ローマ 教皇 日程。 教皇フランシスコの日本訪問の最新スケジュール発表

・11月の教皇訪日-公式発表の遅れは詳細な日程の詰めが終わらないため(Crux)

ローマ 教皇 日程

によると、教皇フランシスコのタイ王国と日本への公式訪問の具体的なスケジュールがバチカン広報局より発表された。 教皇フランシスコは、タイ王国を11月20日から23日まで、日本を23日から26日まで訪れる。 4日間の訪日期間を通じて、教皇は東京を滞在拠点としつつ、訪問2日目の24日に長崎と広島に赴く。 教皇の日本訪問の日程は次のとおり。 11月23日(土)、タイの首都バンコクを、現地時間の午前9時半、日本に向け出発し、日本時間の同日午後5時40分、東京の羽田空港に到着。 同空港で教皇は歓迎式に臨む。 この後、教皇は都内のローマ教皇庁大使館で日本のカトリック司教団と会う。 24日(日)午前7時、飛行機で長崎に向かい、午前9時20分に長崎空港に到着。 その後、爆心地公園で核兵器をめぐりメッセージを述べる。 続いて、西坂公園の日本二十六聖人記念碑を訪れ、殉教者にオマージュをささげる。 ここで教皇は挨拶(あいさつ)を述べ、お告げの祈りを唱える。 司教の家で昼食のあと、ビッグNスタジアム(長崎県営野球場)でミサを司式、説教を行う。 同日午後4時35分、長崎を後にして、空路で広島へ。 午後5時45分に到着予定。 教皇は広島市内の平和記念公園で平和のための集いを行い、この中でメッセージを述べる。 午後8時25分、飛行機で出発し、東京羽田空港に午後10時10分到着。 25日(月)午前中、東日本大震災被災者との集いをベルサール半蔵門で行い、この席で言葉を述べる。 続いて皇居を訪問し、天皇との会見に臨む。 その後、東京カテドラル聖マリア大聖堂(カトリック関口教会)で青年との集いを開催し、講話をする。 午後、教皇大使館で教皇使節団と昼食のあと、東京ドームでミサを司式し、この中で説教を行う。 この後、官邸を訪問し、安倍首相と会談。 同じく官邸で開かれる要人および駐日外交団らとの集いで講話を行う。 26日(火)早朝、上智大学のクルトゥルハイム礼拝堂で、イエズス会員らと私的にミサをささげる。 次いで、イエズス会SJハウスでイエズス会員と朝食をとり、病気や高齢の司祭を見舞う。 この後、上智大学を訪問。 そして、最後の公式行事である羽田空港での送別式を経て、同日午前11時35分、日本を後にしてローマへの帰路につく。 ローマのフィウミチーノ空港には現地時間同日午後5時15分に到着予定。 教皇来日のためのでは、長崎(応募締め切り10日まで)と東京(同15日まで)で行われるミサの参加申し込みを受け付けている。

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ローマ教皇来日に学ぶ、カトリック教会の歴史

ローマ 教皇 日程

日程・訪問予定地 2019年11月23日 土)~26日 火) 訪問地: 長崎・広島・東京 タイを訪問された後、4日間の予定で来日されます。 イエズス会員と共に朝食およびプライベートな集い イエズス会 SJ ハウスにて 09:40 病気・高齢の司祭を訪問 イエズス会 SJ ハウスにて 10:00 上智大学への訪問 (教皇の講話) 11:20 別れの式 東京国際空港(羽田空港)にて 11:35 航空機にてローマ(フィウミチーノ空港)へ 17:15 ローマ(フィウミチーノ空港)到着 教皇ミサ(参加申し込み) 長崎 11月24日(日)13:30~15:30 長崎県営野球場(ビッグN 東京 11月25日(月) 15:30~17:45 東京ドーム 下記、カトリック中央協議会の特設サイトから参加申し込みができます。 (終了しました) 特設サイト: 各行事のライブ配信【公式Youtube】 各行事の様子は、 「POPE IN JAPAN 2019【公式Youtube】」 にて今後、ライブ配信されます。 入場できなかった方は、どうぞご覧ください。 他の関連情報 (出典:NHKニュース) 9月14日の報道から 長崎県からは歓迎と期待の声が上がった。 関係者によると、法王は11月24日に長崎市入り。 爆心地公園と日本二十六聖人殉教地を訪ね、県営ビッグNスタジアムで大規模ミサを開催後、広島へ移動する方向で調整している。 中村法道知事は「県民と共に心から歓迎したい」と喜んだ。 世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」についても、法王には「できれば歴史に触れていただきたい」。 被爆後の長崎で撮影したとされる「焼き場に立つ少年」の写真に関心を寄せる法王は、長崎から世界へ核兵器廃絶を訴える見通しだ。 田上富久長崎市長は「『長崎を最後の被爆地に』との願いを込めた未来へ続くメッセージを発信していただきたい」と期待した。 「数ある国々の中でキリスト信者が極めて少ない日本に来てくださる」。 カトリック長崎大司教区の高見三明大司教はこう感謝し、平和のために「私たちも具体的な行動を取らないといけない」と決意を示した。 (出典:長崎新聞) 9月24日の報道から 日本訪問の準備を進めるローマ法王・フランシスコがKTNの単独取材に、被爆地、そして核兵器廃絶への思いを語りました。 ローマ法王 フランシスコ 「私は殉教者の歴史、広島と長崎の犠牲になった人々の体験を読むとき日本に対して深い感動と尊敬を感じて(覚えて)います」 ローマ法王として38年ぶりの来日を発表して初めてメディアに今の思いを語った法王フランシスコ。 これまでも核兵器の脅威を繰り返し訴え、今年11月には被爆地・長崎と広島などを訪れる予定です。 ローマ法王 フランシスコ 「殉教者たちは信仰に基づいた確信を証しし、そして彼らは自分たちの信仰と尊厳を守るために命を捧げた。 もう一つの殉教は原爆の現実。 私は原爆を体験した日本が努力して再建したということに対して感心する。 日本は生まれ変わるという姿勢を持っている国。 だから前進することができる民。 原爆は私が想像できないこと。 何回も繰り返し言ってきたことを理解していただきたい。 核兵器、原子力を戦争のために使うということは非倫理的、反倫理的であるということです」 法王が被爆地・長崎と広島でどのようなメッセージを発信するのか、被爆者のみならず、多くの人が注目しています。 今回の訪日のテーマは「すべてのいのちを守るため~ PROTECT ALL LIFE」で、法王は高齢者の孤独死や児童虐待にもついてもふれ「人類は子どもたちと高齢者を大切にする文化を作っていかなくてはならいない」とも語っています。 (出典:KTN長崎テレビ) NHK ニュースWEB このサイトは、基礎知識も含めて、良質の報道がなされています。 動画付です。 教皇フランシスコとは? プロフィール 第266代教皇フランシスコ(ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ)。 2013年3月13日~現在、在位。 1936年12月17日、アルゼンチン・ブエノスアイレス生まれ。 イエズス会出身。 アルゼンチンで同会の管区長、神学院長などを務めた後、ブエノスアイレス大司教に。 そこから教皇に選出。 イエズス会出身、またラテンアメリカ出身の初の教皇。 一般的にはカトリック教会のローマ司教にして全世界のカトリック教徒の精神的指導者であるローマ教皇を指す。 バチカン市国の元首。 教皇の地位は「教皇位」、あるいは「教皇座」と呼ばれる。 また、教皇の権威のことを「聖座」、「使徒座」ということもある。 現在の教皇はフランシスコ(第266代)。 日本語では「ローマ法王」と表記されることも多いが、日本のカトリック教会の中央団体であるカトリック中央協議会は「ローマ教皇」の表記を推奨している。 教皇フランシスコのエピソード 教皇フランシスコは、若かりし司祭の頃、ドイツで「結び目を解く聖母マリア」の絵を見て、大変感銘を受け、以来、 「結び目を解く聖母マリア」への信心がとても深いそうです。 16世紀、当時ドイツでは結婚式の時、生涯を共に歩むというシンボルとして、新郎、新婦の片方の腕にウエディングリボンを結ぶ習慣があったそうですが、ある一人の貴族が、妻が離婚したがっていることを知り、尊敬する神父に、今はもつれ絡まってしまった自分のウエディングリボンを持って相談に行ったそうです。 神父の聖母への熱い祈りが聞き入れられ、その夫婦は、生涯幸せな結婚生活を全うすることができたというお話です。 時は過ぎ、その貴族の孫が神父に叙階された時、祖父と神父との素晴らしいエピソードに感動した彼は、そのテーマで絵を依頼、それが「結び目を解く聖母マリア」の絵として誕生したのです。 ( 出典:心のともしび運動サイト) 「結び目を解く聖母マリア」の祈り 聖母マリア神の臨在に満ちた方 あなたはご生涯を通じて、まったく謙遜に御父のみ旨を受け入れ 悪魔さえもあなたを罠や誘惑に陥れることはできませんでした。 あなたはすでに息子イエスと結ばれ、私たちのすべてのもつれを 解いてくださり、単純かつ忍耐強く私たちの人生に絡み合った結 び目をどのように解くのかを身をもって示してくださいました。 あなたはいつも私たちの母として、主イエスと私たちを結ぶ絆を 示してくださいます。 聖母マリア 神の母 私たちの母 私たちの人生のもつれ、結び目を母の心で解いてくださるあなた のみ手に委ねます。 私たちを苦しみや不安から解放してください。 あなたの取り次ぎによって、あなたの模範に倣うことによって 私たちを悪から解き放ち、私たちと神との交わりを妨げる結び目 を解き、不安、過ち、誘惑、すべてのものから解放してください。 あらゆることのうちに主イエスと出会い、主に心をとめ、兄弟姉 妹のうちに、いつもイエスに仕えることができますように。 アーメン.

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ローマ教皇が「ゾンビの国・日本」に送った言葉 世界一他人に冷たい国に伝えたい事

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38年ぶりに来日したローマ教皇。 広島や長崎での、核兵器の廃絶を訴えた演説は多くの人に感動を与えました。 現在のフランシスコ教皇は266代目で、イタリア系のアルゼンチン人です。 そもそも教皇とはどうやって選ばれ、どういった力を持つのでしょうか。 カトリック教会の歴史をひもときながら見ていきます。 1981年のヨハネ・パウロ2世のとき以来です。 フランシスコ教皇聖下は3日間、日本に滞在し、被爆地の広島や長崎を訪問され、核兵器の廃絶を訴えられました。 教皇の演説は多くの人々に感銘を与えました。 この演説を日本の周囲の核保有国や核保有国とされる国にこそ、真摯に聞いて頂きたいものです。 以前、ローマ教皇を「ローマ法王」と言い表していたメディアも、今回から「ローマ教皇」でほとんど揃えています。 カトリック教会は「教皇」を正式な呼び名としています。 1943年、日本とバチカン(ローマ教皇庁)が外交関係を樹立したとき、「法王」を定訳としたため、日本では、この呼び名が慣例となっていますが、カトリック教会は、世俗の君主のイメージの強い「王」という字を含む「法王」でなく、「教える」という字を含む「教皇」のほうがふさわしいとしています。 また、「王」でなく「皇」とするのも、かつて、教皇が皇帝(神聖ローマ皇帝など)と並び立つ存在であったという歴史的経緯を勘案されたものと考えられています。 今回、「法王」から「教皇」の呼称にメディアが一斉に変わったのは、韓国が天皇を「日王」と呼ぶ非礼とも関係していると指摘する識者もいます。 文喜相(ムン・ヒサン)韓国国会議長が2019年2月7日、ブルームバーグのインタビューで、従軍慰安婦問題で、天皇が謝罪すべきと発言しました。 日本のメディアでは、文議長の発言を「天皇」と訳し変えて伝えていますが、文議長は実際には、「天皇」とは言っておらず、「王」と韓国語で言い表しています。 日本のメディアもこうした他国の非礼から学び、称号に対して、一層の注意を払うべきとして、「教皇」の呼称に揃えたようです。 異端や分派に対し、ローマ教会が自らの正統性を主張するため、この言葉を用い、ローマ教会は「ローマ・カトリック」と呼ばれるようになります。 特に、ローマ教会が東方のコンスタンティノープル教会との対立を強めていく8世紀以降に、東方の異端者に対し「カトリック」という言葉が使われるようになります。 教皇はキリストの12使徒の一人ペトロの後継者です。 キリストの死後、ペトロがローマにやって来て、この地に教会を開きました。 当初、ローマ帝国の迫害を受けながらも、ローマ教会は信徒により守られ、発展していきます。 ローマ帝国が4世紀にキリスト教を公認して以降、ローマ教会の地位が確立し、その主座である教皇の地位も認知されました。 教皇は使徒ペトロに由来する特別な起源を持つことから、キリスト教世界の指導者となります。 5世紀半ばの教皇レオ1世は「わが声はペトロの声なり」と述べ、イエスや使徒の代理人を自認します。 教皇の位は歴代引き継がれ、今日まで続き、現在のフランシスコ教皇聖下は266代目です。 フランシスコ聖下はイタリア系アルゼンチン人です。 教皇は各地のカトリック教会を代表する枢機卿(カーディナル)たちが「コンクラーベ」(ラテン語で「鍵がかけられた」の意)という選出会に集まり、外部と隔離された状態で教皇を選挙します。 従って、教皇位の継承は世襲ではありません。 この時代、教皇は皇帝や王を従属させていました。 教皇に逆らった神聖ローマ皇帝が教皇に跪いて、許しを請うた「カノッサの屈辱」という事件などもありました。 11世紀末以降、教皇は神の軍隊として十字軍を組織し、一時期は聖地イェルサレムを奪還しました。 しかし、最終的に失敗し、中東の広大な領域をイスラム勢力に奪われ、教皇は十字軍に参加した諸侯たちに領土を分け与えることもできませんでした。 何も得られなかった各地の諸侯たちは国王に接近し、それによって、国王の力が強まり、フランス王のフィリップ4世がボニファティウス8世に脅しをかけます。 フィリップ4世は二人の家臣に、ボニファティウス8世への襲撃を行わせます。 一人は王の腹心の家臣ギヨーム・ド・ノガレで、もう一人はローマの名門貴族のシアッラ・コロンナです。 コロンナ家はボニファティウス8世の政敵であり、ボニファティウス8世が彼らの財産を没収し、ローマから追放しました。 コロンナ家は、フランス王に匿われていました。 二人とも、ボニファティウス8世に深い恨みを抱いていました。 フィリップ4世は二人に、アナーニで静養中のボニファティウス8世を捕え、フランスに連行するよう指示していました。 しかし、シアッラ・コロンナはその場で、ボニファティウス8世を殺そうとします。 それをノガレが制止したため、両者は激しい口論になり、長々と言い争いました。 そうこうしているうちに、衛兵が踏み込んで来て、ボニファティウス8世は救出されました。 襲撃者が喧嘩となって、その間に教皇を逃してしまったということもまた、失態でした。 ボニファティウス8世は殴る蹴るの暴行を受けていましたが、何とか無事にアナーニからローマに帰還しますが、この襲撃事件に激しく怒り、憤死したとされます(アナー二事件)。 元々、腎臓が悪く、そこに激しい怒りが加わったため、体がもたなかったと見られています。 ボニファティウス8世は世俗の欲にまみれた人物で、文学者のダンテなども「地獄に堕ちた教皇」と酷評しています。 派手好きで、きらびやかな宝石を身に付けていました。 博打に入れ込む体質の人間で、夜な夜な教皇庁をカジノのようにしたとされます。 また、大変な好色家で、多くの高級売春婦が教皇庁を出入りしました。 一方で、ボニファティウス8世は知性豊かな人物で、教会法に精通していました。 若いときから学識が際立っており、枢機卿時代には、その学識ゆえに、教皇から信頼を得ていました。 教皇に選ばれてからは、ヴァチカンの公文書保管庫を改造して、蔵書の目録をつくらせたり、ローマ大学を創設したり、ジョットら芸術家のパトロンとなり、文化を保護しました。 ボニファティウス8世は合理主義者で、教皇でありながら、信仰心を持たず、「イエス・キリストは自分の身さえ救うことのできなかった男だ。 そんな男が他人のために何ができるというのだ」と言っていました。 前述のとおり、ローマ教皇は枢機卿たちの中から、コンクラーベと呼ばれる互選選挙で選出されます。 そのため、枢機卿たちをカネの力で買収できた者が教皇に選ばれる仕組みになっていました。 教皇はボニファティウス8世に限らず、俗世の権力闘争に長けた者がその座を得て、金権政治をはびこらせていました。 こうした腐敗が常態化し、カトリックの最高指導者としての教皇は、多くの敬虔な人々から疑いの目で見られ、その権威を失墜させていました。 フィリップ4世はこのような状況を好機と捉え、フランス国内から教皇の影響力を排除します。 そして、教皇と激しく対立し、1303年、アナーニ事件を起こします。 当時、教皇が憤死したというニュースは人々の失笑を買いました。 ボニファティウス8世がフランスに連行されていれば、人々は事態を真剣に捉え、フランス王を批判したかもしれません。 フランス王にとっては、教皇の憤死という結末はこの上なく好都合でした。 ---------- 宇山 卓栄(うやま・たくえい) 著作家 1975年、大阪生まれ。 慶應義塾大学経済学部卒業。 代々木ゼミナール世界史科講師を務め、著作家。 テレビ、ラジオ、雑誌、ネットなど各メディアで、時事問題を歴史の視点でわかりやすく解説。 ---------- (著作家 宇山 卓栄 写真=iStock. com) 外部サイト.

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