吉田 兼好。 兼好法師こと吉田兼好の『徒然草』から読み解く人生のアドバイス|日本史|趣味時間

『徒然草』に見る吉田兼好の名言5選+1

吉田 兼好

A ベストアンサー 難しい話は、抜きにして説明します。 A ベストアンサー Hamburger steakという言い回しは辞書にも載っているのであるのだとは思いますが、アメリカでよく耳にする表現ではないですね。 ドイツ料理店やギリシャ料理店なんかではGerman steakとかHamburger steakと言う表現を目にするかもしれません 普通一般のダイナーやレストランでそういうメニューがあるかなあと考えると、質問者さんがお書きのSalisbury steak が一番近いのではないでしょうか。 Hamburgerのバン抜きと注文することも出来ますね。 ただ微妙に違いますが。 日本でのハンバーグステーキには必ずといっていいほどつなぎが入っています。 卵とかパン粉とかたまねぎのみじん切りとか。 アメリカでHamburgerと言ったらつなぎが入っていることはめったにありません。 塩コショウと多少のスパイスで味付けされたひき肉パティを指すわけですから。 Salisbury steak はひき肉につなぎが入っているものです。 ですのでこれが一番近いかと思います。 A ベストアンサー めどはやまと言葉ではないでしょうか。 もしそうなら漢字は当て字であり、どちらが正しいというものでもなく、世間で一般的にどう使い分けされているかということに過ぎないと思います。 広辞苑ではめど(目処)もくと(目途)と分けて記載されているだけで説明がなく 不親切です。 朝日新聞社の漢字用語辞典では、めど(目処、目途)とあり、私のPCでも、めどで両方が転換できます。 解決のめどがつくとか、目標達成のめどが立ったなどと使われるので、 ものごとがその完成、実現にちかずいたということを意味し、目標とは若干ニュアンスが異なると思います。 目標は高くとは言いますが、目途(目処)は高くとはいいませんね(この部分は蛇足です) A ベストアンサー 教諭は、「教育職員免許法による普通免許状を有する、小・中・高等学校、幼稚園、養護・聾 ろう ・盲学校の正教員」をいいます。 教員は、「学校で児童・生徒・学生を教育する職務についている人」を指します。 こちらには、非常勤講師や実習助手など教諭とは言わない人々も含まれます。 教師は、「1 学校などで、学業・技芸を教える人。 2 宗教上の教化を行う人。 」とあり、学校の内外を問わず、教え導く人を指しています。 だから、家庭教師とは言っても家庭教員とか家庭教諭とは使いません。 でも、ベテランが新米教師にも「先生」なんて敬称を使うのはおかしいですよね。 逆に、「先生」呼ぶにふさわしい人も1割いるかいないかという惨状ですが・・・。 A ベストアンサー 江戸幕府のキリシタン禁制は慶長17年(1612)、幕府直轄領での禁制、翌18年に、全国さらに外国まで広げたものですが、キリスト教禁令にはさまざまな要素があります。 キリスト教布教当初から信仰が拡大するにつれ、キリシタン大名領では神社仏閣の破棄が行われました。 そのことから民衆側からもキリスト教を邪教視する風潮がありました。 同時に寺社の破棄は、日本の伝統的倫理観の破壊と恐れられたのでしょう。 次に創造主の元の平等、つまり創造主の絶対性ですが、それが日本の封建領主の倫理観とは相容れなかった。 欧州では支配者と創造主は同一であるという「神権政治」、そこから発展した、王の地位は創造主より授けられたものという「王権神授」という伝統的倫理観が土壌にあります。 そのような倫理観がない世界(日本)に創造主の絶対性を重んじる思想は、主君・領主への忠誠より、創造主への忠誠を優先させます。 このことが天下統一のさわりになると、豊臣秀吉は天正15年(1587)に禁教令を発します。 さらには外交政策の面。 徳川家康は和平外交を進めるため、当初は信仰を黙認していましたが、慶長5年、オランダ船リーフデ号漂着により、プロテスタントであるオランダ・イギリスと交渉開始。 日本市場の拡大を図るため、ポルトガル・スペインの締め出しを計画。 そこでカトリックへの不利な情報と中傷を行いました。 つまりカトリック国の侵略的意図。 信徒を利用した反乱計画などをは、当時の幕府としては「天下統一のさわりになると」いう危惧をより拡大させました。 禁制により教会の破壊・宣教師の国外追放。 信徒の東北・蝦夷地への放逐などが行われました。 徳川家光はさらに厳しく禁制を行いますが、寛永14年(1637)の島原の乱による衝撃から、鎖国政策の徹底とキリシタン弾圧はより強固となります。 カトリックの海外布教は、プロテスタントに対する対抗措置という面がありました。 その点、海外布教を重視していないプロテスタント国とは幕府は貿易を行えたのでしょう。 参考 『国史大事典』(吉川弘文館) ただし、禁制も太平の世が長く続くことで形骸化していき、当初はキリシタン監視の意味でもうけられた寺請制度も、寺院側からすれば「檀家としての勤めを果たしていれば、裏でキリスト教を信仰していても黙認する」という事実もありました。 領主も「良き領民としての勤め」を果たす限りは信仰も黙認状態でもありました。 キリシタンであると暴露しても、領主の監督不行届と罰せられる危険性があったからです。 現在でも「カクレキリシタン」の家では、寺院の檀家であり、神社の氏子であり、家には仏壇・神棚が祀られて、同時にカクレキリシタンである。 その信仰体系は仏教・神道・民間信仰とキリスト教が混在した、いわゆるカトリック・プロテスタントとは異なる信仰形態ですが、キリスト教公認以後も、カトリック・プロテスタントに改宗せず、先祖が守ってきた信仰として「カクレキリシタン」として守り続ける家があります。 nagasaki-np. amazon. キリスト教布教当初から信仰が拡大するにつれ、キリシタン大名領では神社仏閣の破棄が行われました。 そのことから民衆側からもキリスト教を邪教視する風潮がありました。 同時に寺社の破棄は、日本の伝統的倫理観の破壊と恐れられたのでしょう。 次に創造主の元の平等、つまり創造主の絶対性ですが、それが日本の封建領主の倫理観... Q 「みだりに人の師となるべからず。 みだりに人を師とすべからず。 」 という名言があるのですが、 吉田松陰の言葉として私の持っている本に、 紹介されています。 しかし、 ネットで検索すると、 なぜか吉田兼好の言葉としても、 多く紹介されいてます。 goo. jsp? goo. jsp? これって、吉田兼好の方で紹介しているサイトはまちがいでだと思うのですが…。 よろしくお願いします。 「みだりに人の師となるべからず。 みだりに人を師とすべからず。 」 という名言があるのですが、 吉田松陰の言葉として私の持っている本に、 紹介されています。 しかし、 ネットで検索すると、 なぜか吉田兼好の言葉としても、 多く紹介されいてます。 goo. jsp? goo. jsp? A ベストアンサー 徒然草の研究者ではないので、私見になりますがご了承ください。 仁和寺の僧のやらかしたような話や、それを上回る話は、古今東西、現在過去、そしてこれからもあると思います。 しかし、元々面白い人がおかしいことをやったとて驚くようなことではないと思います。 「あぁ、またあほなことやっとるな」くらいで流されてしまうでしょう。 むしろプロの芸人さんがめっちゃつまらないほうが話題になるでしょう。 仁和寺の僧も、権威あるお寺のお坊さんが、あほなことやっとったと言うので、話題になり、それを書き留めようと思ったのではないでしょうか。 現在では、これらの史料が当時の風俗を知る手がかりになったりもしますし、研究されている方たちにとってはありがたいのでしょうね。 徒然草ではありませんが、古典にはこんなおかしな話が結構あります。 馬ごと谷に落ちてしまった貴族が、あわてふためいて救出しようとしている従者たちをよそに、谷族でキノコ狩りをしていた…とか。 そういったものを楽しみながら読んでみてはいかがでしょうか? A ベストアンサー 先の方々が紹介されているように、 ・プロバイダーのWEBメールサイトを開き、閲覧する。 (その画面から返信も可)=「見る」 ・DIONメールをスマホの携帯メールアドレスに転送する。 =「別アドレスで受け取る」 の他に、直接「PCでも」「スマホでも」両方で「受信する」といった方法もあります。 PCで受信されているようですが、そのPCでの受信設定は質問者様がご自身でされたのか、誰かに設定してもらったのか? ご自身でされたのであれば、同じ要領でスマホの「PCメール」といったアプリがあるかと思います。 これを起動しPCと同じように受信設定すればいいわけですが。 この場合のように複数端末で同じメールを受信する場合、それぞれ共に「受信後、メールはサーバーの残す」といった項目にチェックを入れ機能するようにしておくことがミソ。 手紙やハガキに例えれば、先にPCに配信された後も原本データは郵便局に置いておき削除しないでおく、ということ。 すると別な時間に、スマホから郵便局に問い合わせたときには原本が局に貯まっているので、同じメールを改めてスマホでも受信できる、ということです。 機種がHTL21であるかと思いますが、パソコンの設定内容の確認方法は以下を。 パソコンでお使いのメールソフトは何をお使いか、該当する物をたどって設定方法を確認ください。 どの項目のどのような内容が書き込まれているか、メモリながら。 kddi. 取扱説明書(詳細版)のP47、右側、「PCメール」をお読みください。 先の方々が紹介されているように、 ・プロバイダーのWEBメールサイトを開き、閲覧する。 (その画面から返信も可)=「見る」 ・DIONメールをスマホの携帯メールアドレスに転送する。 =「別アドレスで受け取る」 の他に、直接「PCでも」「スマホでも」両方で「受信する」といった方法もあります。 PCで受信されているようですが、そのPCでの受信設定は質問者様がご自身でされたのか、誰かに設定してもらったのか? ご自身でされたのであれば、同じ要領でスマホの「PCメール」といったアプリがあるかと思います。

次の

吉田兼好とはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】

吉田 兼好

1283ごろ-? 鎌倉-南北朝時代の歌人,随筆家。 弘安 こうあん 6年ごろの生まれ。 生家は京都吉田神社の神職。 卜部兼顕 うらべ-かねあき の子。 慈遍の弟。 卜堀川家,のち後二条天皇につかえて左兵衛佐 さひようえのすけ となる。 30歳ごろ出家遁世 とんせい し,二条為世 ためよ に師事。 為世門四天王のひとりにあげられ,「続 しよく 千載和歌集」以下の勅撰集に18首はいる。 50歳前後に随筆「徒然草 つれづれぐさ 」をまとめたといわれる。 家集に「兼好法師集」。 俗名は卜部兼好,法名は音読して兼好。 「吉田」の称は吉田神社の神主の家の出身であることにちなむ冠称で,苗字ではないのだから,吉田兼好よりは兼好法師と呼ぶ方が正しい。 治部少輔兼顕の子。 堀川家の家司となり,正安3 1301 年,後二条天皇が即位すると,天皇の母である西華門院が堀川具守の子であった縁により,六位の蔵人として仕える。 延慶1 1308 年,天皇の死去に遭いを退く。 正和2 1313 年9月以前に出家,理由は不明。 歌人としては『続千載集』に1首入集し,二条為世門の和歌四天王のひとりに数えられる。 勅撰集に18首入集している。 諸説あるが,元弘1 1331 年ごろ成立とみられる主『』は「つれづれなるままに,日暮らし,硯にむかひて」で始まる序段以下,第1段から第243段まで全244章段からなる随筆集で,その内容は無常と求道,自然観,住環境,趣味,人間観察,人生訓,有職故実と考証,逸話や滑稽談など多岐にわたり,「道念の書」「処世哲学の書」「趣味の本」とも評されるが,それぞれに一理あって作品の意図をいいあてている。 宮廷を讃美し,古き世を慕い,物語的な場面に立ち会った思い出を語り,有職や考証を書き留めるのは,その若き日の学問や関心を伝えており,関東での見聞や関東人を話題にするのは,少なくとも2度,武蔵国金沢 横浜市金沢区 に下った経験によるもので,いずれも彼の自己形成に深くかかわるという点で注目される。 『摩訶止観』巻5上の「心起こるは必ず縁に託す」や巻4下の「閑居静処」にちなみ,第58段で「心は縁にひかれて移るものなれば,閑ならでは道は行じがたし」と主張しているが,自身は足利尊氏の執事高師直 のもとに出入りし,『太平記』巻21「塩冶判官讒死事」によると,邪恋の恋文の代筆をして失敗したと伝えられており,一筋縄ではとらえられない人物であるのは確かである。 桑原博史『人生の達人兼好法師』,五味文彦『中世のことばと絵』 三角洋一 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版 朝日日本歴史人物事典について の解説.

次の

吉田兼好(兼好法師)と「徒然草」とは?年表と有名な3つの段・名言を紹介

吉田 兼好

卜部兼好は元は公務員だった 吉田兼好の本当の名前は 卜部兼好(うらべ かねよし)といいます。 13世紀後半に生まれました。 卜部家は昔から神職の家柄で、父親が吉田神社の神職だったのです。 そして、後の時代に「卜部」から「吉田」と名乗るようになったため、吉田兼好という名で広まったのでした。 若いころは公務員のような定職にしっかりついていて、従五位下左兵衛佐 じゅごいげ さひょうえのすけ)という役職にまで昇進しています。 大納言・堀川家で官吏のような仕事をしていました。 でも、30歳ぐらいになるとこのような先の見える生き方はおもしろくないと感じたのか、出家してフリーになろうと考えたのでした。 出家の理由ははっきり分かっていませんが、彼はもともと文才があり和歌の才能も認められていました。 ですから、結果的にフリーライターとして独り立ちできる能力が十分そなわっていたのです。 特に和歌の才能は素晴らしく、「二条派」(和歌の流派)の二条為世(にじょうためよ)という人から和歌を学び、為世門下の中でも 「和歌四天王」の1人に選ばれるほどでした。 兼好の和歌は 「続千載集」「続後拾遺集」「風雅集」に合わせて18首おさめられています。 出家後は徒然なるまま日々の出来事をノートにつづりながら、和歌の添削の先生もしていたようです。 本当に自由気ままな生活をし、もともと鋭い感性を持っていたので、日々感じたこと、想うことを書きつづり、シンプルライフはいいよと伝えたエッセー集が 「徒然草」なのでした。 スポンサーリンク 「徒然草」はシンプルライフを推奨 「徒然草」は、最近また人気が復活しつつあるようです。 最近の風潮に合っているのでしょうね。 まず、この「徒然草」というタイトルの意味を見ていきましょう。 「徒然」には「やるべきことはなくて退屈なさま、手持ち無沙汰なさま」という意味があります。 そして、 「草(草子)」は「ノート」を意味します。 「枕草子」の「草子」も同じです。 ジャンルは 隠者文学で、中心になる思想は 「仏教的無常観」といわれます。 でも、いろんな雰囲気の段があって、内容はかなり長いです。 全部で243段から成るエッセーで、上巻と下巻に分かれています。 おそらく思いつくまま書きつづっていたのでしょう、とても長い段もあれば、数行でおしまいという段もあります。 テーマは幅広く、生き方や仏道修行のほかに、旅、自然、友人のことなど様々です。 京都の仁和寺の近くに庵を構えていたので、京都や仁和寺の話題も多いです。 友人の話や自分の好みについてつらつら書いたり、ユーモアを効かせたかと思うとキリリと風刺をしながら逸話を紹介したりと、盛りだくさんでおもしろいです。 機知に富む文章なので説教臭くなく、現代人でも十分共感できる深い内容になっています。 そんな兼好法師作品の中から、代表的なものをいくつかご紹介します。 (1)徒然草第10段「家居のつきづきしく」 教科書に載ってる有名な段です。 なんといっても、この段には 西行法師が登場するのです。 同時代人と分かりますね。 この段でおもしろいと思ったのは、「隠者のくせに、かなり家にこだわるじゃないか」というところです。 「教養ある人が、穏やかに暮らしている家は、そこに差し込む月の光も、いっそう身にしみるように感じられるものです。 」 「現代風なきらびやかさはなく、木立がどことなく古びて、特に手をかけているわけでもない庭の草も趣があって、簀の子や、すき間のある垣根の配置も趣深く、さりげなく置いてある道具も古風に感じられてよい雰囲気なのは、奥ゆかしいですね。 」 などなど、かなり細かなところまで自分の「住まい」に関する好みを綴っていますよ。 その後、後徳大寺の大臣が家に鳶(トビ)除けの網を張ったのを見て、 西行が心の狭い人だなーと言い、もうその家にはいかなくなったらしいよというような件(くだり)になっていきます。 ある人が弓矢を習うとき、二本の矢を持って的に向かいました。 そのとき、師匠がこういったのです。 「初心者は、矢を2本持って的に向かってはいけません。 まだ後1本あると残りの矢をあてにして、最初の弓をいい加減に射る気持ちになるからです。 毎回、この1本の矢で射ぬこうという覚悟でのぞみなさい。 」 どんなことも、これが最後のチャンスと本気で取り組めという心構えを説いています。 この師匠の戒めは、あらゆることに通じますね。 原文は 吉田兼好の名言として、よく取り上げられます。 後の矢を顧みて初の矢になおざりの心あり」 (吉田兼好) (3)徒然草第150段「能をつかんとする人、」 第150段はこれから芸を身につけようとする人について、兼好法師からのアドバイスがつづられた段です。 意訳すると、こんな感じになります。 初心者は、 「下手くそなうちは、人に見られたら恥だ。 こっそり練習して上達してから、芸を披露するのがかっこいいのだ」と、勘違いしがちだ。 でも、そんな事を言っている人が、芸を身につけた例えは1つもない。 下手くそなうちから上手なベテランにまざって、バカにされたり笑い者になっても気に留めず、平常心でがんばっていれば、特別な才能や素質などなくても上達できる。 芸の道を踏み外したり、我流になることもないだろう。 そのままま練習し続ければ、要領だけよく訓練を怠る者を超えて、達人になっていくのだ。 人間性も向上して、努力が報われ、周囲からの尊敬も得られる。 「 天下に並ぶ者なし」と言われる人も、最初は下手くそと笑われ、けなされてひどい屈辱を味わってきたのだ。 それでも、その人が芸の教えを正しく学び、一歩一歩歩み続けてきたからこそ、多くの人に尊敬され、万人の師匠となったのだ。 どんな世界でも同じである。 「こっそり1人で練習してかっこよく披露したい」という気持ちは、誰しも持ってしまうと思いませんか? でも、そう思って隠れて練習しても、芸を身につけることはなかなかできないのだそうです。 (効率が悪いという事でしょう) そうはいっても、人からけなされてしまうと、「もう自分には才能がないんだ」とがっかりしてしまいますよね。 ですから、指導する側は、やはり「ほめて伸ばす指導」を心がけることが大事なのだなと思います。 芸事だけではなく、楽器もスポーツも語学もどんなものでも、ある程度力をつけるには 数稽古が必要になります。 受験勉強をしたことのある人は塾や予備校で聞いたことがあると思いますが、 「量質転嫁の法則」という上達するための有名な法則があります。 何かを習得するとき、 「ある一定の量を積み重ねると質的な変化を引き起こす」という意味の言葉です。 つまり、 上手くなりたければ質が変化するまで量をこなすことが必要で、質が変化しない段階で量(反復練習)を止めてしまうとすぐに元に戻ってしまうのです。 でも、思考停止したままやみくもに数だけこなしても意味がありません。 学んだことを何度も繰り返し思い出して、確認しながら考えながらの反復練習が必要なのです。 始めはみんな下手くそですが、めげずにとにかく数をこなすのが大事なのです。 おわりに 「徒然草」は、 兼好法師が思いついたことをつれづれに書き綴ったものです。 学校では 「仏教的無常観」などという固い言葉も習いますが、適当に見聞きしたことをつづっている段もたくさんあります。 彼はどちらかというと人好きで、困ったら他人に頼ることもできたようですよ。 (お金がないから「お米ちょうだい」という和歌を友だちに送ってます。 ) 「徒然草」には、天皇や公家、武士、庭師などいろいろな身分の人たちが登場します。 好みについての描写は一貫性のないところがあるのですが、そこがまた本当につれづれに思いつくまま書いているんだろうなと思えて楽しいです。 「徒然草」関連の本で、最近とても読みやすいふんわりした雰囲気の本が出ました。 勉強っぽいものでなく楽しく読みたいと思う人にイチオシです。 ですから、おおよそのイメージとしてとらえてくださいね。

次の