営住宅地である。 「元」がつくのは、サッチャー政権時代に公営住宅のほとんどが払い下げになったためで、この結果、不動産屋から購入できた人もいれば、相変わらず地方自治体に家賃を払いながら住んでいる人もいるという「まだら現象」が進んだ。 中には民間に払い下げようにも評判が悪すぎて売れなかったと噂される公営団地もあり、まだら地区に住む住人たちからも「ヤバい」と言われていたりする。 同じ「荒れた地域」でも複雑に入り組んだ構造になっているのだ。 息子くんの通う中学校にはこうした地区の子どもが集まっている。 だから大人の想像を超えた出来事が次々に起きる。 たとえば同級生がレイシスト発言を繰り返して問題になるのだが、発言の主は移民の子だったりする。 移民といえば差別される側と考えがちだがそうではない。 一口に移民といっても人種も出身国もさまざまだ。 社会が多様化するとレイシズムにもさまざまなレイヤーが生まれてしまう。 移民が移民を差別することだってあるし、中立のつもりでいても、誰かを気づかずに差別してしまうことだってある。 リアルな貧困の問題も見過ごせない。 息子くんが休み時間に「どんな夏休みだった?」と聞いたら「ずっとお腹が空いていた」と答えた友人がいたという話には胸を衝かれた。 2010年に政権を握った保守党による緊縮財政政策によって、毎日を青息吐息で暮らしていた人たちがつかまっていた細い糸が断ち切られてしまった。 満足に食事もとれない子どもも多く、そんな生徒を見かねた先生がこっそりランチ代を渡すことも珍しくないという。 本書に登場するある教員は、公営住宅地の中学校の先生たちは、週に10ポンドはそういうことにお金を使っていると話す。 緊縮政策で教育への財政支出が毎年のようにカットされる中、現場は心ある人々の努力でなんとかもっているのだ。 思春期の子どもが向き合うには、あまりに過酷な現実かもしれない。 でも本書の主人公は、そんな黒く立ち込めた暗雲を吹き飛ばすかのようなキャラクターなのだ。 冷静に事を見極め、自分の頭で考えてから行動を起こす。 レイシスト発言を繰り返す同級生には、辛抱強く注意し続けふるまいを改めさせるし、「ヤバい」団地に住む貧しい同級生には、プライドを傷つけないようさりげなく物資を渡し手助けしたりする。 本当に頼もしい。 英国社会の置かれた状況もなかなかハードだが、それでもまだ辛うじて社会の紐帯が保たれているように思えるのは、いざ事故や災害が起こった時に、貧しい者どうし助け合うからだ。 そうした地べたの団結力は、市民社会の強さを示していると思う。 ましてや息子くんのように現実とまっすぐに向き合っている子どもたちがいるのだ。 いたずらに悲観することもないのかもしれない。 本書を読みながら、なんども自分の中学生の頃を思い出した。 そこそこに荒れた田舎の中学だったが、不思議と授業の光景は思い出せない。 鮮明におぼえているのは、遊びに行った友人の家がとても狭かったことや、遠足の日に弁当を隠しながら食べている女の子がいたことだ。 あの時生まれて初めてぼくは、社会の現実に触れたのかもしれない。 中学生というのはきっとそういう年代なのだろう。 我が家にもちょうど今年中学生になった息子がいることもあって、保護者のような気分で本書を読んでしまった。 著者はオスカー・ワイルドの言葉をもじって「老人はすべてを信じる。 中年はすべてを疑う。 若者はすべてを知っている。 子どもはすべてにぶち当たる」と書いているが、ほんとうにそうだ。 子どもたちはこれからさまざまな社会の理不尽にぶち当たっていく。 ある朝、早めに家を出たら、登校途中の息子が友人たちと前を歩いていた。 全員ブカブカの制服を着ているのには笑ったが、跳ねるように歩いていく彼らの背中を見ながら、ふいに「ああ、もう追いつけないのだな」と思った。 彼らは大人たちが死んだ後も生きていく。 そしてぼくらが決して見ることのできない未来を見ることができるのだ。 未来は間違いなく彼らのものだ。 不甲斐ない父親世代が変えることのできなかった社会の因習や不合理は、彼らが軽々と変えてしまうに違いない。 一抹の寂しさも感じるが、それ以上になんだか晴れやかな気持ちになった。 子どもたちよ、全力で駆けて行け!大人たちのことなんて気にするな。 君たちの未来は祝福されている! 本書は新潮社の『波』に連載されたものをまとめたものだ。 嬉しいことにこの連載はいまも続いている。 遠からずまた息子くんに会える日が来るだろう。 次に会う時、彼はどんなふうに成長しているだろうか。 親戚のおじさんのような気持ちでその日を心待ちにしている。

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【読書感想文】ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー|AKIRA|note

僕 は イエロー で ホワイト で ちょっと ブルー 感想

分からないことは息苦しい 本当にここ数年のことでしょう。 ある時を境に妙に世間ではグローバルやダイバーシティーやら、LGBTやら妙に聞きなれない単語が騒がれるようになってきた。 TwitterなどのSNSを見ていてもその流れは妙に顕著で、何か違和感があったのを覚えています。 僕は日本で生まれて本の教育を受けて育ってきたステレオタイプな日本人です。 父と母いて、姉と弟いて、当たり前のように進学をして、会社員となって数年の身。 そんな人間であるからかもしれません。 世間で騒がれる分断や差別、格差、思想といったものにはイマイチ関心もなければ実生活の中でそれを実感することもありませんでした。 自分の今までの経験や学びにはない思想がここ数年で目まぐるしく襲いかかってくるのです。 そして、それに対して無知であることは恥なのだという風潮。 数年かけてその風潮は常識となって、僕はどうも真綿で首を絞められる気分でした。 普段の自分の生活だけで精一杯なのに、どうして興味もない事柄に対して関心を持たなければ悪となるのか。 雇用などに対する女性軽視問題? 確かにとても大きな問題です。 自分の性に対するアイデンティティ? そうですね、とても大切な問題だと思います。 貧困による教育格差の問題? 熱心に考えるべき問題ですね。 ありとあらゆる答えの出ない問題。 それが目まぐるしく襲いかかってきて、それに対して君は是なのか否なのかと問われる。 それに答えない人間は無知で、他者への共感もなく、現代社会にそぐわない。 何とも息苦しい話です。 頭の外にあることと思っていました 僕はデザイナーという仕事をしています。 勘違いされやすいですが、デザイナーの本質は絵を描くことではありません。 デザイナーとはコミュニケーションの設計者です。 伝えたい意図に対して視覚的なテクニックを駆使して、他者にそれを伝えていくのがデザイナーの仕事です。 つまり、デザイナーとはどこまで行っても、他人の思想の受け渡しをする役者なのです。 他人の思想など正直、興味ありません。 伝えたい意図など知ったことないです。 本音を言えば自分で伝えなさいな、と言ってやりたくなります。 それでも、この仕事をしているのは自分の持ちうる技術でその目的を達成することにやり甲斐を感じているからに 他なりません。 そんな僕ですから、自分の脳みその外側にある思想や格差、差別と言ったより大きな領域の問題になど手に負えるわけがありません。 まして、僕はその他大勢の日本人です。 性の格差も差別も貧困も、自分の経験にはない。 それが何とも歯がゆい。 同時に不快なノイズでもある。 これらの経験がある人からしたら、僕のような無関心な人間が悪なのは想像がつきます。 その人たちを本当に苦しめているのはきっと無理解な僕なのでしょう。 だから声をあげるし、怒るし、理解を求めようとする。 それは自然な事です。 無関心なままでいる。 それはきっと良くない事なのは僕にも分かります。 そんな時ふと目についた本がぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルーでした。 身近なところにこそ潜んでいる この本はブレイディみかこ氏が英国で生活する中学生の息子との学校生活の中にある様々な社会問題を取り上げた一冊です。 そこには貧困による格差や人種差別、他者について考えるということを主人公が息子ととの実生活の中で学んでいく姿が描かれています。 人種や貧困という問題は決して大人だけの世界ではなく、子供たちこそより身近に寄り添っている。 例えば、こんな話がありました。 主人公の息子が市主催のプール大会に出場しました。 そのプール大会では学校ごとに対抗で試合をします。 いざプールサイドに向かうと、 私立校の子供たちはきちんとした競泳水着を着ながら悠々と準備運動をし、一方で公立校の子供たちはくたびれた水着ですし詰め状態。 誰が決めたでもなく、自然とそういう風に2分されているのです。 プール大会はもちろん私立校の子供たちの圧勝です。 きちんとした競泳水着で体格も公立校の子供たちよりもずっと立派。 フォームもしっかりしていてアスリートそのもの。 そこにあるのは明らかな貧困の差です。 貧困とは個人の努力だけではどうやっても覆せない差です。 私立校の子はお金があり、専門的な教育を受け、そしてめいいっぱい食事をします。 育ち盛りの子供たちにとってこの差がどれだけ大きいかは想像しなくても分かることでしょう。 こうした差はどこの国であろうと変わりません。 近年、アメリカではバニーサンダース上院議員がかかげる民主社会主義が若者の間で支持を集めました。 大学無償化や国民の保険制度の導入などのマニフェストの数々は貧富の差が激しいからこそのものでしょう。 このような時代の流れは決して他人事ではなく、身近な社会(学校)にすら根付いているのです。 自分で想像するよりも問題は身近で根深いものです。 この本にはそんな様々な問題提起がなされています。 自分の考えを持つべき「時代」だからこそ読みたい 読み終わって気づくのは、ノイズとして切り捨てていたものは決して見過ごして良いものではないということでした。 ある意味で目から鱗というものを味わった瞬間だったかもしれません。 意識しなければ気づけない問題というよりも、気づかないフリをした方が楽というのが本音であったのだと分からされるのです。 今、日本はコロナという経験したことのない災禍に見舞われています。 毎日のようにメディアでは誰が悪い悪くない。 SNSでも不安を紛らわすために敵を探す日々。 色々な思想が言葉となって飛び交っている毎日です。 まるで毎日誰かに責められているような気がして滅入る日々ですが、だからこそ向き合うべき時なのかもしれません。 色々な思想が錯綜するからこそ、自分の考えを持つべき時代と言えるのではないでしょうか。 そんな時代だからこそ、このぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルーは等身大の問題として 捉えるヒントとなりうるのではないでしょうか。

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ブレイディみかこ 『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』

僕 は イエロー で ホワイト で ちょっと ブルー 感想

これ、今年一番の本ちゃうかな。 本屋では児童書かと思ってましたが(笑)。 2019年はがこれまで一番面白かったけど、あれは「立身出世もの」(Rags to Riches)的な面白さ。 「ぼくはイエロー」は「冒険、探求」(The Quest)的な面白さです。 いいライターさんに良いネタがあったら、こんな素晴らしい作品ができてしまったという。 ネタは誰かに与えられたものじゃなくて自分でつかみ取ったネタです。 誰もが手に入れられるネタじゃない。 英国での自らの子育てを書いてるだけなんだけど、子どもや家族との会話が深いし、子どもは多感な中学生やし、著者のフィルターを通してみる今の英国が新鮮です。 「川口マーン恵美」のドイツ本とか、「塩野七生」のイタリア本みたいに、その国の地べたの文化が伝わってきます。 読んでて「へ~」ってなる。 あの2人みたいな優れた比較文化論者になるかも。 著者は1965年生まれのブレイディみかこ。 もと音楽ライターでUK好きがこうじてイギリスに住み始めた。 旦那さんは元シティの金融マン。 リストラされて今は長距離トラックの運転手。 「むかしからやってみたかったんだ」ていう思い切りのいい人。 子どもさんは40歳前後と遅くに生まれて今は中学生。 現在進行形のUK子育て奮闘記。 子どもさんのノートへの端書にハッとして、それを本書のタイトルにしたそう。 新潮社の雑誌に連載(連載中)してたものが本書になったようです。 『反骨精神いっぱいの母ちゃんと、エスカレーターに乗って平穏なエリート中学に進むのを拒み、地元の混沌(こんとん)とした中学に入学したクールな息子の日々の闘いと成長を描いたイカしたノンフィクションだ。 高校卒業後、セックス・ピストルズに憧れ渡英した母ちゃんは、アイルランド人男性と出会い、結婚、英国南部のブライトンで保育士をしながら、英国社会を真っすぐなまなざしでみつめ、勢いのある文章でその状況をブログに書き続けてきた。 人種差別、アイデンティティー、ジェンダー、経済格差などの問題に毎日のようにぶつかる息子は、母とともに生きていくうえで何が大切なのかを模索してゆく』 以下に何点か読書メモを。 イギリスの中学には「ドラマ」という教科がある 英国の中学校教育には「ドラマ(演劇)」というれっきとした教科がある。 日常的な生活の中で言葉を使った自己表現能力、創造性、コミュニケーション能力を高めるための教科。 著者はイギリスで保育士としても働いていたが、英国教育における演劇重視のスタンスは保育施設における幼児教育にも反映されていた。 4歳の就学時までに到達すべき発育目標の1つに「言葉を使って役柄や経験を再現できるようになる」というゴールを掲げていた。 壁に様々な表情をしてる人のポスターを貼り、「これはどんな顔?」と繰り返し質問し、「みんなもこの顔できる?」と同じ表情をさせる。 「みんなはどういうときにこんな顔をしたい気分になる?」と話しを展開して、「気持ち」と「それを表現すること」、「それを伝えること」はリンクしてると教え、自分の感情を正しく他者に伝えられるように訓練する。 著者が務めていた託児所は失業率と貧困率が非常に高い地域の慈善施設の中にあって、問題を抱えた家庭の子どもが多かった。 彼らは表情に乏しく、うまく感情を伝えられないことが多かった。 他人に自分の感情を伝えられない子どもは、他人の感情を読み取ることができない。 他者がつらそうな顔をしていても、それが「ストップ」のサインなのだとわからない、 問題行動が見られる子供は、こうしたコミュニケーションの面で発育が不十分な場合が多い。 だから「底辺託児所」では演劇的な要素を取り入れたゲームや遊びに力を入れていた。 イギリスの階級社会 子どもが市の中学対抗水泳大会の代表に出た時の話。 運動は得意ではないが水泳だけは得意だった。 8年間市の水泳教室に通った。 見に行くとプールのあちら側とこちら側の人数がちがう。 こちらは「缶詰のイワシ」のように人がすずなり。 向こう側はスぺースが有り余ってるので、優雅に準備体操してる。 向こう側はポッシュ校(私立校)で、こっちは公立校。 プールサイドの生徒数の差が激しいからどうにかすればいいのに、といってるのは著者ぐらいなもの。 レーンは6つ。 9校参加で公立校と私立校は一緒に泳がない。 公立の6校が出て泳いで、次は私立の3校が出て泳いで。 公立校のレースは1位になる学校はほぼ同じ。 地域の中学校ランキング1位を走ってる公立カトリック校。 またはランキング2位の高級住宅地にある中学校。 6人の代表がスタート台に上がると、カトリック校と裕福地域にある公立校の選手は見ただけでわかった。 競技用の水着を着てるからだ。 底辺校の代表選手は夏休みにビーチに行くときに着るやつ。 私立校はほぼ全員がプロフェッショナル。 一緒に泳ぐとまったくレベルが違って競争にならない。 英国はプールのない公立校がけっこうある。 学校では水泳はさわりしか教えてない。 どれくらい泳げるかは学校の外の訓練にかかっている。 経済的余裕のある親の子どもが習い事で身につける。 親の所得の格差が子どものスポーツ能力格差になってしまっている。 一緒に泳がないといっても、メダルだけはタイムで評価してもらうことになる。 ほぼ私立校の選手がメダルを独占する。 底辺校はかすらない。 著者の息子さんは3位になって銅メダルをもらった。 校長が喜んで校長室に飾ったそう。 イギリス10代の非行について ロンドンでは10代のナイフ犯罪が急増して大きな社会問題になっている。 それは首都限定ではなく地方の街にも拡大してる。 海岸沿いにヒップなクラブが立ち並び、週末になるとロンドンから多くの若者が遊びに来るブライトンは、ドラッグ需要の大きい街。 ドラッグビジネス絡みのティーン・ギャングの抗争が日常的に起こるようになっている。 ギャングがドラッグ運び屋に使おうとするのが、公営住宅地の貧しいローティーンの子どもだたち。 「これを持って行ってこの人に渡してくれたらブランドのスニーカー買ってあげる」とか「運んでくれるだけで50ポンドあげるから」とか言われてやってるうちに、子どもたちもいつしかギャングの一員になってドラッグ商売にはまりこむ。 女の子たちはドラッグを運んでるうちに性的暴行を受けたり、売春組織に売られるケースもある。 「運び屋だけは絶対やるな、ナイキのエアマックスと自分の命とどっちが大事か考えろって兄ちゃんに言わられてる」と息子の友人のティムはうちにきたとき言っていた。 海岸通りの洒落たクラブでドラッグを消費してるミドルクラスの若者たちは、公営住宅地の子どもたちがどんな危険と背中合わせでそれを調達しているのか知らない。 デモ参加できるのは私立校だけ 地球温暖化の学生デモ。 BBCによると英国60か所で1万5千人が参加。 息子の学校はデモに行くのを許さない。 私立校はだいたい許してる。 「デモに参加したかったら参加していいよ」といったが息子はデモに参加しなかった。 「なんで?」 「だってカウンシルから父ちゃんと母ちゃんが罰金くらうでしょ」 英国では認められない理由で子どもが欠席すると親が地方自治体に罰金を払わないといけない。 父母それぞれに60ポンドずつ請求される。 21日以内にこれを支払わないと120ポンドに上がり支払いを放置すると、2500ポンドまで罰金が跳ね上がって、3か月の禁固刑になる。 これはピークシーズンに旅行料金が高額になるので、学期中に子どもを休ませることを親に思いとどまらせるために作られた罰則。 自治体の公式サイトには以下が明記されてる。 以下の理由で子どもが学校を休むと罰金が科せられます。 ・学期中に子どもを休暇旅行に連れていく。 ・子どもの意思で学校に行かない。 これは「ずる休み」と呼ばれます。 ・6週間のうち6回以上出欠を取った後で子どもが学校にくる。 ・あなたの子どもが1学期に3日以上欠席する。 この制度で苦しむのは貧乏な親だ。 だから裕福でない家庭の子どもたちは、いつもそのことを心配してる。 「自分の意思でデモに行ったら「ずる休み」とみなされて、親が罰金を払わされるってみんな言ってた。 だからデモに行くのを我慢した子がたくさんいる。 僕だけじゃないよ」と息子はいた。 今日は学校で何習ったの? 「女性器を見たよ。 大きな写真」「今日はFGM(女性器切除)について習った」 FGMはアフリカや中東、アジアの一部の国で行われている慣習で、女性器の一部を切除、または切開する行為で「女性割礼」とも呼ばれている。 幼児期から15歳までの少女に施術されるケースが多く、出血や感染症のため死に至ることもある。 少女たちの将来にも悪影響を与える危険な施術なので、英国内では80年代から違法になっており、残酷な児童虐待として厳しく禁止されているが、FGMが慣習になっている一部の移民コミュニティでは密かに未だ行われている。 「人権の侵害だから、FGMを受けさせられた人や、受けさせられそうな人を知っていたら先生に報告しなきゃいけないって言われた」 「でもあんたの学校はほとんどみんな英国人だから、報告とかあまり関係なさそう」 「それが最近アフリカの移民の転入生がクラスに入ってきた。 FGMのビデオはドキュメンタリーなんだけど、黒人の女の人たちが出てきて経験を語るんだ。 その女性の一人が転入生のお母さんによく似てて」 「それから女子の何人かが、転入生の子が夏休みにFGMを受けさせられるんじゃないかと言い始めて」 心配と偏見は紙一重。 授業でFGMを教えれば、全国の中学でこうした問題が起きることは十分に予想できる。 それでも英国はそれを教える。 この国の教育はあえて波風を立ててでも、少数の少女たちを保護することを選ぶ。 イギリスの公立底辺校の現状 著者は学校のリサイクル活動を手伝った。 そのとき学校の古参教員から聞いた話です。 「30年以上中学の教師をやってるけど、サッチャーの時代でも、こんなにひどくなかった」 「制服を買えない子が大勢いる。 これは英国の子ども総人口の3分の1になる。 「小さい子はお金がないっていえるけど、中学生になると一生懸命かくすようになる。 だからファスナーが閉まらなくなったスカートを毎日はいて来る子にお金をあげたり、そういうことを教員が自分でやりはじめた。 だけどこれじゃ自分たちが破産しそうだって、リサイクルを始めた」 「本当は制服だけじゃ足りないのよ。 女性教員の中には生理用品を大量に買って配ってる人もいる。 私服を持ってないから、私服参加の学校行事に参加できなくて休む子がいて。 スーパーでシャツとジーンズを買ってあげたこともあった」 「うちのような学校は低所得層の子どもが多いから、政府から補助金が出る。 今の校長は学校のレベルを上げることに熱心だから、それを教育にたくさん使っている。 うちの学校が演劇や音楽やダンスに力を入れらるのも、その補助金があるおかげ。 でもそれだけじゃ足りない。 もう授業やクラブ活動のためだけに、学校予算を使える時代じゃない。 貧困地区にある学校は、子どもたちの生活、基本的な衣食住から面倒をみないといけない」 「生徒が亡くなったとき、そこの家は葬儀代がなくて、親も近所に借りようとしたけど、みんな似たような境遇でお金がなかった。 だから学校から葬儀費用を出したの」 「緊縮が始まってからずっとそう。 教員をやってる友人はみんな似たようなことを言ってる。 保守党の教育予算削減で私たちの賃金は凍結されてるのに、こっちが使うお金は増える一方だって」 「昨日の夕食は食パン一枚だったって話してる子の話を聞いたらどうする?朝からお腹がぐうぐう鳴ってたらどうする?昼食を買うお金がなくてランチタイムになったら校庭の隅に座ってる子の存在気づいたらどうする?公営住宅地の中学に勤める教員たちは、週に最低でも10ポンドはそういう子たちに何か食べさせるために使ってると思う」 「学校全体の学力を上げて公立校ランキングの順位を上げたりするのも大事なことだけど、勉強やクラブ活動どころじゃない子たちもいるの。 まさに聖職者です。 神戸のいじめ教師に読ませたい… 世界は貧困にどう立ち向かっていくのか?本書にも万引きが原因でいじめられてる友達の話が書かれてました。 ランチ代が払えない。 だから学食でサンドイッチを、どうしてもお腹がすいた時に万引きする。 それをクラスメイトが悪だと言って罰する。

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