滑落 遺体 写真。 山で遭難者の遺体を発見した経験を伝えたい(前半)

谷川岳宙吊り遺体収容

滑落 遺体 写真

こんにちは、寝袋!です。 私は、数年前、山で遭難者のご遺体を発見したことがあります。 「山は危険と隣り合わせの趣味」だと、頭ではわかっているつもりでしたが、実際に命が失われるのを見ることになろうとは。 それから私は、とても山が怖くなりました。 「山で命を落とす」 ということが、どこか遠くのことではなく、自分自身のすぐ近くにあることなんだと知ったからです。 今では、以前よりさらに慎重になったと思います。 そういう意味では、私にとってとても貴重な経験だったのです。 しばらくは、 「遭難者に対して失礼だから、外に向けて発信するべきではない」 と思ってきました。 しかし、 「もしかすると、こういう経験は、他の登山者とも共有するべき教訓なんじゃないか?」 と、思うようになりました。 たしかに他の登山者たちに、伝えたいことがあります。 そこで、当時の出来事のこと、それから私が考えたこと、を書いていきたいと思います。 生そば テントを片付けて、元気ハツラツ縦走を再開しました。 予定外のルート ここであまり詳しく書くと、ルートが特定されてしまい、遭難者の方の情報に行き着いてしまう恐れがあります。 場所についてはあいまいに書きますが、北海道の山に詳しい方にはわかってしまうでしょう。 この記事の本意ではないので、事故については調べないでいただきたいです。 本来歩こうと思っていたコースがあったんですが、ちょっと寄り道して行きたい場所を思いつきました。 そこで、出発してからルートを変えたのでした。 2時間ほど遠回りになりますが、たぶん目的地には十分時間があるでしょう。 雪原歩き 寄り道したかった場所を楽しんだあと、また歩き始めました。 たいして起伏もないルートで、その多くは雪原になっていました。 この雪原を渡って、再び登山ルートに復帰する予定です。 ザラザラに腐った雪で、とても歩きにくい雪原でした。 「スタミナ吸われるなあ」 などと嘆きながら、歩いていたと思います。 道中、誰にも会いません。 まだそんな季節じゃないのです。 残雪期 嘘だと言ってくれ! 小高く盛り上がって雪のない場所があって、そこはまるで、雪原の海の上の小島のようでした。 夏道も見えていて、ルート取りが間違っていないことが確認できました。 ちょうどいいので、そこで一度ザックを下ろし、休憩することにしたのです。 腰を掛けて、水を飲んだり行動食を食べたりしました。 10分ほど停滞していたと思います。 「さて、いくか」 と腰を上げ、ザックを背負い直しました。 そして、歩き出そうとしたその先、雪原の上に、何かがあるのを見つけたのでした。 最初は、 「え? ヒグマ?」 と思いました。 距離は10mほどで、真っ黒で1m前後に感じました。 不思議なことに、「物」ではなくて「者」だということは、直感でわかったのです。 怖い どう見ても、死んでいる、よな? 10mほどの距離がありましたが、近寄って確認する勇気がなく、一歩ずつソロリソロリと近づいていきました。 最終的に、5mほどには近寄った気がします。 「間違いない、最近の遭難ではない・・・」 体が膨らんでいるように見えました。 今、私がやるべきことは、何だ? 携帯電話は使えませんでした。 ここから人のいる登山口まで、走れば30~40分でしょう。 よし、走ろう。 そこで、まずはカメラで現場の撮影をしました。 もしかすると、今、自分は思い込みで、動揺していているのかもしれない。 写真に収めておけば、誰かが判断してくれるかもしれない。 そして、持っていたGPS端末で現在地のログを記録し、周囲の様子を確認しました。 場所はこれで見失わないだろう。 「今、ここでやれることはやったよな?」 とにかく全力疾走 もし、この遭難者に生命がないと判断したのなら、じつは走って下山する必要はなかったのかもしれません。 でも、走らずにはいられなかったのです。 柔らかくなった雪原の上を、足をとられながら必死に走りました。 どれだけ時間がかかったでしょう。 なんとか、登山口が見えるまでに近づきました。 ちょうど、これからの登山シーズンに向けて、コース整備している人がいたので、事情を説明しました。 「無線で登山口の施設に連絡しますから、そのまま行ってください!」 そこから登山口までは、5分ほどでしたが、縦走装備で走ってきて、もう息も絶え絶えで走れませんでした。 早歩きで登山口に到着すると、誰かが大声で叫んでいます。 「遭難者を発見した人は、あなたですかー?」 もう、声も出ず、うなづくのが精一杯でした。 報告 登山口で待っていた人は、じつは、 遭難者を探している捜索隊の1人でした。 「いや、捜索隊が出ているような、最近の遺体じゃないんだけど・・・?」 と、一瞬疑問に思いました。 しかし、とにかく聞かれるままに、自分が見てきた状況を説明しました。 その人は警察にも連絡してくれて、助かりました。 ああ、これで、とりあえず私の役目は終わった。 そう思ったのです。 しかし、この出来事はまだ終わらず、これから私は 「遭難事故の現実」というやつを、思い知ることになりました。 長くなりますので、後半に分けて書きます。

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台湾のビキニ登山家が滑落死【写真】

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Image copyright EPA Image caption ステック氏の遺体はネパールの首都カトマンズの病院に運ばれた(30日) 先月26日、ステック氏は自身のフェスブック・ページで「ベースキャンプから7000メートルまで上がってまた戻ってきた、急ぎ足の1日だった」と書いていた。 同氏は、高地で体を慣らすには活発に動くのが最も効果的だと考えていた。 ステック氏は2012年にエベレストの無酸素登頂に成功。 2015年には、62日間でアルプス山脈の標高4000メートル以上の82山全ての登頂に成功した。 ヒマラヤ山脈に出発する前の映像でステック氏は、「これまでで一番体力がある」と語り、身体的にも心理的にも準備万端だと語っていた。 エベレストの北側にあるホーンバイン・クーロワールを通ってローツェとエベレストに登頂するという大胆な計画についてステック氏は、「事故に遭ったり、あるいは命を失ったりすれば、もちろん成功ではないが、ほかのすべてのことはすでに成功している」と話した。 英国の登山家サー・クリス・ボニントンはステック氏死亡の報を受け、「史上最も偉大な登山家の一人だった」と哀悼の意を示した。 ボニントン氏はBBCに対して、ステック氏の登攀が急速だったから危険だったとは限らないと語った。 「命を落とすのは大方の場合、岩壁があったり雪崩の恐れがあるなど、客観的な危険がある時だ」 「危険にさらされる時間が長ければ長いほど、(岩や雪崩に)当たってしまう可能性も高まる。 一方で、非常に速く移動していれば危険にさらされる時間はずっと短くなる。 しかし、彼は間違いなく極限状態で登山していたし、そういう最高レベルの登山家の死亡率は非常に高い。 ヒマラヤでは特にそうだ」 別の英国人登山家、ケントン・クール氏はステック氏が「山だけでなくあらゆる局面で、さまざまな可能性を示してくれた」として、「本当に勇気を与えてくれた」と語った。 英国登山評議会は、ステック氏を「伝説的な登山家で、あらゆる面で素晴らしい人だった」と述べ、死を悼んだ。

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著名登山家ステック氏がエベレストで死亡 滑落か

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Image copyright EPA Image caption ステック氏の遺体はネパールの首都カトマンズの病院に運ばれた(30日) 先月26日、ステック氏は自身のフェスブック・ページで「ベースキャンプから7000メートルまで上がってまた戻ってきた、急ぎ足の1日だった」と書いていた。 同氏は、高地で体を慣らすには活発に動くのが最も効果的だと考えていた。 ステック氏は2012年にエベレストの無酸素登頂に成功。 2015年には、62日間でアルプス山脈の標高4000メートル以上の82山全ての登頂に成功した。 ヒマラヤ山脈に出発する前の映像でステック氏は、「これまでで一番体力がある」と語り、身体的にも心理的にも準備万端だと語っていた。 エベレストの北側にあるホーンバイン・クーロワールを通ってローツェとエベレストに登頂するという大胆な計画についてステック氏は、「事故に遭ったり、あるいは命を失ったりすれば、もちろん成功ではないが、ほかのすべてのことはすでに成功している」と話した。 英国の登山家サー・クリス・ボニントンはステック氏死亡の報を受け、「史上最も偉大な登山家の一人だった」と哀悼の意を示した。 ボニントン氏はBBCに対して、ステック氏の登攀が急速だったから危険だったとは限らないと語った。 「命を落とすのは大方の場合、岩壁があったり雪崩の恐れがあるなど、客観的な危険がある時だ」 「危険にさらされる時間が長ければ長いほど、(岩や雪崩に)当たってしまう可能性も高まる。 一方で、非常に速く移動していれば危険にさらされる時間はずっと短くなる。 しかし、彼は間違いなく極限状態で登山していたし、そういう最高レベルの登山家の死亡率は非常に高い。 ヒマラヤでは特にそうだ」 別の英国人登山家、ケントン・クール氏はステック氏が「山だけでなくあらゆる局面で、さまざまな可能性を示してくれた」として、「本当に勇気を与えてくれた」と語った。 英国登山評議会は、ステック氏を「伝説的な登山家で、あらゆる面で素晴らしい人だった」と述べ、死を悼んだ。

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