イースター。 イースターの意味を簡単に教えて!2020年はいつ?卵とうさぎの理由は?

イースター(復活祭)の由来とは?2020年はいつ?

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Q)イースターには、何をするの? A)イースターの起源は後ほど説明しますが、ここでは現在の風習を紹介しましょう。 一般的に、クリスマスと同様、家族でご馳走を食べて祝います。 また、エッグハント(卵狩り)やエッグロール(卵転がし)という、子供の遊びもあります。 イースターエッグと呼ばれるカラフルに染められたゆで卵を探すのがエッグハント、またその殻を割らないようにして転がすのがエッグロールです。 アメリカのホワイトハウスでも、例年敷地内でエッグロールの催しが行われます。 子供向けのショーが同時に行われ、ファミリー・インターナショナルによるグループも、何回かステージで楽しい歌とダンスを披露したことがあります。 Q)イースターって、何月何日? A)実は、クリスマスと違って、イースターの日付は毎年変わります。 「春分の日の後の最初の満月から数えて最初の日曜日」と定められているからです。 これは、紀元325年に開かれたニカイア公会議という世界教会会議で定められました。 というわけで、その年によっては最大一ヶ月ほど、つまり月の周期プラス数日のずれが生じるのです。 日本を含め現在多くの国で使われているグレゴリオ暦では、この日は3月22日から4月25日の間になります。 西方教会(ローマ・カトリック、プロテスタント、聖公会など)はこの日にイースターを行います。 東方教会(正教会など)は、グレゴリオ暦ではなくユリウス暦を使って計算しているため、別の日にイースターを祝います。 2030年までのイースターの日付 Q)ユリウス暦とグレゴリオ暦は、どう違うの? A)ユリウス暦とは、ローマのユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)が、紀元前46年に制定した太陽暦です。 一年を365日とし、また4年に一度366日の閏(うるう)年を置きました。 それまでの暦よりも優れているとはいえ、ユリウス暦では約128年につき1日の誤差が生じます。 こうして16世紀後半になると、実際の春分が暦より10日も早くなり、イースターなどの日取りを決めるのに適切でなくなってきました。 これを正すために、1582年にローマ教皇グレゴリウス13世が制定したのが、グレゴリオ暦です。 ユリウス暦と同じく4年に一度の閏年はありますが、100で割り切れてかつ400で割り切れない西暦年は閏年とはなりません。 この方法では、一日の誤差が生じるのに3000年以上もかかるという正確さです。 このように、現在日本でも使われているグレゴリオ暦は、イースターなどの日取りを決める上で正しく春分の日を設定するようにと定められたものだったのです。 Q)では、そもそもイースターの意味は? A)イースター(Easter)は英語での呼び方ですが、日本語では復活祭と言います。 つまり、イエス・キリストの復活を記念する日なのです。 先に説明したように、「春分の日の後の最初の満月から数えて最初の日曜日」にイースターを祝うのも、イエス・キリストの復活されたのが日曜日であったからです。 復活と言うと、クリスチャンでない方は「まさか!」と思うかもしれません。 しかし、記録によると少なくとも500人以上の人が復活後のイエス・キリストに会っています。 また、新約聖書に収められている手紙の大部分を書いた使徒パウロは、始めはクリスチャンを迫害していました。 その彼が後に回心し、今度は自分が迫害されることになるのを承知でクリスチャンになったのも、復活後のイエス・キリストが彼に現われたからであるという証言をしています。 欧米の映画の葬式シーンで、「わたしはよみがえりであり、命である。 わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる」という言葉を聞いた方も多いでしょう。 これは、ジョージ・ワシントンの墓碑銘にもなっているイエス・キリストの言葉です。 つまり、イエスがよみがえられたように、イエスを信じる者も永遠の命を持つという約束です。 では、なぜイエスは十字架で死なれたのでしょうか。 それは、わたしたち人間はあやまちの多い不完全な存在なので、天のお父さんである神様に近づけなくなっていたからです。 そこで、わたしたち全員のあやまちや罪を身に負い、愛の犠牲となって、イエスは十字架上で死なれました。 そういうわけで、イエスを信じる人は、誰でも罪が許されて天国へ行けるのです。 このイースターに、もっとイエスの愛について知りたい方は、を是非お読みください。

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スペイン語では Isla de Pascua。 チリ中部西岸から約 3600km西の太平洋上にあるチリ領の島。 諸島の東を画する。 面積約 160km 2のほぼ三角形をなした火山島で,島内には火山や寄生火口が点在,浸食の進んだ溶岩原が広がる。 最高点は約 600m。 年降水量は約 1000mmであるが,年による変化が著しい。 1722年オランダ人 J. ロッヘフェーンがヨーロッパ人として初めて島に上陸,その日がイースター 復活祭 であったことにちなんでパーサイラント Paaseiland オランダ語で「イースターの卵の島」の意 と命名したため,イースター島の名で広く知られるようになったが,島民自身はこの島をラパヌイ Rapa Nui 「大きな島」の意 またはテピトオテヘヌア Te Pito o te Henua 「世界のへそ」の意 と呼ぶ。 1770年島を訪れたスペイン人によって約 3000人と報告された人口は,その後奴隷狩り,天然痘,部族間の抗争,移住などによりしだいに減少,19世紀後半には 100人あまりと最も少なくなった。 1870年タヒチ島からの入植者が牧羊を開始。 1888年チリ領。 島内各地にモアイと呼ばれる巨大な石像があることで特によく知られ,最高 12mもあるこれら巨石像を,いつ,だれが,なんのために,どのようにしてという石積みの台座の上に立てたのか,また先住民であるポリネシア人はこのような絶海のにいつ,どのようにしてやってきたのか,などの考古学的,人類学的な疑問点が多くの学者の関心を呼んだ。 20世紀に入って『コン・ティキ』号の漂流実験で知られるノルウェーの人類学者 T. 島民は南西部のを中心に住み,牧羊のほか,サツマイモ,ジャガイモ,野菜などの栽培と漁業を行なうが,1967年サンチアゴとの間に定期航空路が開設され,観光が最大の産業となっている。 1935年が設置され,1995年世界遺産の文化遺産に登録。 人口 2095 1989推計。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について の解説 南太平洋のにある島。 パスクア島Isla de Pascuaまたラパヌイ島Isla de Rapa Nuiともよばれる。 面積180平方キロメートル。 南回帰線のわずか南の南緯27度08分、西経109度26分、チリの海岸から約3800キロメートル西方に位置する。 先住民が残した多くのモアイとよばれる巨大な石像をはじめとするの島として有名である。 1888年チリ領となり、現在は同国の第5地域(バルパライソ)に属している。 東太平洋海嶺 かいれい が東へ西チリ海嶺を派出する地点に生じた火山島で、三角形の輪郭をした島は20余りの火山群で構成されているが、活火山はない。 これらのうち三角形の各頂点に位置する三つの火山がもっとも大きい。 すなわち、東の角のプアカチキ火山、北端にあり標高450メートルで島内最高峰のラノアロイ火山、および南西端にあり直径1キロメートルほどの火口をもつラノ・カウ火山である。 プアカチキ火山西麓 せいろく にあるラノララク火山の火口は先住民たちがモアイを製作した地であり、とくに多数のモアイが並んでいる。 2月から9月にかけてが雨期にあたる。 1850年代以前は4000人前後の島民がいたが、天然痘の流行や奴隷として島外に連れ出されたため激減し、チリの領土となった1888年ごろにはわずか180人だったといわれる。 現在では、約1600人の住民がおり、その4分の1がチリ本国からの白人である。 島民の大部分は島の西岸にあるアンガ・ロアの町に住む。 わずかばかりの畑には自給用のタロイモ、サツマイモ、キャッサバなどの作物がつくられ、ユーカリの茂みが点在する低い丘陵地の草原ではヒツジが放牧されている。 1月から2月にかけてが観光の最盛期。 遺跡などの保護のため島の3分の1の地域が国立公園(ラパヌイ国立公園)に指定されており、また島の出入りの際には厳重な植物検疫が実施されている。 ラパヌイ国立公園は1995年に世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。 [松本栄次] 歴史オランダ船アレノア号によって1722年に発見されて以後、多くの探検家たちがイースター島を訪れたが、初めて学術的な調査を行ったのはノルウェーの人類学者ヘイエルダールであった。 彼はマルケサス諸島の巨石像と南アメリカの巨石文化を互いに関連するものと考え、インカ時代の舟を復原して(コン・ティキ号)、1947年にペルー海岸からツアモツ諸島に航海した。 そして1955~56年にかけて、イースター島のモアイの立つアフとよばれる宗教遺跡の調査を行った。 石像では高さ約10メートルのものもある。 イースター島の文化は前期(400ころ~1100ころ)、中期(~1680ころ)、後期(~1800ころ)に三分されている。 前期は移住期で、アフも構築されているが石像は小さなものであった。 中期は石像がもっとも発達した時期で、アフも修復され、最大のもので80トンもあるモアイがつくられている。 後期に入ると部族間の戦争が激しくなり、人口も急減して、石像は倒されアフは墓地となった。 モアイは島の南東にあるラノララク山の旧噴火口内で、壁面に露出している凝灰岩を利用してつくられた。 この石切り場には未完成のモアイが数百個体放置されている。 また島内各地に散在するアフまでの運搬も大事業であったと思われ、アフに至る通路にも、運搬途中で失敗して、頭部を欠いたモアイが放置されている。 イースター島の先住民はポリネシア系の民族と考えられている。 ポリネシア民族の源流は、一般には東南アジア、インドネシア方面に求められ、ミクロネシア、西ポリネシアを経て、紀元前後ごろに東ポリネシアの諸島に移動が始まったとされている。 しかしヘイエルダールは、探検家たちの先住民観察報告や、モアイの風貌 ふうぼう などから、コーカサス系人種との関係を強調した。

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イースターとは?由来や意味、子ども向けに説明する方法を紹介します!

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【イースターとは?】 イースターとはイエス・キリストが十字架にかけられて処刑された後、3日目に復活したことをお祝いする日です。 つまり、うさぎは 命のシンボルなのです。 一方でキリストの復活も死んでも、もう一度新しい命が与えられるということを意味しているため、うさぎと復活を関連付けているわけです。 イースターバニーの由来 そんなイースターバニーの由来は16世紀ごろのヨーロッパになります。 当時はイースターの時期になると、その年に子供たちが 良い子だったか悪い子だったかをうさぎが判断するというイベントでした。 それがやがて、うさぎが 籠にお菓子やイースターエッグ、おもちゃなどを入れて子供たちに配るというように変わって定着しました。 スポンサーリンク うさぎの生態 うさぎは命のシンボルになるくらい、たくさんの子供を産みます。 そのためにキリストの復活と関連付けられたわけですが、実際のうさぎの生態はどのようなものでしょうか? うさぎは妊娠期間が30日程度で、一度に 1羽~6羽も子供を産みます。 しかし、うさぎが多産な理由には大変な事情があります…。 実はうさぎは哺乳類の中でも、常に捕食される立場の弱い動物です。 地上ではキツネやオオカミなどの小型の肉食動物に、空からは鷲や鷹などの猛禽類に常に狙われています。 うさぎは彼らの大好物なのです…。 いつもいつも食べられてしまう立場なので、常に多くの子孫を残しておく必要があるため、うさぎは次から次へと子供を産まざるを得ない 悲しい動物なのです…。 ちなみにイースターにはイースターエッグというものもあります。 これも卵からは新しい命が誕生するからという意味があるそうです。

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