川相昌弘。 川相昌弘の凄さが分かる名言・語録集!かっこいい送りバント職人の努力論から人生哲学まで

川相氏が広島・堂林のここまでの活躍を喜ぶワケ

川相昌弘

15日に放送された『ショウアップナイタープレイボール』に出演したショウアップナイター解説者の川相昌弘氏が、広島・堂林翔太について言及した。 堂林はここまで、リーグトップの打率. 409をマーク。 『7番・三塁』でスタメン出場した15日の巨人戦でも1安打を放ち、これで4試合連続安打となった。 川相氏はここまでの活躍を「立派ですね」と評価。 「僕が2010年ウエスタン・リーグで中日の二軍監督として戦っていたので、彼の1年目のときを見ていた。 やっと開花したなと。 嬉しいですね」と、敵将ながらデビュー当時から堂林を見てきた者として、苦節11年目の活躍に目を細めた。 堂林といえば、12年に全144試合に出場し、チームトップの14本塁打をマーク。 菊池涼介、丸佳浩(現巨人)らとともに中心選手として活躍が期待されたが、年々出場機会が減少。 昨季は一軍初出場した12年以降では、最少の28試合の出場にとどまっていた。 今季は12年以来の規定打席到達、シーズン通して打率3割にも期待がかかる。 (ニッポン放送ショウアップナイター).

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『創業50年 藤田の老舗駄菓子屋 川相商店!!』by @すすむ : 川相商店

川相昌弘

1964年9月、岡山県生まれ。 岡山南高校時代にエース、主将として2度の甲子園出場。 83年ドラフト4位で巨人入りし、内野手に転向。 巨人時代の90年代は不動の2番・遊撃手で、6度のゴールデングラブ賞、1度のベストナインを受賞。 最多犠打は7回を記録している。 03年、エディ・コリンズの持つ511の犠打を抜き、世界記録を樹立。 現在も記録を伸ばし続けている。 2004年中日ドラゴンズに移籍。 1年目にしてリーグ優勝。 芸術的バント、堅実な守備、しぶといバッティングはいまも光り続けている。 プロ23年目に向け、ベテランならではのプレーでチームを引っ張る。 身長176cm、74kg右投右打 本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです 継続は力なり、むしろ力は継続なりという川相さんの生き方そのものにとても強く共鳴できました。 タイトルの「明日への送りバント」の意味も深く考えさせられます。 「今日は何にもない1日だったなあ」と思わないような1日にするために、今日という日を必ず明日への第一歩にするように・・・ドラファンの私としてはジャイアンツ時代の川相さんはとにかく「ジャイアンツの人」というイメージしかなかったのですが、ドラゴンズに来ていただいてこうして本を読ませていただいて、今まで知らなかった、川相さんの地道に積み重ねた野球人生を知ることができてとても良かったです。 ドラゴンズに来てくれてなかったら多分ずっと知らないままだったんだろうなぁ、と思うとファン以外のチームの野球選手でも「一流」と呼ばれる人にはこうした努力があるのだと思いました。 チームにとらわれず、素晴らしいと思うことは鮮やかに尊敬する視点がファンにも必要だと思います。 東京ドームでの試合の時は、川相さんの名前がコールされるとライトスタンドからもよく声援が上がっていましたね。 すごいなと思ったものでした。 2007年からドラゴンズのコーチとなった川相さん、是非ドラゴンズを日本一にしてくださいッ! 今年、一人の偉大な選手が引退しました。 今年、僕が最も好きだった野球選手が引退しました。 送りバントの世界記録を持つ中日ドラゴンズの川相昌弘選手。 その川相選手が2005年に出した本です。 この本の出版からから1年後、彼は引退しました。 1983年。 僕が生まれたのと調度同じ年に、ジャイアンツに入団した川相選手は、22年間プロで活躍し、バントの世界記録を樹立しました。 しかし、決して天才だったわけではなく、「継続は力なり」という格言どおりに生きてきた男です。 ショート、二塁、サード、外野・・・様々なポジションを守り、常にバントをし、チームのためにサポートし続けた川相選手。 僕が熱狂的な巨人ファンになったのは、川相選手が好きだったからという理由でもあります。 近年巨人が急に弱くなりましたが、川相選手が中日へ移籍していなくなってからだということを知っている人は少ないでしょう。 彼のような縁の下の力持ちがいるからこそ、チームや家族、団体はしっかりとした機能を持つのだと思います。 僕が目指すのは、まさに彼のような生き方です。 しかし、サポート役といっても、気持ちは誰よりもアツい!! 常に、自分がなんとかしてやろうと考えているし、自分に出来ることをいつも考えてやっています。 そんな彼が引退の1年前に書いたこの本は、団体の中で生きる人全てに共通して為になる話しがたくさんあります。 僕の今後の生き方の指導書として、大事にしていきたいと思います。 みなさんもぜひ読んでみてください。 2006年10月15日、自身の持つ犠打世界記録を更新し、川相選手は静かにバットを置きました。 落合監督に「川相無しでは、中日のこの3年間は語れない。 」と言わしめたほど、彼の功績は大きいものだったと思います。 昨年出版された手記ですが、今読み返しても、彼の野球にかける熱い思いがヒシヒシと伝わり胸を打ちます。 決して体格的に恵まれていたわけでもなく、期待を一身に集めてきた訳でもない中で、犠打世界一の記録を残した彼の生 き様には、一般の方にも参考になる点は多いのではないでしょうか。 障害者の子息を持つ彼らしく、印税の一部はユニセフに寄付されるようです。 川相氏の人柄がにじみ出ている好著です。 是非ご一読を。 一昨年世界記録を塗り替えた川相昌弘選手の初の著書。 難しいことは書かれておらず、まさに大人から子供まで誰でも読めるといった内容です。 これは川相選手がどうやって考え野球に取り組んできたか、レギュラー獲得以降ブラウン管を通して観ただけでは分からない苦労があったかなどが語られています。 個人的に野球を始めるきっかけでもあり、以来目標にしてきた選手なので本が出ただけでも満足なのですが、世界記録達成以降いつか出るだろうと思い続けていただけに十二分に満足できました。 しいていえば以前からテレビなどで存在を知られていた「川相ノート」の内容がもっと知りたかったです。 川相選手のファンなら迷うことなく購入してみてはいかがでしょうか。

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先生は、生活指導の面でも厳しかった。 小学校時代は、人間としての基礎を学ぶ時期でもあります。 その点でも、私は多くのことを先生から教わりました。 たとえば、今でも私は電車に乗ったら、他の人の邪魔にならないように、荷物は必ずひざの上に置き、行儀よく座るのが習慣になっていますが、これも小学生の時に学んだ教えです。 それから、車内で大きな声で話してはいけない、ということ。 その他、身だしなみ、挨拶、思いやりなど—。 ふと自分の行動を振り返ると、「あ、これも先生から学んだことだな」なんて、この年になってもよく思うのです。 去年の秋、小学校の集まりで先生にお目にかかる機会がありました。 80歳半ばを超えた先生は、車椅子に乗っていらっしゃった。 ご体調がよくないにもかかわらず、先生はかつての教え子を前に、短い童話の朗読をしてくださった。 定年退職後も、子供たちへの読み聞かせを続けておられると聞き、演劇を通じて子供の心を育むことを大切にしてこられたのだなと、大きく心を動かされました。 演劇を愛してやまない荻野先生と出会えたからこそ、今の私がある。 何年経っても、感謝の気持ちが褪せることはありません。 川相昌弘 巨人ヘッドコーチ 先生の授業が若手指導のお手本 出会えてよかった—そう思える先生は、岡山市立藤田中学校時代の学年主任だった、久保丈夫先生です。 僕は当時、野球部に所属していましたが、チームはまったく強くなかった。 でも、早朝や、放課後も遅くまで残って一生懸命練習に励んでいました。 バレーボール部の顧問だった久保先生も、早くから学校に来ていたのですが、僕らを見かけると、他の部にもかかわらず必ず声をかけ、励ましてくれるんです。 野球部の試合成績のことも、とても気に掛けてくれてね。 生徒全員を、親身に指導してくれる先生でした。 久保先生は、数学と理科を担当されていました。 その授業は、とにかくユニーク。 というのも、50分間の授業の前半が、ずっと雑談なんです。 世間話やニュースなどを、冗談をまじえて面白おかしく話し続け、なかなか本題に入らない。 僕は数学も理科も苦手だったので、勉強時間が短くなってラッキーと喜ぶ反面、本当にこんな教わり方でいいのか、と疑問にも思っていたんです。 ところが、先生の授業を受けていたら、全然振るわなかった成績が、ぐんぐん上がっていった。 苦手教科だったはずの数学と理科が、高校受験の時に武器になったくらいです。 「なるほど、ああいうやり方で、生徒の集中力を高めていたんだな」と、後になって気がつきました。 たまに冗談でも言って選手の心を引きつけておけば、まじめな話もそれまで以上にきちんと聞くようになるかもしれない—。 プロの選手たちを指導する立場になった今、先生の授業のやり方をお手本にしています。

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