桜 蔭 戦記。 ふつう女子が桜蔭&東大に!武藤千明さんインタビュー|インターエデュ・ドットコム

日能研で桜蔭、女子学院、豊島岡(中学受験までのブログ)

桜 蔭 戦記

概要 [ ] (13年)、(現:)の同窓会「櫻 蔭会」により設立。 国立女子校の卒業生の力で設立としては国内で初であり、女子にも価値を高めるべく、「礼と学びの心」を創立の精神として、桜蔭会の寄付と手で設立された中等教育校である。 東京女子高等師範学校(現:お茶の水女子大学)の伝統を受け継ぎ、学問を尊ぶ姿勢は初代校長の言葉「学べや学べ、やよ学べ」にも現れている。 初代校長後閑菊野は桜蔭会より選出、後閑はの皇后、の教育係も務めていた。 中学、高校で「礼法」の授業がある。 聡明で思いやりのある、多方面で活躍できる女性の育成を目指している。 大学合格実績 [ ] 大学合格実績は全国の女子校の中でトップクラスであり、毎年多くの学生が、、といった首都圏の難関大学へ合格している。 また、女子校にはめずらしく理系に強く、医学部など理系学部への合格者が多いのも特徴である。 例えば、には例年10名以上合格者を輩出しており、同大学の合格者出身校TOP3に入っている。 2020年は卒業生229名に対してには71名、には72名、には109名が合格している。 沿革 [ ] 桜蔭学園は(13年)、の翌年に創設された。 現校地には(現:)桜蔭会(同窓会組織)の寄宿舎が建っていたが 、大震災によって焼け野原となった。 当時桜蔭会の会員はわずか2800人であった が、その直後に桜蔭会は教諭である会員に全国から寄付を呼びかけ 、の理想を実現し、社会に恩返しをしようと 本校が設立された。 当時はまだ女性の地位が低く、あるのは、、実学や語学教育ばかりで 、への道は開かれていなかった。 そのような中で、本格的に女子にの門戸を広げたいと考え設立された。 設立当時は、を主とした「実務学校」としての性格が強かったという。 女性の手による女性のための学校とし、初代校長は桜蔭会会員による選挙で選ばれた。 初代校長は校訓「勤勉・温雅・聡明であれ」など現在の素地を作り上げた。 東京女子高等師範学校は設立から日本の女子教育界をリードしてきた高等教育校であり、その校である桜蔭は、開学時から非常に優秀な教師を集めることができた。 現在でも教員にはお茶の水女子大学出身が多く、男性教員は数名程度である。 ベテラン教員が多い。 その結果、大学や病院の多いに住む医師や教員など高学歴層の子女が、最高の教育を受けられる場として桜蔭に送り込まれた。 日本人の手で創られた、進学校である。 や国公立大学医学部、などの難関大学に全国レベルの合格・進学実績を出している。 約四半世紀にわたり東京大学合格者数で全国トップ10にランクインしている。 創立時より「礼と学び」を建学の精神とし、華美に走ることなく、高い品性と学識を磨くことを一貫して実践する女子中等教育を行っている。 近年新校舎が竣工したが、創立時より所在する本館も大切に使い続けられている。 制服は丸襟の白に紺色のとで、紺色の腰紐を特徴とする。 その教育に育まれた卒業生は、今や、研究、教育、芸術、医療、放送、ボランティアなどあらゆる方面で活躍している。 年表 [ ]• - 桜蔭女学校を設立。 - 5年制 桜蔭高等女学校を設立。 創立記念日。 3月 - 桜蔭高等女学校を設立。 3月 - 校歌制定。 作詞は長の、作曲は教授の。 4月 - により校舎の4分の3を焼失。 3月 - 桜蔭高等女学校専攻科(国語・英語)を設置。 4月 - により、 桜蔭中学校(450名9学級)を設置。 3月 - 学制改革により、 桜蔭高等学校(普通科600名)を設置。 3月 - 桜蔭高等学校専攻科を廃止。 - 桜蔭学園を設立。 4月 - 桜蔭中学校、生徒定員600名に増員。 4月 - 桜蔭中学校、生徒定員750名に増員。 4月 - 桜蔭高等学校、生徒定員750名に増員。 4月 - 募集定員を240名から235名に変更する。 施設 [ ]• 本館 … 1931年(昭和6年)竣工。 スパニッシュ様式。 校長室、事務室、保健室、礼法室、被服室、旧講堂• 普通教室(中1-中2)• 天体観測ドーム• 天体望遠鏡• プラネタリウム• 体育館• 物理室、化学室、生物室、美術室、音楽室、調理室、コンピュータ室• 温水プール(地下)• 西館 … 2004年竣工。 地下3階、地上6階建て。 普通教室(中3-高3)• 図書室• コンピュータ室、書道室• 体育館 校外施設 [ ]• ひばりが丘運動場()• 浅間山荘() 制服 [ ] 基本は丸襟の白に紺色のと。 腰には紺色の腰紐を締める。 夏は半袖ブラウスに、スカートは素材が薄くなり、色もやや薄くなる。 ジャンパースカートのみの着用の際には左胸に校章を付ける。 冬はスカートの上に学校指定のoinという赤い刺繍入りのや、ブレザーを着る。 ブレザー着用の場合はブレザーの左胸にあるポケットに校章を付ける。 衣替え時期の規定はなく、夏冬の制服の組み合わせであれば自由。 様々な正式な式典の際には正装として校章の付いたブレザーの着用と黒長靴下(黒タイツ)を履くことが義務付けられている。 校章は、桜の模様で、桜の中に旧字で櫻蔭と書かれている。 大小2種類がある。 小さい方はで、冬用またはの襟に付ける。 カリキュラム [ ] 1学年5クラス。 クラス替えは毎年行う。 中3から高3は担任団を結成して持ち上がっていく。 成績順位は出さない。 高2から文系・理系に分かれる。 高2から数学と英語は習熟度別授業となる。 ただし本人が希望するクラスとなる。 「自由研究」(中学3年) 3年間の自己研鑚として、各自が興味を持っていることを論文で提出し、校内展示、生徒・保護者対象の研究発表会で発表を行う。 4月からテーマを決めて調査研究し、夏休み明けに提出する。 全員分の論文の要約が1冊の本にまとめられる。 「」(中1~高2)• 「礼法」(中1、高2) 年間行事 [ ] 文化祭 9月に開催される。 桜蔭では中1から高2まで全員がどこかのクラブに所属するため、文化祭では有志団体の活動を除きクラブごとに参加する。 中3から高2で構成される文化祭企画委員が中心となり、総務、広報、庶務、会計、後夜祭、プログラム、装飾、展示、模擬店などの各実行委員会が1学期から活動している。 体育大会 5月にひばりが丘運動場()で行われる。 中1から高3までが5色のクラスカラー毎に縦割りの5つのチームに分かれて優勝を目指す。 浅間山荘合宿 中1と高1は夏期休暇中に浅間山荘へ合宿へ行く(中1は2泊3日、高1は3泊4日)。 自然に親しむことを目的とする。 ハイキングにキャンプファイヤーなどが行われる。 修学旅行 10月に、中3は東北へ3泊4日、高2は京都・奈良へ4泊5日で行く。 交通 [ ]• バスケットボール部I・II• バレーボール部I・II• 卓球部I・II• 水泳部• リズム水泳部• ダンス部• 文学部 文芸研究班• 文学部 かるた班• 社会科部• 数学部• 化学部• 物理部• 生物部• 天文気象部• 英会話部• 英語劇部(中2から)• 管弦楽部• 合唱部• 軽音楽部(高校のみ)• 美術部• 書道部• 家庭科部料理班• 家庭科部手芸班• 花道部• 茶道部• ボランティア部• 写真部• 演劇部• 放送部• 新聞部 著名な卒業生 [ ] 政治家 [ ]• - 中学のみ在籍、高校はConcord Academy校、()、元、、教授、前日本政府代表部• - 元衆議院議員(無所属)• - 弁護士、薬剤師、元衆議院議員(無所属)• - 衆議院議員(自民党)• - 、元衆議院議員() 専門家・大学教授 [ ]• - 教育学部教授• (本名:野島陽子)- 教授• - 創業者• - (中学1年のみ在籍、中学2年からニューヨーク)教授、元駐日代表兼総裁特別顧問、ニューヨーク本部管理局長(女性初)• - 社会奉仕家• - 音楽評論家• - 在住 作家 [ ]• - (在学中にを最年少で受賞)• - 、 歌手・女優 [ ]• - ・• - 女優• - 、女優、• - 女優、• (旧芸名:六條華)- 女優、タレント• - タレント• - タレント アナウンサー [ ]• - アナウンサー• - 元アナウンサー• - アナウンサー• - アナウンサー• - フリーアナウンサー、元キャスター 関連項目 [ ]• - -• 脚注および参照 [ ] []• 」と記されている。 2015年4月19日. オンライン. 2019年6月1日閲覧。 2019. 9閲覧。 2016. 2017. プレジデントオンライン. 2019年6月5日閲覧。 2016年5月10日• ビジネスジャーナル. 2012年10月25日 2014年9月8日閲覧。 ミヤギテレビアナウンサー 外部リンク [ ]•

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海軍戦記(目次)

桜 蔭 戦記

概要 [ ] (13年)、(現:)の同窓会「櫻 蔭会」により設立。 国立女子校の卒業生の力で設立としては国内で初であり、女子にも価値を高めるべく、「礼と学びの心」を創立の精神として、桜蔭会の寄付と手で設立された中等教育校である。 東京女子高等師範学校(現:お茶の水女子大学)の伝統を受け継ぎ、学問を尊ぶ姿勢は初代校長の言葉「学べや学べ、やよ学べ」にも現れている。 初代校長後閑菊野は桜蔭会より選出、後閑はの皇后、の教育係も務めていた。 中学、高校で「礼法」の授業がある。 聡明で思いやりのある、多方面で活躍できる女性の育成を目指している。 大学合格実績 [ ] 大学合格実績は全国の女子校の中でトップクラスであり、毎年多くの学生が、、といった首都圏の難関大学へ合格している。 また、女子校にはめずらしく理系に強く、医学部など理系学部への合格者が多いのも特徴である。 例えば、には例年10名以上合格者を輩出しており、同大学の合格者出身校TOP3に入っている。 2020年は卒業生229名に対してには71名、には72名、には109名が合格している。 沿革 [ ] 桜蔭学園は(13年)、の翌年に創設された。 現校地には(現:)桜蔭会(同窓会組織)の寄宿舎が建っていたが 、大震災によって焼け野原となった。 当時桜蔭会の会員はわずか2800人であった が、その直後に桜蔭会は教諭である会員に全国から寄付を呼びかけ 、の理想を実現し、社会に恩返しをしようと 本校が設立された。 当時はまだ女性の地位が低く、あるのは、、実学や語学教育ばかりで 、への道は開かれていなかった。 そのような中で、本格的に女子にの門戸を広げたいと考え設立された。 設立当時は、を主とした「実務学校」としての性格が強かったという。 女性の手による女性のための学校とし、初代校長は桜蔭会会員による選挙で選ばれた。 初代校長は校訓「勤勉・温雅・聡明であれ」など現在の素地を作り上げた。 東京女子高等師範学校は設立から日本の女子教育界をリードしてきた高等教育校であり、その校である桜蔭は、開学時から非常に優秀な教師を集めることができた。 現在でも教員にはお茶の水女子大学出身が多く、男性教員は数名程度である。 ベテラン教員が多い。 その結果、大学や病院の多いに住む医師や教員など高学歴層の子女が、最高の教育を受けられる場として桜蔭に送り込まれた。 日本人の手で創られた、進学校である。 や国公立大学医学部、などの難関大学に全国レベルの合格・進学実績を出している。 約四半世紀にわたり東京大学合格者数で全国トップ10にランクインしている。 創立時より「礼と学び」を建学の精神とし、華美に走ることなく、高い品性と学識を磨くことを一貫して実践する女子中等教育を行っている。 近年新校舎が竣工したが、創立時より所在する本館も大切に使い続けられている。 制服は丸襟の白に紺色のとで、紺色の腰紐を特徴とする。 その教育に育まれた卒業生は、今や、研究、教育、芸術、医療、放送、ボランティアなどあらゆる方面で活躍している。 年表 [ ]• - 桜蔭女学校を設立。 - 5年制 桜蔭高等女学校を設立。 創立記念日。 3月 - 桜蔭高等女学校を設立。 3月 - 校歌制定。 作詞は長の、作曲は教授の。 4月 - により校舎の4分の3を焼失。 3月 - 桜蔭高等女学校専攻科(国語・英語)を設置。 4月 - により、 桜蔭中学校(450名9学級)を設置。 3月 - 学制改革により、 桜蔭高等学校(普通科600名)を設置。 3月 - 桜蔭高等学校専攻科を廃止。 - 桜蔭学園を設立。 4月 - 桜蔭中学校、生徒定員600名に増員。 4月 - 桜蔭中学校、生徒定員750名に増員。 4月 - 桜蔭高等学校、生徒定員750名に増員。 4月 - 募集定員を240名から235名に変更する。 施設 [ ]• 本館 … 1931年(昭和6年)竣工。 スパニッシュ様式。 校長室、事務室、保健室、礼法室、被服室、旧講堂• 普通教室(中1-中2)• 天体観測ドーム• 天体望遠鏡• プラネタリウム• 体育館• 物理室、化学室、生物室、美術室、音楽室、調理室、コンピュータ室• 温水プール(地下)• 西館 … 2004年竣工。 地下3階、地上6階建て。 普通教室(中3-高3)• 図書室• コンピュータ室、書道室• 体育館 校外施設 [ ]• ひばりが丘運動場()• 浅間山荘() 制服 [ ] 基本は丸襟の白に紺色のと。 腰には紺色の腰紐を締める。 夏は半袖ブラウスに、スカートは素材が薄くなり、色もやや薄くなる。 ジャンパースカートのみの着用の際には左胸に校章を付ける。 冬はスカートの上に学校指定のoinという赤い刺繍入りのや、ブレザーを着る。 ブレザー着用の場合はブレザーの左胸にあるポケットに校章を付ける。 衣替え時期の規定はなく、夏冬の制服の組み合わせであれば自由。 様々な正式な式典の際には正装として校章の付いたブレザーの着用と黒長靴下(黒タイツ)を履くことが義務付けられている。 校章は、桜の模様で、桜の中に旧字で櫻蔭と書かれている。 大小2種類がある。 小さい方はで、冬用またはの襟に付ける。 カリキュラム [ ] 1学年5クラス。 クラス替えは毎年行う。 中3から高3は担任団を結成して持ち上がっていく。 成績順位は出さない。 高2から文系・理系に分かれる。 高2から数学と英語は習熟度別授業となる。 ただし本人が希望するクラスとなる。 「自由研究」(中学3年) 3年間の自己研鑚として、各自が興味を持っていることを論文で提出し、校内展示、生徒・保護者対象の研究発表会で発表を行う。 4月からテーマを決めて調査研究し、夏休み明けに提出する。 全員分の論文の要約が1冊の本にまとめられる。 「」(中1~高2)• 「礼法」(中1、高2) 年間行事 [ ] 文化祭 9月に開催される。 桜蔭では中1から高2まで全員がどこかのクラブに所属するため、文化祭では有志団体の活動を除きクラブごとに参加する。 中3から高2で構成される文化祭企画委員が中心となり、総務、広報、庶務、会計、後夜祭、プログラム、装飾、展示、模擬店などの各実行委員会が1学期から活動している。 体育大会 5月にひばりが丘運動場()で行われる。 中1から高3までが5色のクラスカラー毎に縦割りの5つのチームに分かれて優勝を目指す。 浅間山荘合宿 中1と高1は夏期休暇中に浅間山荘へ合宿へ行く(中1は2泊3日、高1は3泊4日)。 自然に親しむことを目的とする。 ハイキングにキャンプファイヤーなどが行われる。 修学旅行 10月に、中3は東北へ3泊4日、高2は京都・奈良へ4泊5日で行く。 交通 [ ]• バスケットボール部I・II• バレーボール部I・II• 卓球部I・II• 水泳部• リズム水泳部• ダンス部• 文学部 文芸研究班• 文学部 かるた班• 社会科部• 数学部• 化学部• 物理部• 生物部• 天文気象部• 英会話部• 英語劇部(中2から)• 管弦楽部• 合唱部• 軽音楽部(高校のみ)• 美術部• 書道部• 家庭科部料理班• 家庭科部手芸班• 花道部• 茶道部• ボランティア部• 写真部• 演劇部• 放送部• 新聞部 著名な卒業生 [ ] 政治家 [ ]• - 中学のみ在籍、高校はConcord Academy校、()、元、、教授、前日本政府代表部• - 元衆議院議員(無所属)• - 弁護士、薬剤師、元衆議院議員(無所属)• - 衆議院議員(自民党)• - 、元衆議院議員() 専門家・大学教授 [ ]• - 教育学部教授• (本名:野島陽子)- 教授• - 創業者• - (中学1年のみ在籍、中学2年からニューヨーク)教授、元駐日代表兼総裁特別顧問、ニューヨーク本部管理局長(女性初)• - 社会奉仕家• - 音楽評論家• - 在住 作家 [ ]• - (在学中にを最年少で受賞)• - 、 歌手・女優 [ ]• - ・• - 女優• - 、女優、• - 女優、• (旧芸名:六條華)- 女優、タレント• - タレント• - タレント アナウンサー [ ]• - アナウンサー• - 元アナウンサー• - アナウンサー• - アナウンサー• - フリーアナウンサー、元キャスター 関連項目 [ ]• - -• 脚注および参照 [ ] []• 」と記されている。 2015年4月19日. オンライン. 2019年6月1日閲覧。 2019. 9閲覧。 2016. 2017. プレジデントオンライン. 2019年6月5日閲覧。 2016年5月10日• ビジネスジャーナル. 2012年10月25日 2014年9月8日閲覧。 ミヤギテレビアナウンサー 外部リンク [ ]•

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桜蔭中学校・高等学校

桜 蔭 戦記

2007年4月24日 お腹を痛めた子どもは自分の一部であり、母親は客観的にとらえられないと言われます。 そういう面もあるかもしれませんが、そんなことはないお母さんも多いです。 私自身はじっくり考えるタイプではないため、 あね子の受験に際しては、常に冷静に、客観的に考えるよう注意しました。 塾の先生にはかなり誉められ、おだてられていましたが、 客観的に判断するよう心がけました。 それでも、模試の結果に一喜一憂してしまいましたが、 偏差値より順位を気にするようにしていました。 桜蔭中は250名程度は合格者を出しますが、 上位50名はとんでもなく優秀なお子さんが確定している状況、 次の50名も、ほぼ大丈夫な安定したお子さんが続きます。 残り150席にあね子がすべりこめるかどうかの状況だと思っていました。 仮にここですべりこんでも、入学後はきついという不安が最後までありました。 (取らぬ狸の皮算用だったのですがね) 桜蔭中の試験日、保護者面接を終え控え室にいると、 あね子たちが立ち向かった試験問題の配布が始まりました。 受験票の控えか何かと引き換えだったと思います。 早速手にした私は、ざーっと見て、あね子の不合格を覚悟しました。 まず、国語の文章量が例年よりかなり多く、記述字数も増加しています。 しかも、論説文はあね子のまったく興味のない学術的なものでした。 算数は得意でしたからそれほど気になりませんでしたが、 直前に繰り返した頻出の立体図形はなく、 整数や規則性の問題が増え、ついてない感じがしました。 平易に見えて、時間のかかるややこしい問題揃いです。 あね子の桜蔭受験は算数でどれほどカバーできるか、 国語をどれほど書けるかにかかっていました。 国語がかなり難しい、書けていないだろう・・・ 別室で面接を待つあね子を、すぐに連れて帰りたい衝動にかられました。 桜蔭の面接が終わったのは3時近かったと思います。 あね子は算数はまあまあ、国語は難しかった、できなかったと言いました。 私の予想通りです。 とにかく早く帰り、疲れをとって明日に備えようと思いました。 あね子だけでなく、私も面接で疲れていましたのでタクシーで帰りました。 深夜帰宅した夫にも、今日の結果は厳しいと伝えました。 「明日の学校に合格できれば言うことはない」と確認して眠りにつきました。 客観的に考え、覚悟していたことですから、ショックもありませんでした。 「入りたいという熱意が大事」とよく言われますが、 「熱すぎず客観的に見つめることが大事」と私は思います。 ですから、いも子の受験にもどこか冷めた自分を感じてしまいます。

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