マルクス ガブリエル 新 実存 主義。 新実存主義/マルクス・ガブリエル/〔著〕 廣瀬覚/訳 本・コミック : オンライン書店e

【読書ノート】マルクス・ガブリエル『世界史の針が巻き戻るとき:「新しい実在論」は世界をどう見ているか』 SF作家目指すなら一読おススメ|仁羽 孝彦の活動報告

マルクス ガブリエル 新 実存 主義

実存主義(じつぞんしゅぎ、: existentialisme、: existentialism)とは、人間の実存をの中心におく思想的立場。 あるいは本質存在(essentia)に対する現実存在(existentia)の優位を説く思想。 実存(existenz)の当初のは「現実存在」であったが、がそれ(正確には「現実的存在」)を短縮して「実存」とした(1933年(昭和8年)の雑誌『哲学』内の論文「実存哲学」においてのことであり、可能的存在に対置してのものである)。 語源はex-sistere(続けて外に立つの意)。 「実存」についての語りで習慣的にまず言及されるが、デンマーク語で主張した「実存」は、やはりラテン語出自でExistentsである。 ドイツ語では、ラテン語からの外来語としてExistenzがあり、一方、土着の語としてはDaseinが相当する。 しかし、前者のほうが日常的頽落性にもある後者よりももっと、実存の持つ、自由へ向かった本来性という様態に特化して使われている。 この節のが望まれています。 実存主義は、普遍的・必然的な本質存在に相対する、個別的・偶然的な現実存在の優越を本来性として主張、もしくは優越となっている現実の世界を肯定してそれとのかかわりについて考察する思想である、とされる(「」)。 本質をないがしろにするような思想的なものから、本質はこうだが現実はこうであり、本質優位を積極的に肯定せずに、現在の現実をもってそれをどう解決していくべきなのかを思索的に考えたもの。 本質を積極的に認めない傾向があるため、唯物的、もしくは即物的になり、本質がみえなくなってしまう極端な思想も生まれる土壌にもなる。 また悲観的な発想にもなりがちとなっている。 問題としているのは人間の実存であり、スプーンなど、モノの実存ではない。 また、実存主義において、実存の境界的概念であるセベルタ(外概念性)および異なる疑似空間的次元における同時存在性は、実存・非実存間の、直感的表象としての一元的物的概念からの昇華であると考えることもできる。 思想史 [ ] 古代哲学では、のの思想の影響下に、を構想したを批判的に継承したが、第二実体 普遍者 と第一実体 個物に対応 との区別を提唱した。 ここに、プラトンの普遍者実体観に対するアリストテレスの実存を見ることができる。 このとき、アリストテレスからはプラトンの普遍者実体が自分にとって実存につながらない存在論性だとして見えている。 これが継承される形で、で、 と との区別が説かれるようになった。 近代哲学では、が、ととの不可分性(理念的・必然的、あるいは合目的的ではない、一回的な、あるいは偶発的な個物は永続性や普遍性を欠く、という意味で現実性を欠く、という意合い)を説いて「 理性的なものは現実的となり、現実的なものが理性的となる。 )」 序文 であるとした。 これに対抗して、神の前に教会を経ずに立つ単独者としての、自己自身の「実存」( existenz )を価値としたは、の嚆矢ともいわれる。 その場合に、信仰者を前提とした制約された姿勢がキルケゴールの実存にはあるということを、正しい実存理解のためには見据えておかなくてはならない。 批判 [ ] 梅田寛によれば、の唱えた「絶対説、人類進歩についての三体説及び『実在するものは全て合理である』という結果に対する効果は盛んに論議され」て当時の皇帝制度も含めその合理性が主張されていたが、次第になどヘーゲル崇拝者の中からも批判が生じる結果となった。 ()では、、()、()、ロシアでは、、、ではなどがヘーゲルに批判的な立場から活動を行った。 不安の時代 [ ] 「諸君、嵐は終わった。 にもかかわらず、われわれは、あたかも嵐が起ころうとしている矢先のように、である。 」 ダーウィンの『種の起源』以降、ヨーロッパは古代以来の聖書的世界から輝かしい科学と進歩の時代へと向かった。 しかし、という新しい世界体制はのによる大量破壊へ繋がり、以来続いた西欧のへの信仰は大きく揺らぐこととなった。 とりわけ国土が直接、戦場となった独仏、わけても敗戦国としての重い負債を背負わされたにとって、進歩主義への信頼の崩壊は強い衝撃を与えた。 大陸ヨーロッパのはの精神的伝統を進歩主義によって破棄した後の、進歩主義の無残な残骸を前に途方にくれることとなった。 このようなドイツにおいてまず、一時代前の人物であるキルケゴールなどが注目を浴びるようになる。 「主体性が真理である」としてから与えられた可能性を実現することにを見出したキルケゴールの主体志向に加えて、さらに、において、そのような個人を置き去りにした近代思想の惨禍を目の当たりにして、を哲学的考察の対象にしようという機運が盛り上がり、神の死(「」)を宣言し、能動的な 運命愛 の思想を展開したを、神を否定する実存主義の系譜の先駆者としつつ、、のやらによって「」の導入が図られた。 大事なことだが、ハイデッガーの意味づけの実存は、個人主体実存という本来性から離れて、「民族の」実存になっている。 各個人が自由な実存のうちに民族の実存を求めているのであればよい。 しかしここでは、民族の実存を希求して先導するハイデッガーが、先導される個人の私性を否認している。 (Martin Heidegger, Logik als die Frage nach dem Wesen der Sprache, VittorioKlostermann, Frankfurt am Main, Gesamtausgabe Band 38. p163. ) ここには真の実存はハイデガーにしかないのだが、こうした曲折を経て、実存の考え方は第後、世界的に広がりをみせることになった。 後、に輸入され、らによって広まった 実存主義は、サルトルのアンガージュマン(他の実存と共に生きるための自己拘束)の思想に見られるようにマルクシストとしての社会参加色が強く、それに呼応しない者には説得力がなかったが、のの思想的バックボーンとなった。 サルトルの『実存主義とは何か』は実存主義のマニフェストであり入門書ともいわれ、、ので行われた講演が元になっており、多数の聴衆が押しかけたため、入りきれない人々が入口に座り込むほどで、翌日の新聞に大見出しで「文化的な事件」として伝えられ、時ならぬサルトルブームを巻き起こした。 第二次世界大戦直後のヨーロッパでは、巨大な歴史の流れの中での人間存在の小ささが意識され、戦前までの近代思想や既存の価値観が崩壊し、人々の多くが心のよりどころを喪失しかかっていた。 サルトルの思想は、実存に新たな光を当て当時の人々の根源的な不安を直視しそれに立ち向かい、自由に生きることの意味を追求し、人間の尊厳を取り戻す術として人々に受け入れられることになった。 この、支配制度に対する被支配的個人の重視は、の思想がに入ると、 などから批判を受け、低調になっていくものの、広く受け入れられている。 他者を支配管理する実存はあり得ない。 また、同じく「私」に焦点を当てる芸術や、との相性も良く、特にらが始めた 心理療法には「 今、現にここに存在している私」を問題とする 実存主義の強い影響が見られる。 実存主義を哲学のみならず、 文学、 芸術などにも拡大解釈する場合(など 、や等も実存主義者だと解される場合もある。 第一次世界大戦の敗者であるドイツや戦勝国であっても大きな痛手を受けたフランスなどとは異なり、勝利者である英米にとって、第一次世界大戦の惨事は進歩主義への信仰を決定的に揺るがすことはなかった。 しかし、スペイン内戦に参加するなどヨーロッパの情勢に積極的に関与したを代表とする一群のアメリカ知識人もまた、自らを実存主義者と見なした。 日本では当時、文学者として国際的な評価も受けていたが第一次大戦後に「ぼんやりとした不安」という言葉を残して自殺している。 実存に親近な印欧語の構造 森有正は自著『経験と思想』(1977)において、日本語では印欧語とは違って人称依拠で代名詞や動詞形が作られるという基準がないので、現実(の上下関係)が嵌入してしまい、構造的に実存に至りにくいと書いている。 自他間区分した西欧的実存に限定するならば、妥当性のある主張である。 西欧的実存を考える日本人はよく咀嚼するべきである。 禅宗もしくは仏教一般の実存 宗教哲学者の久松真一は『即無的実存』(1935年)で、禅宗もしくは仏教一般の「即無的実存性」を主張している。 有に対する否定としての無を消極的な無と見ている。 一方、有と無との間の対立を無化する無を積極的な無と見つつ、こちらの無に即すことを実存としている。 西欧の非宗教的哲学的実存は久松から見れば「即有的実存」だといえる。 実存主義と経世致用の学 [ ] 人間の実存をの中心におく思想的立場である実存主義と、中国明朝末期のの(学問は現実の社会問題を改革するために用いられなければならないとする主張)は別の思想であるが、それらは日本においては関連づけられる場合もあり、現在の現実をもってそれをどう解決していくべきなのかを考える現実主義に結実する。 例えば経世実用を学風とする日本のの哲学者、、らは実存主義哲学から、などにアプローチして、現実の社会問題を解決しようとし、(トロツキーのとは異なる)に発展する。 名称 [ ] 「実存主義」の名称は ドイツの『一般文学新聞』において1815年に既に、Existentialismusというドイツ語で使用されている。 第二次大戦後、治安、政情の不安定であったパリで、職に就かず、その日暮らしをしながらカフェやナイトクラブにたむろする若者を指して使われた。 人生に目的を持たずにただそこに現実存在している状態を批判する呼び方であり、いうなれば蔑称であった。 実存主義を自ら名乗った哲学者サルトルも、初期はこの名称で呼ばれることを嫌っていた。 関係する著名人 [ ] 哲学者・思想家 [ ]• 日本の哲学者・思想家 [ ]• 法学家・司法職員 [ ]• 小説家・劇作家 [ ]• 『絹と明察』でハイデガー『存在と時間』 桑木務訳岩波文庫1961の語尾をかえたものと思われる を引用、参照している。 精神科医・心理学者 [ ]• 脚注 [ ] は列挙するだけでなく、などを用いてしてください。 記事のにご協力をお願いいたします。 ( 2017年8月)• 「76 実存」『学問』講談社、2004年4月、249-251頁。 西部邁『実存と保守 危機が炙り出す「人と世」の真実』角川春樹事務所、2013年4月。 西部邁「実存」『保守の辞典』幻戯書房、2013年5月、259-265頁。 関連項目 [ ]• - 早い時期からサルトルを日本に紹介するものの、実存主義には批判的であった。 外部リンク [ ]• 『』 -• (英語) - 「実存主義」の項目。 (英語) - 「実存主義」の項目。

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新実存主義 (岩波新書)

マルクス ガブリエル 新 実存 主義

心はすべて物理的な理論で説明がつくのか。 気鋭の哲学者が、脳科学全盛の時代に、実存主義と心の哲学をつなげ、21世紀のための新たな存在テーゼを提示する… 新実存主義 [著]マルクス・ガブリエル 人間の心とは何か。 この古くて新しい問題に、現在の哲学界でもっとも注目される一人であるマルクス・ガブリエルが正面から取り組んだのが本書である。 内容は抽象的だが、ガブリエルが4人の研究者とスリリングな応答を重ねる過程を追っていけば、議論の筋を見失うことはないだろう。 ガブリエルが批判を加えるのはまず、心を脳と同一視する立場だ。 たしかに、心の動きを神経のシナプスの反応によって説明しようとする研究者は少なくない。 しかしながら、そのような自然科学的なアプローチで、心をすべて解き明かすことはできるだろうか。 心とははるかに複雑な現象であり、「心」という言葉で一つに包括できるような何かではないというのが、ガブリエルの主張だ。 自然に存在するものは、私たちがそれをどう認識しようが変化しない。 水は水だ。 ところが人間は、自分自身や自分の周りの状況を理解しようとするし、その理解は人間のあり方に影響を与える。 人間は否応なく物語やフィクションを生きてしまうのである。 もちろん、人間は思い通りのことを実現させているわけではない。 とはいえ、そのような理解はまちがいなく人を変化させる。 著者はそこに精神の自由を見いだす。 新実存主義といっても、サルトルの実存主義を想像すると間違えるだろう。 決意によって、人間が新しい人格になるわけではない。 それでも人間は自己解釈し、それによって動かされる。 人間が作り出す「意味の場」から世界を捉えるガブリエルの立場は、新たな心の哲学を感じさせる。 カント、ヘーゲル、ハイデガーを継承しつつ、独自の「精神」の哲学を構築しようとする点も興味深い。 物理的なものを含みつつ、それに尽きることのない「精神」をどのように解明していくか。 AIの発展により、「人間とは何か」があらためて問われている現在、軽やかだが直球勝負の哲学者から目が離せない。 独ボン大教授。 著書に『なぜ世界は存在しないのか』『「私」は脳ではない』など。

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新実存主義 (岩波新書)

マルクス ガブリエル 新 実存 主義

実存主義(じつぞんしゅぎ、: existentialisme、: existentialism)とは、人間の実存をの中心におく思想的立場。 あるいは本質存在(essentia)に対する現実存在(existentia)の優位を説く思想。 実存(existenz)の当初のは「現実存在」であったが、がそれ(正確には「現実的存在」)を短縮して「実存」とした(1933年(昭和8年)の雑誌『哲学』内の論文「実存哲学」においてのことであり、可能的存在に対置してのものである)。 語源はex-sistere(続けて外に立つの意)。 「実存」についての語りで習慣的にまず言及されるが、デンマーク語で主張した「実存」は、やはりラテン語出自でExistentsである。 ドイツ語では、ラテン語からの外来語としてExistenzがあり、一方、土着の語としてはDaseinが相当する。 しかし、前者のほうが日常的頽落性にもある後者よりももっと、実存の持つ、自由へ向かった本来性という様態に特化して使われている。 この節のが望まれています。 実存主義は、普遍的・必然的な本質存在に相対する、個別的・偶然的な現実存在の優越を本来性として主張、もしくは優越となっている現実の世界を肯定してそれとのかかわりについて考察する思想である、とされる(「」)。 本質をないがしろにするような思想的なものから、本質はこうだが現実はこうであり、本質優位を積極的に肯定せずに、現在の現実をもってそれをどう解決していくべきなのかを思索的に考えたもの。 本質を積極的に認めない傾向があるため、唯物的、もしくは即物的になり、本質がみえなくなってしまう極端な思想も生まれる土壌にもなる。 また悲観的な発想にもなりがちとなっている。 問題としているのは人間の実存であり、スプーンなど、モノの実存ではない。 また、実存主義において、実存の境界的概念であるセベルタ(外概念性)および異なる疑似空間的次元における同時存在性は、実存・非実存間の、直感的表象としての一元的物的概念からの昇華であると考えることもできる。 思想史 [ ] 古代哲学では、のの思想の影響下に、を構想したを批判的に継承したが、第二実体 普遍者 と第一実体 個物に対応 との区別を提唱した。 ここに、プラトンの普遍者実体観に対するアリストテレスの実存を見ることができる。 このとき、アリストテレスからはプラトンの普遍者実体が自分にとって実存につながらない存在論性だとして見えている。 これが継承される形で、で、 と との区別が説かれるようになった。 近代哲学では、が、ととの不可分性(理念的・必然的、あるいは合目的的ではない、一回的な、あるいは偶発的な個物は永続性や普遍性を欠く、という意味で現実性を欠く、という意合い)を説いて「 理性的なものは現実的となり、現実的なものが理性的となる。 )」 序文 であるとした。 これに対抗して、神の前に教会を経ずに立つ単独者としての、自己自身の「実存」( existenz )を価値としたは、の嚆矢ともいわれる。 その場合に、信仰者を前提とした制約された姿勢がキルケゴールの実存にはあるということを、正しい実存理解のためには見据えておかなくてはならない。 批判 [ ] 梅田寛によれば、の唱えた「絶対説、人類進歩についての三体説及び『実在するものは全て合理である』という結果に対する効果は盛んに論議され」て当時の皇帝制度も含めその合理性が主張されていたが、次第になどヘーゲル崇拝者の中からも批判が生じる結果となった。 ()では、、()、()、ロシアでは、、、ではなどがヘーゲルに批判的な立場から活動を行った。 不安の時代 [ ] 「諸君、嵐は終わった。 にもかかわらず、われわれは、あたかも嵐が起ころうとしている矢先のように、である。 」 ダーウィンの『種の起源』以降、ヨーロッパは古代以来の聖書的世界から輝かしい科学と進歩の時代へと向かった。 しかし、という新しい世界体制はのによる大量破壊へ繋がり、以来続いた西欧のへの信仰は大きく揺らぐこととなった。 とりわけ国土が直接、戦場となった独仏、わけても敗戦国としての重い負債を背負わされたにとって、進歩主義への信頼の崩壊は強い衝撃を与えた。 大陸ヨーロッパのはの精神的伝統を進歩主義によって破棄した後の、進歩主義の無残な残骸を前に途方にくれることとなった。 このようなドイツにおいてまず、一時代前の人物であるキルケゴールなどが注目を浴びるようになる。 「主体性が真理である」としてから与えられた可能性を実現することにを見出したキルケゴールの主体志向に加えて、さらに、において、そのような個人を置き去りにした近代思想の惨禍を目の当たりにして、を哲学的考察の対象にしようという機運が盛り上がり、神の死(「」)を宣言し、能動的な 運命愛 の思想を展開したを、神を否定する実存主義の系譜の先駆者としつつ、、のやらによって「」の導入が図られた。 大事なことだが、ハイデッガーの意味づけの実存は、個人主体実存という本来性から離れて、「民族の」実存になっている。 各個人が自由な実存のうちに民族の実存を求めているのであればよい。 しかしここでは、民族の実存を希求して先導するハイデッガーが、先導される個人の私性を否認している。 (Martin Heidegger, Logik als die Frage nach dem Wesen der Sprache, VittorioKlostermann, Frankfurt am Main, Gesamtausgabe Band 38. p163. ) ここには真の実存はハイデガーにしかないのだが、こうした曲折を経て、実存の考え方は第後、世界的に広がりをみせることになった。 後、に輸入され、らによって広まった 実存主義は、サルトルのアンガージュマン(他の実存と共に生きるための自己拘束)の思想に見られるようにマルクシストとしての社会参加色が強く、それに呼応しない者には説得力がなかったが、のの思想的バックボーンとなった。 サルトルの『実存主義とは何か』は実存主義のマニフェストであり入門書ともいわれ、、ので行われた講演が元になっており、多数の聴衆が押しかけたため、入りきれない人々が入口に座り込むほどで、翌日の新聞に大見出しで「文化的な事件」として伝えられ、時ならぬサルトルブームを巻き起こした。 第二次世界大戦直後のヨーロッパでは、巨大な歴史の流れの中での人間存在の小ささが意識され、戦前までの近代思想や既存の価値観が崩壊し、人々の多くが心のよりどころを喪失しかかっていた。 サルトルの思想は、実存に新たな光を当て当時の人々の根源的な不安を直視しそれに立ち向かい、自由に生きることの意味を追求し、人間の尊厳を取り戻す術として人々に受け入れられることになった。 この、支配制度に対する被支配的個人の重視は、の思想がに入ると、 などから批判を受け、低調になっていくものの、広く受け入れられている。 他者を支配管理する実存はあり得ない。 また、同じく「私」に焦点を当てる芸術や、との相性も良く、特にらが始めた 心理療法には「 今、現にここに存在している私」を問題とする 実存主義の強い影響が見られる。 実存主義を哲学のみならず、 文学、 芸術などにも拡大解釈する場合(など 、や等も実存主義者だと解される場合もある。 第一次世界大戦の敗者であるドイツや戦勝国であっても大きな痛手を受けたフランスなどとは異なり、勝利者である英米にとって、第一次世界大戦の惨事は進歩主義への信仰を決定的に揺るがすことはなかった。 しかし、スペイン内戦に参加するなどヨーロッパの情勢に積極的に関与したを代表とする一群のアメリカ知識人もまた、自らを実存主義者と見なした。 日本では当時、文学者として国際的な評価も受けていたが第一次大戦後に「ぼんやりとした不安」という言葉を残して自殺している。 実存に親近な印欧語の構造 森有正は自著『経験と思想』(1977)において、日本語では印欧語とは違って人称依拠で代名詞や動詞形が作られるという基準がないので、現実(の上下関係)が嵌入してしまい、構造的に実存に至りにくいと書いている。 自他間区分した西欧的実存に限定するならば、妥当性のある主張である。 西欧的実存を考える日本人はよく咀嚼するべきである。 禅宗もしくは仏教一般の実存 宗教哲学者の久松真一は『即無的実存』(1935年)で、禅宗もしくは仏教一般の「即無的実存性」を主張している。 有に対する否定としての無を消極的な無と見ている。 一方、有と無との間の対立を無化する無を積極的な無と見つつ、こちらの無に即すことを実存としている。 西欧の非宗教的哲学的実存は久松から見れば「即有的実存」だといえる。 実存主義と経世致用の学 [ ] 人間の実存をの中心におく思想的立場である実存主義と、中国明朝末期のの(学問は現実の社会問題を改革するために用いられなければならないとする主張)は別の思想であるが、それらは日本においては関連づけられる場合もあり、現在の現実をもってそれをどう解決していくべきなのかを考える現実主義に結実する。 例えば経世実用を学風とする日本のの哲学者、、らは実存主義哲学から、などにアプローチして、現実の社会問題を解決しようとし、(トロツキーのとは異なる)に発展する。 名称 [ ] 「実存主義」の名称は ドイツの『一般文学新聞』において1815年に既に、Existentialismusというドイツ語で使用されている。 第二次大戦後、治安、政情の不安定であったパリで、職に就かず、その日暮らしをしながらカフェやナイトクラブにたむろする若者を指して使われた。 人生に目的を持たずにただそこに現実存在している状態を批判する呼び方であり、いうなれば蔑称であった。 実存主義を自ら名乗った哲学者サルトルも、初期はこの名称で呼ばれることを嫌っていた。 関係する著名人 [ ] 哲学者・思想家 [ ]• 日本の哲学者・思想家 [ ]• 法学家・司法職員 [ ]• 小説家・劇作家 [ ]• 『絹と明察』でハイデガー『存在と時間』 桑木務訳岩波文庫1961の語尾をかえたものと思われる を引用、参照している。 精神科医・心理学者 [ ]• 脚注 [ ] は列挙するだけでなく、などを用いてしてください。 記事のにご協力をお願いいたします。 ( 2017年8月)• 「76 実存」『学問』講談社、2004年4月、249-251頁。 西部邁『実存と保守 危機が炙り出す「人と世」の真実』角川春樹事務所、2013年4月。 西部邁「実存」『保守の辞典』幻戯書房、2013年5月、259-265頁。 関連項目 [ ]• - 早い時期からサルトルを日本に紹介するものの、実存主義には批判的であった。 外部リンク [ ]• 『』 -• (英語) - 「実存主義」の項目。 (英語) - 「実存主義」の項目。

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