わび さび。 『わび』『さび』の意味とは?違いがわかりますか?

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わび さび

鈴木大拙 『禅と日本文化』 岩波書店、1940年 茶の湯の寂は、静寂よりも広く、仏典では、死、涅槃を指し、貧困、単純化、孤絶に近く、さび(寂)はわびと同意語となる。 (136頁)• 40-43, :, 日本色彩学会• 日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典』第二版、小学館、14巻15冊、2000年12月 - 2002年12月• 井口海仙 『利休百首』p. 33「点前こそ薄茶ににあれと聞くものを 麁相になせし人はあやまり」淡交社、1973年• 43「心の文」より淡交社、2002年• 武野宗延『利休の師 武野紹鴎』p. 127 宮帯出版社、2010年• 柳宗悦『民藝の趣旨』『柳宗悦全集著作篇第八巻』筑摩書房、1980 「それ故民藝とは、生活に忠實な健康な工藝品を指すわけです。 ・・・その美は用途への誠から湧いて來るのです。 桑田忠親『日本茶道史』p. 129-130「紹鴎侘びの文」より 河原書店、1975年• 岡倉天心『茶の本 The Book of Tea』p. 16 IBCパブリッシング、2008年• 久松真一『わびの茶道』(昭和23年講演筆録)一燈園燈影舎、1987年 「・・・また今日名器として残っている朝鮮の茶碗なんか、ことに向こうでは何もお茶に使ったものではない、 ただ民間の食器であったものを択んだ。 それが大した名器になって今日まで残っているのです。 そういうものを好んで、 択び採ったその精神というものは、とりもなおさずこの侘数奇の精神であって、侘数奇の体系の中に包括したのであります。 河野喜雄 『さび・わび・しをり その美学と語源的意義』ぺりかん社、1983年• REPORT vol. 24 2013. 渡辺誠一『侘びの世界』p. 13 論創社、2001年• 52 日本古典文学大系46 岩波書店、1959年• 潁原退藏『芭蕉研究論稿集成』第一巻 「さび・しをり・ほそみ」p. 428 クレス出版、1999年• 藤村庸軒 『』今井重左衛門、1697 「いかにもさびている狐戸だけれども、遠くの山寺から人手をかけてもらってきたものだろう。 侘びの心なら、麁相な猿戸が欲しいと戸屋に行って、松杉のを継ぎ合わせたものをそのまま釣りてこそさびて面白し。 復本一郎『芭蕉における「さび」の構造』p. 49 塙選書77、1973• 松尾芭蕉『幻住庵記』「ある時は仕官懸命の地をうらやみ、一たびは佛離 ぶつり 祖室の扉 とばそ に入らむとせしも」• 寺田寅彦「俳句の精神」『寺田寅彦全集』第十二巻 岩波書店、1997年• Bernard Leach Adapter , Soetsu Yanagi 著 1972 The Unknown Craftsman- Japanese Insight into Beauty. Kodansha International•

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「わび・さび」の意味と使い方・例文・「わび」「さび」の違いは?現役ライターがサクッと解説

わび さび

寂 しい• 心が満たされず、物足りない気持ちである。 さみしい。 仲間や相手になる人がいなくて心細い。 人の気配がなくて、ひっそりとしている。 さみしい。 【出典:大辞泉】 どちらも、ネガティブな意味ばかりですね(笑) それは、そうですよね、侘しいや寂しいをポジティブな使い方をする人なんて見たことありませんからね。 さて、このネガティブな言葉が、一体どうして「日本人の美学」と結びつくのか?? それを、じっくりと見ていきましょう。 茶の湯 の わび茶 わび・さびというと、やはり茶道が思い起こされます。 茶道といえば、裏千家や表千家に代表する、千利休が確立した茶の湯文化ですよね。 「わび茶」を極めたと言われる、千利休ですが、一体、わび茶とはどんなものなのでしょうか? わび茶 わび茶は、室町時代後期に、禅僧で茶人でもあった 村田珠光(むらた じゅこう)が、それまでの高価な茶碗などを使わずに、粗末な茶碗を使ったことが始まりといわれています。 「粗末な・・・」というところが、先ほど見た、「侘しい」の意味の3番にあった、「貧しくてあわれなさま。 みずぼらしい」 というのに通じていますよね。 これを、弟子の 武野紹鴎(たけの じょうおう)が体系化していきます。 千利休 そして、武野紹鴎の弟子が、あの 千利休です。 利休が、わび茶の基礎を作ったといいます。 創始者が、禅宗のお坊さんでもあるので、仏教や老荘思想などが取り入れられたのでしょう。 わび茶って、ただ単純に、粗末な茶碗や道具で、お茶を点てればいいのか? というと、そういうわけでは、ありません。 武野紹鴎が、わび茶の精神を表したものとして、次の和歌を挙げています。 花をのみ 待つらん人に山里の 雪間の草の 春を見せばや 藤原 家隆 春に、花が咲くことばかり待っている人に、山里の雪の間に見える春(若草)を見せてあげたいものだ。 たとえ周りは雪に覆われていても、実は、その雪の下には春の芽生えが。 花が咲く事を、春だと思っている人には一生分からない、本当の春がそこにあるということですね。 それが、わび茶の真髄(しんずい)ということなのでしょうか? ちょっと、ここまでくるとかなり哲学的ですね(笑) いずれにしても、「 わび茶 」は、華美や豪華さではなく、もっと自然や人の心に寄り添った、本当の豊かさを求めたものです。 わびの空間(お茶室) お茶室って、狭いですよね。 四畳半や、三畳、中には二畳(一畳台目)なんていうものもあります。 飾りつけもほとんどなく、まさに、侘びています(笑) しかし、実際、そこにいてお茶を点ててもらうために座ると、狭いどころか居心地の良い広さだということが分かります。 そして、静かで窯のお湯の音とか、炭のはじける音、お茶を点てる時の音が、気持ちよく響きます。 そこは、本当に、非日常の豊かな空間です。 これって普段の生活からすれば、不足しているから、気づけたことなんですよね。 もしも、部屋にテレビがあり、音楽プレーヤーがあったら、気づきません(笑) この「不足・不自由」というのが、茶の湯の世界では、とても重要なキーワードです。 不足だからこそ、感じれる豊かさ、まさに「引き算」をしたら、豊かになれる世界があるということです。 普段、「豊か」さを求めると、何かを買って購入したり、着飾ったりと、「足し算」でばかり考えてしまいます。 珠光・紹鴎という人は、「引き算」で考える事ができた人、利休にいたっては、足し算も引き算も自在だったのではないのでは?と思えます。 まさに、雪の中に春を見出せる人だったのでしょうね。 わびは、何かというと・・・ 不足の中で、豊かさを求める意識、 引き算をすることで、より大きな豊かさを見出すこと。 個人的な、解釈では、一歩踏み込んで・・・ 何ものにもとらわれない自由な心 そんなところではないでしょうか。 さて、ここまで、わび(侘)について見てきました、もう一つ、さび(寂)がありますよね。 次に、さびについて見て行きましょう。 さび(寂)とは 「さび」とは、時間と共に劣化をしていくさまを表した言葉です。 金属が錆(さ)びる、錆ともつながるようです、経年劣化のことですね。 実は、武野紹鴎や千利休の時代の、茶の湯に関する文献には、この「さび」という言葉は登場しません。 この言葉は、江戸の中期以降に、茶の湯の美の表現として、「わび」とセットで使われるようになったようです。 「さび」は経年劣化の事と書きましたが、ただの劣化が、日本人の美意識のはずがありませんよね(笑) そこに美しさがなければいけません。 実は、この「さび」については、「わび」とは違って、海外の方も簡単に理解することができます。 寂 は、錆びにも通じると言いましたが、銅が錆びると「緑青(りょくしょう)」といって青緑のキレイな色になります。 「自由の女神像」などが、まさに緑青が出ている状態です。 日本だと、鎌倉の大仏がそうです。 鎌倉高徳院「阿弥陀如来」通称:鎌倉大仏 経年劣化ではなく、経年したことで生まれる美しさですよね。 風情や味があるという言い方もします。 例えば、ジーンズ。 これなんかも、いかにも「新品おろしたて」というよりは、すこし使った感じがあるほうが、味がありますよね。 革製品にも、同じ事がいえるかもしれません。 こういった、時間とともにでる味わいや風情を「さび」と呼びます。 さて、「わび」と「さび」についての、説明は以上です。 でも、まだ疑問が残ります。 「わび・さび」というように、これらの言葉は、セットで一つの言葉の様に使われています。 それは、どういうことなのでしょう? わび・さびとは なぜ、わびとさびはセットなのか? その答えは簡単です。 「 さび」の美しさを感じるには、「 わび」の心が無ければ感じることができないからです。 わびの心は、不足に豊かさを見出せる心、あるいは、何ものにもとらわれない自由な心、そういった、固定観念から解き放たれた心が無いと、さびたものの美しさが見えてきません。 だから、わびとさびは、セットなんですね。 また、利休の挙げている歌の解釈も、様々です。 ここで、ご紹介した、わび・さびで、特に、わびについては、筆者の自論も入っています。 やはり仏教や老荘思想といった道教にも通じる世界観があるので、単純ではないですよね。 それが何かを求めるからこそ、茶道と道がついた芸事になっているんですよね。 今でこそ、お茶室が美しいと思ったり、わびた茶碗などが美しいと思いますけど、それは美しいものっていうものが、既に植えつけられているからですよね。 つまり、「わび」の心を持っていなくても、美しいと思っているだけですよね。 恐らく、現代に利休がいたら、またとんでもないものでお茶室を作ったり、茶道具を用意したりするんじゃないでしょうか?・・・ 本当の、わびの心があると、現代はどの様に映るのでしょうか? 利休という人が、現代では、どういったものを雪の中から、見つけるのか、とても興味がありますよね。 単なる、常識破りでは、ただの変わり者で終わってしまったかもしれませんが、そうではなくて、誰も気づけない美しさに気づけるという感性がすごいですよね。 なんだか、最近、「面白い」とか「美しい」とか、はたまた「美味しい」ということまで、ガイドブックや、情報サイトで、星がいくつついてるとか、口コミの評価が高いとか、人の評価で判断している自分がいます(泣) 「わびの心」とまでいかなくても、せめて、自分の感性で日々暮らしたいものです。 スポンサーリンク.

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表千家不審菴:茶の湯の伝統:「わび」と「さび」

わび さび

わび(侘び) 「侘び」は「飾りのない、あっさりとした味わい」という意味で、茶道や俳諧の理念の一つです。 室町時代の中期頃になると、茶を立てて客をもてなす「茶の湯」が行われるようになり、安土桃山時代には、千利休が茶の湯を大成させましたが、その際に「物の貧相さや物が不足した不便さを良しとして、簡素な生活を楽しむ」という「わび」の概念が確立していったといわれています。 「わび」は、 「貧相や不足の中に見い出す充実した美しさ」、言い換えれば 「不足するものに感じる美しさ」といえます。 「不足」という、目には見えないことに対して充実した美しさを感じるという意味で、「内面の美しさ」を表現しているともいえます。 さび(寂び) 「寂びる」は「古くなったり、色があせたりする」という意味ですが、その名詞形の「寂び」は「古びて趣のあること。 閑寂の趣。 」という意味があります。 「さび」は、江戸時代に、松尾芭蕉が「俳諧で、物静かで落ち着いた風情が、その句の題材からではなく、洗練られた作者の心情から自然に溢れ出る」という感覚を表現する言葉として使ったといわれています。 「さび」は、 「いづれは儚く(はかなく)無くなってしまうであろう古くなったものに対して、閑寂のなかで自然に感じられる美しさ」、簡単にいえば 「古いものに感じる美しさ」といえます。 目に見える「古いもの」に対して、自然に美しさを感じるという意味で、「外面の美しさ」を表現しているともいえます。 日本人の美意識 西洋では、「人工的なもの」「華やかなもの」「対照的なもの」に対して美しさを感じるという美意識があります。 これに対して、日本では、「自然なもの」「落ち着いたもの」「朽ちていくもの」に対して美しさを感じるという美意識の特徴があります。 この日本独特の美意識から生まれたのが、「わび」「さび」だといえます。 日本語には、「がんばる」「忖度(そんたく)する」など、英語ではうまく言い表せない言葉がありますが、「わび」「さび」も英語で表現することが難しい言葉です。 敢えて、「わび・さび」の訳となる英単語を挙げるとすれば「rustic(飾り気のない、素朴な、田舎の)」を挙げることができるかもしれませんが、「わび・さび」のほんの一部分しか表現できていません。 「traditional Japanese beauty」とすれば、ある程度のニュアンスは伝わるかもしれません。 いずれにしても、「わび」「さび」は、感覚として、日本人にしか理解できない美の感覚といってもいいでしょう。 まとめ 「わびさび」は、「不足するものに感じる美しさ」「古いものに感じる美しさ」という「内面の美しさ」と「外面の美しさ」とを合わせて表現した、日本独特の美の感覚です。 「日本の心」と比喩されることもある「わびさび」は、西洋では、簡単には理解されにくい美の感覚だといえます。 グローバル化が進む中、華やかで人工的な西洋風の建物がどんどん増え、生活スタイルも近代的なものに様変わりしていますが、日本の古き良き時代に生まれた「わび・さび」の心は、日本人として、いつまでも持ち続けていきたいですね。

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