ミッドサマー 感想。 カルトホラー映画『ミッドサマー』感想・レビュー(一人称か三人称で楽しみ方が変わる映画)

アナタの狂気も明るみに…映画『ミッドサマー』ネタバレ感想&あらすじ

ミッドサマー 感想

ネタバレ! クリックして本文を読む ディレクターズカット版から鑑賞しました。 170分は一般的なものと比較すると長めだなと思いながら映画館に足を運びましたが、終始引き込まれていました。 単純に村の白い衣装と緑地の組み合わせが綺麗で、宗教の異様な雰囲気に緊張感は保たれたままでした。 しかし、監督も仰っていますがこれ失恋映画なんです。 ラストでダニーが浮かべた笑顔は新たな居場所を見つけたことと、他の女と浮気 ここでは儀式みたいな感じですが した彼氏にサヨナラした開放感から来るものではないでしょうか。 我々もホルガ村と同じ価値観を持てば純粋な恋愛映画になるのでは。 ホラー+恋愛という斬新な設定ですが宗教を挟むことで簡潔な作品に仕上がっているなーと感じました。 個人的には「ホステル」「ゲットアウト」「グリーンインフェルノ」って感じです。 お金や将来の不安、人間関係の問題なんかが多くある現代社会の中でストレスや規則に縛られて、生きているのであるが、田舎では自給自足で自然と共に、のんびりとした時間が流れていて、ストレスなんて感じないという考えから、田舎に移住したりする人は、日本でも海外でもいたりする。 一見、非の打ちどころのない楽園のような場所。 確かに都会や現代人の抱えるストレスは感じないかもしれないし、その中では、大した問題ではないと感じていまう。 しかし、村のしきたりや風習は、私たちの想像を超えたものであるが、一般的視点と村人たちの視点は違い、それを恐ろしいこと、異質であることとは思っていない。 村のことしかしらない人が都会に来て恐怖体験をするという逆パターンもあるが、このパターンはコメディになることが多い。 今作のコンセプト自体は、昔からある古典的な王道ホラーだと言える。 若者たちが訪れた場所が実はヤバい所だったというのは、『悪魔のいけにえ』『食人続』『サイレン』『犬鳴村』などなど…各国のホラーでよくある設定だ。 今回、何が恐ろしいかというと、殺人鬼がいたりするわけではなく、村の風習に知らないうちに参加させられてしまうという、悪意のない恐怖が連発するということ。 それは村人にとっては、普通のことであため、何をされても、その村内では、人格的に異常者ではないのだ。 私たちの常識は、国が違えば通用しないことなんて、よくあるし、また他国の中でも限られた場所の村となったら、想像しきれない風習があってもおかしいことでも何でもないのだ。 世界のおかしな風習を疑似体験するという点では、ヤコペッティにも通じている作品だと思う。 アリ・アスターのド変態的世界観であるから、更に次に何が起こるかわからないという、恐怖なのか緊張感なのか、実はワクワク感なのか…なんだかわからない期待を自分自身がしてしまっていることに映画を観ていれば気づくだろう。 アリ・アスターという監督は、インテリのような人だが、実はそういう人こそド変態だったりするという象徴のような人物像である。 映画制作という点でも、いくらスウェーデンがかつて行っていたといわれるものを題材としているといても、基本的には完全オリジナルな民族の風習を描いているため、自由度が高いことからも、「とにかくお花を散りばめてみたら…」とか「飲み物に何かよくわからない草でも入れてみたら…」と楽しさが伝わってくるのだ。 今作を体感するという意味でも、ネタバレしないで観た方が絶対いいと思う。 次に何が起こるかを知りたいという欲求をもったまま観た方が今作は楽しめるに違いない。 ヒロインのダニーは、両親と妹の死で日々、不安感に襲われ取り乱すこともある。 気分を変えるべく訪れた村でも不安感は増すばかり…しかし、異質である儀式や風習がダニーにとっては、今までの負の連鎖が浄化されている様にも感じられる。 結果的に何か嫌なこっとがあったら田舎や自然あふれる場所に行こう! という考え方は、今作のダニーにとっては正解だったのかもしれない。 負の連鎖が浄化されたダニーの表情は、純粋そのものと思えるほどフローレンス・ピューが幼く感じられる。 あの表情は、なかなか出来るものではないと思う。 結論として面白かったのかどうかは分からないが、約3時間のこの映画をまったく飽きずに最後まで見ることが出来たのは良かったとまずは言いたい。 しかしながら私は普段ホラー映画を見ないからか、この映画が何を表現しているものなのかよく分からないまま最後まで見ました。 通常版 ? は見ずにこのディレクターズカット版だけを見ました。 双方の視点を考えればおかしなことは特になく、ストーリーも当たり障りなく、ちょっとグロさがあるかなぁという感じのなんとなく不思議な感じの映画。 特に新しさも感じませんでした。 主題が分からない理由としては、グロテスクな怖さを必要としている映画 なのだろうと推測 なのに、演出にそれを効果的にするものが無かったというものがあります。 ミッドサマーというのはこれが夏の出来事ということなのかそれともあのみんなて寝る部屋の事なのか何だか分かりませんが、みんなが半袖を着ているのは夏だからなのだろうと思います。 だがそうした季節感もなく 要するに体感する温度の表現がない 臭いも味も表現されていない。 死体の腐敗、死臭、体臭、料理の味や香りなど、あと眠れない事による体調の悪化なども含め体感で感じることをほぼ表現していない。 視覚のみの効果を狙っているかのようです。 あの道路、そして集落の入り口を示す標識から向こうはこの世とは違う世界であって感覚もこの世とは違うということなのだろうか。 何なのかよく分からないけれど、とにかくホラー映画とはなにかにつけて中途半端だなと思わざるを得ない。 ただあのホルガの風景というか明るい世界は綺麗で良かったと思う ネタバレ! クリックして本文を読む 最近も2時間越えの映画を見たけど、眠りこそしないものの途中で我に帰っていま何分ぐらい時間経ったかなーとか、飲み物飲んだり尻の位置を直したり集中は何度も途切れた。 だけどなぜかこの映画は3時間という長時間、ほぼ飽きさせることなく鑑賞できたんだな。 全然ハッピーになる要素がなくて、中盤からどんどん人が減っていって、この登場人物たちの行く末から目が離せないというのかな、好奇心は身を滅ぼすってやつで、多分自分がこの世界にいたら真っ先に消えるタイプ。 設定のアラは多々あるんだけど、どっかでこの映画はそもそも主人公の妄想の中で、癒しの過程を描いたなんて考察も見たので、なんだ、それだったら残酷な殺され方をした人はいなかったんだね…と安心できるw 結構な客入りなもんだから、知らずに見にきちゃって言葉を失っている人たちに「ご愁傷様」という言葉を贈ります。 通常盤を観賞後にこちらも鑑賞。 全体的には、人物の人間性や心情が分かる描写が通常版よりも多くわかりやすい印象。 通常盤を観たあとだからというのも多少あるとは思うが・・・ 特にクリスチャンの人物像はこちらの方がかなりわかりやすく、ダニーとの関係性や、ストーリー全体を理解する上ではよかったかなと思う。 これは、好みの問題ではあると思うが、あえて細かな描写をカットされていることで見る側の想像力で楽しむか、わかりやすい描写で、ストーリーが理解しやすいほうが良いのか。 個人的に、ミッドサマーにおいては後者のディレクターズカット版の方が好きだった。 ちなみに視覚的な派手さはそこまで変わらなかったかなと思う。 ネタバレ! クリックして本文を読む 先に公開された通常版は未鑑賞。 時間の都合でこちらを選ぶことに。 時として、自然の法則を理解する努力よりも、その予測不能な驚異をできるだけ都合良く迎えたいという人類の欲と傲慢さが、目に見えない権威を創り出し、讃える見返りに希望を叶えようと数々の儀式を生んで来ました。 思うように願いが聞き入れられないと感じる度に、その残酷さは増すのでしょうか。 この共同体が90年ぶりに行うという儀式は、一見明るく楽しそうな慶事のようで、実は…という内容。 その狙った意外性はそこまで意外という感じはなく、まぁそうなんだろうなと想像がつくものでした。 女王にも 生贄選定以外の 何か残酷な役目が待ち受けているように感じてならなかったからです。 予め年齢で区切られた人生を送る決まりも、全ては共同体の新陳代謝のため。 「家族」が、一緒に踊り、一緒に嘆き、一緒に痛みを分かち合う運命共同体だとすれば、実の家族を失ったばかりのDaniが、全くの新天地で別の「家族」に迎えられたと考えられ、彼女にとっては再生の物語となり、新たな門出に微笑んでいるようにも思えました。 いくら同情を示しても、誰かの心の痛みを代わりに背負うことはできない。 こういった要素は次作にも引き継がれるのでしょうかね。 日焼けしそうなくらいずっと天気が良かったからかな。 ディレクターズカットとオリジナル版が別々になってるようだったので、オリジナル版の感想と同じものを転載します。 なおディレクターズカットをみるくらいならネタバレ気にしないはずなので警告も外してあります。 未見の方はここで読むのをやめることをおすすめします。 ミッドサマーの評判の良さは、単に民俗学的な知識 いや知識ですらない。 単に聞いたことあるかどうか がない人たちの間でワーワー盛り上がってるだけのようだ。 5ちゃんの感想みてると頭クラクラしてくる。 共同体に外部から人が招かれて歓待される、民俗学でいうところのまれびと信仰、およびまれびと殺しについての映画。 5ちゃんに感想、疑問として「なんでよそ者が女王になるんだ?」などと書かれている。 なるほどこういう人たちが見て面白がってるのね。 民俗学的にはむしろ逆です。 女王という地位は妬みを生む。 共同体の中での争いや対立をなくすためには外部の人間こそふさわしい。 女王はまれびとたるヒロインでなければならない。 生贄みたいなもんです。 「外部から来た人に統治できるはずない」だろって? そもそも統治させません。 祀るだけです。 用が無くなったら殺します。 祭りの期間が終わるか、子どもを産ませるか、共同体にとって利用価値がなくなったら、それこそ生贄かなんかにして。 民俗学知らなくてもこのことを推測させる描写があります 当方ディレクターズカット版のみ鑑賞。 若者が泊まる宿舎に歴代の女王の写真が飾られてます。 あれ何枚ありましたか。 パッと見で10以上はあったとおもいます。 写真が発明されたのはせいぜい150年前かそこらです。 あの村では72年で死ぬことが決まってるとして、女王はかなり早いサイクルで交代させられてることになりませんか。 写真や肖像画が多すぎる。 そもそもいつ、どういう基準で女王を降ろされるのか、直前の女王の姿を誰か見ましたか? またいつから女王の写真や肖像画を飾りだしたのか。 何の根拠も示されない。 90年に一度の祀りであるとか、村の側から提供される情報は基本的に疑ってかかるべき。 ちなみに村の女と彼氏がセックスさせられるのも「客人婚」といって民俗学でも珍しくないならわしです。 血が濃くなることを避けるために旅人の子を産み、村の子として育てます。 父親はいりません。 これは映画の方にはありませんが、昔の祭りで夜になると顔を隠してセックスしてわざと普段のパートナーとは違う人と交わったり、となり村の女をさらって嫁にするなど色々な方法でそれがなされていました。 古代の村落や原始宗教の価値観をいまの目でみると残酷なものであるという点はそのとおりだなとおもいますが、わざわざこの映画で確認する必要は自分にはないので。 ネタバレ! クリックして本文を読む 勿論、監督や制作現場に携るスタッフ、そして演者にしてみたら撮影されたカットは何一つ落とさずに利用して繫げて欲しいというのが願いであろう。 しかし冗長はしばしば観客に飽きと集中力の低下を招く。 そしてそれが直接的に評価へと繋がる。 生放送のテレビドラマは以前はたまに放映されていたが、あくまでもシチュエーションドラマの枠内だ。 ノーカットのワンショット撮影 風 の作品も注目され、それはそれでスペクタクル性がとんでワクワク感が増す演出だ。 ただ、その大半は綿密に構築された撮影プロットや脚本の積み重ねにより、整理整頓された形で観客に提供される。 勿論、映像作品全てには当てはまらないが一般論としてだ。 とはいえ、フィルムからデジタル媒体へと記録先が劇的に変化した現代は、その真剣さも薄れつつあるのも事実であろう事は承知している。 前段こそ冗長で申し訳ないが、その葛藤に於いて、監督は自身の思い描く表現を余すところ無く披露したい欲求にブレーキを掛けなければならない。 難産の末に生まれた映像カットをだ。 今作のアリ・アスター監督も苦悩を吐露していたようである。 そして、その監督が完全版と自信をもって上映されたのが、今作のディレクターズ・カットである。 正式版では伝えきれない、本来存在する細かな加筆部分も数箇所あるが、何回も鑑賞していないのでどの部分がその場所なのかは、ネット上の考察まとめで確認するという、本末転倒的な行為に恥ずかしさを感じているが、それでも直ぐに気付いたシーンがある。 コミューン内の少年が生贄の為、体中に錘を付け洞窟内?それとも希少な夜時間?の池の中に投下される件だ。 そのジェットコースター的感情の起伏を喰らい続ける観光グループ達の不安、不信、安堵、そしてこの世界での寄る辺の無さという無常観に、一気にたたき落とされるのだ。 このシーンの重要性は、観客それぞれが感じ取るものであろう。 カットされても確かに直接的なストーリーの齟齬はない。 但し、感情のメーターの往復数が違うだけで、以降のシーン又はシークエンスへの布石がどれだけ違うか、強力な楔という意味合いを改めて考えさせられた大事なシーンであると自分は強く感じる。

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【ネタバレ】「ミッドサマー」あらすじ・感想・考察。内容を読み解く6つのポイントを解説!【地獄みたいな映画】

ミッドサマー 感想

あらすじ ・長編デビュー作「ヘレディタリー 継承」が高い評価を集めたアリ・アスター監督の第2作。 不慮の事故により家族を失ったダニーは、大学で民俗学を研究する恋人や友人たち5人でスウェーデンを訪れた。 彼らの目的は奥地の村で開催される「90年に一度の祝祭」への参加だった。 太陽が沈むことがないその村は、美しい花々が咲き誇り、やさしい住人たちが陽気に歌い踊る、楽園としか形容できない幸福な場のように思えた。 しかし、そんな幸せな雰囲気に満ちた村に不穏な空気が漂い始め、妄想やトラウマ、不安、そして恐怖により、ダニーの心は次第にかき乱されていく。 ダニー役を「ファイティング・ファミリー」のフローレンス・ピューが演じるほか、「トランスフォーマー ロストエイジ」のジャック・レイナー、「パターソン」のウィリアム・ジャクソン・ハーパー、「レヴェナント 蘇えりし者」のウィル・ポールターらが顔をそろえる。 これはホラーか、芸術か?ジャンル映画の可能性を拡張した大傑作 まずは率直な感想を。 前作「ヘレディタリー継承」で現代ホラーの頂点とまで言わしめたアリ・アスター監督。 子供の頃、「リング」に怯えて未だにトラウマを持っている自分に、新たなトラウマを植え付けたのが今作。 「ヘレディタリー」では王道な悪魔払いホラーを撮っているように見えて、家族という逃れられない呪い、という世界中誰にも共通する恐怖を伝搬させた。 まだこちらの方が、分かりやすくホラー映画として見ることができただろう。 印象的な音の使い方もあって、映画ファン界隈では大きく盛り上がった。 ・・「コッ」 しかし今作はホラー映画を撮った監督とは思えないほど画面が明るく、 美しい花が画面を彩り、まさしく「異彩」を放つ作品が、今作「ミッドサマー」である。 物語的には、調子に乗ったアメリカの大学生が旅行先で痛い目に逢う、一種のジャンル映画のようにも見える。 もっと限定的に言うと、今作はまるでイーライ・ロス監督が得意とするようなプロットの作品にも見える。 監督自身が影響を受けたかどうかは分からないが、今作は非常に「イーライ・ロス」的な作品だと感じた。 しかし今作はイーライ・ロスのようなジャンル映画的な方向には舵を取らず、「サスペリア リメイク 」のような、分かりやすい答えを用意しないアート映画のようにも感じることができる。 宗教的なメタファーも多く含まれている部分からも、ミッドサマーはサスペリア リメイク と近い部分が多いと思う。 まとめると、イーライ・ロス的なジャンル映画のプロットを踏襲しつつも、作品が伝えたいメッセージや結末は分かりやすく伝えておらず考察のしがいがある、ジャンル映画とアート映画のバランスが非常に見事な作品だったと率直に思う。 ただ、ジャンル映画といっても今作は実に異彩を放つ映像が用意されており、ホラー映画とは思えないほどの美しい絵作り、謎解きの要素、複合的な宗教暗喩が含まれており、新たなジャンル映画の拡張が今作で達成されている。 ただ怖いだけじゃない、分かりやすくいえば深〜い内容が、鑑賞後も観客を引き付けるのだろう。 グロさの中にも旨みあり ネタバレはできないが、美しい絵作りとは全く対照的な地獄絵図が待ち受けているのが今作の特徴だろう。 それだけでも十分、価値はある作品だ。 ネタバレはできないが、普通はカットするような凄惨なシーンをじっくり見せてくれるのだから。 テレビはもちろん、並の映画じゃ絶対に見られないグロが満載である。 絶句に次ぐ絶句が、この一本に包まれている。 しかし、今作は残虐描写を目的化しているわけではない。 今作の残虐描写は、ホルガ の民に古くから伝わる儀式の恐ろしさと説得力を与えている。 また、キャラクターが見聞きしたものを直接画面に見せることで、キャラが感じる恐怖を追体験・共感できるのも魅力だ。 絶対にここから逃れられない恐怖を与えるためにも、見せしめのためにも残虐描写は必要だった。 なぜここまで激しい肉体損壊をあえて見せるのか、なぜこうも簡単に人間が破壊されるのか。 一体、監督はどんな性格なのか・・? と怖がる人もいるかもしれないが、本人は優しく穏やかな人柄のようだ(インタビューの音声や動画を見聞きする限り) 豆情報だが、アリ・アスター監督は「心気症」を患っており、死の恐怖が常につきまとっていたという。 逆に、人間が健康で問題なく生きていることが「奇跡」と捉えているそうだ。 キャラクターたちが無残に殺されて、肉体が壊れていくのは、監督にとってはごく当たり前な出来事として捉えている可能性がある。 それほど、人間が生きていること自体に不思議を感じている人なのだ。 そして、「アフター6ジャンクション」の監督インタビューにて、 「肉体は、無条件でいつか僕たちを裏切る」と話しているところからも、死や肉体損壊については確固たる思想を持ち合わせている。 残虐描写が作り手の実生活や思想に直結している作品も、なかなかないだろう。 本当に恐怖を感じているからこそ、あれだけ激しい肉体損壊が描写できるのだ。 ちなみに、ホルガに向かう途中、ウィル・ポールターは異様にダニを怖がったり、ライム病のくだりを話していたが、あれは監督自身の虫や病原菌に対する恐怖を反映したものらしい。 監督は撮影中、靴下を二重で履き、虫に刺されることを非常に警戒したという。。 考察:なぜ花が多用されたのか? 今作で使用されるガジェットとして、非常に印象的なのが色とりどりの「花」 美しい花がなぜ、ホラー映画とも取れる今作に多用されているのだろうか。 花はお祝いの時に使用され、今作の祝祭を表すにはピッタリなガジェットであるが、単に祝いを表すためだったのか? それ以外にも、花を多用した理由はあると思う。 一つは、女性を強調するために使われていると感じる。 アリ・アスター監督は「ヘレディタリー」でも、女性の方が超能力を持ち、災いを受けるように設計されている。 男性はただ、女性に降りかかる災難を傍観しているしかない。 また、花と女性は親和性があり、花を画面に含ませることで女性が中心の物語のように誘導することもできる。 二つ目は、ホルガに住む人間と花との関係性を見せるために、用いられたのだと感じる。 主人公たちが住んでいる街では巡り会えないような多種多様な花を見せることで、彼女らが日常的には出会えない、異世界的な世界観を花で構築している。 花をはじめとした自然は、ホルガに住む人間の代替物とも捉えることもできる。 この文脈を踏まえると、クイーンに選ばれたダニーは花で埋め尽くされ華やかに見えるが、彼女の顔は沈んでいる。 ダニーの体に花=ホルガの人間がまとわりつき、完全に拘束された状態であることを暗喩しているように見えて、仕方がないシーンでもある。 彼女はホルガから絶対に逃れられないことを示している。 ダニーの足元が木の枝に変わっているように見えたシーンも、ダニーが徐々にホルガに侵食されていることを暗示しており、これがラストシーンへつながる伏線だったのだと気づく。 直接的なセリフでは説明されないが、今作は多種多用な花の使い方が行われている。 分かりやすいのが 「祝祭」を伝えるための花の活用。 色とりどりの花で村を飾り、主人公たちを歓迎するという好意的な性格も持ち合わせいる。 また、ホルガに着くまでに一休憩する場面では、主人公たちが幻覚キノコを使ってトリップする。 主人公たちを文字通り 異国に「トリップ」させる効果もあった。 そして、きわめつけは 花を使って主人公たちに危害を加えるシーン。 ホルガの住民は、花によって幻覚効果を加えたり、精神異常をきたしたり、花を使って主人公たちを蝕んでいく。 ダニーの彼氏が喋れなくなるのも、視界がぼやけたり歪んだりするのも、全ては花の毒によって引き起こされている。 ただ、花の鱗粉は細かすぎて画面には見えず、まるでホルガの住民が魔法を使っているような印象を観客に与えられているのが、素晴らしい演出だと思う。 手をパン!と叩くだけでダニーの彼氏が意識朦朧とするのも、花の毒が起こしたものだろう。 普通のホラー映画なら銃や刃物が主人公たちに危害を加えるガジェットになる。 しかし、ホルガの住民は決して銃や刃物を人に向けない。 花を殺戮のガジェットとして使用したホラー映画は、そうそう観れるものではない。 考察:なぜ「9」ばかり出てくるのか? 今作で印象的に使われている数字の「9」 IMDbに「9」に関する考察が行われていたので、紹介すると・・ ・ホルガの祝祭は「9」日間続く ・「9」人の生贄が選ばれる ・ホルガのライフサイクルは18・36・54・そして72であるが、全て「9」の段のかけ算で構成される数字である。 この9の多用には、スウェーデンに浸透している 北欧神話が関係している。 北欧神話では「9」つの世界が存在し、オーディンは「9」日「9」夜、グーングニルに突き刺されていたという。 北欧神話にとって「9」は重要で、ホルガの信仰は土着的に見えて、北欧神話がベースになっているのだ。 ホラー映画なら「6」、キリスト教なら「7」など、映画と数字の関係は切っても切れないが、これほどまでに「9」を徹底して強調する映画も珍しいように感じる。 生まれ変わりを信じるからこそ、ホルガの人たちは心おきなく高所から飛び降りられるし、命を投げ出すことを厭わない。 本来であれば輪廻転生は仏教の考え方でありスウェーデンでは根付かない宗教思想であるが、ホルガという仮想の世界観だからこそ、複合的な宗教的価値観が見られる。 ここが映画の面白いところだ。 三位一体は、神様は「父なる神」、「子なるキリスト」、「精霊」の三つの形となって現れ、この3つが一体となって神となっている考え方である。 wikipedia 三位一体 ホルガの住民、「精霊」という言葉を使っていることからも、ホルガの儀式は 精霊を呼び出すものであり、そのために9人の生贄を捧げる仕組みになっているのではないかと感じる。 まとめると、ホルガが儀式で何をしたいのか、映画では詳しく説明されないが、紐解いてみると北欧神話やキリスト教など、実在する神話や宗教をベースにしていることがよく分かる。 それにしても、アメリカ人のアリ・アスター監督が輪廻転生という仏教的考えを取り入れたのが、とても意外性があって面白い。 その他小ネタ ホルガの住民が高いところから飛び降りるシーンや、主人公たちが他文化を受け入れられない様子は1947年の「黒水仙」を思い出す。 今作と同じく、現世とは隔離された空間、土着信仰による生贄や白装束、女性の夜這いなど、現代文明から取り残された人間たちを狂気的に描いている。 「ウィッカーマン」 1973 鑑賞! 白装束、花冠、女性の夜這い文化など、ミッドサマーと共通点が多数! ただ、こっちはキリスト教とドロイド教の比較がメインで、セリフからも宗教対立が明らか。 ウィッカーマンはキリスト教=現代文明とドルイド教=キリスト教以前の民族宗教との対比が明確であり、ミッドサマーのホルガが提示しているような複合的な宗教ではない。 ドルイド教はキリスト教以前にケルト人の間で信仰されていた民族宗教であり、ハロウィンやクリスマスの木など、現代キリスト教文化の元となっている宗教である。 ドルイド教はキリスト教の進出によって信仰が阻まれ、時には異教徒として魔女裁判など火あぶりにかけられることもあった。 ウィッカーマンのラストで キリスト教信者の警官が木人の中で火あぶりにされるが、これはドルイド教の儀式でもあり、キリスト教が行ってきた異教徒に対する火あぶりのカウンターにもなっている。 ドルイド教がキリスト教に復讐するようにも見えるラストであり、ドルイド教とキリスト教の二項対立がウィッカーマンである。 一方ミッドサマーは、特定の宗教に固定せず、北欧神話やその他宗教を交えて、ホルガ独自の架空の信仰を作り上げている点で斬新なのだ。 ただし、ウィッカーマンと全く関係がないかといえば、そうではない。 ラストシーンに9人の生贄を 火あぶりにするが、その中にダニーの彼氏が含まれている。 ダニーの彼氏の名前は 「クリスチャン」。 これはただの偶然じゃないだろう。 ダニーの彼氏を「クリスチャン」とすることで、ウィッカーマンにオマージュを捧げるだけでなく、今作はキリスト教という現代宗教・文明を真っ向から否定し、存在自体を消すことにも繋がっている。 そして、キリスト教を現在の時勢と捉えるならば、これを消去することでダニーが現在進行形で苦しんでいる両親・妹の死のトラウマを燃やし尽くしているようにも感じる。 さらに、 輪廻転生など死に対して肯定的な考えを持つホルガの考えを受け入れることで、ダニーは救われ、ラストは微笑んでいる。 アメリカ国内ではキリスト教が主流であり、生きづらさを感じていたダニーにとっては、これほどの救済はなかったのだろう。 彼女を救済するためにも、彼氏の名前はクリスチャンでなければいけなかった。 一見するとウィッカーマンと共通する点も感じられるが、きちんと女性の救済というテーマに向けて映画が作られている。 ちなみに、アリ・アスター監督は今作の製作が決定する前に恋人と別れており、恋人に起きた出来事や自身との経験を交えているとインタビューで語っている。 26追記 なぜ真っ白な光、白装束が必要だったのか? 今作で印象的だった なんか、各章でこんなくだりを言ってる気が.. のは、光の使い方。 光がまばゆく、ホラー映画には似つかない光。 個人的には、まばゆい 光はロングショットの多用と密接に結びついていると感じる。 ロングショットとは広角レンズを使って広い風景を撮るようなカットで、今作ではホルガ村に着いた途端、ロングショットが多用される。 ロングショットとは通常、広い世界を撮るために使われる。 街の風景だったり、自然だったり、そこがどんな環境かを表すために使われる。 ロングショットにも明確な被写体がいる。 しかし、今作はまばゆい光によって、コントラスト 光の明暗 が極端になくなってしまう。 雄大な自然が写っているのは分かる。 しかし、まばゆい光でどこか異世界のような雰囲気がある。 そんな異世界の背景に、白装束の村人が踊っている。。 白い背景・白い人・・・画面は極めて白っぽくなる。 背景とキャラの輪郭が曖昧になる。 この絵作りこそが異世界感を醸し出し、まるで今何を見てるか分からない感覚を観客に与えている。 極めて白く、そして輪郭が曖昧だからこそ、おとぎ話のようで。 でも実は凄惨なことが起こっていて。。 この絵と物語の対照的な関係こそが、今作の最大限の魅力と言っていい。 こちらはホラーではないが、今作と同様に絵と物語が対照的な関係になっている映画。 まとめ ホラーというジャンル映画に囚われず、アート映画としても十分過ぎるほどの輝きを放った本作。 新たなホラー映画の形を提示したとともに、監督の作家性を存分に発揮できたのも素晴らしい。 普段見ているホラー映画では絶対に味わえない要素が、この映画にはある。 ただグロいから、怖いからでは済まされず、後を引くのが今作の最たる魅力だろう。 何より、ここまで考察しがいのある映画に出会えたのも久しい。 普通の人とは「違った映画の見方」をすることで、「ここだけの」映画批評を記事にしています。 どんな映画にも必ず良い点はあり、積極的にフィーチャします。 それが正しい「映画の見方」だと思うからです。 ・記事タイトルに自分の着眼点を書いています。 ・映画の分析のために、独自に画像を作成しています。 ここが他の映画評論サイトとは違うポイントです。 出典さえ明記してくれれば転載OKです。 com アットを に変えてください.

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アナタの狂気も明るみに…映画『ミッドサマー』ネタバレ感想&あらすじ

ミッドサマー 感想

映画『ミッドサマー』のあらすじとネタバレ 参考:製作会社A24のツイッター Try and get some rest 🌻 — A24 A24 ダニとクリスチャンのカップルは長く交際していますが破局寸前。 しかしある日ダニの妹が両親を殺した後に自殺する事件が起こり、クリスチャンは別れを告げることを止まります。 クリスチャンは夏、友人のマーク、ジョシュ、ペレとスウェーデンの田舎町ハルガを訪れる予定でした。 クリスチャンとジョシュが文化人類学専攻のこともあり、ペレが彼らを「自分の故郷で90年に一度しか開催されない夏至祭が開催されるから来てはどうか」と誘ったのです。 内緒で旅行を決めていたクリスチャンはダニに責められ、彼女も連れて行くことにしました。 ハルガに着いた一行は彼らと同様夏至祭を見に行くカップルのコニーとサイモン、ペレの妹マヤや村の人々と出会います。 住人たちは皆白い衣服を見に纏い踊ったり駆け回ったりなんとも牧歌的。 2日目、しきたりに従って村人全員と共に食事をするダニ一行。 誕生日席には青い衣服を着たおじいさんとおばあさんが座っています。 食事が終わるとおじいさんとおばあさんは神輿のようなものに乗せられて、村の高い岩場へ連れて行かれました。 昼寝のため宿舎へ戻ったマークを除き、ダニ、クリスチャン、ジョシュはペレら村の人たちと何が起こるのか見に行きます。 おじいさんとおばあさんは手のひらを切りつけて血を岩版にこすりつけ、そのまま下に飛び降りて死にました。 あまりにショックな出来事に呆然とするダニたち。 人は皆生命の輪の中で生きており、72歳で自死を選ぶのは村のしきたりだと説明されます。 ダニは両親の死を思い出し帰ることを思い立ちますが、ペレに説得され止まりました。 3日目。 昨日の事件を見て村を出ることを決めたコニーとサイモンですが、サイモンの姿が見当たりません。 村人たちはサイモンが先に駅に向かったと言いますが、コニーは彼がそんなことをする訳がないと答えます。 クリスチャンは、ジョシュが論文のテーマに既に選んでいるこの村のことを自分も書きたいと言い出し、二人は喧嘩に。 仲裁したペレは、村の長老たちに論文に書いていいか尋ねると言います。 ジョシュはとある建物の中で近親相姦によって生まれたルーベンという名前の奇形児が作った、ルーン語で書かれた預言書を見せてもらいます。 ジョシュは写真を撮っていいか尋ねますが、もちろん断られてしまいました。 一方マークは、昨日亡くなったおじいさんとおばあさんの灰が埋葬された古木に放尿し、村の人々に怒られます。 そのあと前々から彼に目配せをしていた女性にどこかへ連れて行かれてしまいます。 その夜、ジョシュはこっそり預言書を撮影しようとしていました。 しかし背後から殺されたマークの皮を被った裸の男が忍び寄り、ジョシュも殺されてしまいます。 ダニはハイになる飲み物を飲まされ、村の女性たちと共に、その年のメイクイーンを決める大会に参加します。 メイポールの周りをぐるぐると回り、最後まで立っていた女性がメイクイーンとなるのです。 踊っている途中に飲み物の影響か、スウェーデン語を話せるようになるダニ。 彼女は最後まで踊り続け、メイクイーンに選ばれます。 その頃クリスチャンは村人からペレの妹、マヤとセックスをして欲しいと頼まれていました。 狭い村はこうして外部の血を時折受け入れているのです。 ドラッグを飲まされクリスチャンが連れて行かれた部屋には、裸のマヤと様々な年齢の女性たちが。 マヤが喘ぐと女性たちも真似をする異様な光景が繰り広げられます。 その頃、五穀豊穣の祈りが終わったダニは、クリスチャンのことが気になり、建物を覗いて情事を知ってしまいます。 ダニが泣き叫ぶと女性たちも真似をするのでした。 ことが終わって部屋から逃げ出したクリスチャンは、慌てて入った鶏小屋でサイモンの死体を目撃します。 そこで長老たちに見つかり、気絶させられてしまいました。 クリスチャンは「あなたは喋れないし動けない、けれど大丈夫よ」という声で目を覚まします。 壇上には鮮やかな花で覆われたダニの姿が。 村人は悪を一掃するために9人の生贄を捧げることを宣言します。 最初の4人の犠牲者はジョシュ、マーク、コニー、サイモン。 残りの4人は長老2人、ペレの従兄弟、もう1人の村人。 最後の犠牲者としてダニはクリスチャンを選びます。 そしてペレを新しい預言者として讃えます。 まだ麻痺したままのクリスチャンは解体した熊の体の中に入れられ、他の生贄たちと共に黄色いピラミッドの形をした寺院に連れて行かれました。 火がつけられあっという間に燃えていく寺院。 儀式を祝うため村人たちは泣き叫ぶ演技をし始めます。 呆然と眺めていたダニでしたが、いつしか顔には笑みが浮かんでいました。 グロテスクな描写もかなりのもので、身を投げるおじいさんおばあさんの潰れた顔が大写しになったり、ジョシュやマークの惨殺死体であったり、最後の火あぶりなど目を覆いたくなるシーンも多数。 しかし本作の 本当に恐ろしいポイントはトラウマや死を思い起こさせ、ダニと一緒に観客を巻き込んでパニックに陥らせる様な心理描写です。 スウェーデンに行くことを知らされて責める時、破局の危機にあることを知っている彼の友人たちと会う時の気まずい状況…。 冒頭から一気に暗澹たる空気が立ち込め、そして問題の村ハルガへ。 夏至祭の会場へたどり着く前に一行は休憩しドラッグを試すのですが、ダニのバッド・トリップの描写も陰鬱なものです。 トラウマが脳を支配し、皆が自分を笑っているような強迫観念にかられる。 加えて舞台は夏至祭、一日中太陽が照りつけ、夜の闇に隠れることも許しません。 惨たらしいことも恐ろしいことも何もかもが曝け出されて、直面しなければいけないのです。 スウェーデン出身の映画監督、 イングマール・ベルイマンの作品『叫びとささやき』 1972 の系譜を引く美しくも恐ろしい不穏、叫び声と沈黙のコントラスト。 画面の外で起こっている出来事と自らの心の不安定さがますます揺さぶりをかけ追い詰める。 ですから、心身疲れている時の鑑賞は決しておすすめできません。 「どこにも逃げ場はない」「何もかも明らかにされる」「一番恐れていることと対峙しなければならない」そう思わせる力を持ったホラー映画となっています。 しかし彼女はラストシーンにて、生贄となり燃え盛る友人たちの死体やボーイフレンドのクリスチャンを見てにんまりと微笑んでみせます。 なぜ彼女は満ち足りたようなあの笑みを浮かべたのか。 ダニという女性はハルガの村全体と大きく呼応しています。 実は映画の序盤から、後々にダニやクリスチャンたちが訪れることになるハルガの街の符号となるシンボルが多々登場しているのです。 ダニの部屋に飾ってあるのは大きなクマと小さな女の子が何とも印象的な絵で、これは童話集や神話、民話、タロットカードなどの挿絵を多く手がけたスウェーデンの画家ヨン・バウエルによる作品。 白い衣服で軽やかに舞い踊る乙女たちが同じく登場する『ピクニック at ハンギング・ロック』 1975 やロマン・ポランスキー監督作品『テス』 1979 を想起させる、ホラー映画とは思えないほどファンタジックで可愛らしいビジュアルを持つ『Midsommar』は、この ヨン・バウエル作品の登場によって一層おとぎ話めいたものに昇華されます。 外は雪が降っていますがダニの部屋は植物が至る所に置かれていて対照的です。 村の入り口にたどり着き、ドラッグでトリップした時には植物が自分の手から生え、木々が人間のように脈打つ幻覚を見ます。 植物だけではありません。 メイクイーンを決める踊りの最中、隣の女性とスウェーデン語で突然会話できるようになります。 そしてダニが悲しみと怒りで泣き叫べば周囲の女性たちも彼女にならい、感情を高ぶらせて爆発させる行為を共にするのです。 そして最後、クリスチャンとの完璧な別れを決意したダニの思いを代行するかのように、村人たちは文字どおり彼自体を燃やし尽くしてくれます。 おとぎ話の王女のように、喪失や悲しみを乗り越えて本当の家族、本当の居場所を見つけることができるのです。 それが夏至祭で文字どおり、何もかも白日の下に晒されたことにより 衝撃的な形ですが 過去となってしまった恋から脱出することができたのです。 ダニの 最後の笑みは恐ろしくも、全編の中で最も爽快感あるワンシーンです。 トラウマや抑圧からの解放を描きながら、 カップルの破局話を民俗ホラーとして仕立て上げたアリ・アスター監督の手腕を堪能できる『Midsommar』。 疲労や不安に襲われること間違いなし、それでも思わず笑ってしまうこと間違いなし…。 その美しい牧歌的な風景と凄惨な絵面が脳裏を蝕んでやまない、 『Midsommar』は新たなホラー映画の名作として語られるに違いありません。 『Midsommar』は 日本では邦題『ミッドサマー』として、2020年2月に公開予定です。

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