ペスト カミュ。 カミュ「ペスト」を読みました(読書感想文フル)

カミュの小説ペストでは、猛威を振るっていたペストが、ある時突...

ペスト カミュ

カミュ「 」は、1940年代にペストが流行したという設定の物語です。 出版年は1947年(作者34才の若さ! 名著ですが、文学的な言い回しも多く難解で読み進めるのに苦労したので、このブログで分かりやすいよう内容を要約しまとめしました。 後半は結末までのネタバレも含みます。 また、元々のページ数が多い作品なのでまとめた文章も多少長いものになっています。 以下では疫病の流行の段階に分けあらすじをまとめています。 (読みやすいよう独自に分けました) アルジェリアは物語当時はフランスの植民地です。 初期 ベルナール・リウーはアルジェリアの第二の都市オランに暮らす30代半ばの医師です。 1940年代のある年の4月半ば、彼の妻は病の転地療養のため家を離れます。 同じ時期、リウーは自宅周辺や街中で鼠のなきがらを目にするようになり、その後10日あまりでおびただしい数が街に溢れた。 またその頃から、リウーは不可解な症状で命を落とす患者に遭遇するようになり、その数はわずか数日で累増、看過できない人数になった。 各医師が把握する患者数は少なく、この時はまだ市民の間で疫病の流行は認識されていなかった。 (ペストは近世まで流行した伝染病) 翌日、リウーは県庁に保健委員会を招集してもらい、そこではじめて市長や医師の間でペスト発生が共通認識として持たれた。 (市長やメンバーはペストと認識することを渋っていた)翌日の新聞での扱いは小さく、県庁も目立たない所に張り紙をする位の注意喚起だった。 その日リウーに感染者数を報告しに来たグラン(リウーの昔の患者で市役所職員の初老男性)は、自傷騒ぎを起こした隣人で密売人のコタールの変化(急に社交的になった)を話した。 取り寄せ中の血清はリウーの元にまだ到着していなかった。 彼はその日、自分が恐怖に取りつかれていることを認識した。 人の温かさに触れたいと思いカフェに二度も入った。 感染拡大 翌日の診療は、忙しい往診の中、患者の家族と話し合ったり患者自身と言い争ったりすることで日が過ぎた。 リウーは自分の職業をこれほど重苦しいと感じたことはなかった。 (従来なら患者は治療に身をゆだねていたが、疫病の流行で警戒心が増していた) 市が用意した特別病室は、他の患者たちを移転させた分館病棟2つで、窓を密閉し隔離の遮断線を設けた程度のもので、公式発表もまだ楽観的だった。 リウーは病床不足や埋葬の警戒不足など懸念し、オラン医師会の会長リシャールに、徹底的な措置を取った方がいいと電話したが、自分には権限がないという返事だった。 3日後、80床の病床が満杯になった。 その後4日間犠牲者数は増え続け、幼稚園内に病床を開設することが報じられた。 不安を冗談に紛らわしてきた市民たちもひっそりとしてきたように思われた。 リウーは思い切って知事に電話し事態の深刻さを伝えたが、知事は総督府の命令を仰ぐと言った。 リウーは電話を切った後「命令待つんではなく頭働かせる時だ」とそばに居たカステル医師に言った。 知事は 本人いわく 翌日から措置の強化をすることにした(申告の義務制と隔離、患者が出た家の消毒や埋葬を市が営むなど) 翌日飛行便で血清が到着したが、もし疫病がまん延するのであれば数が不十分だった。 (救急用はストックが切れ今新たに製造に着手している状態) その間の街の様子はいつもと変わらず、ペストの患者数はいったん減り衰退したかのように思われた。 しかし突然犠牲者数が激増した。 (犠牲者の数が再び30台に達した) その日知事は、市の閉鎖を宣言した。 都市封鎖 都市封鎖 市門が閉鎖され、この時からこのことが全ての人の事件となった。 家族や愛する人と離れてしまった人は大切な人に思いを馳せ、県庁には自分だけ特別に都市の外に出ることを望む人が押し寄せたが、例外はなかった。 手紙は疫病の媒介となるのを防ぐため禁止、電話も緊急の場合のみに制限、電報だけが通信手段となった。 人々はあてもない散歩で過去を追憶、流通も止まり港の活気は消えてしまった。 人々はまだ疫病を真実には認めておらず、はじめは施政当局に罪を着せ、新聞には措置の緩和を考慮できないかという批判記事が載った。 すると知事はメディアに日々の犠牲者数を通達するようになり、ペストの第六週には犠牲者が345人まで増加したことが確認された。 しかし人々はまだ一時的なものという印象を持っていた。 しかし5月の終わりに食料補給が制限され、ガソリンは割り当て制に、電気代の節約も規定された。 贅沢品の店は次々に閉じ、開いている商店には行列ができた。 やる事のなくなった人が街やカフェに溢れ、アルコールで伝染病が防止できるのではと酔っ払いが街に溢れた。 また、コタールが疫病に関するさまざまな噂を話題にした。 (例えば、ペストの兆候を示した男が錯乱状態の中戸外に飛び出し、「俺はペストにかかった」とわめきながら通行人の女性に抱きついた、等) 市門閉鎖から3週間後、新聞記者の若い男・ランベールが医師リウーを訪れた。 (彼はかつてリウーに取材をしていて面識があった)恋人をパリに残していて何とか出国したいので、自分が罹患していない証明書を書いて欲しいと頼んだ。 リウーが断ると。 ランベールは「あなたには気持ちの通じ合っている二人が引き離されることがどんなものなのか分からないんだ」「あなたの言っているのは理性の言葉だ」と苛立った。 更なる感染者増加・リウーの戦い リウーが任されている分院 3つになっていた では週平均患者数が500に達し、運営は容易ではなかった。 帰宅して手が震えていることもあった。 彼は体が強く健康だったが、往診などは堪えがたいものになってきていた。 家族は患者を引き渡すことに抵抗し大変だったが、そのうち監察員が同行するようになり、医師は1人の患者からすぐ次へ回れるようになった。 往診では患者の家族の嘆きと涙にあい、それが幾週も続きリウーは同情にも疲れてしまっていた。 しかしその心の扉が閉ざされていくことが、唯一の慰めになっていた(毎回辛さを感じていたらとてもペストと戦い続けられないため)。 夜中二時に帰宅する彼を迎える母はそのことを悲しんだ(母は妻が不在の間めんどうを見るため家に来ていた) 教会では著名な神父パヌルーがペストの集団祈祷を主宰し、多くの市民が参加した。 (私達の罪により神から報いが与えられたという論調) 6月も終わりになり、夏が来ていた。 犠牲者は週700名と上昇し街は消沈した雰囲気で、全ての扉は閉じられ、いくつかの家からうめき声が聞こえた。 憲兵は騒動を収めるため武器の使用を許され町は不穏な空気で、夏は疫病を助長するだろうと皆が恐れていた。 海も禁止され夏を楽しむ雰囲気はなかった。 その頃から犠牲者数が週ではなく日で知らされるようになり(見せかけの数字を少なく見せるためと思われる)、感染防止するからとハッカドロップが売り切れになるなどした。 パリから届いた新しい血清は初めのものより効力がない様子で、統計は上昇し予防接種を行える可能性は相変わらず得られていなかった。 また肺臓性のペストもみられはじめていた。 保健隊の結成 その頃、リウーと顔見知りのタルーが、志願の保健隊を組織をリウーに提案した。 (タルー:疫病流行の少し前にオランに来た若い男で素性は謎。 新聞記者のランベールと同じホテルに滞在している)リウーは彼に兄弟のような親しみを感じ、心の内(職務に対する思いや神についての考え)を話した。 医師カステルは血清の製造に尽力した。 また、保健隊が実現し市職員のグランが幹事役的な立場を引き受けた。 (保健隊は、地区の衛生状態を高める活動や往診の手助け、専門職員がいない場合患者や犠牲者の車の運転などを行った) グランは仕事後の時間、活動の統計作業を行い、時々リウーやタルーに趣味の小説の執筆について話し、それがリウーらにとっても息抜きになった。 タルーはパヌルー神父も保健隊に誘い了承を得た。 一方、新聞記者のランベールはつてを頼り必死に出国手段を模索した。 しかしその間、ある意味彼女のことを忘れていたことに気づいた。 ある日リウーはタルーとランベールとの会話の中で、「ペストと戦う唯一の方法は誠実さ」「自分にとっては職務を果たすこと」と話した。 ランベールはその時初めて、彼の妻が離れた療養所にいることをタルーから聞き驚き、町にいる間保健隊で働くことを申し出た。 病疫の絶頂 8月半ばには町をペストが覆いつくした。 同時期、喪失と不幸で半狂乱になった人による火事が頻繁に起きた。 罪を犯すと刑罰を受けるが牢獄ではペストが猛威をふるっていた。 また略奪も発生した。 葬式は簡略化された。 葬るための作業には人員が必要だったが、多数の失業者が出ていたので人手不足にはならなかった。 愛する人との別れに苦しんでいた人々は、この頃には懐かしがる記憶も失った。 また人々は何も選り好みしなくなっていた。 (例えば自分の買う衣服や食料の質など) 5. 足踏み 足踏み 10月まで足踏みが続いた。 リウーと仲間たちはかなり疲労が増していた。 誰かが統計の結果を報告しても、他の人は興味を持つ振りはするが上の空だったり、虚弱なグランはしょっちゅう疲れ切った状態で、突然しんみりして別れた妻の話をし、リウーはそれに対し妻の病状の悪化を話した。 タルーは滞在していたホテルが隔離所に改造された為、リウーの家に住み込んでいた。 カステル医師は血清の準備による疲弊で気づくと眠り込んでいて、その老衰ぶりにリウーは辛さを感じた。 (そのようにリウーも理性がきかなくなっていた) みな疲労困憊で投げやりになっていて、自分達が定めた衛生規則もなおざりになっていた。 (自分自身に行うべき数多くの消毒を忘れるなど)そんな中グランの隣人コタールだけは憔悴した様子もなく、タルーは彼に興味を持っていた。 (コタールは罪をか抱えていたため、今の状況を快適に思っていた)彼ら2人は週一回だけ行われていたオペラを観に行ったが、劇中で主役が疫病で倒れた。 ランベールは待ち望んだ出国のチャンスを得たが、町に残ることを選んだ。 10月下旬、罹患した判事オトン氏の息子に、カステル医師の血清が試された。 その場にいたパヌルー神父は祈った。 しかし苦しみが長引いただけで命を落とした。 リウーは小さな子供の苦しむ姿に耐えられず庭に出た。 引き止めたパヌルーに対し、リウーは「あの子だけは少なくとも罪のない者でした、あなたもそれをご存じのはずです!」と激しくたたきつけるように言った。 パヌルーはリウーの憤りを理解しながらも、「おそらく我々は、私たちに理解できないことを愛さねばならないのです」と言った。 リウーは強く反論、その後怒ったことを詫びた。 保健隊に入ってから、パヌルー神父はつねに疫病に接する最前線で働いた。 (医療従事者は原則的には血清により安全を保証されていた)パヌルーは一見平静を保っていたが、少年が亡くなる場に長々と居た日から、増大する緊張の色が顔に現れていた。 パヌルーは、今度のミサの説教で自分の見解を述べるのでリウーにも来て欲しいと声を掛けた。 神父は2回目の説教をある大風の日に行った。 その後パヌルーは疫病と思われる症状が出て、医者を呼ぶことを拒み世を去った。 しかしみな再反転も警戒していた。 県庁が医師を集めこの問題について意見を求めようとしていたその時、医師会の会長リシャールも疫病に命を落とした。 公共的な建物はほぼ全て病院か検疫所に改造されている状態ではあったが、リウーが予め計画を立てておいた組織はそれで追いつかなくなるほどには至らなかった。 肺ペストが増えていたが、腺ペストが減り均衡を保っていた。 しかし必需品の物価がつり上がり、貧しい家庭が苦しい一方、裕福な家庭はほとんど不自由することはなかった。 また隔離収容所の存在も市民の精神に重くのしかかっていた。 11月の終わりのある日の夜10時頃、くたくたになるような一日の後、リウーは以前からの喘息持ちの患者の爺さんを往診、眺めがいいという2階のテラスに、 往診について来たタルーと一緒に上がらせてもらった。 外の空気を味わいながら、タルーはリウーに自分のことを話した。 (17才の時、次席検事の父が極刑で人を裁く姿を見て以来父を嫌いになり、家を出て貧乏も経験し社会運動にも参加したが、この社会に生きていることで間接的ながら自分も加害者側に立っているという思いに苦しんできた) そして、人を裁き極刑を与える人間になることを、ペストに感染することに比喩し、自分は直接でも間接でも人を死なせたり死なせることを正当化するいっさいのものを拒否しようと決心した、自分は以前からペストに苦しめられていた、と話した。 12月もペストの流行は続いていた。 人々はもう未来というもののない生活をしていた。 病の形態が肺ペストになり、患者たちは当初の頃のような狂乱に陥ることはなくある程度治療に協力的になり、リウーは前ほど孤独な気がしなかった。 ランベールは離れた恋人と文通するルートを得ていて、リウーもそのルートを使うよう勧めた。 リウーは妻にはじめて手紙を書いたが、言葉づかいなど忘れてしまっていて書くのに時間がかかった。 クリスマスの時期になり、市役所職員のグランがペストを発症した。 リウーは看病しながらも今晩中持たないと思っていた。 ところが翌朝グランの症状は改善していて、一命をとりとめた。 同時期、同じような例が4つくらい出ていた。 そして喘息持ちの爺さんが「鼠が走り回っているのを見た」とリウーに話した。 統計の感染者数は下降していた。 収束・結末 疫病の勢いの衰えに市民たちはすぐは喜ばず、解放は今日明日ではないと感じていた。 しかし想定されるより早く疫病は衰退していった。 1月上旬から寒い日が続き、3週間の間患者数は下降した。 犠牲が増えたと思ったら別の日にはほとんど助かったり、血清も連続的に効果をあげた。 この日の晩は市中に浮き浮きした興奮がみなぎった。 そんな中コタールだけは不機嫌さや意気消沈を見せ、以前のように部屋に引きこもったり、ついには行方をくらました。 しかし開門まであと数日の時、タルーが熱を出しペストにかかってしまった。 タルーは2,3日ペストと戦ったが、命を落とした。 リウーは、「友情をともにする間もなくタルーは戦いに負けてしまったが、自分は何をかちえたのか?」と考えた。 それは、ペストや、友情や愛情を知り、それを思い出すということだった。 タルーが苦しむ心の真実は分からなかったが、リウーには彼の面影が心に残った。 そして朝がた、妻が8日前に亡くなったという電報を平静に迎えた。 二月に入りとうとう市門が開かれた。 盛大な祝賀行事が昼夜開催され、汽車や港が動き始めた。 ランベールはオランにやって来た恋人と再会し抱き合った。 (ペストが長すぎて恋人に強く会いたいという気持ちは消えてしまっていて、できればあの時の自分に戻りたい、と思っていた)コタールは激しい抵抗の末、警察に捕まった。 リウーはいつもの喘息もちの爺さんを往診し、遠くで歓呼の叫びが聞こえたのでテラスに上がらせてもらい景色を眺めた。 暗い港から公式の祝賀の花火が上がった。 リウーは、自分が愛した人、死んだ者も罪人も忘れられ、人々は相変わらず同じようだ、そして自分が彼らと同じ側の人間なのだと感じた。 リウーはこの時、ここで終わりを告げる物語を書こうと決心した。 1913年生まれ。 フランス人入植者である父は幼少期に戦争で他界、貧しい中苦労して育つ。 様々な職を経た後新聞記者として活躍、戦争も経験、第一作の「異邦人」で注目を集める。 史上二番目の44才の若さでノーベル文学賞を受賞。 タレントのセインカミュさんはアルベール・カミュの兄の孫にあたるそうです。 また、カミュの作品はいずれも「不条理」がテーマと言われています。 また作品の背景としては世界大戦も大きく影響していると思います。 アルジェリアについて 小説ペストの舞台・アルジェリアはアフリカ大陸の北に位置し、アフリカ内での面積第一位、人口4220万人の国です。 フランスとは地中海を挟んで向かいの位置で、約130年のフランス植民地時代を経て1962年にフランスから独立。 砂漠が国土の大半を占め、石油や天然ガスが主要産業です。 アルジェリアに旅行とかはほとんど聞かないので国のイメージがあまりないのですが、イチジクの産地のようです(小説の中で、無花果の木が街に植わっているというのが時々出てきたと思います)あとわたしは数年前のプラントの事件のイメージがあります。 オランの街の様子は(いつの時代の写真か分かりませんが)文庫本の表紙の感じなのだと思います。 (物語の中で、町は台地の上に建設されていて風が強い時は激しく吹き込むと書いてありました).

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アルベール・カミュ『ペスト』 あらすじ

ペスト カミュ

登場人物紹介やあらすじは前回書いているので省略します。 ひとがバンバン死ぬるのでちょっときついけれど素晴らしい一冊です。 ================== 前回の記事でこんな感じで紹介文を書いてみたので再掲。 会を風刺しつつ、風のエピソードを並べることで群集心理が鮮烈に現れる。 これでもかと客観的視点をとる形で読者の安易な共感を許さず、病魔に覆われた街を俯瞰で見せつける。 この不条理ひしめく世界で人間はまたいかにあるべきか・・・その問いに対してひとつのこたえが提示されるが、それを批判するのではなく否定する形で「反抗的人間」とは何かを描き切った渾身(かどうかは知らないけど)の傑作(なのは間違いありません)。 自分では結構うまくまとめられたと思っているのだけれど、どうかなー。 ちなみにの裏はこんな感じ。 のオラン市で、ある朝、医師のリウーは鼠の死体をいくつか発見する。 ついで原因不明の熱病者が続出、ペストの発生である。 外部と遮断された孤立状態のなかで、必死に「悪」と闘う市民たちの姿を年代記風に淡々と描くことで、人間性を蝕む「不条理」と直面した時に示される人間の諸相や、過ぎ去ったばかりの対闘争での体験を寓意的に描き込み圧倒的共感を呼んだ長編。 「悪」と闘うではなくて、正確には、「悪とされるもの」との闘い、だよなと重箱の隅をつつくような違和感を持った。 そして、この違和感はこの小説においては結構重要なような気がする。 (だからこそ新潮はわざと「」をつけているのだと思っている) 小説の冒頭と末尾に、「筆者」の言葉が書かれる。 筆者は作者のではなく、その原稿を書いたという設定を持つ者だ。 「筆者」が誰かということは作中においても「すぐにばれちゃうと思うけど」と注釈が入らなくてもいい位にバレバレなのだけれど、とにかく彼は筆者として「歴史家のごとく」ふるまう。 だから、読者に与えられるのは神の視点だ。 この小説は俯瞰しか出来ないようなつくりになっている。 勿論並べられた場面場面で随時登場人物に降りて行って彼に重なることもできるが、常に求められるのは第三者としての立ち位置だ。 実のところ、世界に善悪なんてものは存在しない。 不条理は、その観測者の発見によって生み出されるが、それを悪と呼ぶのは早計だと思う。 ペストや大や台風それ自体は、人によっては悲劇となるものだけれども、それ自体は決して「悪」ではない。 もっと踏み込んで誤解覚悟で書くなら、の台頭すらそれ自体を悪とは呼べない。 その政権を選んだ乃至選ばざるを得なかった民衆の存在抜きに歴史は語れないからだ。 天災の場合も人災の場合も、その結果生じた「喜ばしくない結果」は「悪」ではなく、「当時防げなかった事態」即ち「過ち」に過ぎない。 罪のない人々の死や悲劇や諸々をひとは不条理と表現する。 不条理とは、道理にあわないもの、つまり「ありえないもの」だ。 その災い自体が悪いものではない。 つまり不条理との戦いという言葉は、「そのこと」を「自然」と見なす勢力との戦いを意味する。 WW2の収束にが不可欠だったとする見解を是とせず「あれは過ちでやってはならないことだった」と言わしめることが不条理への戦いであって、何も誰かへの復讐やらこの作でいえばの撲滅を指すのではないんだと思う。 そして、不条理は誰かによって発見されない限り「異常なし」となり歴史は繰り返す。 その繰り返しの輪をどこかで切るために防ぐために必要なのが事実関係の検証だ。 それが歴史家の視点だと思う。 歴史を紐解いた者が「これは不条理である」と認識することで、世の中は少しずつ変わっていくのだ。 だから本書において読者は徹底的な神の視点に立たされる。 災害が起きたときに、人々はどうふるまうか?作中描かれるいくつもは警告でも賛美でもあるし、最近見たの後の日本の風景そのままのものも少なくなかった。 美しい点も、眉をひそめる点もあわせて。 では当事者としてはどのような対応をするべきなのか?どう生きるべきなのか? 作中、この問いのこたえは二人の人物によって提示される。 無駄口を叩かず、誰に対しても平等に振舞い、街のひとをとして冷静に観察を続けた。 前回の半分までの感想文で語った場面だが、リウーさんは「ペストと戦う唯一の方法は誠実さ」だという。 自分の職務を果たすこと、だと。 そのためには、共感する心に鍵をかけてしまう必要がある場合もある。 いちいち共感していたら、ペスト患者を非情にも家族から隔離する医師の仕事など出来ない。 彼は「人間はあらん限りの力で死と戦った方がいい」のだと、「必要なだけの傲慢さをもって」彼の患者を治していこうと奔走する。 病を治すことがその人にとって必要か否かは関係なく、彼は不治の病であるペストで患者を死なせまいと戦いを続け、そして敗北を続ける。 それが医者である彼にとっての誠実さだ。 「僕は自分で敗北者のほうにずっと連帯感を感じるんだ、聖者なんていうものよりも。 僕にはどうもヒロイズムや聖者の徳などというものを望む気持ちはないと思う。 聖者であることよりも、人間であることのほうが難しいというのだ。 いいほうに立つことはある意味では簡単だからだ。 全ての人に共感することは不可能だからだ。 罪のない子供をバンバン殺しているペストを喜ぶことはどうしてもできないのだ。 当たり前だ。 つまり、聖者という境地は人間が到達できるものではないということもここに示唆されている。 目指すことは出来るとしても。 しかし、もし勝負に負けたら、立派な終わり際をしたいと思うんだ」 リウーは身をかがめて、その肩をしめつけた。 「だめだよ」と、彼はいった。 「聖者になるには、生きてなきゃ。 「これでいいのだ」というセリフで。 「ペストで人が死ぬことは仕方ない」と言えないリウーさんにだけ、またひとつ黒星が増える。 リウーさんの戦いを際限なく続く敗北と断言する本書において、最期に読者に向けて差し出されるものは希望だ。 不条理に対して際限なく負け続ける戦いの中で何が手に入るのか。 人間がかちうることのできるものは、知識と記憶であるという。 勝利宣言ではなく、後につづく者への伝言、遺言である。 筆者が記録した膨大な観察から、ひとつだけ具体例を挙げる。 あくまでも客観的に淡々と筆を進めようとする筆者の口調が突然熱を帯びる印象的なシーンがある。 筆者もやはり人間なのだと思わせる反面、ここほどを小憎たらしく思う場面はない。 グランさんは市役所で働く派遣のおっさんで、趣味で小説を書き、その言葉を一語一句延々と推敲する。 また、本職で得た統計の技術を使って保健隊の活動の裏方として従事する。 彼にとっては自分でも何か役立つのではないかと思って保健隊を手伝っているだけで、こんな仕事は誰にでも出来ると思っている。 かつ、ボランティアを始めたせいかどうか、本職の最中にも自分の趣味について考えてボーっとしてしまうことが増えて上司から散々に叱られるが、ボランティアの仕事中は集中して統計作業に励むことができる。 リーダーたるリウーさんは彼の仕事ぶりに熱く礼を言うが、グランさん本人はお口ぽっかん状態で「なんもですよ」とのたまう。 筆者はラジオから聞こえる当事者にはなりえない街の外の人の声に対抗させてこの小市民に敢えて光をあてている。 ラジオの声はで日本中が叫んだ「絆」の一文字に被って読めた。 街を応援するはず言葉によって皮肉にも本当のヒーローの姿が掻き消されてしまうと筆者は嘆く。 声によって消されることも厭わないヒーローもまた筆者の発見した不条理なのである。 「そのまま消えていいものか」と、彼のヒーローをサルベージすることも、小説の主題ではないかと思う。 それは普通の人間として生きることすら、誰かにとっての自覚なきヒーローとなりうるという示唆だ。 筆者はこの街で一体何が起こったのか克明に描ききり、目的を果たしたことを暴露してこの物語を終える。 ペストという単語に置き換わって何が入るかは、その国その時代で変わるだろう。 しかし作中の民衆の動きすなわち人間の動きは普遍的だ。 おそらくは、人間ってそういうものだよね、という全面的な人間賛歌をはうたっているのだ。 小説全部を通して感じ取れるのは、矮小かつ善良な、、人 間っていうのはさ、というのおっさんが高らかにうたう愛だ。 観察なしには全ての不条理はそのまま飲み込まれて忘れられていく。 ひょっとしたらそれで いいのかもしれない、全部ひっくるめて人間の営みであると考えれば、やはり不条理の発見はそれ自体が敗北なのだとも思う。 敗北しても立ち続ける、抗い続けることをその存在意義と自覚しているリウーさんがやはりこの小説の主人公なのだとわかった。 そしてともに戦った。 痛いほどにひとの気持ちがわかるとき、悲嘆しかできないとき、 わかるよ、でもね・・・ でもねの先は、言葉にされないでも本人には初めからわかっている。 一緒に悲嘆に首を振るのだ。 共感・理解、そして誠実さ。 負け続けても、不条理に対しては絶対に肯定をしないこと。 自分がおかしいと思ったこと(=不条理)に対して「これでいいのだ」と言わないこと。 そして、記録を続けることもひとつの戦い方だということ。 なんてストイックな、なんて愛に溢れた小説だろうと思う。 長くかかったけれど、読んでよかった。 すごく、よかった。 「人間が意気地なしになるような時刻が、昼夜ともに、必ずあるものだし、自分が恐れるのはそういう時刻だけだ」 =================== ちょっと急ぎ過ぎたか・・・それにしても真面目に話すの向いてない自分に参った。 だって言葉が出てこない。 といえるほどには時間をかけていない。 ぼんやり考える時間が長かったのは事実だし本と自分のそういう関係性を気に入っているところもあるけれども。 以下日記。 おそろしい本! リングか。 感情移入するひとを完全に間違えたか、そう思ったところで後の祭りだった。 実際、それは会社で回覧用紙と一緒に回っている病原菌由来のものにすぎなかった。 いずれにせよ楽しみにしていた休日が台無しになることは明白だった。 ふらつきながら訪れた近所の病院にはリウー先生はいなかった。 医師の質問にイエスと答えた数の種類だけの薬が処方された。 全身を襲う震えと喉の渇きに耐え兼ねてレモンちゃんは訴えた。 「不条理です」 リウー医師は無言のままうなづいた。 気をゆるめた瞬間死ぬってあんた自分で言ってたじゃないですか!と嘆いた読者は私だけではないはず。 いまリウー先生からありがたいお言葉が届きました。 「人類の救済なんて(略)大それたことは考えていません。 人間の健康ということが、僕の関心の対象なんです。 まず第一に健康です」 インフルエンザが流行っています。 とかも流行っています。 気をゆるめてはいけません。 手洗いうがいを励行しましょう。 まず第一に健康です(泣) denkilemon.

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感染症扱う小説や歴史書に注目 カミュ「ペスト」15万部増刷|好書好日

ペスト カミュ

フランスの作家、アルベール・カミュ(1913~60年)が1947年に発表した小説「ペスト」の売れ行きが好調だ。 文庫を発行する新潮社は2日、1万部の増刷を決めた。 伝染病で封鎖された街を舞台にした物語が、新型コロナウイルスの感染拡大と重ね合わせられているようだ。 ノーベル賞作家の代表作の一つである「ペスト」は、アルジェリアの都市で高い致死率のペストがはやり、死者が急増。 感染拡大を防ぐために街は封鎖され、孤立状態になる。 主人公の医師らが、ペストの猛威や人間性を脅かす不条理と闘う姿を描く。 同社によると、新潮文庫版は69年に刊行。 ロングセラーとして、毎月平均300冊ほど出荷されていた。 ところが、中国の武漢市が封鎖された1月下旬ごろから注文が急増。 ツイッターで「武漢はまるで『ペスト』のようだ」などの反応があった。 2月中旬に4千部を増刷し、さらに1万部の増刷を決めた。 同社の広報担当者は「タイミングからみて、新型コロナウイルスの影響としか思えない。 全く予想しておらず、ただ驚いている」という。 「ペストの脅威と闘う登場人物の姿と、今のコロナウイルスの感染が広がる状況を重ねているのではないか」と話した。 (宮田裕介).

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