そう願っても無駄だから。 ファッションには、無駄と消費が必要だ。|すみた たかひろ|note

「“食べる”なんてこの世から無くなれ」と願っていた私が『旅するおむすび屋』を始めた理由|すがもと かな|note

そう願っても無駄だから

「ゲームは時間の無駄だ」というやつは教育者として失格です 2018-05-16 先日、こんなツイートを目にしまして、思うところがありましたので、記事にします。 それはもう、酷いもんです。 ゲームに親でも殺されたのか、とも思わせるような勢いで、自称意識の高い教員や親はゲームを全否定します。 正直言って、そんなことを子供に押し付けるのは、古い価値観の押し売りであり、つまりは余計なお世話であり、言わば悪い教育であり、単なる教育者のエゴです。 基本的に古い人間というのは、新しい文化を受け入れにくいものですから、新しい人間(子供)の皆さんには、この悪い影響を受けずにすくすくと育っていただきたいと、そう願っています。 知識をどう人生に活かすかはその人次第 話を戻します。 先に挙げたネガティブキャンペーンは、ツイートでも述べられているとおり、「ゲームは時間の無駄」との考えから来ているものと思います。 しかし、人生、どんな知識であっても活かすか殺すかは、その人次第です。 例えば私なんかは、学生時代に習った「古文」「漢文」「日本史」「世界史」あたりの知識は、これまでの人生で一度たりとも役に立ったことはありません。 私は根っからの理系なので、そもそも文系科目をそこまで熱心に勉強していない・知識不足というのもありますが、それら文系の知識が不足していて困った経験は一度もありません。 逆に、職業柄プログラミングをしますから、ゲームで得た経験や知識は、役に立つ機会が普通にあります。 プログラミングをしない人でも、世の中色んなゲームがありますから、ゲームで何かしらの知識を得て、どこかでそれが役に立ったというのは珍しい話ではないと思います。 そして私が全く役に立たなかった日本史の知識も、人によってはそれを活かしている人もいるでしょう。 学者でなくとも。 つまり、勉強だろうがゲームだろうがスポーツだろうが、役に立つこともあれば立たないこともあるのです。 そして、得た知識が役に立つ人生にするかどうかは、その人次第なのです。 「ゲーム」は優秀なコンテンツ そんな中でも、ゲームというのは、知識を得るという面においては、非常に優秀なコンテンツだと考えています。 勉強ではなかなか覚えられない日本史も、それを題材にしたゲームをやったらすんなり覚えられたり、本が苦手で小説なんかが読めない子供も、RPGだったら苦なく進められたりするわけです。 つまりはそれ自体が日本語やその他付随する知識を得られる、ある意味勉強になることもあるわけです。 また、それ以上重要なこととして、ゲームを通して 自分が本当に好きなものを見つけるきっかけになったりもします。 昨今、将来の夢がない若者が多いと聞きます。 大学生にもなってまだ何がしたいか決まらないとか。 そうならないためにも、多種多様な知識を一旦取り入れてみて、自分が好きなものを見つけるというのはとても大事なことだと思いますが、そのための手段の一つとしてゲームをやるというのは、非常に有効だと私は考えます。 もちろん、そればかりやっていればいいわけじゃない 勘違いして欲しくないのは、これは「とりあえずゲームだけをしとけばいい!」といっているわけではないです。 それは、他のものと同じで、スポーツばかりしていてもダメですし、本ばかり読んでいてもダメですし、勉強ばかりしていてもダメだと私は思います。 バランスよく色んなことを経験するのが大事だと思います。 その中で、ゲームというのは手軽に色んな擬似経験ができるツールとして、有用だということです。 教育者はゲームと向き合うべき 今現在、ゲーム業界は、かなり大きな市場です。 スマホの登場により、より多くの人にとって身近な存在となっています。 子供がゲームに本当に夢中なら、やるべきことはそれを取り上げることではなく、将来ゲーム業界でやっていけるように、さらなる知識を与えてあげることだと思います。 ゲームプログラミングをするなら、数学の知識が必要です。 ゲームの音楽を作りたいなら、音楽の知識が必要でしょう。 キャラクターデザインがしたいなら、デザイナーとしてやっていくために芸術の勉強をすべきでしょう。 途中で挫折するようなら、向いていなかったということ。 本当に好きなことをやって生きていける幸せな人生を送ってもらうために、できるだけ若いうちから好きなものと向き合う、これが非常に大事だということに気づいていない人間は、教育者として失格です。 瞑想の手段としての側面 大人になってからは、ゲームのような夢中になれるものには、瞑想のような効果があります。 何か一つのことに時間を忘れるほど夢中になることで、心をリセットして、リラックスしたりします。 きちんと瞑想することを意識している人は、それ専用の時間をとったりしますが、そうでない人にとっては、こういったゲームやスポーツをしている時間がそれに代わっていたりするのです。 つまり、大人になってからも、ゲームがいい気分転換になったりしますし、それが精神を安定させるのに一役買っている場合も珍しくないということです。 また、瞑想は時に、中毒症状を起こす場合があります。 子供の頃に、過度にゲームを禁止されて育つと、大人になってからゲーム中毒に陥る場合があります。 個人的には、これは「瞑想中毒」のような状態、ドーパミンが異常に分泌されてしまっている状態に陥っているのではと思います。 こうなってしまうリスクを考えると、過度にゲームを禁止するということの危険性も考えておく必要があるかもしれません。

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Pretender Official髭男dism 歌詞情報

そう願っても無駄だから

5月末、古着屋に6年間勤めた友人が退職した。 彼とはもう10年くらいの付き合いで、10代の頃から洋服の話を延々としていた服バカ友達の一人だ。 当時は、まわりのみんなが「モード系」と呼ばれる、ハイブランドの洋服に憧れていた。 思い返せば、あの頃バカみたいに洋服にお金をつぎ込んでいた。 お金を貯めたことなど一度もない。 シーズンごとに次々と繰り出される最新コレクションにありったけの資金をつぎ込み、どうしても欲しいお洋服のために泣く泣く手放したコレクションもたくさんあった。 ぼくは来る日も来る日も、消費し続けていた。 だけど、無駄な消費なんてなかった。 成長真っ只中のファストファッションだって使えると思えば買った。 いつだって一着の洋服のために何日も悩み抜いて購入し、毎日のようにその洋服を着た。 失敗もたくさんした。 シーズンにかかわらず、かっこいい服はずっと着ていたし、どうしても手放す洋服だって、できる限り顔の見える相手に直接譲るようにしていた。 大学生の後半、ラグタグというブランド古着のお店でバイトをしていた。 今でこそファッション業界にも知られるようになり、二次流通という言葉も一般化しはじめたが、当時は「ブランド古着」というとどこか後ろめたさの残る市場だった。 お金持ちでいくらでもブランド物を買えるような大人たちがオンシーズンの洋服を手放す一方で、新品なんてとても買えない貧乏な学生が血眼になって洋服を探しに来る、そんな印象を持たれていた。 たしかに、そういった側面もあった。 転売ヤーもたくさんいた。 だけど、洋服は消費されるどころか価値を増すこともあり、少なくとも循環され続けていた。 そこにはちゃんと洋服への愛があった。 ぼくがバカみたいに集めてた洋服のタグの写真がiPhoneに残っていた。 あれから6年経って、二次流通も当たり前になりつつある。 ファストファッションは一時期の勢いを失った。 SNSやテクノロジーも随分進化して、あの頃とは比べ物にならないくらい便利な世の中になった。 情報過多の時代、どんどん世の中は効率化の一途を辿っている。 そんな流れに沿うように(または、逆らうように)ランウエイのあり方も、洋服の買い方も、どんどん新しい手法が生まれていて、それはすごくいいことだし、見ていて面白い。 洋服に関していえば、どんどんと民主化が進んでいる。 ストリートがモードを凌駕するパワーを持つようになったのも、すごく面白い流れだ。 全身モードで着飾るんじゃなくて、足元はスニーカーで外す、みたいなジャンルの融合がファッションに新しい可能性を見せてくれている気がする。 一方で、民主化が進んだことで、わかりやすい洋服が増えたと思う。 着回しできる服、汚れてもすぐに洗って乾く服、悩まなくていいコーデ提案。 これらは本当に素晴らしい。 これまで洋服を気にかけていなかった人や、気になっても何を着ればいいのか分からなかった人、そんな人たちに選択肢を与えてくれた。 だけど、本当にそれだけでいいんだろうか。 こうした新しい提案を否定するつもりは毛頭ないし、自分が好きだったころの懐古主義に走るつもりもない。 僕が聞きたいのはただ一つ。 「みんなほんとにファッション楽しんでる?」ということ。 テクノロジーが進化したことで、AIによる需要予測が生まれ、きちんと売れる服が過不足なく店頭に並ぶ時代はそう遠くない。 消化率100%は大手アパレルが願ってもみないゴールだろう。 でも、そんな店ほんとうに楽しいのだろうか。 ワクワクするのだろうか。 店頭で売れる洋服だけが必要な洋服だと思ったら大間違い。 それじゃあまりにも無機質だ。 もちろん、売れなくて廃棄される洋服を次々と買い付けろだなんて思わない。 そうじゃない。 洋服は需要予測で提案できるほど、数学的な業界じゃないと思うだけだ。 たとえば、買えなくても、夢を与えてくれる服。 店頭のラインナップを引き立たせる服だってある。 1着だけ入荷、だなんてワクワクするじゃないか。 売れないような洋服を買い付けて、作ってどうするのか。 それはたしかに考えなきゃいけない。 廃棄される以外の選択肢を作らなければいけないだろう。 そもそも、シーズンが終わってセールになるだけが洋服じゃない。 付加価値がつく洋服だってある。 ある意味でアートと同じかもしれない。 熱量を買う。 だから、時代が変わればその価値も変わる。 アパレル業界は、どんどん無機質になっているような気がしている。 良くも悪くもいろんな影響を受けて、流されて、ちょっとずつお利口になろうとしている。 そんな中で「サステナブル」という言葉が一人歩きをして、本質を見失いそうになっている。 無駄を出さないこと、それだけがアパレルにおけるサステナブルじゃないと思う。 10年前、もちろん今よりもサステナブルじゃなかったという事実は否定しない。 それでも、全く異なる概念でサステナブルな循環が生まれていたことも事実だ。 そして、そこには愛があった。 ぼくは、無駄なものも、消費も大好きだ。 それは決してサステナビリティに異を唱えることにはならないと思う。 ファッションは熱量で回る。 そして時代に合わせてその感情も移ろいゆく。 きちんと感情をつなげば、いつまでも洋服は循環できる。 それが、早くから二次流通を見て感じていたことだ。 もちろん、今も昔も「サステナブル」に対して本質的なアプローチを続けているデザイナーはたくさんいる。 だからこそ、アパレル業界は、サステナブルが叫ばれる今の時代に、戦う相手を見誤らないでほしい。 大切なのは消化率を100%に近づけることでも、ショッパーをなくすことでもない。 それらは手段の一つでしかない。 前年比越えを続ける過酷な事業計画の中で、そんな手段ばかりを目的にしていては、洋服がどんどんつまらないものになる。 たった15分のランウェイが一人の人生を変えることだってある。 それだけのパワーを持った洋服がある。 これはきっと出逢わなければ、知らない感情だろう。 エディのDIOR HOMMEがあったから、ラフのJIL SANDERがあったから、クリストフ・ルメールのHEMRESがあったから、今の僕の価値観が醸成されたと言っても過言ではない。 今、僕を形作ったそれらの洋服は手元にほとんどない。 昨日、服バカな彼のクローゼットを見て、ちょっとだけ悲しくなった。 あの頃のぼくの感情は、もういろんな人のところに分散しちゃったんだ。 最後にもう一度聞きたい。 アパレルに関わる全員に聞きたい。 みんな、心からファッションを楽しんでいるのだろうか。 ぼくは今またファッションが楽しいと思う。 そんな若者も変わらずたくさんいると思う。 だから、どんどん消費しよう。 価値のある洋服と、熱量をつないでいきたいと思う。

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ナマケモノはサボるために「命をかける」 ふしぎな生き物の生態から学ぶ処世術|至高の無駄知識(寄稿:ぬまがさワタリ)

そう願っても無駄だから

さて、今日は髭男dismが先日MVを公開した新曲「Pretender」について、その歌詞の意味を徹底解釈していきたいと思います。 皆さんもリリース前からMVを聴き込んで、是非覚えてカラオケで歌っちゃってください^^ それでは、その歌詞の意味を一緒に見ていきましょう! 1. 楽曲について 今回紹介する 楽曲「Pretender」は、2019年5月15日にリリースされる、髭男dismの2nd Singleです。 映画『コンフィデンスマンJP』の主題歌にも抜擢されています。 髭男dismは同じく『コンフィデンスマンJP』のドラマ版の主題歌を2018年に「ノーダウト」で務めていますが、まさに「ノーダウト」が出世曲となって、徐々にを広げてきました。 その「ノーダウト」の場合は、演じる天才詐欺師が主人公、という「コンフィデンスマンJP」のストーリーに合わせて「嘘」をテーマとした楽曲になっていました。 その意味でも、「Pretender」が今回の映画を踏まえてどのような楽曲に仕上がっているのかが、非常に楽しみなところです。 MVの撮影地は台湾・だそうですが、ギラギラと光るネオンの世界観は映画を意識したものでしょう。 ミュージックビデオは全編にわたり台湾で撮影されており、台湾の夜景をバックに背負った彼らの演奏シーンや、台湾の現地モデル、俳優のキャストによるドラマシーンも収められている。 また、今回の『コンフィデンスマンJP』は副題が "ロマンス編"。 楽曲の中にも「ロマンス」のフレーズが登場します。 その意味でも、映画も合わせて見るとより楽しめるかもしれません。 歌詞について それでは、「Pretender」の歌詞を見ていきましょう。 君との恋愛は、始まる前に自分が思っていた通り、ひとり芝居だった。 距離感はずっと近いけれど、二人が本気になることはなく、結局は他人事のように真剣になれなかったのでしょう。 【2】1番Bメロ 感情のないアイムソーリー それはいつも通り 慣れてしまえば悪くはないけど 君とのロマンスは人生柄 続きはしないことを知った 「ごめんね」という二人の間のコミュニケーションにも、感情や熱はなくて、あまりにドライです。 そんな状態がいつしか日常になってしまっているのでしょう。 慣れれば特に何を思うことはないのかもしれませんが、は、「ロマンス」という感情は成立しないのだと、ふとした瞬間に気づかされるのです。 【3】1番C メロ もっと違う設定で もっと違う関係で 出会える 選べたらよかった もっと違う性格で もっと違う価値観で 愛を伝えられたらいいな そう願っても無駄だから まるで芝居のように、自分自身のキャター設定や二人の関係を選べたら、この「ロマンス」にはまだ可能性があったのかもしれません。 ただ、実際は 君と僕とでは「」が違っていて、あらゆるものが決して交わることがありません。 性格も価値観も違ったら、と「たら」「れば」を繰り返すこと自体が、無駄なのは自分も一番理解しています。 【4】1番サビ グッバイ 君の運命のヒトは僕じゃない 辛いけど否めない でも離れ難いのさ その髪に触れただけで 痛いや いやでも 甘いな いやいや グッバイ それじゃ僕にとって君は何? 答えは分からない 分かりたくもないのさ たったひとつ確かなことがあるとするのならば 「君は綺麗だ」 どんなに工夫したところで、 僕も君との関係が続かないことは分かっているのでしょう。 だから、自分から君に「グッバイ」を告げます。 運命の人かもしれないと思い、必死にそうなろうとして、でもなれなかったから、この判断は「辛いけど否めない」ものでしょう。 ただ、 思い入れもあるからこそ、分かっていてもきっぱり離れることもできない。 髪に触れると、君の感覚がよみがえり、「痛い」と「甘い」の相反する思いが胸を締め付けます。 これだけの苦しい思いを抱えるなんて、僕にとって君はどのような存在なのか。 答えは自分の中にもないし、(もっとじっくり考えれば出るかもしれないけれど)「分かりたくも」ありません。 この「ロマンス」が成立しなくても、目の前の君が「綺麗」であるということだけが事実なのが、なんとも悲しいです。 【5】2番Bメロ 誰かが偉そうに 語る恋愛の論理 何ひとつとしてピンとこなくて 飛行機の窓から見下ろした 知らない街の夜景みたいだ さて、そんな風に悩み苦しむ僕にとって、「誰かが偉そうに語る愛の論理」は、遠くにうすぼんやりと見える程度で、何も具体的にイメージできないような、「知らない街の夜景」程度のものにしか思えません。 【6】2番Cメロ もっと違う設定で もっと違う関係で 出会える 選べたらよかった いたって純な心で 叶った恋を抱きしめて 「好きだ」とか無責任に言えたらいいな そう願っても虚しいのさ 改めて、二人の「」を選ぶことができたらどんなに良かったでしょう。 ただ、自分の気持ちに任せて、「好きだ」と後先考えず「無責任に」言えたら良いけれど、そう願っても叶わないとわかっているから、虚しい気持ちが募るばかりです。 【7】2番サビ グッバイ 繋いだ手の向こうに 引き伸ばすたびに 疼きだす未来には 君はいない その事実に Cry… そりゃ苦しいよな 今手を繋いでいても、この「ロマンス」に終わりは見えている。 取り繕って引き延ばしても、この先の未来には君はいないことが分かっていて、その事実を想像すると苦しくて、思わず泣けてしまうのでしょう。 【8】ラスサビ グッバイ 君の運命のヒトは僕じゃない 辛いけど否めない でも離れ難いのさ その髪に触れただけで 痛いや いやでも 甘いな いやいや グッバイ それじゃ僕にとって君は何? 答えは分からない 分かりたくもないのさ たったひとつ確かなことがあるとするのならば 「君は綺麗だ」 それもこれもロマンスの定めなら 悪くないよな 永遠も約束もないけれど 「とても綺麗だ」 最終サビは1番サビの繰り返しとなり、最後のフレーズに入ります。 恋が始まり終わるまでの一連が「ロマンス」というものであれば、なんだかんだ「悪くない」 と思える。 永遠や約束というような、聞き心地のいい結末は待っていないけれど、この「ロマンス」がどうなったとしても君が「とても綺麗だ」ということだけは、やはり確かなこととして残っているのでしょう。 ピアノを入れるとより曲全体がルで、自然な印象になると思うのですが、 今回「Pretender」はピアノに加えて、電気的なの音を多めに取り入れています。 その中でも 最も印象的なのは、間奏部分かもしれません。 通常ギターソロが入るようなポイントですが、今回はがその役割を担っています。 これって 髭男ではあまり聴かない、新しい音ですよね。 リリースするたびに、髭男の良さはブラさないながらも、必ず何か新しさを加えてくるのは本当にさすがだと思います。 人によって、どんな音なのかの印象が違いそうなのも面白いですね。 たとえば、サビの中にある 「それじゃ僕にとって君は何?」というフレーズ。 「君にとって僕は何?」であれば理解しやすいですが、"僕"目線の曲の中でこのフレーズを考えると少し不思議な気もしてきます。 「僕にとっての君」は、最初は「想いを寄せる人」であり、やがて「彼女」になり、これから先別れてしまったら「何でもないただの他人」になる。 それが普通の解釈ですが、ひょっとしたらもうずいぶん前に関係性が壊れている以上、すでにずっと前から 「僕にとっての君」はただの「彼女のような人/彼女のように思いたい人」だったのかもしれません。 僕も薄ぼんやりとそう気づいていて、よくよく考えると否が応でもその結末に辿り着いてしまう。 だから「分かりたくもない」と思ってしまうのだとしたら、曲の内容により深みが出るなーなんて思ったりしてます(笑) そういえば、タイトルの「Pretender」も、「ノーダウト」の時ほどは直接的に曲中で言及がありませんね。 pretendは英語で、「~のふりをする」なので、 pretenderは「ふりをする人」。 もしかすると、当然 君も、僕でさえも、お互いの「運命のヒト」の「ふりをしていた人」なのかもしれません。 最後に さて、いかがでしたでしょうか。 私はさすが髭男だなぁと、あっという間に大好きな一曲になってしまいました。 4月30日発売の『ROCKIN'ON JAPAN』6月号にて、「『Pretender』ができるまで」というインタビューが掲載されるそうです!こちらも合わせて読んでみると、より楽曲を楽しめるかもしれません。 GWを控え、も増えてきますね!気候もいいので、是非皆さん楽しい音楽ライフを過ごしてくださいね!^^ それでは。 trasheep.

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